雪隠詰め | ナノ


▼ 2


 でもまあ、足長いなぁ……と先生の脚を見ながら歩いていたら、横から何かが飛びかかってきたことに気付けなかった。
「へぶっ」
「ナトリちゃん早いねぇ、どしたの? どこか出かけるの? 珍しいねぇ」
 するっと尻尾が腰に巻き付いた。
 顔は見ていないが、この声と喋り方で直ぐに誰だか見当がつく。
「ネクロ? 今から買い物に行くん……」
 後ろを向いて思わずパカッと口が開いてしまった。だ、だって。
「な、何その頭……」
 あちらこちらに髪が跳ねまくっている。今までで見た中で一番跳ねているんじゃないだろうか。
 まだパジャマ姿のネクロは、眠そうに目を擦った。
「んー、そんなにぃ? さっき見た時、そこまでおかしいとは思わなかったんだけどぉ?」
「……ぶっ、うっ、後ろがやばいよ、それ。たっ竜巻でも通ったみた……ぶふっ」
 後ろだから見えなかったのだろうか。跳ねている髪を直すように何度か撫でるけど、元に戻らない。
「ど、どうしたらそんなに跳ねるの……」
 俺はあんまり寝癖はつかない方だ。寝相が良いみたいで、余り寝返りを打たない。
 必死で笑いをこらえて何度も撫でつけていたら、ネクロが無言なのに気付いた。
「ん?」
 その時ついでに。ある事にも気づいてしまった。
 お、俺の下腹部に緩く硬い何かが当たっている気が……する……。
 気の所為!? うん、気の所為っ!!
「あー……軽く勃っちゃった……」
 気の所為じゃなかったぁああ!!
「お、お年頃ですもんねっ!」
 必死でフォローを入れる。
 仕方ないよ、朝勃ちくらいするさ! そうだよ、これは朝勃ち!
 起きてこんなに行動してるのに朝勃ちとかおかしくない? とか言わない!
 というか、こんなにその単語を連発させるなよ!!
「んー、ナトリちゃん、俺ナトリちゃんのこと、好きって言ったよねぇ……?」
 静かに微笑んだままネクロが耳元で囁いた。
「朝から好きな人にこんな事されたら、俺我慢できないけどぉ?」
 ……つまりネクロは俺に撫でられたから勃ったという事なのだろうか。
 うわぁい、俺みたいな可愛いくもなんでもない男に?
 こんな風に身体反応で示されると、好きなんだと突き付けられているみたいで、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「や……それはその……ご、ごめんなさい……」
 とりあえず謝るが、ネクロは熱っぽい息を吐いて腰を押し付けて来た。
「あーやばい。本当にヤバい。ねぇ、俺のこれ処理して――」
「何してんだ。朝っぱらから変なモン見せんな」
 押し返そうにもがっちりと抱きつかれ、どうしようと思っていると、襟首を掴まれ、ネクロと離された。
 上を見ると、不機嫌そうな顔をした先生が俺達を見おろしている。
 まあ……そうだよね、男同士でくっついてるのを見て何が楽しいって話だ。
「ったく、足音がしねぇと思ったらこんなとこで足止め食いやがって……」
「止めてよぉ、せっかくくっついてたのに〜……ん? ギリちゃんどっか行く訳ぇ?」
 先生を見て、私服なのに気付いたネクロは首を傾げた。が、直ぐにああ……と目をうっそりと細める。
「あー……そーゆーことね、一緒にお出かけぇ? ……ふーん……そっかぁ」
 ぶらぶらとネクロの尻尾が揺れる。
「じゃー俺もついてくねぇ」
 にぃっとネクロが笑って先生を見上げた。
 先生に襟首を掴まれているから、俺には先生の表情は分からない。
「別に良いでしょぉ? 俺がついて行っちゃいけない理由なんかないよねぇ?」
 ネクロは笑顔のままこちらを見るので、頷く。
「あ、うん。無いよ、俺は」
 そう言うと、上からから舌打ちが聞こえた。
「……ならさっさと着替えて来い」
「はぁい」
 じゃあ後でねぇ、とネクロは俺をぎゅっと抱きしめると自室に戻っていった。
「おいお前な……」
「はい?」
「……んでもねぇ、じゃあ待ってる間食堂で飯でも食うか」
「ああ、はい」
 先生は一瞬何か言いたげな顔をしたが、小さく溜息をついてまた歩き出した。




