雪隠詰め | ナノ


▼ 2


「不躾な事を聞くが、ナトリは獣化は苦手じゃな?」
「……え……」
 突然の言葉にひゅっと息を呑む。
(ど、うして。俺が人間だというのをまさかラージュさんは知って……)
「ああ、余り思い悩むでないぞ、という事を言いたかっただけじゃ。精神的な問題で獣化しにくくなる事も、ニンゲン化しにくくなる事も、ようあることじゃからの」
「へ?」
「学校長から聞いた。幼い頃に鳥の姿のまま落ちそうになって、それからというもの余程の事が無い限り獣化するのが恐ろしくなったと」
 怖かったのう、と優しく言ってくれるその気持ちが苦しい。
 エレミヤ先生を責める気持ちは微塵も無い。でも、また嘘を重ねてしまった、と悲しくなるのは止められなかった。
 俺が黙った事で再びラージュさんが振り返る。
「……ああ、またそんな顔をする」
 困った様にラージュさんが微笑んだ。
 大きくて温かな手が俺の頬を優しく撫でて、顔を上げさせる。
「そのように苦しげな顔をするでない」
「すみません……」
「謝る事もない」
 再び謝りそうになって、言葉を飲み込むために、くっと奥歯を噛み締めると、ラージュさんの顔が真顔になった。
 いつも朗らかな笑顔をしているラージュさんが、こんな表情を浮かべるととても緊張する。
 何か失言でもしてしまっただろうかと少し頬を強張らせると、するりとその頬を撫でられた。
「……やっぱり、良いのう」
「……はい? な、何が?」
 分からずに目を瞬かせると、急に少し強張る頬を横に引っ張られた。
 自慢じゃないが、俺の頬はびっくりするほど伸びない。
 別に生活に不自由が出る事は無いけれど、普通に摘まれただけでかなり痛かったりする。
「いだだだ! いひゃい! いひゃい!!」
 それを知らずに思いっきり伸ばされたものだから、あまりの痛さに涙がうっすら滲んだ。
「おお、すまんかった」
「な、何なんですかもう……」
 謝罪の言葉と同時に手を離されるが、痛みの残る頬を押さえてぶつぶつ文句を言う。
「いや、まさかそんなに痛がるとは思わず。すまんのう」
「俺の頬は伸びないんです……じゃなくて、何なんですか?急に」
 そんな長く痛む訳でも無かったので、何度か自分で擦った後、ラージュさんを見上げる。
 唐突にこんな事をする理由が分からない。まさか俺の頬の伸縮性を急に確かめたくなった訳でもないだろうに……いや、もしかしたらそうなのか?
 ラージュさんは少しばかり黙った後、ゆっくり言葉を選ぶように口を開いた。
「いやな? その……お主の泣き顔はやっぱり良いのう、と」
「……は?」
「な、何なのかのう……儂にもよう分からんのじゃ。でもほら、以前儂の肩で泣いたじゃろう? あの時の泣き顔といい、今回の物憂げな顔といい……いや、今回のは苦しげで儂の胸も苦しくなるのじゃが、先程の頬をつねられ涙ぐんだ顔とかのう……」
 綺麗、じゃ。とラージュさんはポツリと言った。
 言いながら自分の中で整理出来ていくのか、頷きながらラージュさんは喋る。
「そう、そうじゃ。綺麗だと思うたんじゃ。ずっと見ていたい、と。あんまりにも綺麗に……いや、綺麗だけじゃ無いのう。……愛い。そう、愛いらしかった。故に、ずっと見ていたいと……泣かせて……みたい、と……?」
「ら、ららラージュさん!」
 ぽろっぽろ出てくる恥ずかしい言葉に慌てて手を伸ばして、ラージュさんの口を塞いだ。
「恥ずかしいです! もの凄く恥ずかしいです! そして色々誤解を招くような発言でした……!」
 暗闇の中赤面していてても分からないだろうが、とにかく早口で叫ぶ。
 当の本人は口を塞がれながら小首を傾げて俺を見ているが、何か喋りたいのか、ふがふがという音に恐る恐る手を離した。
「ふぅ。そんなに変な事を言ったかの?」
「ええまぁ。……はい。得に最後とか、ドS発言にしか聞こえなかった気が……」
「ん?」
「何でも無いです!」
 ラージュさんが天然Sだったとは知らなかった、と心の中で思いながら、慌てて目の前で手を振る。
「ふむ。今何か、分かりかけた気がするんじゃがの」
「いえいえそんなの気づかなくって大丈夫です!」
「ん……いや、何か……大切な……」
 ポツリと呟いたラージュさんは俺の顔をじっと見つめて思案気な顔をした後、ふっと笑って頬を撫でてきた。
「まぁ良い。帰ろうかの?」




