雪隠詰め | ナノ


▼ ルエト×満 A


 恋人の卒業と同時に一緒に暮らそうと告げ同居を始め、早三年。
 中々に幸せな毎日を過ごしている。
 俺は隣で寝ているそんな恋人を見て半ば途方に暮れていた。



(――眠い、けど起きないと……でももう少しだけ……)
 いつものパターンで二度寝に入ろうとした俺の髪に、さらり……と何かが触れた。
 あ、ルエトの指。これもまたいつものように「起きろ」と言ってくれるに違いない。その呆れながらも優しい声音が俺は大好きだ。
 折角だしそう言われてから起きよう、と思った俺の頭を指がさらさらと梳く。
(気持ち良い……)
 ほわほわとしながらその感覚を享受していたら、脚にパサンと何かが当たった。
(――?)
 何だろう。しっかりとした重みのある柔らかい感触。
 薄ら目を開けてそれを確認しようとしたら、また頭を撫でられた。
 嬉しく思うとまたパサン、パサンと太腿に当たる。
(――??)
 どうしても気になって目を完全に開けきると、ルエトが俺を見ていた。
 いつものどことなく暖かい表情ではなく、少し困ったような顔だ。……一体どうしたんだろうか。
「おはよう」
「……ああ」
「どうかした?」
 そう聞くとルエトは眉を寄せて更に困った色を濃くした。
 首を傾げると、溜息を吐かれる。
「お前……これどうした」
「これって?」
これ・・だ」
 ルエトの右腕が伸ばされて、俺の頭の上らへんをむぎゅっと掴んだ。
「いっ!?」
 見知らぬ感覚に思わず大声が出てしまう。でもそんな所に俺は何も無いはずなのだけれど……!?
「それとそれ・・も」
 ルエトの指した方を見ると。
「な、なんじゃこりゃぁあ!?」
 ふさふさとした尾がズボンから飛び出ていた。



「……」
 ち、沈黙が痛い…。
 起きたら俺に尻尾と耳が付いているから、冗談でつけているのだと思ったらしい。
 だけど試しに俺に触ってみたらまるで付いているかのように動くし、一体どんな反応をすればいいのか困っていたという。
 俺の尻尾をしげしげと眺めて、耳を穴が開くほど見つめた後ルエトは無言で考え事に没頭してしまった。
 こんな気まずい沈黙は久しぶりで、背中にはだらだらと汗を掻いている。
「る、ルエト……」
 おずおずと声を掛けるとルエトは、はっと俺を見る。
「あ、ああ。すまない。……何故こうなったのかと考えていた」
「うん。俺もそれは知りたい……」
 情けない気持ちで腰から生えている尻尾を見つめる。
 黒に近い濃い灰色で、ルエトのとは違って滑らかでは無いけどふさふさとした毛。ちなみに耳は三角で立っていた。
 動物の尻尾や耳がついていると三割増し可愛く見えたり、格好良く見えると思っていたが、耳と尻尾は人を選ぶみたいだ。
 俺に尻尾と耳がついても平凡は平凡のままだった。
「やっぱりそれはケイナインだな」
「うん、俺もそう思う……」
「む……」
 ルエトは眉に皺を寄せてまた考え込んでしまった。
 俺は勿論その間ずっと黙ったままだ。
「とりあえず今日は仕事を休め。突然だがやむを得ないだろう」
「そう、だね」
 確かに昨日まで無かった尻尾と耳を引っ提げて仕事場に行くのは、同僚もびっくりだろう。
「何か身体に不調は無いか」
「うん。今の所は」
「突然こうなったように突然元に戻れる可能性だってある。余り気に病むな。でも長引くならば一度医者に相談した方が良いかも知れない」
「そうだね」
 体調に異変を来している訳ではないし、俺もその方向で良いと思う。
 あっても別に困らないからこのままでも別に俺は大丈夫だ。知り合いに一体どうしたと言われるのが問題だけれど。
 ルエトの言葉に一つ頷いて、ふと時計を見て大声を上げた。
「ルエト、遅刻!」

 慌ただしげにルエトの用意を手伝うと、玄関先までついて行く。
「いってらっしゃい」
「ああ。何かあれば連絡しろ」
 そういえばこうやって見送るのは久しぶりだ。大抵俺達の休日は被るから。
 そうか、今日はこのやけに広いマンションの一室に一人っきりなのか……と思うと寂しくなった。
 でも口には出さない。というか出せない、そんな女々しい事。
 ちょっと待てばルエトは帰って来るのだし、それまでのんびりとしていようと決めた。
「それじゃ、いってらっしゃい」
 再度『いってらっしゃい』を口にしたらルエトがちょっと驚いたような顔をした。
 その後小さく笑うと手を伸ばして俺の頬を一度だけ撫でる。
「すぐ帰る」
 そう言ってドアから出て行った。

