雪隠詰め | ナノ


▼ 謝罪



 うとうとと目を開けばカーテンから差し込む日は眩しく、そんなに時間は経っていないのだと分かった。
 枕に顔を埋めた状態で寝ていたようで口の端が涎で冷たい。
(さっきのは一体……)
 夢にしては、やけにはっきりと覚えている夢を思い出す。あの優しい声は前にも聴いたことがあった。
 声しか聴いていないけど、多分同じ登場人物を繰り返し夢で見るのって、よくある事なんだろうか。と思いながら寝返りを打とうとして、部屋に違和感を見つけて体の神経を尖らせる。
 ほら、よくあるじゃん? 暗い部屋の中で物音がしたら、電気を点ける前にピタッと止まってもう一回音を探る感じ。
 いや、今回のは物音とかそんな生易しい物じゃないけど。
 ……ベッドに誰かいる。
 俯せになっているから見えないが、確かにベッドが二人分の重さで沈んでいる。
 それも隣に寝ているとかじゃなくて、どうも腰かけているようだ。腰の辺りが特に沈んでいるから。
(ど、泥棒?)
 いやいやここ学校だよ!
 泥棒とか出るんだろうか。セキュリティとか万全そうなイメージがあるんだけど。むしろそんなセキュリティを掻い潜ってきた猛者だったらどうしよう。太刀打ちできる気がちっともしない上に、俺お金無いよ!
 ……あ、同じ学生って事もあるのかな。お金に困ってる学生……どちらにせよ俺金無いよ! むしろ俺が欲しいよ!
 そんな事を考えるとヘタに身動き出来なくて、ただじっとしていると、その人物が動いてギシリとベッドが軋んだ。
(ひぇええ……っ)
 心の中で奇声を上げて身を強張らせていると、髪をさらりと撫でられた。
(……ん?)
 大きな手は髪の中に指を挿し入れて、くしゃくしゃとかき混ぜてくる。乱暴でもなく、丁度良い力加減に眠気が誘発されてきた。
 さっきまでの緊張もどこか行ってしまって、気持ち良いなぁ……と、再びうとうとし始めると、撫で方が少し変わる。
 頭全体を撫でてくれていたのが、何だか横ばかりを撫で始めたのだ。
(……別に、良いけど……)
 いや、若干良くない。だって指が髪を撫でながら、耳も一緒に撫でるんだ。
 指で優しく縁をなぞって軽く押し、少し内側に指を挿し入れて、その後耳の裏を撫でられる。
 優しい手つきに、ぞわぞわとした擽ったさに似た気持ち良さが引き出されて、声が出てしまいそうで困る。
(うう、一体何したいんだよ……っ)
 頭を撫でる為だけに来たというのだろうか。もう顔を上げて見てしまおうか。いやいやでももし……。
 悶々と考えているとその人が身動きをしたのか、ギシッと再びベッドが音を立てた。いやこれ、身動きっていうか……。
(ひぃいいい!!)
 自分の頭の横に手が置かれて、音が近くなった。
 これってつまり、俺に覆いかぶさってたりするんじゃないだろうか。何だか圧迫感がある。
 もう寝たふりどころの話じゃなくて、ただ体を強張らせていると衣擦れの音がして――。
「……目ぇ覚めてんだろ、起きろ。……じゃねぇと犯すぞ、あ?」
「ぎゃぁあああ!!」
 大声を上げながら耳を押えて横に転がる。その時後頭部に何か当たった気がするけど無視した。
 だってすっごいエロい声だった! なんだ今の声! 誰かこの人捕まえて! 何か今のだけで女の子だったら子供出来ちゃいそうだよ! 良かった俺男で!!
 ベッドの隅に辿り着くと漸く顔を上げて泥棒と対峙する。
 くっそ、日本男児舐めんなよ! 泥棒の一人や二人――。
「あれ、先生」
 そこには泥棒でも何でも無く、片手で口を押えて痛そうにしている先生がいた。

「バカか。いきなり顔上げんな。ちくしょう、思いっきり打った……」
 口を開いたり閉じたりして調子を確かめながら、ギリア先生が眉間に皺を寄せる。
「ご、ごめんなさい……」
 申し訳なさからベッドに正座をして少し項垂れるが、ちょっと待って欲しい。あれって俺、悪く無くね?
 でもやっぱり目の前で痛そうにされると良心が疼く。顎付近って打つと痛いもんなぁ……。
「あーあ、お前の所為で怪我しちまった」
「え゙っ。どこか切りました!?」
 結構酷そうな状態に慌てる。
「舌が二つに割れた」
「それって凄い怪我じゃないですか……って、ちょっと待った! それ尻が割れたと同じ!!」
 先生の舌、元から割れてるよ! あっぶな、俺騙されるとこだった……!
