砂でできた愛しさみたいに


紫苑は最初の言葉通りに器用な手付きでネズミに手当てを施し、ココアをつくり、ベッドを与えてくれた。
部屋の主人である彼が階下へ降りていき、無人になった紫苑の部屋で、ネズミは飲み干したココアのマグカップを両手で弄ぶ。ココアの糖分が脳に送られ、やっと神経が休まる。空になったマグカップを床に置き、ベッドにもたれ掛かる。脱力して目を閉じる。紫苑が付けっぱなしにしていった部屋の照明が、煌々と瞼の裏から透けてくる。

見られている。

唐突に、そう思った。明るい場所は苦手だ、監視されているような錯覚に陥る。落ち着かない。
ネズミは目を開いた。明るい部屋。明るすぎる部屋。

だめだ、耐えられない。

疲弊したネズミの神経がまた昂り、軽いパニック状態になる。見られている、見られている、見られている。照明のスイッチを探し、立ち上がる。笑う膝を叱咤し、やっとのことで照明を落とす。
パチン。
軽い音と共に、フッと電気が消える。儚いものだ。一瞬のうちに部屋は闇に包まれる。ネズミは安心して、深く息を吐き出した。やはり、闇はおれの味方だ。

トントン、トントン。
階段をかけ上る、軽い足音が聞こえた。紫苑が食事を終えて帰ってきたらしい。
ガチャリ。
ドアが開く音がする。

「灯りをつけるな」

すぐにそう言えば、戸惑う気配が伝わってきた。

「何も見えないじゃないか」
「見えなくていい」

見えなければ、耳と鼻で空気を感じればいい。見えるものが全てじゃない。
紫苑のいる方向から、甘い匂いが漂い、ネズミの鼻腔をくすぐる。

「いい匂いがする」
「シチューとチェリーケーキ持ってきた」

ひゅうっ、と思わず口笛を吹いた。食い物!最後の食事がいつか、もう思い出せないほど昔の出来事だということに、今更ながらに気付く。猛烈に腹が減っている。

「食べるか?」
「もちろん」
「真っ暗な中で?」
「もちろん」

そう答えると、そろそろと空気が揺れる気配がした。歩こうとしているらしい。本当にこいつは、見えなければ動けないらしい。可笑しくて、数日ぶりに小さく笑った。

「自分の部屋も、まともに歩けないわけ?」
「あいにく夜行性じゃないもんでね。そっちは、闇の中でも見えるのか?」
「ネズミだもの。夜行性に決まってる」

いや、さすがに光がまったくなければ見えないけど。でも、動くことはできる。
この温室育ちの少年が、何かに躓いてせっかくの晩餐がひっくり返っては大変だ。こちらから出向いてやろう。そう思って、足を踏み出した時だった。

「VC103221」

紫苑がネズミのコードナンバーを口にする。体の動きが、ぴたりと硬直する。

「液晶画面に大写しになってた。有名人だな」
「ふふん。実物の方がずっといいだろう」

硬直が解ける。軽口に軽口で返して、紫苑の手からシチューとケーキの皿を受け取る。まず甘い匂いを放つケーキをつまんでみる。

「おっ、このケーキうまいや」
「逃げきれるのか?」

紫苑の声は真剣だった。本気で心配している声だ。

「もちろん」
「チップはどうした?」
「まだ体内にある」
「取り出すか?」
「また手術かよ、かんべん」

紫苑と話しながら、シチューも食べてみる。美味い。この味…このシチューとチェリーケーキの味は、きっと忘れないだろう。それから、ココアの味も。

「けど……」
「だいじょうぶ。とっくに用なしになってる」

まだ親身になっておれのことを心配する紫苑は、VCチップの処理を懸念する。本当に神様みたいな心を持った奴だな、こいつ。他人のことより自分のことを心配した方がいいと思うけど。だってあんた、おれを匿ったことがバレたら…やばいだろう?

「どういうこと?」

そんなことは考え付きもしないのか、紫苑は無邪気に質問を繰り返す。

「VCなんて、オモチャさ。作動停止にするなんて簡単だ」
「VCが、オモチャかよ」
「オモチャさ。ついでに言っとくけど、この都市全部がオモチャみたいなもんだ。見た目がきれいなだけの安っぽいオモチャ」

こんな張りぼての都市なんて、すぐに破滅する。いや、おれが破壊してやる。No.6なんて、さながら…砂の器のようなものだ。水をかけたら、崩れてしまう。そんな、脆い都市だ。なのになぜ、このように君臨していられるのか、だって?それは、この都市が寄生都市…パラサイトシティだからだ。中身がないから、他のものに寄生して中身を補う…

そこまで考えて、ネズミははっとする。紫苑への罪悪感に苛まれる。

奇跡のように差しのべられた手。おれはその奇跡を与えてくれた少年に…何を返すことができる?いや、恩を返すどころか、おれは…この少年にとって、害にしかならないんじゃないか…





今は何も返せないけれど、いつか、必ずや




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