 時間が早いせいか、食堂の中はぽつぽつとしか人がいなかった。ちなみに皆私服だ。
 パン系の物を食堂で頼んで、先生と一緒に席に着く。
「先生……ご飯は?」
「あ?」
 いや、米は? という質問では無くて、お腹に何も入れないのかという質問だ。
 だって……コーヒーだけだし。
 俺も朝食は食べない事は時々あるけれど、それは寝過ぎて朝食兼昼食みたいになるからであって……。基本的朝食は欠かさずに食べる。そうでもしないとお昼までお腹が持たない。
 これでもお年頃なんでね! 成長してないなんて信じたくないけれど、例えしていなくても男子高校生は食う訳ですよ、ええ!
「朝っぱらから食えるか」
 眉を顰めて先生はコーヒーを啜りながら新聞を広げた。
 渋いなぁ……ブラック啜りながら朝刊読むのが似合う大人に、俺もなれるかなぁ……と、思いを馳せるが、想像がつかなかった。
 ジュース啜りながら週刊漫画雑誌を開くのが関の山のような気がする。
 まず無糖のコーヒーが無理だ。牛乳を増して、砂糖を足して、カフェオレみたくしないと飲めない。
「でも、食べないとお腹空きません?」
 チーズっぽい何かが混ざったパンを千切って口に放り込みながら聞く。うん。美味しい。
「あー……滅多に減らねぇけど……」
 朝刊に目を走らせながら先生は呟いた。
「今日は腹減るかもな……」
「出かけますからね」
 その言葉に頷くと、先生が急に腕を掴む。
「え?」
 そのまま千切ったパンを横取りされてしまった。
「あ、ちょっ!」
 俺のお金で買った訳ではないけれど、思わず非難の声が上がる。
「ちょっとぐらい良いじゃねぇか、ケチ臭ぇな」
 金の目を眇めて先生は全部口に入れると、最後にべろりと俺の指を舐めて離れた。
 その舌の感覚に、昨日のキスを思い出して背筋に痺れが走る。
 ちろりと覗く舌の赤に、思わず目が釘付けになってしまった。
「どうした?」
「あ、や、なんでも……」
 頬に血が集まりかけるのを、パンに齧りつく事で紛らわす。
 き、キスの経験はあるけど、ディープは初めてだったからさ! でもあれは薬を確かめるため……!
 だって、あの薬の瓶ラベルも何も貼って無かったし? 飲んで確かめる訳に行かないじゃん! そうだよ、別に先生に故意がある訳じゃないんだぜ、俺!
 口の中にパンがまだ入ってるのに押し込む。
 もっふもっふと咀嚼していると、小さな笑い声が聞こえた。
「何慌ててんだ。ついてるぞ、ココ」
 苦笑したまま、先生の指が俺の口元を擦る。
 カスを付けたまま食べていた羞恥と、さっきの分も合わせて、とうとう顔が真っ赤になるのがわかった。
「な……っ」
 そんな俺を見て、何故か先生も赤面した。

