※高専で働く兄

 渋滞だ。どの車線も隙間なく、それがずっと先まで続いている。十八時を過ぎていたのだから、遠回りでも別の道を選ぶべきだった。大通りの真ん中でカーナビの真っ赤な線を見つめていると、交通情報が変わりました、と無機質な声が親切に響く。動きようがないので、ただのお節介だった。
 助手席で脹相は退屈そうにしていた。二十分程前に任務先を出発するときには、窮屈だとシートベルトをしようとしなかったけれど、きちんと着用している。車に何度も怒られてうるさくて仕方ない上に、補助監督の私が車を発進させないものだから、口をとがらせて渋々したのだった。しばらく窓の外に目をむけて、流れる東京の街を眺めていたが、一向にすすまない景色に飽きてしまっている。何か飲みものでも、と最初にわたした栄養ドリンクは、一口で空っぽになり、ホルダーに置かれている。車が動くたびにコトコトと音をたてていたが、今では静かなものだった。
 ふと隣をみると、革張りのシートには血が付着している。脹相の血だった。気づいてすぐ、助手席との間にあった拭き取りシートを数枚だして、脹相にもたせる。不思議そうな顔をして、つっかえされる。その手を押し戻すと、
「汗はかいていない」
 と言う。汗じゃなくて血だよ、というと、脹相は視線を下げた。暗くてわかりづらいのか、と室内灯をつけようとすると見つけたらしい。ごしごし拭いて、丸めてから、そのまま彼の手のうちに収まった。


「血がでているの、気づかなかった」
「でたんじゃない。自分で出した」
「そうですか」


 前が動きはじめた。ブレーキから足をはなして、トロトロと進ませる。
 かわいい声の女の子がラジオで話をしている。次の握手会は京都です、とても楽しみなんです、と明るい調子だった。アイドルをしているらしい。高専の学生なら知っているだろうか。たんたかたーん、と女の子が言うと、番組が切り替わった。硬い声のアナウンサーが今日のニュースを伝えはじめる。
 隣で、はあ、とため息が一つ落ちる。脹相は目をとじている。音量をさげる。


「……走ったほうが早い。先に帰る」
「うん。……うん? いやいや、バカっ」


 突然、ドアをあけようとしたのだった。慌てて右手で操作してロックをかけた。脹相は「あ?」と悪態をついて私に不満げな顔をする。負けじと、睨みかえす。


「なにやってんの。任務のあとで疲れてるでしょう。あと数十分、我慢してください」
「早く帰って休みたい」


 わかりそうでわからない。珍しくかわいいことを言うな、と肩をすくめる。


「休みたいなら、走る必要ないでしょう。よけいに疲れるでしょう?」
「帰る」
「帰れるから。帰すから。大通りの真ん中でおりないで、危ない」
「どの車も止まっているだろう。危なくない」


 攻防がつづく。よほど不機嫌らしい。気を損ねたら車の天井でも切って出ていってしまうだろうか、と考える。オープンカーになって、ぽかんと口をあけるなんてごめんだ。流石にそこまではしないだろうけれど。
 彼の弟の虎杖くんに電話でもかけて説得してもらおう、とナビを操作しかけると、また脹相が目をとじた。何かするのかと身構えてから、もしかして、と。座席を軽く倒して、後ろに畳んでいたブランケットをとった。ばっと広げて、脹相の頭から思いきりかぶせる。
「なにする」と、とがった声と一緒に脹相の顔がでてきた。


「寝てなさい」
「急になんだ」
「脹相こそ急になんなのよ。ねむいなら寝てていいよ。ちゃんと送り届けるから」


 気をつかわないで、寝てて。まっすぐ前を見て、ぴしゃっと言い放つ。
 信号をこえると、少しスムーズに進みだすのだった。前の車に近づいて、またブレーキをかける。いよいよ出ていってしまうだろうかと、横目で脹相を見る。むすっとした表情ながら、目を瞑ってだんまりを決めこんでいた。それでよろしいと頷くと、脹相は、
「おきている」
と、ぐったりした声を出すのだった。ああそう、と返して、信号が切り替わるのを待ち続ける。小さくぶつぶつ言っているのが気になって、ラジオは消した。
「ねえ。脹相も運転してみたい?」起きているならば、と意地悪な気持ちで訊くと、
「元の体はよくしていたようだ」と答える。


「へえ。じゃあできそうだね」
「経験はない」
「教習所にいってみたらどう? あはは」
「オマエが車を貸してくれればいい」
「いやよ。高専の車だから、事故っても大破してもなんともないけど。伊地知さんの胃が大変」


 返事がなくなった。吊り上がっていた眉が、いつもの少し垂れたようすに戻っている。うさぎ柄のブランケットを買ってよかった。面白いから。
 交差点を左折すると、幾分か道が空いていた。すいすいと進みだす。シートにこびりついているだろう、残りの血は私が始末しよう。ねむる呪いをのせながら、夜の東京を走る。





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