「……え? 帰れないんですか?」
 思わず茫然とラージュさんを見上げる。
 学校が見えるくらいまで戻ってきたら、ラージュさんが当然の様に違う方向へ歩き始めたから慌てて引き留めると、むしろ逆にびっくりされた。
 え? え? と二人で言い合った後、澄んだ海みたいな蒼い瞳を瞬かせながらラージュさんが喋り始める。
「ふむ……ナトリはした事がないから分からんかもしれんが、体の一部だけを意識的に獣化させるのはとても体力を消費する上に、不完全な形になるのじゃよ。未熟であったり、小さかったり……。そもヒトの体は飛ぶ様には出来ておらんからの。あれは飛ぶ、というよりも飛び降りる、に近い。故にお主を抱えて怪我をしないよう飛び降りる事は可能でも、お主を抱えて飛ぶのは無理じゃのう」
 いくらお主が小さくて軽かろうと、ちとな……と申し訳なさそうに言ったラージュさんの『小さい』発言には目を瞑って、じゃあ俺、今晩は野宿か……? と呟いた。
 だって、廊下は先生達がいるからさっきベランダから外に出たわけで。
 歩いて部屋に戻るのは叱られるコースだから……そう考えると、やっぱり野宿……まぁ、そんな寒いとか雨が降っているとかじゃないから一晩くらいならなんとか……。
「まさか! そんな事を言う訳がない。今夜の所は儂の部屋へおいで」
「ラージュさんの?」
 ふっと蒼の目が優しく細められる。
「ああ、儂の部屋で一晩過ごして行けば良い」


「……これはどういう事でしょうかね、王」
「いや……その……」
「どういう事か、と聞いているのですよ」
「……ち、ちと話を聞いてくれんかのう」
「質問の答え以外必要のない事を話さないでください、王」
 椅子に足を組んで座っているユグノさんの前で、ラージュさんが正座をしてを肩を窄めている。
 あんなに背の高く大きな体が、ここまで小さくなるとはと思うほど身を縮めていた。
「私はナトリ君の様子を見るのは明日でも良いのでは、と言いましたよね? ナトリ君が心配なのも分かりますが、相手の事も考えて、負担にならないように、今日は止めておいた方が良いのではとも。それなのに貴方は私が目を離している隙に、私の忠告も無視してナトリ君の所へ行ったと。……百歩譲ってそれに目を瞑るとしましょう。ええ、瞑りましょう。私も心配でしたからね。でも貴方、それだけでは無く、また翼だけ出してベランダから飛び降り、あまつさえ夜の森の中に!? あそこは足場が悪いのに、暗くなって足元が見えにくい時に行くとは何事ですか。ご自分の身に何かあったらどうするつもりですか! 私達は梟や他のグループの様に夜目がはっきり利く訳じゃないんですよ! それもナトリ君も一緒に連れて行くなど……怪我でもさせたらどうするつもりですか、ちゃんとお考えなさい!! 後、何度も言いましたよね。中途半端な獣化は体に負担になるからお止め下さいと。私言いましたよね。なのに貴方は何度も何度も……!! いつかその翼折れても知りませんよ!?」
「す、すまなんだ……」
「謝って済むわけがないでしょうが! 何回目ですか、言ってごらんなさい何回目ですか! 貴方が謝罪を口にするのは! もう私は耳に胼胝が出来そうですよ!! 反省をしなさい、反省を!!」
「うわぁ、凄い怒ってるー……」
 苦笑いを含んだ声が隣でしたと思うと、灰色の長い耳が視界の端で揺れる。
 目を向けるとイロンが何か不思議な色の飲み物にストローを突っ込んで、ごくごくと美味しそうに飲んでいた。

