雪隠詰め | ナノ


▼ 3


「あれは俺達の集中っていうか、化ける時に必要な力みたいな物を、瞬間的に狂わせて本当の姿を曝け出させる石で出来てるんだ」
「あ、だからビリッてしたんだ?」
「……ごめん。知ってたけど、止めなかった……」
 申し訳なさそうに項垂れる二夜に、宥めるように片手をあげる。
「いいよいいよ。これが一番手っ取り早い方法だったんだろうし」
「ナトリ君」
 声に振り返ると、エレミヤさんのどアップの顔があった。
「二夜」
「ん?」
「こっちの世界は皆美形なわけ?」
「何言ってんだ?」
「……何でもない」
 長めの黄金の髪に、綺麗な二重の茶色の目。
 そんなことを聞くような場面ではないとは十分わかっているが、聞かずにはいられないほどの美青年だったのだ。思わず溜息が出そうだ。
「ナトリ君、君は“あのトイレ”からこっちに来たって行ったよね?」
 至極真面目な顔に、俺もつられて真面目に答える。
「“あのトイレ”がどのトイレかは分かりませんけど、トイレのドアが開いたら此処でした」
「そうか。……あの話は本当なんだねぇ」
「あの話って?」
 ちらりとエレミヤさんは俺を見ると、とつとつと話し始めた。

 ――昔、この世界には喋れる獣しかいなかった。ニンゲンなど存在しなかったし、動物はニンゲンに化ける事をしなかった。
 何故ならニンゲンというものを知らなかったからだ。
 ところがどうやってかは分からないが、何処からか一人のニンゲンがやって来た。
 獣たちは最初は気味悪がって近づかなかったが、いつの間にか傍に近寄るようになった。それはそのニンゲンが優しい者だったからだ。
 いつしかそのニンゲンに恋をした獣がいた。
 そのニンゲンと番いになりたいと心の底から思った時、その獣はニンゲンに化ける事が出来るようになった。
 何故かは分からない。それはもう神の思召しとしか言いようが無い奇跡だった。
 ニンゲンの姿に化けると細かい事が出来るようになり、生活が便利になった。
 その獣を皮切りに、ニンゲンの姿になることの出来る者が他にも表れるようになった。こうしてニンゲンの姿に化ける者が増えたのだ。

「…ってなおとぎ話があるんだよ。でね、それとはちょっと別だけど、こんなのもあるんだ」
 ――この世界の解れ目とニンゲンの世界の解れ目が合わさるのは千年に一度。ほんの数時間だけ。その時のみ世界を行き来出来る。
「そこの解れ目はうちの学校の“あのトイレ”の場所になるとか、そこに不用意に近付かないように、ニンゲンの世界では不気味な場所とされているとかなんとかってね」
 隣で二夜も頷いている。でも俺はそんなこと聞こえてなかった。
 ――千年に、一度。
 呆然とエレミヤさんの顔を見る。それは、つまり……。
「だから……君は帰れないかもしれない」
 ライオンの尾をだらりと垂らし、丸っぽい獣の耳を軽く伏せ眉を少し八の字にしながら、エレミヤさんは申し訳なさそうに、俺にそんな死刑宣告をした。
 余りのショックにふらり、と倒れかけた俺を二夜が慌てて支える。
「他に手立てがないか調べてみるよ」
 でも期待はしないでね。真っ直ぐな目でエレミヤさんはそう言った。
「何せこれは異例の事態。おとぎ話が本当なら、同じ出来事は私達が私達になるきっかけとなった『ニンゲン』が来た時だけだろうし、それさえもおとぎ話としてしか認識されてない。君が帰れる可能性はゼロに等しいという事は覚えておいて」
「学校長!!」
 こいつの気持ちってのを……!!と二夜が声を荒げるのを俺は止める。
「いいんだよ二夜。下手に『帰れる』とか言われて、望みを抱かないようにしてくれてるんだよ。俺も……その方が後々きっと楽だ」
「でも……」
「君は聡い子だね。そしていい子だ。大丈夫、ここにいる限り生活は保障するから。それだけは安心しなさい」
「ありがとう……ございます」
「今更生徒が一人増えようが変わらないしね!ニヤ君、とりあえずこの部屋使って〜」
 心配そうに覗き込んでくれる二夜に、エレミヤさんは鍵を投げ渡した。
「ここ一人部屋だし、誰も入ってないから丁度良いでしょ。ナトリ君顔色悪いし、色々混乱してるだろうから、休ませてあげて。出来れば、今夜はニヤ君も一緒にいてあげなさい。で、明日の朝、学校が始まる前に私のところへ来てくれるかな?今後の事について話そうか」
「……わかりました。じゃあ、ミツル、大丈夫か?」
「うん……平気」


