スライムと人のはなし


「トマくんは本当にお話上手ね。あの人を思い出すわ」
 ふわふわと上機嫌そうに笑うマダムにボクはそろりと身を撫で下ろす。花壇ではなくそこらへんに咲いた野草を指して「あの人、面倒なハーブティーが好きでね、そんなのとんと知らないあたしは苦労したものよ」と皺の刻まれた、枯れ柳と自称するのに未だ瑞々しさを保つ顔を寂しげに綻ばせた。
 マダムを病室まで届けた後、図書館からマダムの欲しがっていた本が届いていた。それを届けようとしたら乱暴に扉が開いた。同僚は右頬を大層腫らしてぶすくれた表情をしてた。
「一体どうしたの、色男が台無しじゃあないか」
 慌てて救急箱を取り出すと、どかりと椅子に座り込んだ。良かった、物に当たらなくて。
「トマー。助けてくれよーもー」
 ボクの不安定な身体に子どもの様にダイブしてきた同僚をキャッチして、そのまま同僚の為すがままに形を弄ばれたりしていると、少し気が落ち着いてきたらしくぽろりと吐露した。
 確か、同僚は義手と義足の為に入院してきた少年の担当だっただろうか。
「あのガキなんなんだよ。何も言わない癖に、気に入らないと手を出す」
 そうは言えどボクには同僚もその少年も同じくらいにしか思えないんだけど。そういうと同僚のご機嫌を再び傾ける事になりそうなので思考の内に留めておく事にした。
 今の人間というものは年を取るという事が殆ど無くなって来てしまっている。一時爆発的に流行った遺伝子レベルでの設計デザインの弊害とも言うべきか、そのデザインを受けなくても後世生まれてくるものには青年期の辺りで老化が留まる様になっていた。マダムの様な、デザインの流行った時に敢えてその選択をしなかったものの子孫もいるが、ごく少数だと見聞した。
 『まあまあ、落ち着きなよヨハン。きっと不安なんだよ。義手と義足が出来るまでだよ』
 ボクの中に入れ込まれた思考変換器がボクの思考を互換して、ホログラムが漫画の様な噴出し枠を描き、言葉を表記する。構造上、言葉を発するのはどうしても組み込めなかったらしくボクらはこうして意思疎通を図る様になっている。同族なら器官を伸ばして念話が出来るので面倒に感じるが、これも異種族間が暮らしていく為に仕方のない事だと思う。
 デザインというのは出来の良い頭、麗しい容姿、しなやかに動く身体を平等に齎したが、何処までも甘い話だけではなかった。
 無理矢理本来の構造図を弄るのだからそうといえばそうなのだが、――次世代、次々世代の奇形出生率が恐ろしく跳ね上がった。一番多いのは欠損で、それ故に義手や義足も発展し生身と変わらないものが出来るのだが、やはり正常な周り囲まれる視線というものは何処までも残酷なものなのかもしれない。ボクとて未だ公共機関に乗っていると奇異な視線を向けられるし、ヨハンに至っては初めて見るのか大層驚いていた。今では麻痺したのか、こうして変な壁も取り払われているが。
 ボクはスライムという軟体の生物だ。元々は処理しきれない産業廃棄物を主食とする生物を作っただの、何処かのイカれた学者が人食い目的で作っただの様々な諸説がある。スナッフムービーで人の手足を食って犯す奴もいるとかいないとか。後者はSFの様な信憑性の疑わしい話だが、以前の患者さんがボクを人食いと罵って異常に怯えた為に担当を交代した事もあるのでどちらも起源なのだろう。ボクが果たしてどちらを起源としているかはともあれ、ボクらスライムは気が着いたら人に寄り添っていて、今ではこうして知能を与えられて人と同じ職場に立つ事が出来るようになっている。
 ウォーターベッド代わりの様にごろごろする同僚のごつい身体を跳ね飛ばして椅子に押し戻す。いそぎんちゃくの様な器官を身体から伸ばすと救急箱から湿布を取り出した。少し乱暴だったのか痛いとぼやかれて、頭頂部にあるトマトのヘタの様な緑の植物を引っ張った。いつの間にかボクに根を張っていたみたいで、神経まで張られている様で抜こうとする激痛が走る。ううん、器官を細やかな事に使うのはどうにも苦手だ。
※※※
 まっくらで湿って濁った匂いがする汚いところだった。昔いた場所だろうか。悲鳴ともいえないみすぼらしい絶叫が響き、生きた色を失った人がごろごろと転がって、コンクリートの床にどろりと血が上塗りされる。ああそうだ。下水に住んでいた時だ。ボクは迷路の様な其処を冒険するのが凄く好きだった。その時もいつもの様に小さな冒険をしていた。すすり泣く様な声がして、ほんの興味で覗いたのだ。片腕と片足には粗雑な布が巻かれて其処から血が滲んでいる。点滴を打たれているが顔は蒼白で、なのに目だけはぎらぎらしていた。あの時は言葉も示せなかったし、今より何も知らなかったからその子が何を言っているのか良く分からなかったけど、この子は此処に居てはいけないと思った。後先も考えずにその小さな身体を乗せて、連れ出した。その子がボクの薄い赤の身体と頭の植物を見てトマトと言っていたからボクの名前は其処から取っているのだけれど、その子はどうなったのだろうか。ボクも其処から追い出されて、処分前の知能精査でぎりぎり処分を逃れ、資格試験で必死だったから、生きているか死んでいるかも分からない。ただあの時連れ出してよかったのか、泡の様に沸いてくる。
