※呪詛師名前死ネタ※

「これはマトリカリアって花よ」
「地味な花だ」
「そうだね。地味かも」


 沙都の自室の花瓶には、常に花が活けてあった。古びたアパートの一室も、花があるだけでぱっと明るく見えるのが、脹相は不思議だった。薄暗く無彩色の部屋で、一際目を引くのが沙都の飾る花だった。来るたび花が違うので、脹相には部屋の色もくるくると移り変わっているように見えるのだった。
 花御と沙都は仲が良かったので、その影響もあるのだろう。沙都は花御に強請って花を貰ってばかりだった。真人は「切った花ってすぐ枯れちゃうじゃん」と詰まらなそうに言う。沙都はその度に生花を長く持たせる方法を説明していて、ずれているなあと、脹相は心の内で指摘するのだった。


「十月三十一日の前に、ここを抜けようと思うの」

 突然の告白に、脹相は知らん顔だった。かけがえのない弟が亡くなった今、何一つ興味が無いのだった。脹相が弟の仇を討つことしか考えていないのを、誰もが知っていて、利用していた。沙都もそれを知り、事変に対して乗り気じゃないとみたのだろうか。警戒する素振りもなく、あっけらかんと、告げるのだった。


「俺に言ったら真人や夏油に伝わるだろう」
「伝わっていいの。もう荷物もまとめたし」
「止めるつもりはさらさら無い」
「その方がありがたいなあ。実はさ、人にも呪霊にも、どっちにつくとか、なんかもういいかなあって」


 でもそれだけで、立派に離反でしょ。すかすかのボストンバッグを抱いて、沙都は吐き出すように言った。
 面白半分だったから、ちょっと疲れちゃった。自分って、思った以上に生半可だった。
 滔々と語る沙都は、言葉とは裏腹にすっきりとした顔をしていた。重荷を下ろしたと言わんばかりの表情だ。脹相は、少しばかり羨ましく思えた。沙都の目には光があった。


「もう出ていくのか」
「明日には出ようかな」
「……花はどうする」
「やっぱり、脹相は気にすると思った」


 沙都はくすくす笑う。笑って、飾っていた花瓶を水道へ持っていき、水を入れ替えた。茎の先を斜めに切って、また、丁寧に瓶へ花を移していく。


「置いていくよ。持ってても、邪魔だからすぐ捨てちゃうし」
「今捨てればいい」
「まだ生きてるから」


 生きてるんだよ。そう繰り返して、沙都は花を指の先で撫でた。


「みんなといるの私は楽しかった。もし何か聞かれたら、そう言っておいて」
「これから何処に向かうんだ?」
「うーん。高専なんかいかないから、安心してほしいかな。誰とも繋がらないし、口は堅いし」


 じゃあ脹相、また今度ね。
 部屋から出る時も、沙都は笑っていた。
 最後まで聞くことはなかったが、何かやりたいことを見つけたのだろうと脹相は悟った。目的があって此処を出ていくのだ。脹相自身も、為すべきことがあったとしたら直ぐ抜けるつもりだったから、気持ちは理解できた。彼女の今後について、しつこく聞くのも無粋に思えた。
 そもそも人間と呪いが交わることなんて滅多にない事だ。「また今度ね」と彼女は笑ったが、もう二度と擦れ違うことも無いだろう。もし、また何処かで会うことがあれば。それはそれで面白いことだ。



‐‐‐

「脹相はこのこと、知ってたかい?」


 部屋は赤く、よく知る臭いで充ちている。沙都は音もなく、部屋の真ん中に転がっていた。夏油は勝手に沙都の荷物を漁り、タオルケットで手を拭っている。


「漏瑚や花御、陀艮は悲しく思うかな。真人はどうだろう、ぶつくさ言うような気がする」
「……」
「もう一度聞くけど、脹相はこのこと知ってたかい?」


 そのまま正直に言ってもよかったが、「このこととは何だ」としらばっくれれば、夏油の口元は弧を描いた。


「沙都は何がしたかったんだろうね」


 残念だよ。夏油は靴音を立てて部屋を出て行った。扉が閉じると、脹相は部屋を振り返る。血溜まりに濡れる沙都は、眠りについたような、穏やかな顔をしていて、情けをかけられたのだろうと察した。
 窓辺に飾られた花瓶の花は、枯れている。
 色褪せた花は、彼女の赤によく映えている。もう死んでいるというのに、捨てるには口惜しく思えた。


//マトリカリア 集う喜び




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