 失礼しました。と学校長の部屋を出ていく二人を見送った後、ぼそりとエレミヤは呟いた。
「千年に一度開く扉。私たちの始まりの『ニンゲン』。本当にこれは偶然か……何か意図があるのかね……」

 半ば引きずられるように二夜に連れられて、ようやく部屋に辿りつくと、意識が遠のき、俺は崩れ落ちるようにその場に倒れた。




 朝、目が覚めるといつもと違う感じがした。
 目をしょぼしょぼと瞬かせながらその違和感を探るが、眠気に鈍った頭ではどうも思考が纏まらない。
「えっ……と、今日は火曜日……だったような……可燃物の日……?」
 ぶつぶつと呟きながらベッドから降りようとして、膝の上に何かが乗っているのに気がついた。
「うん?」
 シーツに隠れて良く見えない。シーツをのけると茶色の縞猫が出てきた。
「ねこ……?」
 猫なんか飼っていなかったと思うのだけれど。拾った?いや記憶に無い。
 小首を傾げた瞬間、全て思い出した。
 目が覚め、大きく目を見開く。
(――そうだった、俺、トイレのドアを開いたら……)
 ……『トイレのドアを開いたら』なんて思い出し方、ちょっと笑えない?じゃなくて。
 頭を抱える。どうしよう……と心の中で繰り返す。

