どちらがどちらを埋めることになるだろう。
 クロウと出会ってから、そればかり考えている。
 未来にいるのは、動かなくなった彼を埋める私か、それとも、腐った私を埋める彼か。後者であればいいのに。

「お前、怪我してんのか?」

と、クロウが私に尋ねる。その眼球はどこまでも情のないクリスタルでできている。けれど彼は眉根を下げて不安そうな顔をしていた。

「隠してたのかよ」

 そう言ってクロウは私のシャツの長袖を捲り、腕に巻かれた臭い包帯を剥がす。包帯の下には腐敗がある。この怪我は、私がクロウと出会って間もなくの頃に、転んで作ったかすり傷だった。すぐに癒えるだろうと思って旅を続けていたが、むしろ傷は私に終わりが近いことを教えてくれた。
 長旅の間、クロウに傷を悟られないよう誤魔化すのは簡単だった。クロウは人間じゃないから痛みという概念を知らない。だから彼は、私が痛みを堪えてへらへら笑っていることにしばらく気づかなかった。

「なんで隠してたんだよ」

 傷を見て眉間にしわを寄せたクロウが詰問してくる。

「お互い様だよ」

と私は答えた。すると彼は一瞬、小さく肩を揺らした。けれどすぐに平静を装って「何言ってんだ?」とすっとぼけ、私の発言を無視する。
 クロウの終わりが近いことを、私が気づいていないはずないのに、なぜ彼は誤魔化すのだろう。彼は日に日に反応が鈍くなり、動きも遅くなってきている。たぶんクロウの脳みそは近いうちに機能停止する。
 私はクロウと会い、モノもヒトと同じように死ぬんだと知った。でも彼は自分の死より私の腐朽の方がよっぽど怖いみたいだ。今だって、彼は私の傷を手当しようと躍起になっている。矛盾にもほどがある。機械のくせに。
 もしクロウが機械らしい無表情と微動だにしない心臓を持っていたなら、私はこんなにも、彼を困らせてしまう罪悪感に苛まれずにすんだのに。

「触らないで」

と言って私はクロウの手を払いのけ、ふたたび腕に包帯を巻いた。クロウは欠陥品のアンドロイドだから色々なことを知っているようで実は何も知らない。人体を死に至らしめる傷に対しても、何もできない。無知で無力。そういう意味では、彼は人間とまるで変わらないのかもしれなかった。


□□□


 それから数日、私たちは止まらずに歩み続けた。
 クロウが旅をする目的は、自分のルーツを探すため。ないしは、自分が人間であると確信するため。彼の開発者はきっともうこの世にいないけれど、彼はいつも、自分がいつどこで生まれた誰なのかを知りたがっている。
 私は彼が機械だと察しているけれど、その事実を口に出したことはなかった。たぶん私も心のどこかでクロウに人間であってほしいのだ。

「どうしたんだよ、黙りこんで」

 クロウが突然、声をかけてきたので、私はハッとして顔を上げた。見上げた先のクロウは両手いっぱいに枯れ枝を抱えていた。薪にするために近くから拾ってきたらしい。今夜は月がない。曇り空には星も見えない。焚き火の明かりだけが私と彼を照らしている。

「痛むのか?」

 細かい枝を焚き火に突っ込みながら、クロウは私の腕を見やり、不安そうに尋ねてくる。眉を八の字にして他人を心配するクロウはやっぱりただの機械ではないと思う。というか、私はもう、クロウがモノでもヒトでもどっちでもよかった。
 そもそもクロウと出会う以前、私は私以外の生き残りを探して世界中を旅していた。地球から人類が滅んで長い月日が経つけれど、未だにクロウ以外の誰かと出会ったことはない。たぶん死ぬまで出会えないのだと思う。それほど生き残りは少ないのだ。
 そんな荒廃した世界で私はクロウと出会えた。彼は私と言葉を交わし、私に笑顔を向け、私を労わってくれる。これ以上の幸福がこの世にあるだろうか。

「痛くはないよ。クロウに優しくしてもらうと不思議と痛みが引くんだ」

 私はそう言ってはにかんだ。対するクロウは私の真横に腰を下ろし、首を傾げて「意味わかんねぇ」と呟く。
 いくら心を持った機械でも、女の胸の中で咲く淡い恋は理解できないだろう。だって彼には性別がないのだ。クロウは自分自身を人間の男と思い込んでいるけれど、本来は中性であるアンドロイドに異性愛を抱くシステムが搭載されているとは思えない。だからきっと私がクロウを愛している気持ちなんて彼には理解されない。それだけが悲しい。自分が死ぬことよりも、ずっとつらい。

「クロウが笑ってくれると私も嬉しくなる。それと同じ。クロウが優しくしてくれると私もつらい気持ちを忘れられる。私の言いたいこと、わかる?」
「さっぱりわかんねぇ」
「だろうね。でもきっと私が死んだらわかるよ」

 私の体と脳が機能停止した瞬間、動かなくなった私を見てクロウが少しでも悲しんでくれればそれで良い。そして、私が彼のことを心から好いていたんだと気づいてくれれば、なおさら。

「死ぬとかそういうの、言うなよ」

と、クロウが言った。クロウは悲しそうな顔をしていた。それを見て、私は気づいた。なぜクロウが自分のバッテリー切れを誤魔化し続けていたのか。もし彼が自分の口から自分の死について語ったら、私はきっと泣いてしまう。私を悲しませないために彼が平静を装うなら、私も彼に倣って事実を偽ろう。

「ごめん。嘘だよ。私は死なない。でも、私がこれからすることは嘘じゃないから」
「はぁ?何言ってん……」

 クロウの言葉は途切れた。私が彼の唇を塞いだからだった。機械のくせに人間と変わらず柔らかい唇だな、と思った。たった今、私が彼の感触を記憶したのと同じように、彼も私の唇の温度を覚えたに違いない。

「なに……したんだ?今……」

 クロウは照れもせず、怒りもせず、ただ単に目をパチパチと瞬かせ、混乱していた。それは人間の思慕を理解できないからこその反応だった。

「私の熱と感触、忘れないでね。私が冷たくて硬い人形になった時も思い出せるように……」
「何が言いたいんだよ」

 言っても理解してくれないくせに。でも今夜くらいは素直になってやってもいいかもしれない。どうせ私も彼も近々死んじゃうんだから。なんて思い思い、私は震える声で小さく呟く。

「クロウ。好きだよ。愛してる」

 案の定、クロウは顔いっぱいに疑問符を浮かべて黙ってしまった。




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