雪隠詰め | ナノ


▼ 街へ


「ありがとうナトリちゃん!」
 突然、さっきまでの雰囲気はどうしたのか、と思うほどガラリと空気を変え、ニッコリとネクロが笑ってそう言ったのと同時に、バタン、とドアが開いて先生と二夜が入って来た。
「おら、もう十五分経ったぞ。なんもコイツにしてねぇだろうな」
「べっつにーギリちゃんじゃないんだから、そんな事しないもんねぇ」
「どういう意味だゴラ」
 ぎろりと睨みつけるギリア先生と、俺を背後から抱き締めながらカラカラと笑うネクロ。
 俺はというと、まださっきのキスの余韻が抜けきっておらず、動揺を表に出さないようにするので精一杯だ。
 けれど、ちらり、と少しだけ心配の色を宿してこちらを見た二夜と目が合って、変に思われないようにと、どうにか笑って見せる。
 すると二夜も漸く安心したような表情を見せ、そしてネクロと先生に目線を戻して苦笑を零した。
「ほら、今日はミツルを買い物連れて行くんじゃないのかよ? そんな事して時間無くなっても良いのかよ」
 二夜の言葉にギリア先生がハッとした表情で喧嘩腰の会話を止める。
 どうやら動揺は二人にばれなかったようだと、ホッと胸を撫で下ろした。
「そうだった。おいナトリ、出掛けるぞ」
「えぇーなんかさぁ、無理やり連れて行くってどうなわけぇ?」
「馬鹿。こいつの服とか靴とか身の回りの品が少ないから連れて行くだけだ」
「うっわ、服を送るとか下心満載ー」
「違うわ、ボケ。真面目な話だ」
 真面目、と口にしたギリア先生の表情は真剣なもので、何かを感じ取ったのか、ネクロは揶揄うのを止めた。
「……ふぅん。じゃあ俺もついて行こっと」
 邪魔はしないから良いでしょぉ? とギリア先生が却下を言い渡すより先にネクロが言い切る。
 それに舌打ちを零し、仕方が無いとギリア先生は苦虫を噛んだような顔をした。
「押し問答をしている時間も惜しい。ついて来るなら勝手にしろ。ただし! 邪魔するんじゃねぇぞ!」
「しないって言ってるじゃぁん」
 間延びした声で答えながらネクロは言い、俺をちらりと見たと思うと、ねぇ? と笑って見せる。
 その表情に赤面しながら、ととととにかく行こう! と先生たちの背中を押すことしか出来なかった。