「……あー……何しようか」
 仕事先に連絡を入れ、持ち帰っていた仕事に手をつけていたけれど、休む予定は無かったので持ち帰ってきている仕事の量はそんなに無い。
 おかげで昼過ぎには仕事が終わってしまった。
 ルエトが帰って来るまでどうやって時間をつぶそうかと窓を開けて、すんと息を吸う。
「……あ、良い匂い」
 微かに吹く風の中に、ご飯の進みそうな美味しそうな匂いを見つけた。
 この独特な甘辛さの交じる香ばしい匂いはどこかで嗅いだ事が……。
「え。これって大通りの料理店の?」
 そうだ。先々週の休日にルエトと一緒に行ったあの料理店の看板メニューの香り。
 オリジナルのタレに漬け込んだとかなんとかで、とても美味しかった。
 味にうるさいルエトも満足げな表情をしていたから良く覚えている。
「でもあの店ってここからそれなりに遠かった…」
 まさか。でも持ち帰りは出来なかったし……とまで思って気付く。
 そうか、今俺は狗だから鼻が良いのか。犬って鼻が人間の何倍も良いって言うもんなぁ、と再度息を吸う。
 息を吸って、溜息を吐いて窓を閉める。
 ああ、ルエトの事を思い出して尚更寂しくなってしまった。
「久しぶりでも昼寝とかしてみようか……」
 余りに怠惰な時間潰しを思い付いて、俺は思わず失笑した。




 犬というのは耳から起きるんだと知った。
 ピクリと耳が動く。足音がする。
 なんやかんやで昼寝をしてしまった俺はムクリと身体を起こすと、寝ぼけた頭のままふらふら玄関へ向かった。
 玄関の上がる所にペタリと座り込むのと同時に鍵が回され、ドアが開いた。
「……ただいま」
 まさか開けた所に俺がいるとは思わなかったんだろう。ルエトは少し目を見開く珍しい表情をした。
 ……俺だって、まさかドアの前で待つつもりは無かった。
 でも何故か身体が動いてしまったのだ。
 そんなに寂しかったのかと思われるのが嫌で、いや確かに寂しくはあったけれども! 思わず俯く。
 「おかえり」も言わずに何してんだ俺! と更に顔を下に向けると、くすりと笑い声が耳に入った。
「ただいま」
 その笑い声に顔を上げると、面白そうにもう一度「ただいま」を言うルエト。
 何故か左頬がヒクついている。まあそれはおいといて、これはちゃんと言い直せるチャンスだと思って「おかえりなさい」と口にしながら小さく微笑む。
「ぶ……っ!」
 とうとうルエトは吹き出した。
「なっ!」
 何で笑うんだ!? 俺、今何か変な事言った!?
 爆笑することなんて稀なルエトが俺から顔を反らし、肩を震わせている。どうして笑われているのかさっぱりわからない。
「それ」
「え、どれ?」
 口元に拳を当てて笑いを堪えるルエトが目で指す方向に顔を向けて、思わず凍りつく。
 そこにはばっさばっさと勢いよく左右に振って喜悦を表す黒灰色の尻尾があった。
「ああ、もう!止まれってば!」
 必死で振られる尻尾を両手で押さえるけど勿論止まってくれる訳も無く、おまけになんとかが西向きゃ尾は東……なわけで、下手に身を捩ると伸ばした手から尻尾は逃げて行く。
「ちょ、も、くそっ!」
 自分の事なのに上手くいかないのはかなり腹が立つ。
 いつの間にか俺はルエトの前にいる事も忘れて尻尾と格闘していた。
 漸くはっと我に返ると、そこには呼吸困難になるほど笑っているルエト。
「ひ、ひどい」
「ああ、いや、すまない」
 笑いすぎで腹筋が痛むのか、お腹に手を当てて涙を滲ませながら悪びれた様子もなく謝罪を口にする。
「死ぬまでにこんな笑う事があるとは思わなかった」
「……そうですか。そんな笑いをとれて恭悦至極」
「そう拗ねるな」
 治まりきらない笑いを含んだまま、ルエトの手が俺の髪を梳く。
 また小刻みに動き始める尻尾に、ルエトはふと悪戯を思い付いたような笑みを向けた。
「可愛いな」
「なっ」
「可愛い。帰りを待っててくれて嬉しかった」
「……っ!」
「ありがとう」
 そのまま片腕で抱きしめられる。
 凄く嬉しい。だってルエトはいつもはこんな事言わない。いつも目で静かに笑うだけだ。こんな事、本当に稀なんだ。
 だけどバタバタと煩い位振られていた尻尾は、だんだんゆっくりとなって、最後には力なく垂れ下がった。
 嬉しい。嬉しいけど……。
「……? どうした、嫌だったか?」
「……そ、れってさ、お、俺がこんな状態だから言うの……?」
 口にした瞬間、ぽろっと涙が零れて、鼻に当たるスーツに包まれた肩に落ちる。
 ああ、何でだろう。たかが留守番でこんな気分が高まってしまったことなんてなかった。
 でも涙は止まらなくて、慌てて顔をスーツから離す。
 ルエトはびっくりしたのか硬直し、すぐさま俺の頬を拭ってくれた。
「嬉しいよ。嬉しいけど……嫌だよ。それは嫌だ」
 俺を喜ばせたい為に、心の伴わない言葉を囁かれるのは嫌だ。
 それなら言葉なんていらない。いつもみたいに静かに笑みを浮かべてくれるだけで良い。俺にはそれで十分だから。十分嬉しいよ。伝わるよ。
「ミツル、違う。いつも思ってる。いつもお前には感謝している」
 本当に、ありがとう。
 そう言って髪に唇を落したルエトに、思わず涙も気にせずしがみ付いてしまった。