 儂の部屋においで、と言われ手を引かれた先は煌々と明かりの灯る窓の一つで。なるほどラージュさんの部屋は一階なのかと納得した。
 そろそろと近寄ってコンコンと叩くと暫くの間の後、シャッと軽い音が響いてカーテンが開けられる。
 カーテンの向こうにいたのは髪を全部下したオフ状態のユグノさんで、ユグノさんはやれやれと言った表情でラージュさんを見た後、俺に視線を向けて驚いた表情を浮かべると慌てて窓から中に入れてくれたのだ。
 その後、ラージュさんを壁に追い詰めてかれこれ小一時間も説教をしている。
 イロン曰く、王は一人につき一部屋もらえるのだが、ユグノさんが学校長に直々に二人部屋にしてくれと願い出たらしい。
 ラージュさんもそれでいいと頷いたから、鳥王だけ二人部屋なのだそうだ。
 ちなみにイロンはこの隣の部屋で、良く遊びに来るとの事。
「ゆ、ユグノさんっていつもこんな風なの」
「んー……まぁね。王を支える役目だって自分で思ってるし、ラージュさんもそう言ってるし? その責任感は凄いあると思うよ。元から世話焼きだし、適任だと僕は思うなぁ……。あ、でもでも優しいし、格好いいし、頼りになるし、時々可愛い一面見せるし、むっつりスケベだったり……とにかく、優しい人なんだよ?
ああやって怒るのも愛情表現だからね? 嫌いとかそんなのじゃないんだよ?」
「……イロン、止めてください」
 ね、ね、だからユグノを嫌いにならないでね? と力説してくるイロンに顔を真っ赤にしたユグノさんが流石に説教を止めてこちらを向いた。
 これがきっかけで説教も終わったのか、本当にすまなさそうに口を開く。
「本当に申し訳ありませんでした。王もナトリ君を心配して、どうにか力になりたいと思った結果なのです。
だから許してやって欲しいとは言えませんが……。今日、保健室に運ばれたというのに……疲れませんでしたか? ……ああ、もう少しきつく言っておくべきですかね」
「だ、大丈夫です! 本当、俺、ラージュさんには助けてもらって……今日も本当に嬉しかったんです」
「そうですか……それなら良いのですが……」
 痺れた足を庇いながら立ち上がるラージュさんに、呆れたような目を向けながら溜息を吐くユグノさん。
「はぁ……。とにかく、王が無理矢理外に連れ出してしまった事ですし、この時間帯に部屋から出るのは余り褒められた事ではありませんね。イロンの様に隣の部屋ならばとにかく……。教員に見つかりでもしたら、最悪減点にもなりかねませんから……得に発情期が過ぎたばかりですし」
「あの……発情期だと、何か怒られたりするんですか?」
「あ、そっか。ナトリは転入してきて初めての発情期だったもんね。発情期はね、町にその欲を発散しに行こうとする生徒が出てくるから先生もピリピリするんだよー」
「あ、そうなんだ……」
「ええ、ですから今夜は部屋にお泊まりなさい。王、貴方のベッドを貸して差し上げる様に。」
「え!? いや、良いですよ、俺は椅子か何かを貸してもらえれば……」
 両手を顔の前で振るが、ラージュさんがにっこりと笑って頷いた。
「勿論じゃ、客人を粗末になど出来ん。それがナトリなら猶更じゃろうに。何、一晩だけじゃ。気にせず使うておくれ」
「そんな……」
「遠慮はいりませんよ。反省の一環としてむしろソファーか床で寝させてやってください」
「は、はい……」
 にっこりとまだどこか怒っている笑みを浮かべるユグノさんに、それ以上いいですなんて言えなくて、俺はラージュさんのベッドで寝させてもらう事になった。

