雪隠詰め | ナノ


▼ ギリア×満


「ナトリ」
 何度目か分からない声を掛ける。
「おい、こら起きてんのか?」
 何度も扉を叩いた。だけども返事は無い。しかしこの部屋に居るはずなのだ、多分。
 三日前からナトリが欠席していた。
 風邪でもひいたかと思っていたら二夜が困った顔をして呼びに来てこう告げたのだ。
 ――ドアを叩いたら『大丈夫』という返事はあったが、一向に開く気配がない、と。
 冷蔵庫の中には買い置きしておいた冷凍食品が少し入って有る筈だから、食堂に少しの間行かなくても大丈夫だろうが、それもそろそろ無くなる頃だとも言っていた。
 ドアを開けるのも億劫なほどの病気なのではないかと心配でたまらないのだろう。
「……おい、開けるぞ」
 職員は担当教室の生徒の部屋のマスターキーを持っている。
 もちろん緊急事態以外の使用は禁止されているのだが。
「これは緊急……だよな?」
 臥せっているであろう相手の部屋に無断で入るのは気が引ける。それが気になっている相手ならなおさらだ。
 無言で鍵を回し、ドアを開け、中に入った。
「……ん?」
 鼻孔を何か甘い匂いが擽る。
 どこかで嗅いだ事のある匂いな気がするが、何か思い出せない。
 首を傾げながら部屋を見回して何故かうっすら背筋が寒くなった。
 余りに――生活感がない。
 三日も病気で籠っていれば、もっと散らかっていても良いだろうに、小さなキッチンも、ソファーも小奇麗で、ゴミなど無かった。
 まるで“使っていない”ように。
 思っていたよりも深刻なのではと焦り、寝室のノブを握り引いた。
「……っ!!??」
 中に入って思わず息を呑み、自分の鼻と口を覆う。噎せ返るほどの甘い匂い。
「……んだこれ……っ!!」
 くらくらと脳髄に響くその匂いを振り払うように背を向け、ベランダに駆け寄り窓を開け放った。
「ふっ、はぁー……っはぁ」
 新鮮な空気を肺に取り込みながら再度口と鼻を掌で覆い、再度寝室に入る。
 そこにシーツに包まってだらりと弛緩するナトリがいた。
 鼻を覆うのも忘れて駆け寄り、抱き起こす。
「ナト……リっ!!」
 シーツが捲れてナトリが見えた瞬間に匂いが強くなった。
(――匂いの元凶はコイツか!)
 鼻に対する暴力のような匂いにナトリを抱きしめたまま呻く。甘い匂いとナトリ自身の匂い――。
 匂いに疎いサーペントの自分でさえこんなに感じるのだ。
 ケイナインフィーラインならどれだけ辛いか。
「……せんせ……?」
 か細い掠れた声が腕の中から聞こえた。
「気付いたか!? お前いったいどうし……!?」
 もぞりとシーツを纏ったままのナトリが、喉をべろりと舐め上げて来た。
「おい!?」
 そのまま俺のネクタイを緩め、ボタンを外し始めるナトリに慌てる。
「本当にどうした!?」
 どうにか引き剥がし、顔を自分に向かせる。そしてその表情に再び息を呑んだ。
 泣きそうな目、切なそうに寄せられた眉、荒く息を吐く唇、良く見ればナトリは上にワイシャツのみで下は下着だけというなんとも目に毒な格好をしていた。
「お……ま、え」
 体中の体温が上がる。
 呆然とした隙を利用してナトリが自分を押し倒し、腹部に馬乗りになってきた。
「俺、ごめ……ごめんなさい……俺、俺……っ」
 ぼろぼろと涙を零しながらナトリは謝った。
 片手で顔を覆いながら、もう片手でナトリ自身のシャツのボタンをゆっくりと外していく。
 その行為から目を離せない。唾液を嚥下する音がやけに大きく響いた。
「疼くんです……っ、もう、我慢……できなくてっ」
(そうだこの匂い、発情期の雌の匂い……!)
 ナトリからは発情期の雌のあのどことなく甘い、雄を誘う香りを何倍にも強めたような匂いがした。
 馴染みのある匂いなのだが、今は発情期の時期ではない事、ナトリは男であり、おまけにニンゲンである事がその可能性を端から消していて気付かなかった。
 異性の発情期の匂いというのは相手の発情を煽る効果がある。
しかし、サーペント以外のケイナインフィーラインバード、その他の奴らは同時期に発情期が来るから相手の発情に誘われて……というのは余りない。
 じゃあ脱皮後が発情期となる蛇はどうなのかというと、自分は発情期ではないが相手が発情期なので誘われる事は確かにある。
 確かにあるが、そういうリスクを負ってる分、蛇は相手の発情期に対しての免疫というか自制心が強い。
 だから相手に誘われるがまま……という事は中々ない。
 おまけに自分は男子校に勤めている。
 蛇以外の奴らが発情期の時に街に出なければ、発情中の異性に会う事もそうそうない。というか分別ある奴は周りに迷惑をかけるから発情期中に外を出歩かないのだが。
 ……でもまあ、いる事はいる。出歩く奴も。
 それはおいといて、そんな蛇でも、通常じゃありえない濃さの異性の発情期の匂いを突き付けられて欲情しないわけがない。
 それも気になっている相手の痴態付き……。
 これで勃たない奴は病院に行け。ある意味変態だ、そんな奴。
 はっきり言って、もう何も考えずに押し倒したい。
 押し倒して、貪りたい。
 が、一抹の不安が足の関節が真逆に向くんじゃないかと思うくらい踏ん張ってその欲望を押さえていた。
「お前、どうしてこんな風になっちまったんだ……?」
 ナトリは男だ。なのに雌の匂いを撒き散らしているのはどういう訳か。
 抱いて欲しいという発情の表現をする雄はいる。いるが、雌の匂いをさせる訳ではない。
 そもそも満はニンゲン。発情期があるはずない。
 そう、つまりはそれ。
 ありえない、異常な事が起きている相手を抱く訳にはいかない。
 悪化させてしまう可能性だって捨てられない。
「なんか食ったか? それとも嗅いだとか……」
 そんなことで俺らは発情期になったりしないが、満はニンゲン。あるかもしれない。
 満はというと、前を肌蹴た後はずっと顔を覆っている。どうしたいのかよくわかっていないのだろう。
「ナトリ、答えてくれ」
 言っておくが、こんなやりとりを半裸で、前が肌蹴た相手を下腹部に乗せて、匂いに包まれながらしている。
 俺ってこんなに辛抱強かったか? と思うくらい蛇の自制心をフル動員しているが、それももう限界に近い。
「ナト……」
「わ、かんないっ、そんなの!」
 急に満が顔を上げると大声で叫んだ。
「もう、もう……っ、頭が……おかしく、なる……っ」
 そう言うと後ろ手に回すと俺のアレを思いきり握って来た。
「う゛あ゛!?」
 半勃ちのそれを握られて悲鳴紛いの呻きを上げる俺に、満が蕩けた顔で囁いた。
「……コレ、俺にください……」
 もう、いいな? 理性とか自制心とかさっさと撤退しろ。
 つーか、強制終了だ。俺が理性だ?もういいだろ、もともとねぇよそんなもん!
 自分の体の事くらい手前が一番分かってるだろ、そいつが欲しいって言ったんだ。
「……ならくれてやるよ……!」
 腹筋を最大限に使い、満を腹の上に乗せたまま上半身を起こすと、放り投げるかの如くベッドに満を押し倒す。
「存分にな」
 舌嘗めずりしながら俺は満に覆いかぶさった。


