雪隠詰め | ナノ


▼ 綺麗なもの



(――分からない)

 自室に戻ると、テーブルの上に簡単な料理がメモと一緒に置いてあった。
 メモには『食堂が閉まる時間帯までに戻らなかった時には食え』と一言。
 食堂はまだ開いているだろうけれど、行くのも面倒くさいし、せっかく作ってくれたわけだしと温めて食べる事にした。
 口調からしてギリア先生だろうか……と検討をつけながら、意外と美味しい料理を口に運んだ。
 その後風呂に入って、休日用にと出された課題に向かっているのだけれど。

(分からない……)
 俺は溜息を吐いた。いや、問題が分からない訳ではなく、俺自身が分からないのだ。
 勉強の合間にペンを置き、今日意識が途切れてしまった時の事を思い出して、そして辿っていく。
 ネクロとアズの気持ちを考えていたら、自分が気持ちを踏み躙っているだけにしか思えなくて。じゃあ俺は誰が好きなんだろう……と思ったら、胸が苦しくなって息が出来なくなったのだ。
 そもそも自分は発作系の病気は持っていない筈なのだけれど、それほどストレスだったのだろうか。
 どこぞの乙女じゃないんだからと自分を叱咤して、再度誰が好きなのかを見つめ直すが、どうしても頭の奥が重くなって、思考に霞が掛る。
(こんなに自分の心って分かりにくかったっけ……)
 瞼を閉じて上から揉む。
 もう息は苦しくならないけど、答えは出せないままだ。
 ――ああ、またこうやって逃げ道を自分に作って、答えを出し渋っている。
 自分の浅ましさに嫌気がさしてくる。
 少し、伸びをして、ポツリと呟いてみた。
「――好き」
 小さな声は、思った以上に部屋に響いた。
「大好き」
 胸はざわめくのに、やっぱり分からない。
 情けなさに唇を噛み締めた、その時。

 ――カンッ、ゴッ! ドシャッ!!

「ええ!?」
 カーテンを引いてある窓の外から物凄い音が聞こえて来た。
「……な、何?」
 いくら泥棒でもここはそれなりの高さだし、いくらなんでも……いや、だからこそ……? と恐る恐るカーテンを開くと、そこには何もいなかった。
 そ、それはそれで怖い!
 両腕にぞわっと立った鳥肌を擦っていると、脚元からコンコン……と聞こえて、反射的に目を下げる。
「……鳥?」
 そこには大きな鳥が、くりくりとした目で俺を見上げながら嘴で窓ガラスを叩いていた。
 ……なんだっけ、テレビとかで見たことあるこの鳥……。
「儂じゃ」
「ああそうそう鷲……って、え!?」
「儂じゃよ、ラージュじゃ」
 何故かふふんと胸を張った鷲姿のラージュさんは、驚く俺に「早う、中に入れてくれんかのう?」と小首をかしげて見せた。

