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その後、俺達は駆けつけた先生に散々怒られた。
ルエトさんとラージュさんは仲裁に入っただけだったので先に返されたが、俺達は小一時間はこってりと絞られた。
けれど叱られている間に、少しおかしかったネクロもいつもみたいに戻っていた。それに少し安心したが、それでもお咎めが終わって三人各自の部屋に戻る間、アズとネクロの間にぎすぎすとした空気が漂う。その空気に耐えられなくなって、口を開いた。
「あ、あのさ、キス程度で済むなら俺別にホント――」
「ちょっ、ちょっとまち」
俺の言葉をネクロが慌てたように遮る。アズに殴られた頬が痛々しい色になっていて、見ているこっちが痛い。
「さっきも思ったんだけどね、ナトリちゃんキスに関する恥じらいとかないよね……?」
「え?うん、キスは俺あんまり抵抗ないし……」
その言葉にビシリと二人が固まる。
「「はい?」」
死んだ俺の母さんはそれはそれは明るい人で、ちなみに帰国子女だった。といっても、普通の日本人だ。出て行った父さんもそうだと聞いているから俺も純粋な日本人なのだけど。
そんな明るくて帰国子女の母さんは愛情表現もそれは大げさで、骨が折れそうになるようなハグは勿論、おはようのチューから行ってきますのチュー――とかなりキスをされて俺は育ってきた。
大抵は頬なのだが、物凄い喜んだ時とか酔ってる時は唇にされたこともある。
小学校の時に親友にしたら、真っ赤になって怒られたから家族以外には余りしないようにしていたけれど、キス自体に抵抗は無く、おかげさまでファーストキスもなんだか周りに流されて十四の時、女子とその場でしてしまったくらいだ。
豪快で明るかった母さんの神経は、おじさんに近かったんじゃないかと今ではしみじみ思う。と、二人に話すとぽかんとした顔で俺を見ていた。
「あ、あいさつ……」
だったら俺発情期にして欲しかった……あ、そりゃだめか、俺が抑えらんねぇもんな……と、まるで口から魂を出しているような呆けた表情をして、アズがぶつぶつ呟いている。
「な、なるほどねぇ……なんかナトリちゃんのその性格にも納得できるママさんだねぇ……」
ネクロが引き攣った顔で笑った。
「道理で初心な割に鈍い訳だ……。んー……じゃあどうしたらナトリちゃんは恥ずかしがるのかなぁ……?」
小首を傾げるネクロに悩む。恥ずかしがる……というか初心な割に鈍いって何だ。別に初心でもなければ鈍い、訳でも無い気がするんだけど。……そりゃ鋭いとは言われたことないけどさ。
「うーん……人前で転んだり、変なくしゃみしたりしたら恥ずかしいけど?」
「んんーそうじゃなくてねぇ」
ナトリちゃんが照れたのってぇ……と呟いた後、何かに気付いたように、あ、と声を上げた。
「前俺にベランダで抱きしめられた時は恥ずかしがってたでしょ?あれは何でぇ?」
「え?あーあれは」
なんかネクロが凄く大人の男性に感じて……と言おうとして、俺はまた赤面した。
「あ!照れた!」
何で?ねえ何で?と嬉しそうに絡むネクロを赤面したまま無視する。
部屋に帰るまでの間アズは呆けたままで、ネクロはねえねえと俺に絡んでいた。
「じゃあね、アズ」
「おおー……」
別れ際もアズは心ここに非ずで、ふらふらと手を振ると行ってしまった。
「……真っ白だね」
思わず呟くと、後ろからネクロが抱き着いてきた。
「どーでもいーじゃんあんな駄犬んー」
そのまま俺の肩に顎を乗せてカクカクと揺らしてくる。
「ね、ナトリちゃんのキスは恋愛感情の表現では無いわけでしょ?ならナトリちゃんの恋愛感情の“愛情表現”はどうするのー?」
「うーん、普通に好きです、傍にいたいです、って伝えるけど……」
普通に答えたつもりだったのだけど、ネクロは口笛を吹いた。
「おっとこまえー……でもさぁ、ナトリちゃん分かってるー?ナトリちゃんにとってキスは挨拶でも、俺にとっては恋愛感情の“愛情表現”なんだよぉ?冗談で自分からはしないからねぇ?」
まぁそうか、そうだよな……あれ?じゃあそれって――。
「俺はナトリちゃんの事、友達じゃなくて恋愛対象として好きってコト」
俺はね、“ナトリちゃんが好き。傍にいたい”んだよ。そう熱っぽい声で囁かれて、俺は耳朶に軽くキスをされた。
う……うんと、どうしてこうなったんだ?