 ……う、うわい。何この変な空気! 赤面したまま無言で硬直して見つめ合うて!
 どうにか話をしようと思ったけど、口の中にはさっき詰め込んだパン。な、なんでこんなに詰め込んだ、俺!
 先生がなんか話してくれれば良いのに、硬直から冷めて無い。
 ああ、だ、誰かこの空気どうにかして!
「ミッツル――!!」
 どうにかパンを飲み下そうと頑張る俺の耳に、大声で名前を呼ぶ声が聴こえた。
 ようし、ナイスタイミングだぞ!!
 大声と共に誰か突進してくる。なんだか、もうこの衝撃に慣れてしまったような気がする。
 その衝撃でついでにパンの塊も飲み下せた。……死に掛けたけど。
「うっわ、なにこの格好! すっげぇ可愛い!! どこか行くのか? 行くのか? 俺も行く!」
 ばっさばっさと大きな音を響かせて俺をハグするのが誰かなんて、振り返らなくてもわかる。
「おはよう、アズ」
「ああ、おはよ!」
 紅の目を細める狼。
 アズも私服で格好良い、というかえらくパンクだ。似合っているけど。
 身につけているアクセサリーがいつもの五割増しな気がする。
「可愛いけど、何だこの服? くっさっ」
「く、臭いって……」
 余りの言いように顔が引きつる。まるで俺が洗濯をしてないみたいじゃないか。
「ああ、違うんだぜ? ミツルはすんげぇ良い匂いなんだけどな? 服が猫くせぇから……これ誰のだ? 服が無いのか? 言ってくれれば俺の貸したのに……あ、でもサイズが違うか。はっ、でも裾余らして俺の匂いに包まれてるミツルってどうよ!? うっわ、鼻血出そう、てか出る、むしろ出た」
 ぶつぶつ意味のわからない事を呟きながら鼻を摘んで上を向くアズは、いくら格好良い服と容姿であろうと、流石に格好良くなかった。
「お前も一緒に行くのか」
「は?」
 溜息混じりの声でようやくギリア先生の存在に気付いたのか、摘んでいた手を離してアズは顔をそっちに向けた。
 ……いつも思うのだけれど、アズが凄む顔って本当に怖い。
「“も”? “も”って何だよ先公。俺とミツルだけだろうが、ああ?」
「うっせぇなガキが。俺が買い出しに連れて行ってやるっつったんだよ」
「お前はここでお留守番でもしてろ脱皮野郎が。俺が責任持って連れて行くからよ」
「……お前な。今から進路指導室に連れて行って説教しても良いんだぞ」
「やってみろ。その前に殴り倒してやるよ」
 アズ何言ってんの!? 相手、先生だからね!? というか、この空気! さっきとは違う意味で居心地悪すぎる!!
「あ、あのさ」
「あん?」
「ああ?」
 金と赤の目が一気にこっちに向いて、心が挫けそうになった。
 思わず目線を反らして、もごもごと口籠る。
「俺、先生も一緒が良いんだけど……」
 かちゃん! と音がしたと思ったら、先生が唖然とした顔でこっちを見ていた。
 音は持っていたコーヒーカップをソーサーに落した音みたいだ。大丈夫だろうか。多少飛び散っているけれど。
「え、えとさ、俺ってアレじゃん? その……お金無いから……」
 先生がいないと、買い物に行ったって何も買えない。
 勿論、奢ってもらうつもりはない。領収書貰ってお金が手に入り次第お返ししなければ。でもとりあえず今だけは“先生”という立場に甘えさえて欲しい。
「……あ、そうかニンゲン、だもんな……」
 小さい声でぽそりと呟いたアズは、突然膝をついて俺と向き合った。
「大丈夫だミツル!」
「へ、な、何が?」
「俺達は何時か一緒になるんだから、俺の物はミツルの物だ。俺が買ってやる」
「い」
 一緒になるって何! いや、確かに告白はされたけど!
 真剣なアズの表情に思わず赤面する。これじゃまるでプロポーズみたいじゃないか……。
「あ、あの……その気持ちは嬉しいんだけど、俺そういうのはちょっと……その……肩見が狭いからさ。それに、俺、先生が一緒が良いって言ったのはもう一つ理由があって……」
「ああ、もう! そういう奥ゆかしいとこもマジ好き。毎朝俺に味噌汁――」
「そこまでねぇ……いい加減にしろよこの駄犬が」
 絶対零度の声と共に、ばしゃりとアズの頭に味噌汁が落された。
「ほーら味噌汁だよぉ。……良い夢見たか? そのままゴミ箱に捨てられて来いボロ犬が」
 余りの惨状に恐る恐る顔を上げると、真っ黒な笑みを浮かべたネクロが椀をひっくり返して立っていた。
「ま、間に合わなかった……」
 ぜいぜいとネクロの後ろで肩で息をする二夜。
 こ、こんな事になるかもしれないと思ったから、先生がいた方が良いかと思ったんだけど……。
 居てもあまり変わらなったみたいだ。



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