「突然すまぬなぁ」
 ラージュさんに見つからないように、こっそりと烏の羽を胸ポケットに入れてから窓を開ければ、羽音と共にラージュさんがいそいそと中に入って来た。
「いや全然構わないですよ。でもどうしたんですか?」
 ラージュさんが俺を訪ねて来る理由が思い当たらない。
 イロンはあの事件から色々と仲良くやっているけど、ラージュさんはあの時以来なにも……。いやそうでもないか。その後に、≪追いかけっこ≫の際に、ネクロが暴走しかけたのを止めてもらった。
 でもその時は会話を交わしてないから、はっきり言って助けてもらった時ぶりだ。
「いやな。お主が倒れたと聞いた故、見舞いに来たまでじゃ」
 鷲の姿のまま、ラージュさんが「大丈夫かの?」と小首を傾げる。
(――か、可愛い!)
 小さな頭がコテン、と傾げられるのはびっくりするほど可愛かったが、触りたい衝動を必死で押さえて「全然大丈夫です」と頷く。
「でも何で俺が倒れた事知ってるんですか?」
「ん? ああ、それはな。儂が次期鳥王じゃからじゃよ。後々、バードの皆を纏める事になるじゃろう?その予行演習とでも言うのかの。この校内で起こった同胞の出来事は全て儂の耳に入る様になっておる。他の次期王もそうじゃろうが、元から儂らは発情期も想い人が居らんければ薄いし、問題を起こすほど気性が荒い奴も余りおらん。故に、些細な出来事でも耳に入りやすいのじゃよ」
「ああ、なるほど……。どうもすみません。迷惑を掛けて……」
「良い良い」
 暇だった故、来たと思うておくれ、とラージュさんはからから笑った。
「大事ないと言ったかの?」
「はい」
 綺麗な蒼い目が俺を覗き込む。
「――ホントかの?」
 鳥の目って丸くて、可愛いなぁ、なんてぼんやりと見つめていただけに、その言葉に思わずどきりとした。
 まるでさっきまで悩んでいた所を見られていたみたいな口ぶりだ。
「表情が浮かない。何か不調ではないかの?」
「……だ、いじょうぶです」
 返事が遅れてしまった事に苛立ちを覚える。
 ああ、なんでさっさと言えないかな、俺。
「……ふむ。なら、良いかのう?」
 でも何も不審に思わなかったのか、ラージュさんは呟くと、ばさりと翼を広げた。
「ナトリ、すまんが布かなにか貸しておくれ」
 持って来たタオルを渡すと、ラージュさんはニンゲンの姿になって腰にタオルを巻いた。
 白いバスタオルと褐色の肌は、まるでターザンの様に見える。
「良し。それじゃ行くかの」
 さてと、とばかりに気軽に言うラージュさんに驚く。
「え!? 帰るんですか、その格好で!?」
 俺、服取ってきますよ。と慌てて押し止める。流石のラージュさんも先生にみつかれば、その格好では怒られるだろう。いや、異様なまでに似合ってはいるのだけれど。
 しかしラージュさんは俺を見ると、不思議そうな顔をした。
「何を言うておる。お主も来るんじゃよ」
「へ?」
 驚く俺を余所に、軽々と腰を抱きかかえられたと思うと、ラージュさんはベランダに立った。
 ばさりと大きな音を立てて、背中にあの時と同じ天狗のような大きな翼が広がる。
「行くぞ?」
「行くぞって何処にですか!? ちょ、ホント、ええ!?」
「この時間帯に外に出るには先生の許可がいるんじゃが、面倒じゃからの。手っ取り早く、下りる」
「お、下り……!? 待ってください! ラージュさん、おち、おちついて……!」
「おお、確かに落ちて着くぞ」
「違う! 意味違う! そうじゃなくってこの高さ!」
「何を言うておる。屋上からお主を抱えて飛んだじゃろうが」
「あ、そっか」
 そうか、なら大丈夫か……と身体の力を抜いて、問題が全然解決していない事に気付く。
「じゃなくて、どうして俺も一緒に下りるんですか……!」
「下りたら教えるからの」
 良い子じゃから暴れるで無い。と抱え直されて、俺は口を噤んだ。
 ベランダに半身が乗り出している今、下手に騒いで落されたりしたら確かに大変だ。
 下に着いたら訳を聞いて、そしてすぐ上に戻してもらえばいい。俺は無言でラージュさんにしがみ付いて……そしてはたと気づく。
「そういえばラージュさん。何で来る時、物凄い音がしたんですか?」
「ああ、鳥の姿に戻ると、鳥目になるじゃろう?」
「……はい?」
「じゃから、着地を失敗してしまった。はっはっは」
「ら、ラージュさん。今はどうなんですか、半分鳥になってる今は!」
「半分しか見えん」
「おいコラ、待てぇええ!!」
「大事ない、大事ない。鳥目と言っても、意外と見えるもんじゃて。な? ほーれ行くぞ」
「わ――っ!!」
 軽い掛け声と共にぐらりと身体が傾いて、あの時と同じ浮遊感が俺を襲った。