 初めて親がいなくて良かったと思った。
 父は幼い頃に出て行ったきりで、母さんは二年前に事故で他界した。
 身近な親類というのもいない。祖父祖母も他界しているし、父方はそもそも父自体いない訳で。母方は、今住んでいる所から大分離れた所にしかいなかった。おまけに、母さんも俺同様一人っ子だったので、血縁的な繋がりという意味でも遠い存在で、迷惑を掛け辛かったのだ。
 まぁ、一人で生きて行くには早い年齢だったかもしれないけど、母さんが残してくれた遺産や保険、奨学金なんかも使いつつ、バイトをすれば生きていけなくも無くてどうにかやって来れたわけだが。
(――あれ?)
 また俺は小首を傾げた。
 身内の心配という最大難関を突破した自分は、はっきり言って、どうなっても大丈夫な身ではないか?とか思う。
 人間関係は広く浅くがモットー、というよりも、深くなりたくても一人で生活を成り立たせないといけないから、週五は入ってたバイトの所為で、遊びのお誘いは殆ど全部断ったりして、必然的に広く浅くになってたわけで。まあ、何が言いたいかっていうと……。
「俺って、俺のこと心配する人いないんじゃ……?」
 うわぁ、なんか自分で言って悲しくなるわ!
 でも実際その通りだ。
 むしろ五、六年とか中途半端に此処にいた後、戻される方が向こうでの世間的というか社会的な俺の居場所が無い気が……。
「なんだか、大分すっきりしてきたかも……」
 とにかく此処に馴染む努力と戻れる道を探そう。うん。
 膝の上の猫――二夜を起こさない様にベッドから降りると部屋を物色した。
「…広い」
 ここはホテルか、というくらい広い。
 まずリビングっぽい所があって、そして続くドアに俺がさっきまでいた寝室。リビングもかなり広くて、ベランダにキッチンもある。もうひとつのドアはトイレとか風呂場だろう。
 物はそんなにおいてなくて必要最低限程度。大きなソファーがメインになるような部屋だ。でも家具が備え付けというだけで凄い。
 ベランダに裸足で出て外を見ると、これまた綺麗な庭を高みから見下ろせる。
 高さ的に最上階から二、三階下という感じだろうか。
 ここは一人部屋と言っていたけど、こんな部屋を一学生にぽんと貸せるなんて普通に凄い。
 もしかしなくてもこういった部屋が、一人か二人毎くらいに与えられているんだろう。
 そりゃ広くもなるねと手すりに頬づえをついて俺は溜息を吐いた。
(――この金持ちっぷりな感覚は、庶民にはちょっと慣れないなぁ……)
 そう思っていると、「ミツル!!」という声と共に、後ろから思いっきり抱きしめられた。
 抱きしめる腕は人間の物で、二夜が人間の姿になったのだろうなと検討を付ける。
「良かった……!!どっか行ったかと思った……っ」
 安堵からか、声を少し震わせる二夜に少し驚く。良く見ればシャツを慌てて着たのか、どことなくしわしわだ。
「昨日部屋に行くまでは思いつめた顔で無言だし、顔色悪いし、部屋に着いたらぶっ倒れるし、夜中には呻くし、起きたら何処にもいないし、心配させすぎだ……!!」
 この馬鹿!と、水色の瞳で、ぎっと睨まれる。
「そんなにすごかった?俺」
 苦笑いをしながら二夜の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でた。
「――!!」
「ごめん、ありがとう」
 もう大丈夫だよ、と笑いながら離れる。
「あれ、どうかした?二夜?」
 真っ赤になって耳をふせ、尻尾をぷるぷると揺らしている二夜。
 子供みたいな扱いをしたのが悪かったかな。だって髪撥ねてるんだよ……。
「今度からっ」
「今度から?」
 今度からなんだろうか。
「撫でる時は一言言えっ!」
 そう叫ぶと、二夜は部屋の中に駆け足で戻って行ってしまった。
 ……どうしたっていうんだろう。


 昨日は風呂に入らずだったから、一度シャワーを浴びてエレミヤさんの所に行くことにした。
(――服の事、相談しないとな……)
 俺はまさに着の身着のままでこの世界に来たわけで、持っている物と言えば身に着けていた制服と、教科書やらが入っていた鞄一つだ。
 財布も一応あるけれど、中身のお金はもしかしなくても使えないだろう。
 これでは着たきり雀になってしまう。