 「では先に湯を浴びておいで」と言われて、シャワーを貸してもらう。
 風呂から上がると、タオルや服といった必要なものが置いてあって心底感謝をした。
「おお、もう出たのか? 早いのう」
「あ、お先にありがとうございました」
 脱衣所を出た所で、ラージュさんと鉢合わせになって会話を交わす。
「うむ、サイズは丁度良いみたいじゃの。良かった」
「これは?」
 そう。貸してもらった服を着ている最中、不思議に思った。
 大抵皆、俺よりサイズがでかいはずなのに、貸してもらった服のサイズは丁度よかったのだ。
「ああ。それはイロンの物じゃよ」
「あ、なるほど」
「儂の部屋は左の扉だからの。一応片づけておいたから汚くは無い筈じゃ。今日は連れまわして悪かったのう、ゆっくりおやすみ」
 優しく微笑み、さらりと髪を梳かれて思わず頬に熱が集まるのが分かった。
(……うう、こんな自然に優しくされると照れる)
 儂は風呂を浴びてから寝る故、と背中を向けられてから、ラージュさんの部屋に脚を向ける。
 リビングに入り、左の壁に設置してあるドアに手を掛けた時。消え入りそうな、か細い声が耳に入った。
「ん?」
 ふと後ろを振り返る。
 真後ろには目の前の扉と同じ作りの扉。少しだけ隙間が空いていて、完全に閉め切られていないそこはユグノさんの部屋だ。あ、そういえばユグノさんはお風呂入ったんだろうか。
「……ん、あ……」
 あ、まただ、と、小首を傾げてそっちの扉に近づく。
 もしかしてテレビとか付けっぱなしにでもなっているのだろうか。
 一歩一歩近づき、取っ手に手を掛けたその瞬間。
「……だ、め……ぇ……」
 え、今のイロンの声……? そう思った途端、普通ならもっと前に気が付くであろう事に色々気付き始める。
 あれ? イロンってもう部屋に戻った? もし、戻ってないとしたら、イロンとユグノさんがこの部屋の中にいる可能性の方が高いわけで。二人とも付き合ってるから、別に一緒のベッドに寝たって全然おかしくないわけで。じゃあこの声を出してるイロンの状況って……?
「……っ!!」
 かぁっと頬に血が集まる。
 いやいや普通の事だし! 付き合ってるなら何にもおかしくないじゃん、むしろシない方がおかしい――いやでも今!?
 アダルトビデオとか見たことが無いわけじゃないけど、生では勿論無いわけで。
 ここはもう何も知らないふりして、ラージュさんの部屋に……!!
 でもここで。何でかここで、男子高校生なら誰しも持っているであろう、性への好奇心がむくむくと頭をもたげて来てしまった。
(……お、男同士ってどうやるんだろう)
 先生はその、後ろを使うって言ってたけど、痛くないのだろうか。
 でも明らかイロンとユグノさんだったら、イロンの方が可愛いし、ユグノさんは恰好良いから体格差的にもイロンが……何と言うのか、受け入れる、側? とでも言ったらいいのかわからないけれど、そっち側だと思うのだけれど。
 いや偏見は良くないよな、別にユグノさんが女の人役でも全然良い訳で……。
 いやいやいやまず俺、何、他人の! それも親しい人の行為を想像しちゃってんの!
 もう自分を殴りたい衝動に駆られるのに、手は取っ手から離れてくれない。
 ……気になる。
 正直、気になる。
 自分が同性に告白されているというのもあって、扉の向こう側が気になって仕方がない。
 痛くないのかな、どんな感じでやるのだろうか。……気持ち、良いのかな……。
 他人の情事なんて見ちゃいけないって思うけど、男子高生としては…………ごめんなさい、すごい気になるんです……!
 出歯亀にも程がある……と思いつつ、そっと。そっと、空いている隙間から覗いてしまった。



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