※※※
 マダムの読みたがっていた本が古本屋から手に入ったと連絡が入ったので、上司に断りを入れて朝はそちらに向かっていた。マダムはボクには分からないロマンチックで濃厚な恋愛ものが好みらしく、今人間でも何度目かのブームらしい。電子媒体が主体な今だが、それでも紙媒体を欲しがるものも少なくなく、古本屋や貸本屋は未だ密やかに残っている。相変わらず、人のじとじとしている視線に息が詰まっていたのか、馴染みある職場にほっこりしていると、突然女の人の甲高い声が矢の様に落ちてきた。上を見上げると、ふうわりとした影が、重力に逆らえずに――。
(落ちている!しかも…)
 それは後だ。この辺りには不幸にも垣根も無い。落ちたらどうなるか。身体を限界まで膨らませて、ボクは落下点へ急いだ。
 重力が加算されているからか、その重みは異常で、がしゃんと人の身体が壊れたにしては乾いた音がした。
『――ヨハン!』
落ちていたのは一人ではなく二人だった。ヨハンが抱えていてがくがく震えているのは、ヨハンが担当になっている少年だった。抱えたヨハンは蒼白で、ぞわぞわとした気持ちに身体が波打った。あの時の子どもみたいで、死んでしまうかもしれない。騒ぎを聞きつけた常駐の医者や看護師がやってきて、ヨハンと少年を運んでいく。担架で運ばれるヨハンの左腕は罅が入っていて、破片がはらはらと落ちていく。
「貴方がいて助かったわ…。あの患者の子、窓から飛び降りようとして、本気じゃなかったかもしれないけれど窓枠から滑って、それをヨハンが」
 先輩が緊迫状態から解放されたのか、少し涙目でボクに早口で捲くし立ててくる。
『せんぱい…ヨハンって義腕だったん、ですか?』
「ええ、そうだけど…凄いリハビリしたみたいで、義腕だなんて気付かないくらい滑らかで器用に動かすから分かりにくいけれど。後、右足もそうよ」
※ ※※
がらんとした病室のベッドでヨハンは死人の様な顔色で眠っていた。幸い命に別状は無く目を覚ませば問題ないとの事だった。いつもボクの頭を引っ張っていた手は今は無いと掛けられた薄い布団からその質量の無さが物語っていた。何となく確かめたくて、―何がどうとか全然纏まっていない癖に、器官を宛ても無く伸ばしていた。
「困るといつもそうするよな」
 力なく声が空気を震わせた。未だ重そうな瞼を必死で抉じ開けている様で、つきつきと何も無いところが痛んだ。身体をボクがいる右に倒して、袖の垂れ下がるだけの左手をボクに差し出した。
「今、読めるほど思考が追いついてないんだ。――前はやってくれただろ」
 皮肉っぽく薄い唇に弧を浮かべたヨハンの言葉に波紋の様に気持ちが揺らぐ。憑かれた様にヨハンの腕の袖に器官を差し込んで、絡める。痛々しい傷跡の残る皮膚の薄い箇所から細く枝割った器官を入れて、言葉を拾う。
『…やっと気付いたのかよ。トマト』
 ヨハンの声は発しているよりずっと元気そうだった。声に出すという器官を動かす必要がないからだろう。
『…ヨハンがあの子だったなんて』
『良くあることだ。デザインに湯水の如く金注ぎすぎて破産なんて珍しくもないだろ。我が身可愛さに子どもを売るのもまた然りだ。お前がたまたま連れ出して置いていったとこのじーさんが偉く世話焼きでよ、思えばあれから少しだけ上手く運が向いて、義腕と義足を貰えた。必死でリハビリしてあそこに行ったけれど今はもうお綺麗な複合施設になってやがったよ。だから――こんなにあっさりトマトが見つかるなんてのは考えもしなかったけどな』
 力なく笑うヨハンに、ボクは身体を波打たせた。どうしたらいいのか分からないし、なんだかくすぐったい。忘れたって可笑しくない夢の様な話だ。ぎし、と軋んだ音がして熱に浮かされた思考が少しだけ冷静さを取り戻した。ふらふらと上体を起こしたヨハンの身体を支えるが、本人はいつものじゃれあいの様にボクに全体重+今回はベッドの高さの負荷付きで落下してきた。だが、ボクも流石に学習したので、軟体であることを利用して、ヨハンを抱き込む様にして衝撃を与えない様に形を変える事が出来た。
 なんだろう。こうしているとふわふわして気持ちがいい。ヨハンの気持ちなんてお構いなしに抱き込んでいると、ヨハンの片腕がボクの不安定な身体に絡まった。
「片腕戻ってきたら、もっかいするから」
 そういって、いつも引っ張るボクの頭の植物に小さく唇を落とした。







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