俺は冷や汗を掻きながら小首を傾げる。
さっき俺はネクロに告白されて。ここは俺の部屋で。うん。よしよし。合ってるぞ、俺。
……で、ネクロに包まれるような形で座っている、と。
おかしい、おかしいだろ。
あの後、いったい俺はどう反応をすればいいのか分からなくて硬直していると、ネクロは急に「このままじゃ顔腫れちゃうからさぁ、ナトリちゃん手当てしてぇ」といつもの軽い口調で言った。
え!?今の流れからそうくるの!?と驚いている間もなく、「マジで痛い……」と苦しそうな声で言うもんだから、ただでさえ許容量オーバーで混乱していた俺は、慌ててネクロの部屋よりも現在地から近い自室にネクロを連れて入った。
それからソファーに座らせ、冷蔵庫から氷を出して、袋に入れて、タオルと一緒に持っていって――差し出した手首を掴まれ、引き寄せられてこうなっている。
「だぁめだよぉナトリちゃん、警戒心無さ過ぎでしょー。俺ナトリちゃんの事好きっていったじゃーん。オトコには気をつけないと」
骨の髄までしゃぶり尽くされちゃうよ?と笑いを含んだ声が後ろから聞こえた。
離れようにも、がっしりとネクロの左手が腰にまわされている。右手は多分、渡した氷嚢を頬に押し当てているんだろう。でも右手のかわりのように、オレンジの尻尾が腰にまわされてしまっている。
「いーい?相手がどんな苦しそうな声を出しても、可哀そうなこといっても、泣いても、喚いても、悲鳴あげても、悶絶してても部屋にいれちゃだーめ」
「いや最初の二つくらいはなんとなく分かるけど残りは助けがいるでしょ明らかに!?」
「んー俺は助けないけどぉ。とにかく、騙されちゃだめぇってことー」
「いやいや……って、ん?」
騙す……?
「ネクロ、さっきの『マジで痛い』って……」
ネクロは沈黙の後、んふ、と笑いを零した。
「騙しちゃった〜、ってもホントに痛いけどねぇ。あの駄犬。今度使い物にならないくらいにアソコぐちゃぐちゃにしてやろうか……」
「ぎゃぁあ!痛い!痛いよ!?」
地獄から響くような声で呟いたネクロの一言は、男には恐ろしい内容だ。ちょっときゅっとした。
「まぁそれは置いといてぇ、気をつけるんだよー?」
「は、はい」
冗談のような響きをしているが、冗談ではないのは俺でもわかった。気圧されるように頷くが、それからしばらく無言が続いた。
ごろごろと肩辺りから喉の鳴る音が聞こえる。どれくらいの間その沈黙が続いただろうか、俺の背中にぐりぐりと頭を擦りながらネクロが口を開いた。
「あのねぇ……ナトリちゃん。俺の話聞いてくれるー?」
「うん?」
「俺、猫王第二候補だったのぉ」
「うん」
ルエトさんが言ってたのを俺も聞いた。驚いたと言えば驚いたけど、だから≪追いかけっこ≫の時に、あんなにネックレスを取って来れるのだろうと納得できた。
「おうっ?」
それに頷くと、グイッと脇腹に回されていた腕に軽く身体を浮かせられ、反転させられる。そしてそのままネクロが覗き込んできた。
「ね、俺の目ぇ何色?」
「え、えっと、緑……?」
明るい若葉の様な色。そう言うと、ネクロはその目を細めた。
「ピンポーン。猫の王様になるための必須条件は緑の目ってのは知ってる〜?ナトリちゃん達、
「しら、ない……」
俺は鳥と言われたことに若干の後ろめたさを感じながら、首を横に振る。言葉に詰まった俺に気付かず、んふ、と笑ってネクロは口を開いた。
「猫王は翠の目を。狗王は紅の目を。鳥王は蒼の目を。蛇王は黄金の目を――。それが昔からの必須条件なんだよぉ。それぞれのグループの、初めてニンゲンの姿になったご先祖サマへの敬意とかなんとか〜らしいのねぇ。で、俺はそれを持って生れてきたってわけぇ」
ネクロはどこか遠い目をする。
「ライオンとか虎とかじゃなくて、ただの猫で緑の目ってのはありふれた事じゃないからぁ、俺の両親はもう狂喜乱舞」
それは子供に向ける愛情が『王』という座に対する執着へと形を変えるほどにね、とネクロは口の端を歪めた。
「でも猫王サマ、ちっさい頃から強いわ、頭良いわでぇ……。異例な程早く王候補として決定して、俺の王サマ路線は途絶えたって訳〜」
別に王サマになりたいワケじゃなかったから、別に良かったんだけど とネクロは笑う。
「ま、ついでに両親の俺への興味も無くなっちゃったんだけどねぇ」
そう言ってネクロは暗い目をした。ネクロの指が俺の頬をゆるゆると撫でる。
「自分で言うのもなんだけど、俺は綺麗な愛し方を知らないんだよぉ。だって俺が知ってる愛し方は、執念とか執着とかそんなんばっかだから。……ねぇこんな俺がナトリちゃんの事好きになっていーい?」
ナトリちゃんがおもいきり俺を拒絶したら、今なら逃がしてあげれるかもよ。
そう言って、にぃっと口角をあげるネクロの笑顔は面のような笑顔では無かったけど、突いたらその場で崩れてしまいそうな危ういものを感じた。まるで、怯えているよう。
いや、怯えているんだ。
俺に拒絶されるのをだろうか。いや、そうじゃない気がする。
……自分の『歪んだ』愛し方に?