 昨日の学校長室に付けば、出迎えてくれたエレミヤさんはがにこやかに話し始めた。
「んじゃぁね、まずこれからの話なんだけど、ナトリ君にはここの生徒になってもらうね。転入生って事にしておけばいいから。この学校のシステムで分かんないことがあったらニヤ君か……後は私か、ギリア先生に聞くと良いよ。ナトリ君がニンゲンってのを知ってるのはニヤ君と、ギリア先生と私でしょう?」
「はい」
「これ以上は広まらせないようにしようか」
「理由は?」
 頷くよりも先に、噛み付くように二夜が理由を聞いた。
 昨日の件以来、二夜はエレミヤさんをなんだか良く思ってないみたいだ。
「明らかにミツルは違う匂いがする。ケイナインならすぐに分かる。俺だって違和感を感じたし、ギリ公だってしっかり匂えば分かった。普通の生徒のように扱うなら、いっそのこと『ニンゲン』だと言ってしまった方が、ミツルは肩身の狭い思いをしなくて良い」
「それは駄目だよ、ニヤ君」
 真顔でエレミヤさんは言った。その顔は何故かぞっとするほど無表情だ。
「始まりの『ニンゲン』と同じ所から来た『ニンゲン』。言い伝えは本当だった。あのお伽話も本当だとしたら、ナトリ君は私達の始祖みたいなものなんだよ?それはいったいこの世の中にどんな風に写るのかは、全くと言っていいほど検討が付かない。悪用しようとする輩がいないとは限らないんだよ。学内で広まるだけなら。学内で行動されるだけなら、私の力が届く。けれど、学校というのは完全な箱の中じゃない。ここから漏れた情報でナトリ君が外に持ち出されたら、私の力では助けられないかもしれない」
 ぐっと二夜が黙った。
「ナトリ君を本当の籠の中で生きさせない為にも、……悲しい想いをさせないためにも『ニンゲン』である事は隠さないといけないんだ」
「じゃあ、どうやって……」
 そう二夜が苦々しげに口にすると、エレミヤ先生はさっきの顔は嘘だったのかってくらいころっと表情を変えた。
バードはニンゲンの姿になっても、耳や尻尾が出ないでしょ?……まぁ 余程の緊急時には稀に困った事にはなるけど。だから、ナトリ君は【バード】って事にしよう。カラスかなんかって言えば色合い的に大丈夫!匂いの件は……はい、これ!」
 にっこり笑いながら黒い羽根を手渡される。
「これは?」
 十五センチくらいの黒い羽根。
 特に目立って異質な感じはせず、道端に落ちていれば素通りしてしまいそうだ。
「カラスの尾羽だよ。ナトリ君自身の匂いは薄いし、尾脂腺びしせん近くのだから、これだけで良いと思うよ!」
「びしせん?」
「身体が濡れないようにするための脂とかが出るとこだ」
 二夜が補足する。
「へぇえ……全然匂わないけど、二夜にはわかるの?」
「まあな。でもそれだけじゃ、一人分としては匂いが薄いと思うけど……」
「匂いなんて個人差だから大丈夫大丈夫!ナトリ君、これ肌身離さず持っててね」
「はい」
「じゃあうちの制服あげるから着てごらん。あっちの部屋使っていいから」
 はいどーぞ、と今二夜がつけているようなブレザータイプの制服を渡される。
 ネクタイの縛り方なんて、ずっと前に母さんに教えてもらっただけだけど出来るだろうか……なんて思いながら先生が指した部屋に入った。

 着替え終わって出て来ると似合っているよと微笑まれる。お世辞でも似合わないと言われるよりか断然嬉しい。
「じゃあ、今日の授業から出てもらおうか!ニヤ君と同じところが良いでしょ? だから、えーっと、Cだね!Cのクラスに入ってもらうね〜」
「C?」
「そっ、ここはA〜Eの五段階にクラスがわかれてるんだよ。上がAで、下がEね」
「因みにこの学校は何歳からでも入れる。テストをパスすれば入れるし、上の学年にも上がれる。言いかえればパスをしないと上がれない」
「ニヤ君はえーっと、十二歳で入ってるから〜……一回ミスったってことだね!」
「う、うるさい!!寝過したんだよ!」
 テストを寝過す!?どんな神経してるんだ、と思わず二夜を唖然として見てしまう。
「……徹夜してたんだよ」
 その目線を受けて、二夜は悔しそうに言い訳をした。
「二夜君の名誉の為に言っておくけど、二夜君は優秀な方なんだよ〜寝過したってのはどうかと思うけど、受けてるテストはパスしてるってことだからねぇ」
「そんなに難しいテストなんだ?」
「パスする奴と、落ちる奴が半々だからな」
「……二夜って、実はすごい?」
「“実は”は、いらねぇよ」
「ほらほら、おしゃべりもそこまでにしてさっさと行かないと授業始まっちゃうよ。Cの担任はギリア先生だし、フォローもしてくれるでしょ。私からも一言言っとくから、ほら行った行った」
 しっしと二夜に向かってした後、俺の耳元でエレミヤさんは「ナトリ君、『王』には気をつけてね」と低い声で囁いた。
「へ?」
「ミツル!ホントに時間無いから行くぞ!!」
 慌てる二夜に引きずられて、ばいばーいと手を振るエレミヤさんにその言葉の意味を聞く事は出来なかった。



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