※沙都は呪霊※

 今日も渋谷はがらんどうだ。
 暫く経ったが、人間たちは復旧作業に手間取っているらしい。淀んだ空気が心地よい。なんて過ごしやすい環境だろう。
 沙都は人の形をした呪霊だ。ぼくらはみんな…とのんびり歌いながら、宵闇を気持ちよく散歩していた。
 この間まで共に過ごしていた知り合いは、今はもう何処にも居ない。置いて行かれたのではない。あの日は皆、自分の役割に夢中だったのだ。沙都は、大した考えもなくただ皆についてきただけだったので、導いてくれる者が側に居ない今、こうしてぽつねんと渋谷にとどまるしかなかった。術士に祓われなかったのは、たまたまだった。
 工事用のライトが煌々と眩しい。その光の果てに、沙都は“良いもの”を見つけて立ち止まった。
 壊滅したこの地に寂しく残された店。沙都が見上げるのは、一体のマネキンだった。薄明かりに照らされて、嫋嫋とした輪郭はとても美しい。生地を飾る光の一粒一粒が、きらりきらりと零れ落ちそう。沙都は憧れ交じりにほう、と溜息をつく。

 いつの日だったか。知り合い−−真人が「今度沙都も着てみたらいいよ」と雑誌を指差して教えてくれた。彼はひぃひぃと一頻り笑ってから、「人間って、外面を気にして、ほんと、ばっかみたい」と雑誌を放った。本屋の床に落ちた雑誌は、よく燃えた。立ち読みの長い真人に痺れを切らした漏瑚がぽこぽこと呪力を飛ばしたのだ。案の定他の本にも火は移り、火災報知器が大きく鳴り響いた。
 沙都は慌てふためく人間たちには目もくれず、雑誌に掲載された服を思い出すのだった。あんな一等綺麗な服、呪いの私にも似合うのかな。あれは、どういうときの装いなのかな。漏瑚に引き摺られ頬を膨らます真人に問いかけると、「あれはうぇでぃんぐドレス。人間の女が幸せ(ハート)なときに着る服だよ」と、またぷくぷく嘲け笑うのだった。そのまま、沙都ってば、本気にしてるの? 幸せになりたいの? とからかわれる。やあやあと道の向こうに佇む夏油に、真人ったら酷いのよ、と駆け寄れば、「真人。沙都はお年頃なんだよ」と窘めてくれるのだった。…

 これが思い出ってやつなのか。真人も漏瑚も夏油も居ない今、沙都は一人誰も居ない街だった地を徘徊することで暇を潰している。沙都は人の形をしているが、大して強いわけではなかった。彼らとお喋りすることがただ好きな、呪いらしくない、呪いだった。(いつ見捨てられてもおかしくなかったのに放置されていたのは、沙都自身が持ち合わせる愛嬌故だと、本人は知らない。)偶然見つけた“良いもの”を見上げながら、みんなに会いたいなあ、と、沙都は呪いらしからぬ思いを巡らせていた。



‐‐‐

「これがお前の言う良いものか」
「綺麗でしょ」
「ごてごてしている。なんだこの布地は」
「真人はうぇでぃんぐ…ドレスって言ってた」


 ようやく会えた久しぶりの呪い。脹相だ。聞くと、弟に出会うことができたとか。彼は、べらぼうに強くなっていたものの、何だか以前より生き生きとしていた。つまり、呪いらしくなくなっていた。今は人間側らしい。
 沙都は、面白くないなあと石を蹴った。脹相が寝返ろうが自分の敵になろうが、大した興味はない。ただ、ついこの間まで、仇を討つことだけを目的に生きていた受肉体とは思えなかったので。初めて見る脹相の様子に、貴方はいいわね、と、いじけているのだった。自分だけここに取り残されているような感覚が、お前は一人だと突きつけられるようで、嫌。沙都は、生まれたてなのに既に死んだような彼のことを気に入っていた。純然たる呪いの姿に惹かれていたのだった。弟のおかげなのか、少し快活に見えてしまう脹相は、面白くなかった。
 しかし。この時の沙都には協力が必要だった。役立ちそうだわと腕をまくり、そのままぐいぐいと脹相の背を押して目的地へ連れてきて、今に至る。


「どうして俺をここに連れてきた」
「話し相手がいると楽しいから」
「返答になっていない。大体俺は楽しくない。知っているだろう」
「ええー。ここに来るまで、弟の話はいっぱいしてくれたじゃん! 私、どんな弟か気になってきちゃったなー。……冗談だよ。下げて」


 どうやら地雷を踏みかけたらしい。仲間意識など彼の方にはとっくに無かったようだ。いつでも殺しにかかることのできる彼の構えに、沙都は両手をあげてげんなりした。そしてから「本当はね。この服が着てみたいんだけど」と、割れた窓の向こうに崩れたドレスをぼんやり見詰めた。