これは同情の気持ちで出して良い答えじゃないとすぐに分かった。言葉を選びながら正直な気持ちをゆっくりと、口にする。
「俺は、執着とか執念とか良く分からないけど、人の愛情表現って十人十色なんじゃないかなぁ……。だからネクロが自分の愛情表現を気に病む事はないと思うんだ、きっと。俺はネクロの気持ちを拒む事はしないよ。でも……その気持ちに答えられるかは分からない。今も、正直よくわからないんだ。……それでもいいなら……」
答えながら、臍を噛むような心地になった。
もっと良い答え方があったと思う。あやふやな考えを、余りに正直に口にしてしまった。正直も過ぎると馬鹿なのだ。
苦い気持ちを噛みしめていると、ネクロの腕が背中に回され、ぎゅっと力が入った。その時、微かに腕が震えているように見えた。
「……馬鹿だねぇ。拒否すれば良いのに、そんな正直に言っちゃって。俺なんかの好意受け入れて……おまけに俺を肯定までしちゃって……後悔してもしんないから。俺は逃がす機会あげたのに、それを蹴ったのはナトリちゃん自身だかんね。もー逃がしてやんない」
そう言いながら顔を上げたネクロの目は、嬉しそうに輝いていた。
「絶対俺に惚れさせてみせる」
「……ねえ」
「……ナンデスカ」
「なんでそんな真っ赤なの」
「……チョット黙ッテテクダサイ……」
片言で喋りながら両手で顔を覆う。
うーあー恥ずかしい。恥ずかしすぎる。何が恥ずかしいって、ありえないくらい熱いこの顔が!
「照れた?」
「……ウルサイヨ」
すっごい片言なんだけど、と言うネクロは明らかこの状況を楽しんでるか、喜んでる。
だって視界に映る尻尾がもの凄く立ってるから……ネコは喜んだりすると尻尾が垂直に立つと聞いた事がある。
「ナトリちゃんの照れツボって分かりにくいねぇ、何でだろ?キスは大丈夫なのにねぇ……まあこれはナトリママさんの……ん?」
ネクロが何かに気付いたように声を上げる。
「ねぇ、ナトリパパさんってどんな人?」
「父さんは小さい頃に出ていったんだ」
「あ、ごめん…」
「ううんそれは大丈夫、俺には母さんがいたから」
母さんは父さんの事を何も悪く言わず、ただ豪快に笑って「合わなかったのよ」と言っていた。そんなものなのかと俺は納得したし、母さんが明るすぎて寂しく無かった。
「でもなんか分かったかも〜」
唇を端を笑みの形につり上げ、ネクロは目を細めた。
「何が?」
「ナトリちゃん、男の人とかに甘やかされたり愛情表現受けるの慣れてないでしょ、特に年上」
そりゃまあ、だって俺男だし?
「いやいや俺の言ってるのは恋愛とかの感情抜きの愛情表現の事。頭撫でられたりとか、誉められたりとかー父性っての?身近にそういう存在が無かった分、多分極端に慣れてないと思うんだけど……。あと、ストレートに言われるの弱いでしょ。恋愛経験少ない?」
「だって平凡デスカラ?」
ネクロみたいな顔なら、一人や二人、それこそあっという間に出来るだろうさ。でも生憎こんな顔だから、生まれてこのかた彼女なんて出来た事ないわけで。……泣いてなんかいない。
というか、なんでこんなに分析されてるんだ。俺さえ知らなかった自分を知ったよ!
「ふぅんそっかそっか〜」
「……そのニヤニヤ笑やめてクダサイ……」
「んふふっ、なぁんか嬉しい」
「そうですか……」
微妙に膨れて俯くと、がしっと頬を挟まれて目をあわされた。
「俺本気だから。ナトリちゃんを俺に惚れさせて、俺無しじゃ生きてけないようにするからね。ホントだったら今すぐにでもどっかに閉じ込めて、誰の目にも映させたくないけど、そんなんじゃ全部手に入んないってさっきのナトリちゃんの会話で身に染みたから、実力行使はまだ止めとくねぇ」
内容はともかく、そう言いきったネクロの顔が余りに男前で。俺がまた赤面したのは言うまでもなかった。
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