頬がじくじくと痛んだ。生温かくどろどろと濡れていく感覚。焦って手をやれば、頭がぱっくり切れたらしい。指が赤く染まったのを視認して、右目があることに安堵した。衝撃はあったものの、大きい怪我ではなさそうだ。
 肺に溜まった空気を全て吐き出すと、気持ちがぐっと軽くなった。鼓動が早鐘を打つ。視界が澄んでいく。足は軽く、頭は冴える。ああ、今、愉しい!
 血液が目に入る前に腕で拭って、呪具を強く握り、周囲の制止の声も聞かずに突っ込んだ。獲れる、という確信に体が突き動かされていたのだった。
 誰かが遠くで短く叫んだ。その叫びが沙都の名前だったと気付いたのは、目の前の呪いが爆ぜてからだ。突然、身体が地面に沈みそうな程重くなる。呪具が手から滑り落ちて、がくんと体が崩れた。大丈夫だ大丈夫だ大丈夫。
 あれわたし、何していたんだろう。
 へいきだ、だって生きている。胸を撫で下ろした。
 叫んでいたのは、虎杖だった。倒したよ、と笑いかけようとした瞬間、体が宙に浮かび上がる。足をばたつかせるが、すぐに気力を無くしてそのまま身を任せた。


「佐藤…! お前、」
「いたどりくん。はあい。ピース」
「無茶しすぎだろ……。……焦った」
「……ごめん」
「いや。まあうん。ナイス」


 逆さまの虎杖は、目を丸くしていた。誰に抱えられているかは、錆びの匂いで分かった。そろそろ体勢を変えてほしいな、と地面に垂れる血を目で追いかけると、気持ちが通じたかのように横抱きにされる。降ってくる声に、そのままぐったりと身を委ねた。


「馬鹿だろうお前は」
「はい、ばかだった、ごめんなさい」
「止めに入った悠仁まで怪我を負うところだった」
「脹相。俺はピンピンしてるって」
「……勿論そうなる前に俺が入るところを、お前は」
「ごめん二人とも」


 酷く不機嫌な顔をした脹相に、沙都は内心とても慌てた。よっぽど怒っているらしい。虎杖も察して、うーん、と困った顔をして見せる。大丈夫そうだけどさ、早いとこ診てもらった方がいいぜ、と気を遣ってくれたのだが。そうするね、と返答するより先に「いや」と遮られてしまった。


「掠り傷だろう。これぐらい」
「え。そうかな」
「何言ってんだよ脹相。佐藤も」
「簡単な手当てをすればすむ。空いてる場所へ連れていく」
「……そーだな。頼むわ。俺は他と合流する。佐藤、よく休めよ」
「うん。ありがとう」


 空は白んできている。日が昇るのを待たずして、脹相は沙都を抱いて高専への道を急いだ。残党狩りも終わりが見えてきたね、と明るい声を出したが。脹相からの言葉は何一つ返ってこなかった。




「怪我を見せろ」


 優しくされて、沙都は今の状況が少し気まずかった。知らない、半壊の学校。保健室だろうか。埃っぽいベッドにそっと寝かされた。肌寒さを感じていると、すっと薄い毛布をお腹の上まで掛けられる。薄暗い部屋の中で、脹相の表情はよく読み取れない。「早く」という囁きに、沙都は髪を掻き上げて、怪我した部分を見せた。脹相は、ゆっくりと傷に触れて、離して、もう一度触れる。


「傷は浅い。血も止まっている。気持ち悪くは」
「無い」
「……布を巻くから頭を上げろ」
「……さっき虎杖くんの前では、掠り傷だろって言ったじゃん」
「馬鹿に貸す耳は無い」


 後頭部を持ち上げられて、沙都は静かに目を閉じた。そこらにあった包帯だろうか。頭にするすると巻かれていく。脹相は器用だった。「上手だね」と声を掛ければ「見て覚えた」と短く返って来る。丁寧に巻き終わって、そのまま、おでこを中指で弾かれた。


「弱いからこうなる」
「弱くてごめんなさい」
「……無茶をするなと言ってるんだ」


 頼む。
 脹相の手が、沙都の頬を優しく滑った。硬く分厚い掌が気持ちよくて、そのまま受け入れる。顔よりも大きな手は頬から離れないまま、「頼む」ともう一度、辛そうな声が耳に響いた。驚いて目を見開けば、彼の真っ黒な瞳からは逃げられない。頬は熱くて、いっそ皮膚と皮膚が繋がってそのまま離れなくなればいいのにとすら考えた。脹相の膝が乗りかかり、ぎしりとベッドが軋む。もう片方の手が頭の横に伸びると、沙都の片手をとり、指を絡ませるのだった。


「傷つくな」
「気をつけます」
「もう無茶はしないと口にしろ」
「馬鹿に貸す耳はないんでしょ?」
「悪かった」
「冗談だよ。好き、脹相」


 自分の体を自由に動かせるのは、楽しい。この体は自分だけのものだ。けれど、そんなのは彼にとって世迷言なのだ。
 壊れ物を扱うような手つきにずきん、と頭が痛む。大切にしてねと素直に言えない代わりに、繋がった手を強く握り返す。そのまま離れずに、自分の血と彼の血が交わって一つになることを考えて、苦しくなった。
 どんなに大切にされても、どんなに身を預けても。いつか前触れもなく手放される。置いて行かれるのだ。沙都は人間で、彼は呪いだから。決して交わることはない。体が繋がったとして、血の違う二人は一つにならない。触れる肌が悲しい。皮膚の向こうに沙都と違う血がどくどくと流れていることが酷く寂しい。どう足掻いたって、沙都と彼は他人だ。血の繋がりのある彼の弟達とは違う。二人はどうしたって二人だ。


「行こう」
「うん」


 頭に巻かれた包帯も、彼からの抱擁も、沙都にはきつかった。




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