 暖かい腕の中はとても気持ち良くて、留守番中の寂しさを埋めるように鼻を押し当てる。
 鼻が良いからか、いつもよりもずっとルエトの匂いが分かった。
 日向の匂いと、少し芳しい花の様な匂い。
 ぱたぱた揺れる尻尾はもう気にしない事にしておく。
 ――気にしない事にしておいたのに、ルエトは気になるようだった。
「にしても、分かりやすいな。感情が」
 楽しそうに呟きながら尻尾の毛に指を絡められる。
「うっ!?」
 その途端、鈍い快感がぞわわっと背筋に昇って来た。
 それは凝った肩を揉まれる様な心地良さではなく、甘い情欲をなぞる物で、俺は背中を反らして快楽を逃がす。
「中々……こうして見ると狗も可愛い」
「う、あ、止め、止めて……っ」
「何がだ?」
 冷たく見える翠緑の瞳を楽しそうに細めるルエトの表情は、面白い玩具を見つけた子供のように輝いていた。
「あ、あ、も、もう止めて……っ本当、だめだってば……っ!」
「そうか? 尾は喜んでるけどな」
「違っ」
 へっぴり腰でルエトから逃げるけれど、腰を上げた状態で逃げようとしたら尚更尻尾を掴まれる。
 毛に指を絡ませられ、根元を擽られ、とうとう俺はその場で肘を崩してしまった。
 震える身体に、力が抜けた尾がルエトの手からずるりと抜け落ちた。
「ベッドに行くか?」
「だ、駄目。だって夜ご飯が……」
「まだ夕方だ」
「え?」
 腕時計を見せられてびっくりする。本当に夕方だ。昼寝から覚めた後時計を見ていなかったから分からなかった。
「で、でもなんでじゃあ帰って来てんの!?」
「朝、あんな顔と力なく垂れた尾を見て、長く仕事なんてできない」
 再度「ベッド、行くか?」と目を細めたルエトに、唖然とした俺の代わりの返事をするようにパサリと尻尾が振られた。




 ルエトの身体はいつも綺麗だと思う。
 最初の頃は片腕が無い事を気にして着衣のまましていたけれど、今は躊躇いも無く脱いでしまう。
 白い肌のその身体は何かの像かのように引き締まって均整がとれていて、麗しいと表現して良い顔が無くても十分綺麗だと思えるだろうと思った。
 だから彼の無い左腕は、石灰で出来た像が何かの拍子にポロリと取れてしまったのではないかと時々不謹慎な考えがふっと浮かぶ。
 知っている。教えてもらった。
 これは彼が守りたい存在が持って行ってしまったという事を。
 俺は身を起こすと今では薄い皮で覆われた滑らかな断面に唇を落し、右手を持ち上げて頬を寄せた。
 そしていつも儀式の様に言っている言葉を囁く。
「……こっちの腕は、俺にください」
 俺は、全部ルエトにあげるから。
「ああ、お前にやる」
 いつも通りルエトは微笑んで返してくれた。