 先生を見れば俺を見ながら、残念そうに金の目を細めていた。
「チッ、気づいたか。脅して舐めて直して貰おうかと思ったんだがな」
「流石の俺も気づきますって……。それに俺の唾液にそんな治癒能力は残念な事にありません」
 怪我してたらすぐに保健室に連れて行くつもりでした、と言えば驚いた顔をされる。
「なんだ、人間には治癒能力がないのか」
「えっ、先生達にはあるんですか」
 それって凄いな、消毒液とか絆創膏不要……!
「ねぇよ」
「……騙された……っ」
 呼吸をする如くさらっと騙された事に呻いていると、はっと重大な事に気が付いた。
「って、何で俺の部屋に先生が?」
 あれ、ここ俺の部屋だったよね? ハッ、まさか鍵を開けて――何しに来たんだ?
 先生は盗みを働く程お金に困ってる感じはしないし。そもそも、買い物で奢ってやる、と太っ腹な事を言えるくらいだ。
「昨日の事があって心配だったから来たんだよ。そうしたらお前、鍵が開きっ放しじゃねぇか」
「えっ! ……あ、そう言えば閉めた記憶が無い……かも」
「ったく、気を付けろ。不用心すぎる」
 眉をしかめる先生にへらっと笑って見せると、笑って誤魔化すなと叱られた。ちっバレたか。
「やっぱりこの寮でも泥棒とか入ったりするんですか?」
「いや、外部からはねぇし、学生も余程の事が無い限りそんな事はしねぇけどよ……お前はもっと気をつけておけ」
「ならだーいじょうぶですよ。俺お金無いですし」
「馬鹿、金目当てとは限らんだろうが。特にお前はな」
「はい?」
 お金以外? と考えを巡らせていたら溜息を吐かれ、腰を掴まれたと思えば引き寄せられた。
「こういう意味だ、鈍感」
「ひぃっ!」
 パジャマ替わりにしている短パンの上から、先生の大きな手が尻を揉み込んでくる。
 「ちっせぇ尻……」とかなんとか言われて、慌ててその手を叩き落とした。
「な、っにしてんですか!」
「だぁから。身体目的の奴がいるかもしれないだろって意味だ」
「からだぁ!?」
 素っ頓狂な声が出る。
 身体? 俺の? ないないないない!
 いくら男子校で、同性同士の恋愛がそこまで憚られないと言っても俺は無いだろう!
「無いですよ。俺だったら同じ男を狙うならもっと可愛い子狙いますもん。というか、まず俺だったら最初に俺を選択肢から外します」
「……あのなぁ、現にお前は二人に告られてんだろうが」
「っそれはあの二人だけで! 他にはいませんよ……」
「……んなわけねぇだろ」
「へ?」
 ぼそっと低く吐き捨てられた言葉に顔を上げれば、離れていた腰をまた強く引き寄せられた。真面目な表情の先生に気圧され、なんだか凄く緊張する。
 え、俺なんか変な事言っちゃった……?
 目を泳がせながら無言でいると、先生は溜息を吐いた。
「その二人のどっちかが入ってきたらどうすんだよ」
 声音はいつも通りに戻ったけど、真面目な目はそのままだ。
「あの二人が入ってきて無理矢理とか、有りえねぇ話じゃねぇんだぞ」
「有り得ません」
 きっぱりと言うと先生の目が僅かに見開かれた。
「あの二人はそんな事するような奴じゃないから」
 ネクロもアズもそんな奴じゃない。喧嘩ばっかするけど、根は優しくて良い奴だ。それをそんな風に言って欲しくない。
「……そうやって何でもかんでも信じるんじゃねぇよ……っ」
「いっ」
 顎を強く掴まれて痛みに顔が歪んだ。それを鋭い金の目が見下ろしてくる。
「いっ、痛っ、先生、痛い……!」
「信じきって無防備な姿晒してっとなぁ……!」
「ひっ」
 さっきみたいに尻を揉まれて小さい悲鳴が上がる。
 でも揉み込む力がさっきよりずっと強くて、痛いくらいだ。
「いつかここにブッこまれて、ガンガン犯されっぞ、あ゙あ!?」
「ひ、やめっ、止めてくださっ」
「優しいだぁ? そいつが夜、誰を、どんな風に思い描いてオナってるのか考えた事あんのか? お前をぐちゃぐちゃに犯すとこ想像してシコってる奴に、あんま隙見せんなって言ってんだよ、あ?」
「そんなっ」
「そんな事しないとか抜かすんじゃねぇぞ、あいつらは男だ。お前も男なら分かんだろうが。好きな相手をどうしたいかくらいはよ。お前の前では優しくても、凶暴な面を持ってる奴らだ。理性切れたらお前が抵抗しても無駄なんだぞ、分かってんのか!?」
 ――怖い。
 無表情に近い顔の中で、ぎらぎらと俺には分からない感情で光っている金の瞳が。ぎりぎりと顎を掴む指が。卑猥で恐ろしい事を早口で言われるのが、今この全てが……先生が怖い。
