血の臭いだと気付いた。死臭のように鼻を刺す訳ではない。酷い怪我を負っていて出血が止まらない、そんな不安に駆られる臭い。身体に染みついて取れないのだろう、と続いて悟った。この人は、いや、ーーこれは、人間とは違う存在だ。限りなく人に近い、呪いだ。 問題は、人の形をした呪いが、敵なのか味方なのかだ。酷く焦燥していた沙都は、深呼吸をして自らを整えようとするが。肺は一杯に血の空気を取り込むばかりで、これは良くないと、事態を憂慮するばかりだった。
沙都が渋谷に残ったのは、割り切れない思いがあったからだ。 十月三十一日を過ぎて、怪我を負った高専生とその関係者は九十九によって高専へ送り届けられた。最初は沙都も、みんなと高専に戻ろうと項垂れていたのだけれど。やるべき事をと、痛む身体に言い聞かせて、仲間たちからそっと抜け出してきたのだ。 暫くの間、渋谷の焼け野原を闇雲に歩き回り、立ち止まっては、また歩いての繰り返し。もう限界と、空腹と疲労で倒れていたら、呪いに見つかったのだ。 俵のように抱えられているのに気付いたのは、倒れた地点からだいぶ離れてからだった。驚きと恐怖で、わあわあと大きく喚いたものの、呪いは「騒ぐな」と抱える腕により力を入れる。恐ろしくて、おっかなくて……呪力も尽きてどうすることもできない沙都は、結局きゃあきゃあと引っ切り無しに騒ぐ他なかった。 たどり着いたのは、篝火を囲む高専の仲間たちの元だ。見知った面々に、声をかけられる。どさっと粗雑に地面に落とされてから、口をぽかんとあけて、沙都はようやく助けられたことに気づいた。
「なんでここに沙都がいるんだ」 「伏黒くんだ……」 「脹相、どこで見つけたの沙都」 「近くに落ちていた。悠仁と服装が似ていたから、拾った」 「ちょうそう……?」
呪いは――脹相は、沙都のとぼけた声に目をやってから。興味が一つも無いらしい。知らん顔で空を仰いだ。
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「二人の護衛と、それから――君。君も残りなさい」
沙都は、ぎょっとした顔で固まる。天元の指は、沙都にすっと伸ばされていた。周囲をきょろきょろとわざとらしく見回してみると、「沙都。君だ」と改めて名指しされるのだった。周りも一瞬怪訝な顔をしたが、状況を飲み込んだらしい、沙都に目を向ける。 天元の言わんとすることは理解ができた。沙都は、今後起こるであろう事象に恐らく関係することのない、ここにいる面々と比べると非力な娘だ。護衛の二人、呪胎九相図と特級呪術師の九十九のことを考えると。……離反なんて有り得ないものの、見張りが一人いるというだけで好都合なのだろう。たとえ太刀打ちできるわけもない、ただの女子供でも。
「沙都、じゃ、またな」 「うん、虎杖くん、気を付けて」
薨星宮から出ていく皆を、沙都は小さく手を振り見送った。 この役目を拒否することもできただろう。でも。 天元をちらりと覗く。四つの目(果たして目だろうか)は、しっかりとこちらを見据えていて、これで良かったのだと沙都は小さく息をつき、大きく息を吸う。 どうやら泣いているらしい脹相と、九十九の掛け合いに、天元と目を丸くしつつ。 殺風景な空間で、奇妙な生活がスタートした。
「そういえば。沙都はどうして、あの日渋谷から帰らなかったの」 「え?」
九十九が、アーモンドの大きな目をしぱしぱとさせる。背が高く、さらさらと美しく流れ落ちる髪にどぎまぎしながら、沙都はなるべくあっさりと答えた。
「兄を探していました」 「お兄さん」 「あの日、渋谷で……仕事だったみたいで。ハロウィンだから混んでいて大変だ、早く電車に乗って帰りたい、なんて連絡があってから、返事がなくって」
血の臭いが強くなる。
「見つかったのか」
低く、鋭い声だった。担がれたときに騒ぐなと一喝されて以来、彼はすっかり自分に興味を無くしたのだと思い込んでいたので、驚いた。少し躊躇ってから、首を振る。
「それなら、こんなとこに居るより、探しに出たいんじゃ」 「……兄から、与えられた役目はしっかり果たせと言われてるんです」 「立派なお兄さんだね」 「ええ。だからきっと、連絡がつかないだけで、……」 「……話はいつでも聞くよ。ねえ脹相」
九十九に相槌を求められた脹相は、黙って、じいっと沙都の顔を見詰める。沙都は、なるべく考え無しのふりをしようと、あっけらかんと笑おうとして、やめた。呪いに見詰められて、にこにこ笑えるほどの体力がなかったのだ。
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