 だからと言ってすぐさま突っ込むという行為に及んだ訳じゃない。
 いや、出来ればそうしたいのも山々だったが、ナトリに痛い思いはさせたくなかった。
 ナトリの僅かな衣類を全て剥ぎ取り、自分も上を脱ぎ、膝立ちしながらシャツを脱いでいると、生温い快感が走った。
「うっ!?」
 慌ててシャツを脱ぎ捨て、視界が開けると、目を疑うような光景。
 ナトリが俺の前を寛げ、ナニを取り出して触っていた。
「あ、のなぁ……」
 目の端を歪めて笑う。
「んなに欲しいのかよ……」
「……うん、欲しい……」
 もちろん冗談のつもりだったのにナトリは素直にこくんと頷き、まるでマタタビを目の前にした猫のように酔った目をした。
 もう下を脱いでいる余裕さえ無いままナトリの唇を奪う。
 その柔らかさに背筋が震える。
 隙間から舌を差し込み、ナトリの舌と絡めてどちらのとも分からない唾液を啜った。
 ナトリを下に組み敷き、舌を首筋、鎖骨へと這わす。
「ふぅ……ん、んっ」
 吐息に煽られ、胸の飾りを口に含むとナトリの腰が浮いた。
 上目遣いで見ると自分の指を咥えて声を耐えている。
「あっ! ん……」
 舐め、吸い、噛む。
 その行為を続けたままナトリの両脇に置いていた腕を今から俺を受け入れる場所を解す為に下肢に伸ばし……伸ばしかけてピタリと止まった。
 さっきからやけに水音がしてないか?
 いや、俺が乳首吸ってるってのもあるんだが、この濡れた音は……。
 恐る恐るというか、期待というか、色々な気持ちで目をナトリの下肢に向けて脳天を殴られた様な衝撃を受けた。
 ナトリが自身で後孔を解していた。
 既に二本の指を咥え込み、ゆるゆると抜き差しされている。
「ん……ふ、早く……」
 あー……理性ってか、なんてゆーか……あれだな。
 何かが切れる音ってマジですんだな。