「もっと腰上げろ」
「う、う……」
 涙ながらに後ろにいるルエトに向かって腰を突き出す。
 ルエトは片手が無いから穴を解していると、俺の体勢を整えることまでは出来ない。
 だからこうやって自分から解しやすいような格好をしないといけないのだけれど、これがまた自分から強請っているようで恥ずかしい。
 でも自分で解すのはもっと恥ずかしいから、いつもこうやって赤面したまま死にそうになって解してもらう。
「尾で隠すな。やりにくい」
「お、俺だって好きで隠してるんじゃ無い……っ!」
 枕にしがみ付きながら訴える。
 気持ち良さと、恥ずかしさで尻尾が足の間に入ろうとしてしまうのだ。
「一度出すか?」
「う、や、やだ。一緒に……」
「わかった」
 髪に優しく唇を落され、ルエトの熱が後孔にピトリと当てられる。
「――挿れた瞬間に逝くなよ」
  その台詞と共に埋められた質量に俺は声も無く叫んだ。
 尻の筋肉が一気に緊張して、枕を胸元に引き付けるかのように掻き抱く。
 ひっひっと息をして、焦点の定まらない目がベッドの頭をうろうろと彷徨った。
 本能的に逃げようとする身体を、ルエトは腰を引っ掴んで止めようとして……ふと良い物を見つけて、いつもとは違う物を引っ掴んで、腰を押し付けた。
「あぁあ――っ!?」
 びりっと全身走った感覚に大声を上げる。
 身体を戦慄かせながら振り返ると、ルエトが俺の尻尾をまるで畑から大根でも引き抜くかの様にがっしりと掴んでいた。
「あっ、なっ、ど、どこ持ってっ!」
「ん? ああ。ついてるから思わず」
 場違いなほど爽やかな声音で言い放って、抜き挿しを始めたルエトに腰が逃げる。
 でもそうすると尻尾がリードの様に俺を引きとめて、自分から刺激を与えてしまう事になってしまった。
「ひっ、ぁあっ、あっふっあぁあ、止めてっし、っぽ、さわら、ないでっ!」
 腰を振りながら尻尾も弄られて、気の狂いそうな快楽に悶える。
 ああ、あ、止めて。止めて欲しい。指先でくるくると毛を弄ばれると、腰ががくがく震える。
「ああ……そうだ。こうやってたらお前のに触れないな……」
 お前のとは俺の先走りに濡れる逸物の事だろう。
 俺は初めてルエトに片腕が無くて良かったと思った。
 尻尾と、ペニスと、後孔の三点を責められたら俺は絶対腹上死する。いや厳密には腹下死かもしれないけど。とにかく死ぬ。
 だからルエトの手が前に回って来た時、完全に俺の意識は尻尾から離れていた。
「っひ!?」
 叫んだのはだらだらと先走りを零す先っぽを弄られたからではなく、尻尾をなぞられたから。
 さっきみたいに指で弄られるような強い刺激では無いけれど、とにかく触れらた。
 まさか。
 だってルエトの腕は前にある。
 驚いて後ろに首を捻って、そして後悔した。
「あ、あ、あ」
 俺の尻尾に絡みついているのは、俺の尻尾よりも毛の短い、でも尚濃い漆黒の尾。
 それがまるで指を絡め合うように絡められている。
 するする動くルエトの尾は優しく、ゆっくりと着実に俺の尾に巻き付く。
 その行為はまるでとても甘い睦言を囁かれているようで
「駄目、ダメ、だめっ! あぁああ!!」
 決定的な快楽を与えられたためではなく、俺はその光景を見て達してしまった。
 達した瞬間に引き絞られた後孔にルエトが呻き、どくりと白濁を中に吐き出したのを、ぼんやりとした思考の中で感じた。




 髪を撫でられる感覚で目を開ける。
 今朝の様だなと思いながら目を細めると、キスをされた。舌を入れない浅いキスを繰り返しながら目を伏せる。
「尾、無くなったな」
「え、嘘!」
 慌てて確認すると、本当に跡形も無くなっていた。
 一体なんだったんだろう……。
「……残念?」
「何故?」
「……なんかルエト、凄い気に入ってたから……」
 俺はあっても無くてもまあ支障はなかったし……と思っていたら、唇に再度キスが落された。
「ミツル」
「ん?」
「愛してる」
 不意打ちの言葉に思わず赤面する。
 その顔にルエトは満足そうな表情をした。
「お前は分かりやすいから」
 別に無くても俺は楽しめるし、それに……。
「俺は尻尾を愛している訳じゃない」
「……っ」
 ああ、なんて恥ずかしい事を言うのか。
 でも今俺にまだ尻尾が付いていたら、千切れんばかりに振られているんだろう。
「晩飯、前ミツルが美味いって言ってた店に行くか?」
「……うん」
 そっとさっきの尻尾のように俺達は指を絡め合った。






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