「服か。一人で好きなだけ着回せばいい」
「一人で着ようと思ったんだけど、やぶれちゃいそうで」
「体型にあわないのか」
「着るのが難しいの!」


 見つけたときには、マネキンが美しく着ていたドレスだ。割れた窓から土足で上がり込み、何とか脱がせて着てみようと試みたものの、沙都は不器用だった。脱がせた瞬間、ドレスは地に落ちて白い塊へと形を変える。どのように着るか、どの輪に腕を通すか等、呪霊の沙都にはさっぱりわからなかった。装いには無頓着だったのだ。夏油ならきっとこういう細かいこともわかるんだろうなあと、思い耽っていたところ。ひょいと表れた知り合いだ。すっかり気持ちを入れ替えてしまったようだけど、少しの間お付き合い願いたい。沙都は駄々をこねる。


「着せるの手伝って!」
「断る。面倒だ。弟が寄りたいところがあると言うから、ついでに通ってみただけだ」
「ついでにこんなとこ来たのが運の尽きなの。手伝って!」
「……お前と真人はいつでも騒がしかったな」


 脹相は呆れた。呆れながら……白い布地を手にするのだった。沙都はやったあ! と喜びスキップする。こういうところが憎めない。脹相は沙都を苦手としていた。人の内側へお邪魔します、と簡単に踏み入っては、ご一緒にいかが? と勝手に茶を準備するような、図太く馴れ馴れしい呪いだ。その癖、可愛らしい。調子を崩されるのだ。


「ありがとう」
「……どうすればいい」
「ええっと…。どうすればいいのかな」


 全く進みそうにない会話をしていたその時だ。ぎゅやああ、と、けたたましい叫びと共に大きな影が二人を包んだ。図体のでかい呪霊がじゃれ合いに来たのだ。
 今は邪魔だなあ、と沙都が力を使おうとしたところ、それよりも早いのは脹相だった。あっという間に自らの血を盾に身を守ってから、苅祓で真っ二つにしてしまう。己の仕事の速さに満足気な脹相とは反対に、沙都は、いやあー−! と悲鳴を上げた。


「ちょっとー!」
「は?」
「何してくれてるの!」
「……」


 やってしまった。一瞬で、純白は穢されたのだった。血染めでぐっちょりと重くなったドレスを腕にかけて、脹相はつい……と頭を掻いた。沙都はもう!もう!と地団駄を踏む。


「意地悪!」
「悪かった。不可抗力だ」
「ええーん」
「いい歳した呪霊が泣くな」
「私だって最近生まれたてだもん」
「そうか」


 沙都が随分狼狽えるものだから、脹相はいよいよ面倒で、その場に放って帰りたくなった。彼女の愚図り声は呪詛のようで聞くに堪えないのだ。取り敢えず、どんな具合かと、自らの血を吸って酷く重くなった衣装を広げてみると。はて、と脹相は見入ってしまった。そしてから、沙都の体に当ててみせる。


「ちょっと着てみたかっただもん。ばかみたいだけど、かわいいの、気になったんだもん。ばか。まひとばか」
「………」
「やだ。やめてよ脹相。近づけないで。てつくさい」
「似合うな」
「?」


 真っ赤なドレスは、沙都の冷たく血の通っていないような白い肌をひきたてた。濃赤色のレースの袖に包まれば、ほっそりとした白い腕は艶めかしく映えるだろう。段々重ねのフリルは血を吸って幾分か落ち着いた印象になり、沙都の細身に合いそうだ。化粧も施してみたらどうか。口には血と見間違う程鮮やかな紅をくれたほうがいい。
 成程、沙都が白を纏ったところで、薄幸さが際立つだけだと考える。失礼極まりないのだが、確かに、沙都には血の赤が映えていた。


「着せてやろうか」
「着るわけあるか」


 沙都がぷんぷん怒って術式を使おうとしていると、「脹相、」と割って入ってきた男がいた。脹相の目に薄く光が入る。


「……俺邪魔?」
「悠仁。邪魔なのはこいつだ。この呪霊だ。」
「そいつ呪霊なの。通りで。嫁さんかと思った」
「「馬鹿言うな」」


 結局、ドレスはそこらに捨てた。つい最近まできらきらして見えていた幸せの象徴に、嫌気がさしてしまったのだった。人のよさそうな男は、「俺はそれどころじゃない」と遠くを見ている。ああこいつ、ここら一帯を焼け野原にした宿儺の器だ、と気づいた沙都は、はいはい、と肩を竦めた。
 真っ白な、幸せの象徴が頭から離れない。呪いが幸せを求めて何になるというのだ。真人の言うとおりだ。馬鹿らしい……。
 一人でこの地に居るのも飽きてしまった。どうぞ祓うなら祓ってくれと不貞腐れる沙都の隣で、脹相は己の血液で真っ赤な布切れを振り返る。脹相だけが知っている。沙都は、赤いドレスがとてもよく似合うのだ。


 



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