 震え出す体を自分で抑える事なんて出来なくて。振りほどけない腕の中で、カチカチと歯が鳴るほど震え始めた。
「ごめっ、ごめんなさい……っ」
 恐さでパニックになりかけている頭の中で出た答えは、とにかく謝る事だった。
 だって俺が鍵をちゃんと閉めてなかったのが、そもそもの発端だった訳で。
 大人の男の人に怒られるなんて、思い返してみれば小学生の時の先生に宿題を忘れて怒られたくらいだ。それでもこんなに怖くなかった。
 泣きそうになるのを必死で堪えて謝罪を口にすれば、はっと先生が表情を変えるのが分かった。
「っ、すまん、言いすぎた」
 手を俺から離して、気まずそうに目を逸らす。どうしたら良いのかわから無さそうに動いていた手が、頬に伸びて来てぐいっと目の下を擦った。
 泣くなと言わんばかりにぐいぐいと擦られ、その後手を頬に当てたまま先生は黙った。
 俺の手が小さい訳では無いが、身体に見合った先生の大きな手は片手でも顔の大半を結構包めてしまう。
 それが動いて小さく頬を撫でた。
 暖かくて、大きい。
 その温かさにさっきまでの怯えが溶けて行く気がした。残るのは、怯えてしまった事のざらざらと舌に残る気まずさ。
「……すまん。思わずカッとなって大人げない言い方をした……」
「お、俺もごめんなさ」
「謝るな」
 親指が目の下を何度か擦った後、深い溜息を吐いて離れて行く。
「すまなかった。……そのあれだ。身の回りの事に気を付けて欲しいと言いたかっただけなんだが……言いすぎた」
「はい……。次から気を付けます……」
「ああ……」
 本当、頼むから気を付けてくれよ、と呟いた先生は何故か苦々しそうな顔をしていた。
 気まずい空気が流れ、二人とも目が変な所を向いている。
 先生は俺を通り越して向こうを見ながらがりがりと頭を掻いてるし、俺は自分の足先を見ながらシャツの裾を意味も無く弄る。
「あー……。お前、体調は悪くないのか」
 この空気をどうにかせねば、と思ったのか先生から口を開いてくれて、それにホッとしながら顔を上げた。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうか。……なら今日――」
 ――コンコン、と先生の言葉をドアを叩く音が遮る。
 一瞬眉を寄せ鬱陶しそうな顔をし、無視をする素振りを見せかけたが、溜息を吐いて先生はドアに向かった。ドアノブを捻り、ドアを開ける。
「……なんだ、お前か」
「何だって何だよ。というか何でギリ公がここに……ミツルは?」
 先生越しにドアの向こうから誰かが部屋を覗き込んで――。
「あ、二夜」
「ミツル、おはよう」
 二夜が目を笑みの形に細めて挨拶をした後、後ろを見てぶつぶつと何か言っている。
 どことなく叱り付けている様な響きのそれが終わるのと同時に、次に部屋に入って来たのは。
「――ネクロ」
 いつもの飄々とした笑みを浮かべている訳では無く、こちらを僅かに窺いながらネクロが入って来た。
「ナトリ、ちゃん」
 笑みを浮かべて見せようとしたけれど失敗した様な、何とも言えない表情。
 橙の尻尾も落ち着きなく上下していて、ネクロの気持ちが良く分かる。
「あの、先生」
「あ?」
「ネクロと二人で話したいから、ちょっとだけ席を外してもらえませんか……?」
 何か言いたげに先生はこっちを見つめたが、溜息を一つ吐くとやれやれとばかりに頷いた。
 手が伸ばされ、わしゃりと髪を掻き混ぜられる。
「わかった。ただし十五分だけだ。コイツの所為とは言い切れんかもしれんが、昨日の発作の原因の一端なのは明確だ。あれは普通じゃない状況だった。そう何度も起こして良い物じゃない。身体にも負担が掛かる。十五分したら部屋に入る、変な物音がしたら十五分経ってなくても入る。良いな?」
 ネクロは目を誰とも合わせずに頷き、俺もそれに頷く。
 先生は二夜の背中を押し、ちらりとネクロを見た後、後ろ手にドアを閉めながら俺にその金色の瞳を向けた。
「さっき言った事、忘れるんじゃねぇぞ」
「……はい」
 二人だけになり、さっきのギリア先生との無言の時よりも辛い沈黙がネクロとの間に横たわる。
 目を合わせようとしても、俯き加減のネクロとは目が合わなくて、時計の針の音がやけに大きく聞こえた。



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