「し、死ぬかと思った……っ!」
 地面に着いた俺は、爆笑する膝と談笑しながら立ち上がった。
 本当、良く気を失わなかったと思う。俺、凄い。
 生まれたての子ヒツジの如くぷるぷるぷるぷると立っていると、ラージュさんが服を着て戻ってきた。
「ふ、服、どこから」
「ああ、ここで鳥になった故な。そこらへんに纏めておいたのじゃ」
 にっこりと周りの暗さを照らすかのような太陽の笑顔を浮かべると、ラージュさんが俺の腕を掴む。
「歩けるかの? ついておいで」
 ずんずんと歩いてゆくラージュさんに、まだ回復しない脚で、半ば引き摺られるようについて行く。
「ちょ、どこ行くんですか。ここ、森の中……っ」
「良いから良いから」
 学園の敷地内と言えど、元から広い敷地を有している学園だ。
 こんな道も無い藪の中を歩いて行くのは非常に不安を感じる。ラージュさんも分かって歩いているのだろうか。
「ほ、ホント、何処に……」
「ついたぞ」
 急に開けた所に出て、ラージュさんが止まった。
「ほれ」
 太陽の笑顔で笑いかけるラージュさんの意味が分からなくて、首を傾げる。
「向こうじゃ」
「向こう?」
 ラージュさんが指さす方に顔を向けて、小さく目を見開いた。
 それはポツポツと輝く街々の光りだった。
 空に輝く満点の星の様な自然の美しさではない。でも人口のものであっても、それは確かに綺麗だと思った。
 広がる街は余り都会では無いのか、そこまで犇めき合って無い間隔が余計に綺麗だ。
 どこにでも転がっているような景色だと思うけれど、空気が綺麗なのかかなり遠くまで見える。
「この学園は街より高い位置にあるからの。この位離れておると星の様で綺麗じゃろう」
 つい先日見つけたのじゃ、と嬉しそうな口ぶりに頷く。
 確かにこういう距離から街を見下ろした事はなかったかもしれない。
 元の世界で夜の展望台とか昇った事はないし、夜遅く終わるバイト先はそんな高い位置に無かったし、そもそもさっさと帰ろうと思って、周りの景色をゆっくり眺める事をしなかったような気がする。
 心ゆくまでその景色を楽しんで、俺は訝しみながらラージュさんを見上げた。
「でも……何で、これを俺に見せたんですか?」
 確かに綺麗だと思うし、嬉しい。でも、この景色と俺の関係性が分からない。
「おや、ナトリは綺麗な物は嫌いかの?」
「いや、好きですけど……」
「烏は光る物や、美しい物を好むと言うじゃろう? 儂の身の回りに烏はお主しかおらぬから、それが本当かどうか確かめるすべがないのだが……どうじゃ?」
 気にいったか? と小さく笑みを浮かべて覗き込むラージュさんに対し、途端に申し訳ない気持で一杯になった。
 俺がバードだと思ってるから。仲間だと思っているから、わざわざ部屋まで見舞いに来てくれた。
 俺が烏だと思ってるからこんな綺麗な景色を見せてくれた。
 そんな優しいラージュさんに、嘘をついているんだ。俺は。
「儂の爺様の屋敷が山奥にあるのじゃが、そこで見れる星空が綺麗でなぁ……それには勝らぬが、これはこれで色鮮やかで面白味がある」
 再度街を見下ろして喋るラージュさんに、本当の事を言って謝りたくなった。
 また心の中で自己嫌悪の嵐が吹き荒れる。
 居た堪れなくなって、手を伸ばし、ラージュさんの腕を掴んだ。
「ん? どうした? ……どうしたのじゃ」
 笑顔のまま振り返ったラージュさんは、ふと真顔になる。
「何故そのような顔をしておる。気にいらなかったか? 寒いか? もう帰りたいか?」
 俺は一体どんな顔をしているんだろう。
 ラージュさんは迷子になった子供に対するように、優しく頭を撫でながら聞いてきてくれた。
「すまぬ。どうも思いつめておるように見えた故、好きな物を見れば少しは気が晴れるかと思ったんじゃが……。逆に気を滅入らせてしまったかのう……」
 本当に申し訳なさそうに謝ってくるラージュさんに、俺は頭を横に振った。
 綺麗だ。この景色は好きだと純粋に思える。
 でも、それは烏だからじゃないんです。ごめんなさい。騙してごめんなさい。嘘吐いてごめんなさい……。
 ただ一言『人間』なんです と言えば良い。
 でもついさっき言われた先生の言葉が頭の中で繰り返されて、口を開こうとすると唇が戦慄く。
 戦慄きながらもどうにか言葉を吐きだそうとしたら、思いきり頬を力強く挟まれた。
「ぶっ」
「良い良い。無理に言わんで良い。お主が何を抱えておるか知らんが、言いたくないのなら言わなくて良い。言えぬのなら言わなくて良い」
 挟んだ力強さと違って、声は何処までも穏やかだ。
「ナトリ」
「……ふぁい」
「お主は、この景色は好きかの?」
 頬を挟まれたまま頷く。
「なら今はそれだけで良いのじゃよ」
 よしよし、イイ子じゃ。イイ子じゃ。と頭を撫でられて、少し泣きそうになった。
 俺を気遣うように、また手を引きながらラージュさんは森の中を歩いて行く。
 ざくざくと地面を踏む音が耳に心地よかった。



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