 ナトリの指を掴んで抜くと、非難めいた声を上げる。
 物欲しげに開閉するそこに自分の指を入れた。
 ずちゅ、ずちゅ、と激しく音がするまで動かし、指を増やす。
「ああぁっ」
「きっつ……こんなんで俺の入んのか? ああ?」
 口の端を上げて勢いよく指を抜き差しする俺の腕を掴んで、ナトリが震える口を開いて言葉を紡いだ。
「ひぁっ、あっ、ああっ、無理でも、いれて……ぇっ!」
「……ちっ!」
 指を抜いて、自分の怒張を宛がう。
「煽りやがって……知らねぇから、なっ!」
 捨て台詞と共に腰を前に進めると怒張がナトリの中に埋まった。
「あぁああぁっ!!」
「……く……っ」
 きつく、熱いそこに脳が溶けそうになる。
「あああ、熱、あつい、あつ……っ!!」
「手前の方がっ、熱いっての!」
 本能のまま腰を打ち付けると同じリズムでナトリの腰が浮いた。
 それが何故か快感だ。
 空っぽになった頭に甘い匂いがなだれ込んでくるが、それよりもナトリ自身の匂いが欲しくて肩口に顔を埋めた。
「あ、ひぁっ、あうっ、あぁっあっ」
「……く……あっ、好きだ……っ」
 ぽろりと出た言葉にああ、やぱり好きなのかと自覚する。
 こんな状況で自覚するなんてと失笑するが、自分らしいと言えば自分らしい。
 自覚すると止められないのが生き物で。
「好きだ……っ、好きだ……っ」
 欲望を押し込めながら何度も繰り返した。
 実らなくても良い。忘れてくれて良い。
 ただ、今だけでも良いから伝えたかった。
「お、れ……も……」
 そんな俺に掠れた声で、確かに「俺も」と聞こえた。
 ばっと顔を上げると、ナトリがうっすら笑みを浮かべて俺を見ている。
「お……れも、す……き、せんせー……」
「……!!」
 やばい、達く。
 慌てて外に出そうとしたのに、ナトリが腕を掴んで「なかに、ちょうだい……っ」とか言うもんだから
「くっ……そ……っ」
 ナトリの中にどくどくと注いでしまった。
 息の詰まりそうな快感が収まり、ナトリの表情を窺うと恍惚とした表情で「なか、に……いっぱい……」と呟くのが聞こえた。

