オトナはズルい
驚いたように見開かれた目が、眼鏡の向こうで瞬いた。
しかしその一瞬後、紫苑は目元を和ませて穏やかに言った。
「あんまり、大人をなめちゃだめだよ?」
オトナはズルい (分かってるくせに)
紫苑の表情は、まさに「ニッコリ」という表現が似合う笑顔。 ネズミは、何を言われたのか理解するのに数秒を要した。
「あのね、ネズミ君」
紫苑はネズミの顔を正面から見て、真剣に諭す。
「誰とでも見境なく遊ぶのはだめだよ。そういう事は、好きな相手とするんだよ?」
くすっ。 ネズミが笑みをもらす。
「うそつき」
くすくす。くすくす。
「あんただって、同じくせに」 「ネズミ君?」 「じゃっ、羅史先生とは恋人なわけ?」 「何のこと?昨日は持病の腰痛で立てなくなっちゃって、送ってもらっただけだよ?」
紫苑は困ったように眉を下げ、そらとぼけた。
「ほら、もういいから。笑ってないで早く最後の一問解きなさい、ネズミ君。明日は明日のノルマがあるんだから、持ち越すと辛いよ」
最後の一問を解かなければ。 しかしネズミの笑いは止まらなかった。 笑ううちにだんだん、本当に愉快な気持ちになってくる。
こいつは、手強い。 一筋縄ではいかない。 嘘でかためた強固な仮面を被り、こちらの攻撃も巧妙にはぐらかしてしまう。
「こら、ネズミ」
ぐい、と緩く結んだネクタイを引っ張られた。 がくん、と前のめりになり、机上のプリントと顔を突き合わせる姿勢になる。 さらに、右手にシャーペンを握らされる。
「ネズミが遅いから、天気が崩れてきたじゃないか」 「あ?」
窓の外をうかがうと、雲行きが怪しくなっていた。 風もたっぷりと湿気を含んでいる。 空は暗く、今にも雨が降りそうだ。
そこで、ネズミは傘を持ってないことを思い出す。
ちっ、と小さく舌打ちをし、急いで答えを書き付ける。 すらすらと書き終え、紫苑を見上げる。 紫苑は素早くネズミの文字を追うと、笑って頷いた。
「うん、合ってるよ。今日の補講はここまで。じゃあ、雨の降らないうちに急いで…」
ポツッ、ポツッ。 ポッポッポッ、ザアァァッ。
時既に遅し。 紫苑とネズミが校舎の玄関に着いた頃には、大雨が降っていた。 ぽかん、と見上げているうちにも雨足はどんどん強まっていく。
「…ネズミ、傘は?」
傘立てから傘を取り出しながら、紫苑が聞く。
「…持ってない」
じゃあ、と自分の傘を差し出しかけ、紫苑は少し考える。
「うん、じゃあネズミ、送って行ってあげるよ」 「は?おれの家、遠いよ」 「大丈夫、車だから。昨日乗って帰らなかったから駐車場に僕の車あるんだ」
うわっ、BMWかよ
え、でもこれそんなに高くないよ で、住所は?カーナビに入れるから
あ、家に横付けしてくれるんだ?
じゃないと風邪引くでしょ?
そういうとこは優しいんだ
え?ぼくはいつも優しいはずだけど
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