受肉の恩はあれど、所詮人間、と下に見ていたが。鬼神が如く戦闘する悠仁に惚れ惚れしていた。流石、自慢の弟だ。弟だけでなく、あのいけすかない金髪や、乙骨という男など、人間も侮れないなと実感していた。
 残った人がいないか周囲を見てくる、と、弟はさっさと駆けて行った。あとをついていこうとしたとき、ふと、瓦礫の向こうから血の臭いがした。
 悠仁、と呼びかけたが弟は既にいない。仕方なく瓦礫の山を踏みつけ匂いのもとへ足を進めた。
 潰れた車と跳び出した鉄骨。呪霊の気配はどこにもない。
 ただ、女が。地面に落ちていたのである。
 
 呼吸を見て、虫の息であれば一思いに彼岸へ渡そうかと考えていた。どこか怪我をしているのかと体を見たが、どこにも傷はない。一体、誰の血の臭いだったのか。…
 女は、穏やかな表情で、静かに寝息を立てていた。女の服についた釦を見て……無駄な殺生を弟は好まないだろうと考えた。

 女の名前は沙都というらしい。沙都は、ただの人間だった。術師とはいうものの、秀でた才が有るわけでも、その血筋に生まれたわけでもない。恵まれた体躯ともかけ離れている。抱えた腹は柔らかく、腰は華奢で、力加減を誤れば二つに折ってしまいそうなくらいだった。
 勿論、呪術師として、それなりの力はあるのだろう。沙都を前にして、悠仁や周りの人間が特別に世話をしようとする様子はこれっぽっちも見られなかった。人並みに鍛錬を積んできたらしい。温い水と乾いたパンを与えられると、すっかり調子を取り戻すのだった。

 薨星宮にて。天元と特級呪術師と沙都と、悠仁の無事を思いながら脹相は渋い顔をしていた。天元と九十九には何かあるらしい、ぽつぽつと話してばかりいる。自分の役割は天元の護衛だ。弟達を近くに感じているのに、亡骸を回収をすることができない。……焦燥に駆られるしかなかった。
 そんな脹相を知ってか知らずか。隣には暢気な顔(生まれつきだろう)をした沙都が立っていた。弟のともだち。この女も負の感情を抱き、呪いを孕むことがあるのだろうかと、ぼんやり頭の片隅で思った。


「兄を探していました」


 恐らく、俺が。
 あの日、沙都の兄を。
 そう伝えたならば、彼女も、この世界を呪うのだろうかと。
 脹相は、沙都の穏やかな横顔に疑問を抱くのだった。



‐‐‐


「虎杖くんは料理が上手なんですよ」


 料理。脹相が呟く。少し興味を示してくれた様子に喜んだ沙都は、会話を続ける。


「食事をね、作るのが上手で」
「器用なのか」
「ええ。ここから出たら、作ってもらいたくて」
「成程」


 脹相は言葉少なだった。弟の話以外は、殆ど無関心である。何か考え事でもあるのならば申し訳ないが、今の沙都にとって話し相手は限られていた。話しかけても拒まれないことに気づいた沙都は、脹相の隣に近づいてはこそこそと話しかけてばかりいた。


「脹相は、何人兄弟なの」
「十人兄弟だ」
「へえ。そっか。九人と一人……。弟達に会えるんだ」
「ああ。ここから出たら」
「待ち遠しいね」


 血の臭いが強くなるのは、決まって兄弟の話をしているときだ。不快な臭いではないのだけれど、つい、数日前を思い出して意識が遠くなってしまう。
 血と焦げ臭さに塵と化した渋谷。あの地で、ゆらゆらと体を揺らされて運ばれるあの日に、くん、と押し戻される感覚があった。


「俺は兄として」
「?」
「……俺は兄として、いつでも、弟のことを考えている」
「そっか」
「だから、オマエの兄も」
「私?」
「ああ。オマエの兄だって、オマエのことを考えているはずだ」


 慰めてくれているのだろうか。沙都は、目をぱちくりして、脹相を見上げた。彼の目の色は、黒曜のように暗い。じいっと見詰められていると、あっ、と、落ちてしまいそうになる。ぽっかりと空いた穴のようだった。
 その瞳に釘付けになって、何も言えないでいると。脹相は、くるりと背を向けて、どこかへ。歩いて行ってしまった。


「……お兄ちゃん」


 期待を込めて、聞こえるか、聞こえないかくらいの声で。ひっそりと、つぶやいた。



‐‐‐


 ふと、電車と呼ばれる、鉄の塊を思い出した。人を大勢運ぶのだという。
 確かに、あの日、たくさんの人だったモノが運ばれてきた。真人の手によって、形を変えられた人間たちが。鉄の塊にのって、柔らかいまま降りてきた。
 人を殺して感じたのは、脆さだ。抗う術を知らない人間は、簡単に壊れてしまう。
 今振り返れば、無駄な殺生だったとしか言えないが、いやしかし、必要な手段だった。弟の仇をうつという目的を果たすために、兄として、……違う。呪いとして。
 知らない男がどこで野垂れ死にしようが。関係ないはずだった。
 ただ、沙都の兄の死は気になった。
 もし、自分が兄の死に少しでも関係していたとしたら。居心地の悪い話だと、寒気がしたのだった。




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