薨星宮という場所は、どこまでいっても何も無い。何も無いけれど、望めば、炬燵も、バーカウンターも、なんでも出てくる変な場所だ。
 今ここが外なのか、中なのかすら、本当のところよくわからない。朝も夜も、不明。沙都は、てくてく歩いて回ってから、すたこら天元の元へ戻った。
 なんだか胸がざわつく。心配になってしまうくらい何もないから。何をすればいいのかしら。鍛錬でもしておかないとかな。
 九十九は天元と話したり考え込んだりで忙しそうだ。そりゃそうだ。だって今、呪術界が、というか日本がものすごく大変なことになっているんだから。
 虎杖と伏黒は、秤先輩の元に向かったらしいけれど、無事に辿り着いただろうか。五条先生は今頃。七海さん、野薔薇ちゃん、……お兄ちゃん。
 悲しみや不安はあれど、自分だけ、手持ち無沙汰なのが情けない。残っても大して力になれないのであれば、薨星宮でなく、高専でみんなのフォローに回った方が良かったかもしれない。
 しかし、一応、沙都の役目は天元の護衛なのだ。天元がそう命じたのだから、精一杯務めないと。此処だっていつまでも平和とは言い切れない。いつ何が起きるのかわからないこの状況、それはそれで、気が抜けない。
 天元と九十九の話を聞き入っていると、ふと、別の存在が気になった。虎杖のお兄さん……脹相だ。
 彼は何をしているんだろうと、辺りを見回すと、少し離れたところで三角座りをしていた。蟻の行列でも見ているかのように、小さく座り込んでいる。様子が気になるけれど、若干近寄り難い。今後一緒に過ごすのだから、少しは仲を深めよう! と覚悟を決めて、沙都は脹相の背後にそろそろ忍び寄った。


「……なんだ」すぐに気取られてしまった!

「はいっ。あ、えと」
「用か?」
「特にそういうわけでは」
「……悠仁と恋仲か」
「はい?」


 突然奇妙な問いかけをされて、沙都は怪訝な表情を隠せなかった。一体何を言っているんだこの男は。いつの間にか体育座りからヤンキーの座り方に変わっていて、こちらを見上げる人相の悪さといったら。何か怒らせるようなことをしたのだろうか。頭から爪先まで、値踏みをするようにまじまじと見られて、沙都の身体はすっかり縮んでしまった。
 答えるにも、どう答えようか、そもそも質問はなんだったっけ、「なあ。悠仁と恋仲なのか」そうだった。質問の意図がさっぱり見えない。


「ええと、違います」
「悠仁の良く知る女じゃないのか」
「悠仁……虎杖くんとは同期ですけど。そういう、男女……? の仲ではないです。おともだちです」
「おともだちなのか」
「うん、はい、おともだちです! ……」


 おともだち。おともだち。
 反芻してから脹相は、突然すっくと立ち上がり、沙都に向き合うと。


「俺は悠仁の兄だ」


 改めて自己紹介を始めるのだった。


「はい存じています」
「似ているだろう」
「えっ! 似てません」
「なんだと?」
「だって。お兄さん、なかなか、奇抜なんだもの」


 脹相は眉を寄せて、首を傾げた。きちんと鏡を見たことあるのかしら、と沙都はしみじみ思う。共に受肉した弟達を思うと、自分のどのあたりが奇抜なのか、脹相は彼女の言うことに全くぴんと来ないのだった。


「俺は変なのか」
「変……というか、虎杖くんと見た目は、あんまり似てないかな」
「そうか」


 脹相は背が高く、近くで話していると首が疲れるなあ。試しに数歩下がっても、脹相は全く気にせず、この場に居ない弟のことで頭をいっぱいにしている。何だか可愛らしい一面を見てしまい、沙都はくすくすと笑ってしまった。おっかない呪いだとばかり思い込んでいたから、ギャップが面白かった。