 第二ラウンドに持ち込まれたのは言うまでもない。




「あー…」
 朝、目が覚めると横には全裸のナトリがいた。
 いや、忘れてない。忘れるはずがないんだが、本当だったんだな…と現実を見せ付けられた。
 あの変に甘い香りはさっぱりしなくなっているから治まったととっていいのだろうか。
 がしがしと頭を掻き、とりあえず一服…と自分の上着に手を伸ばすと背後でごそりと動いた気配がした。
 その気配はそろそろと俺から離れようとしている。
「おい、こら」
「……ひっ!」
「何逃げようとしてんだ、ああ?」
「いや、これは……そのっ」
 振り向くと腰を庇いつつナトリが慌てて手をぶんぶんと振っていた。
「……逃げようとしてたっつー事は覚えてんだな? 昨日の事……」
「あ、ああ……あのっ」
「覚えてんだな?」
「……はぃい」
 火のついてない煙草を咥えたままほっと一息をつく。
 覚えてない相手に、何故自分が全裸で俺が半裸で一緒に寝ていたのかを一から話すのは面倒くさい。
 まあ、俺が空気に呑まれてコイツを抱いた事実は変わりようがねぇんだけどさ……。
「昨日はその……すまなか」
「ごっ、ごめんなさい””」
 余りの勢いに一瞬呆気にとられた。
「俺、所々覚えてないけどっ、あれ、俺から……俺から、さ、誘ったんですよね!?」
 顔を真っ赤にしながら謝るナトリ。
「うわぁぁあ!! も、本当、忘れてください! いや、それは都合良すぎるけどっ! 俺、あの時はどうかしててっ! 本当、ごめんなさい……っ!」
「……忘れねぇ」
「う、ですよね、ごめんなさ」
「好きな奴抱いて忘れられる訳がねぇだろうが」
「……え」
 ぽかんと俺を見るナトリに苛々した。
 所々忘れてるだと? だったらもう一度思い出させてやろうか、この野郎。
「だ、だって、だって、あの時は俺変だったし、先生もその……」
 なんだ。一番大事なとこは覚えてんじゃねぇか。
「俺はその場の空気に呑まれて抱いたとしても、呑まれて告白はしねぇよ」
 呆けた顔をしていたナトリはその言葉に全身赤くなった。
「じゃ、じゃあ本当に……」
「むしろお前はどうなんだ」
 あの時の「俺も」は本当なのか。むしろお前こそ呑まれて言ったんじゃないのか。
「……俺、も……呑まれて言った訳じゃなくて……」
 前から好きでした……とごにょごにょ言ってるナトリを抱きしめた。
「よし」
「あ、あのっ」
「安心しろ。責任とって死ぬまで面倒みてやる」
「え、ええ!? そ、それって……」
「嫌か」
「……よ、よろしくお願いします……」
「よし」
 じゃあもう一回な。と言ったら横っ面を叩かれた。

 ……まあ、こういうのも悪くない。




<余談>
「で、なんであんな風になったんだ?」
「それが俺にもさっぱり……いつも通りのご飯食べて、いつも通りの事をして……別に特別これと言って……」
「アレは完全に雌の発情だったぞ。だからされたことも無いのに突っ込まれたがって――」
「うわぁあああ!! 止めて! 蒸し返さないでくださいぃ!!」
 顔を覆い絶叫する満。
「本当、俺じゃなかったんですよ! 頭の中で、欲しい、欲しいって――あ」
「んあ?」
 ぎしぎしと軋む音がしそうな感じで満が俺の方を向いた。
「い、いや……四日前、学校の少し外れに墓場があるとかで、二夜達と肝試しに行ったなぁ……と」
 ははっまさか、ね……と乾いた笑い声を上げる満の顔は引き攣っていた。
「そりゃ…笑えねぇな…」
 ははっと一緒に笑って見せた俺の顔も多分引き攣っていたと思う。

「それにしても、仮に幽れ」
「あ――!!」
「……はいはい。それの所為だとしたら駄目だな」
「何がですか?」
「いや、時々昨日みたいになって誘ってもらおうかと思ってたん――」
 また横っ面を叩かれた。



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