「でも先生、なんで急いでるんですか?」
 頬の熱も収まり、ギリア先生の後ろから声をかける。
 さっき先生が口にした、『時間が惜しい』という意味がわからなかったのだ。
「――進級の試験内容が決まった」
 低く、余り周囲に聞こえないように先生が囁く。
 進級の試験? ≪追いかけっこ≫とはまた別なんだろうか、と疑問に思っていると、二夜が教えてくれた。
「進級テストは年に一度ある試験で、毎年内容が違うんだ。ずっと前、≪追いかけっこ≫を進級に関わる小テスト、って言っただろ。あれはあくまで、小テストなんだ。だから一つ二つ落としても構わない。でも、進級テストは落としたら八割方アウトだ。その年の進級はほぼ出来ないと思って良い」
「その救済措置の小テストではあるんだけどねぇ……。進級テストの点数配分が大きすぎるってのもあるし、小テストで救済されるレベルの点数稼いでる奴は、大体進級テストそのものも合格するからねぇ。でも、そんな進級テストの内容教えちゃって言いわけぇ?」
 合いの手を入れて、更に詳しく教えてくれたネクロがギリア先生に話を振る。
「本当は生徒に言うといけないんだけどな。……お前らも、他の奴等にはまだ言うなよ」
「はぁい」
「で、何になったんだ?」
 気のない返事をするネクロと、聞き返す二夜。その二人を振り返らず、前を向いたまま先生が口を開く。
 ――ふと、嫌な予感がした。
 多分先生は、俺だけに言うつもりだったんだろう。人間であることのハンデとして。でもここで言えばネクロと二夜にも聞こえてしまうため、先生が二人に釘を刺した。
 つまり、進級のテストは人間であると不利な内容なのだ。そして、二人がいるからと場所や日を改めるほど、先生に余裕がないということは――余程状況は切羽詰まっているのではないだろうか。
「――野外での実地テストだ」
 途端に二夜は目を見開き、ネクロはふぅん、と返事をした後、じわじわと硬い表情になっていった。
「……お前、そいつに自分のこと言ったのか」
 表情を強張らせたネクロを見て、先生が俺を見下ろす。
 “自分のこと”がなにを指しているのか、漠然と理解し、頷けば溜息を吐かれた。
「……お前なぁ……」
 苦虫を噛み潰したような表情をしながらも、結果的には良い手かもしれんが、と先生がぼやく。
「まぁいい。わかっただろ、お前ら。ナトリが危ない」
 え、俺? と歩きながら三人を見回す。
「……やばいな」
「マズイよ、それ」
 硬い表情で口を揃えるネクロと二夜に、何のことなのかと問いかける。
「……実地テストは他にもあるけど、野外となると一つしかないんだよぉ。……それが、この学園の別所有地で行う、長期間の≪追いかけっこ≫」
 ネクロが答えてくれるが、それでも意味がわからず瞬きをすれば、二夜が硬い表情のまま口を開いた。
「いつも学園内でやってる≪追いかけっこ≫を別の場所でやるんだ。といっても、環境もルールも全然違う。学園内程整備されていなくて、殆ど自然状態の山。そこで、大体四、五日の期間、生徒は自分で生活しないといけない。道具も最低限の物しか配給されない。食糧はナシだ。そして、【狩る】側、【逃げる】側は設定されない。自分以外の物は皆【狩る】側で、【逃げる】側だ。つまり、このテストは、狩られないようにしながら、誰かを狩らなきゃいけないんだ」
 漸く二人の言っていた“マズイ”の意味を理解した。
 それは本当にマズイ。兎に角自分に不利な進級テストだ。
 自然の中で何の助けもなく、五日間もサバイバルをする、というのも無理そうな気がするのに、その上、誰かを狩らないといけないだなんて。逃げるのでも精一杯だ。いや、彼等相手に逃げ切れるかもわからない。
 彼等は夜目が効く。鼻が利く。何より身体能力は人間よりずっと上だ。
 さぁっと血の気が引くのがわかった。
 もう既に、小テストは一度落としているのだ。幾つ小テストをクリアしていればセーフラインなのかは知らないが、このままでは二夜やネクロと一緒に進級が出来ないかもしれない。
一年ずれるということは、二夜とネクロが先に卒業してしまう、ということだ。それは、何をしてでも避けたい。ただ寂しくなるから、というわけではない。上手く表現できないけれど、二夜やネクロがいない学校生活を考えるだけで、足元が危ういような焦燥を感じるほど心細くなるのだ。それは、誰も知る人のいない外国に一人放り込まれるような、心細さに似ているかもしれない。
「だから、万全に準備をする必要があんだよ」
 血の気が引いた俺に気付き、ギリア先生が手を伸ばして頭をわしわしと撫でてくれた。
「とりあえず動きやすくて丈夫な靴と服な。その後は、野外生活で役立つような知識をみっちり叩き込む。いいな」
「俺たちも手伝うよぉ」
 こちらを安心させるように目を細めるネクロと、何度も頷く二夜。
 先生と二人の顔を見て、優しさと有り難さに思わず涙ぐみそうになりながら、ありがとう、とどうにか感謝を口にした。