‐‐‐


 ぐうう。
 沙都は、慌ててしゃがみ込む。大きな腹の虫に気づかれまいとの行動だった。ちらっと天元と九十九を覗けば、よかった、話に夢中である。二人はたくさん話すことがあるというのに、緊張感がなくなってきたな、私ってば……と空きっ腹を撫でていると、ぬっとした影が沙都を包んだ。まずいぞ、と後ろを振り向けず、お腹を押さえたまま蹲っていると。おい、と、男の低い声が降ってきた。


「腹が痛いのか」
「う、……気にしないでください」
「……」


 脹相は、沙都をそのまま数秒見下ろしてから、ふっとその場を去った。変に気を遣わせたらどうしようかと、突っぱねてしまったけど、失礼だったかな。沙都ははらはらして、皆から少し離れていようと歩を進めた。ちょっと、座って休んでいようかな。ここに来てだいぶ時間も経ったし、そりゃあ腹だって空かすだろう。でも、今この場で、お腹がすきましたーと申告するのは躊躇われた。
 同時に、小さな罪悪感が胸をつきんと痛くする。
 お兄ちゃんだって、お腹をすかせてるかも。そもそも、兄は、今どうしているだろうか。今……。
 罪悪感なんて言ったら、お兄ちゃんは笑い飛ばしてくれるだろうけど、でも。そんな、悲しいことを考えながら。そそくさと、和室を出て、何にもない場所へ。沙都はせっせこ歩くのだった。



「……い、おーい。沙都。沙都ーー??」
「……はっ、うわっ! ご、ごめんなさい」
「いや、寝てたならよかった。調子悪いのかと天元様もアイツも、心配してたんだ」

 起きてすぐ、美女に顔を覗き込まれるシチュエーションに、吃驚して飛び起きた。いつの間にか、長い長い廊下で寝こけていたらしい。こんなところですやすや眠れてしまうなんて、随分疲れていたのか、もしくは図太い神経してるのか。ぺこぺこ謝りながら、ふわりと美味しそうな匂いにお腹をおさえる。美女はハハハと笑った。


「お腹空いただろう。天元が準備したんだ、食べよう」
「う。はい!」
「脹相ほらな、言っただろう。人間はね、腹が減ると音が鳴るんだよ。そういう経験、ないの」


 胡坐をかいて背を丸めた脹相に、九十九が声を掛けた。それから、「沙都のこと心配してたんだよ。腹が痛そうだって」と沙都に耳打ちする。


「脹相。ありがとう」
「何がだ」
「心配させてごめんね」
「心配してない。謝るな」


 洋室に四人分の椅子、机の上には軽食が並んでいた。九十九はいただきます、と一言、サンドイッチに手を伸ばし、ぱくぱくと食べ始めた。沙都は少し戸惑って、椅子に腰を掛けた天元を見る。天元から「食べなさい」と一言。ありがとうございます、と、食事を始めた。脹相は腕を組んで、仁王立ちしてそれを見ている。


「脹相、食べないの」
「俺はいい」
「君も少し食べなよ。ほぼ人間なんだろう?」
「……」


 脹相は、少ししてから椅子につく。机の上を一瞥してから、私が食べているパンを見て、同じものを手に取った。一口。そのままよく噛まないで飲み込もうとするので、沙都は素っ頓狂な声をだした。


「しっかり噛んで脹相。喉詰まらせちゃう」
「……」
「わははは」


 暫くキョトンとした顔を見せてから、素直にもぐもぐと咀嚼し始めたので、ほっとした。


「虎杖くんも、宿儺の指は丸呑みだったみたい。似てるね」
「宿儺の指なんてよく噛んで味わいたくもないだろ」


 おえー、と顔を顰める九十九に対して、脹相は少し顔を明るくした。弟に似てるところって、こんなのでも喜ぶのか。沙都は笑いながら、もう一つ、パンに手を付けた。


「あのね脹相、私も、みんなのためにがんばるからね」
「俺は悠仁と弟達のためにここに居るだけだ」
「あっはい」


 束の間の和やかな時間だった。





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