 外出許可は既に貰ってあるからと、正門をくぐった所で、大声で後ろから呼び止められる。
 振り返れば、息せき切って、アズがこちらに駆けてきた。
「ミツル……! 俺も一緒に行く!」
「で、でもアズ」
 すっと目を細め、冷たい空気を放ち始めたネクロに、また喧嘩が始まるのではとおろおろと両手を上げる。
 ネクロの方が大事とか、アズとは一緒に出掛けたくない、というわけではない。ただ喧嘩をして欲しくなかった。ただでさえ、今は時間が惜しい。
 ギリア先生はと言えば、また面倒な奴が来た、とばかりに顔を顰めている。
「わかってる。喧嘩しない」
 しかし、こちらの心配を余所に、アズはきっぱりと言い切った。
「コイツは気に入らないけど、でも喧嘩しないようにするから。邪魔は絶対しない。だから、俺も一緒に行かせてくれ」
 真っすぐな紅の瞳に見つめられ、どうしたものか、と思っていると、「良いんじゃなぁい」と後ろから抱きつきながらネクロが言った。
「邪魔しないって言うんなら、別に駄犬の一匹くらいならついてきても構わないよぉ。そっちがそのつもりなら、俺も少しくらい譲歩してやるしぃ」
 俺の前で交差されている腕を見て、アズの瞳が苛烈に光ったが、牙を少し剥き出しにしただけで、いつもみたいに飛びかかったり、怒鳴ったりする様子はない。
 よかった、それなら、と安堵するのと、先生がパン、と手を叩くのは同時だった。
「オラ。いつまでそうしてんだ。時間が無いつってるだろうが」
 これ以上ここでぼうっとしてる奴は、置いていくからな! と言い放ち、きびきびと足を進める先生に、俺たちは慌てて後ろを追った。




「うわぁ……!」
 目に飛び込んでくる景色に息を呑む。
 初めての町は、酷く賑やかで、鮮やかだった。
 日本の街並みとは違う。西洋風で、ふと目を向ければ屋台が出ていて、歩道はレンガで舗装されている。かといって、元いた世界でも見られる光景だ、とは感じなかった。
 西洋風といっても、一世紀ほど時代が前のような気がする。しかしそんな中にも時折近代でも見られるような景色が織り交ざり、どこか違和感に近い、慣れない感覚を抱く。
(先生の車も、クラシックカーみたいだったもんなぁ……)
 車も走っている。でもそれは至るところにという感じではなく、自転車や小さなバス。路面電車といったものが主流なのだ、と隣で二夜が説明してくれた。
「ほら、ミツル、食べるか?」
 二夜が、近くにあった屋台から果物をいくつか手早く買うと、一つを手渡してくれる。
 パッと見た感じ、レモンのように見えるそれは、爽やかな香りを放っていた。
「ありがとう」
 そう言えば朝ご飯をまだ食べてなかったな、と思い出し、果物に鼻を近づける。
「これどうやって食べればいい?」
「そのままで大丈夫だよぉ」
 皮を剥くべきか、と訊いてみると、そのままで良いと言われたので歯を立てた。
 思った以上に皮は薄く、果汁がすぐに溢れてくる。レモンのような酸っぱさが口の中に満ちるかと思えば、甘さが口いっぱいに広がる。味はレモンに近い。でも甘い。例えるなら、レモネードみたいな感じだろうか。
 美味しくて目を見張れば、嬉しそうに二夜が笑った。
「ミツルは果物好きだもんな」
「そうなのか!? なら他にももっと買ってくる!」
 止めるよりも先に風のように屋台に突っ走っていくアズに苦笑を零し、齧った果物を指す。
「これ、なんて果物?」
「ん? メロン」
「メロン!?」
 えっ、レモンじゃなくて!? と、ぎょっとする。いっそのこと全く違う名前だったら納得できたのに、別の果物の名前が出てくると違和感が凄い。
 しかしそれは、レモンっぽい果物のメロンに限ったことではない、というのを俺は知ることになった。




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