雪隠詰め | ナノ


▼ 2


「恩をあだで返すような真似は、したくないと思ったからです」
 言い切ると、ルエトさんは訝しげに目を細めた。
「恩?」
「前、俺を背中に乗せて逃げてくれたでしょう?あれです」
 その時は、どうもありがとうございましたと俺を下げると、ああ、と納得したように返される。
「あれは別に良い。珠を拾ってくれただろう。その礼だと思えば」
「それと、泣いた俺を慰めてくれたでしょ」
「それも別に良い。俺の言葉で泣かせたような物だ」
 そういうものだろうか。……あれ、じゃあ、恩はないって事?ふむ、と呟く。
「お命頂戴仕るっ!!」
 そういうことなら遠慮はいらないとばかりに叫んで、ルエトさんの首に光る銀に手を伸ばした。
 それをさっと避けて立ち上がりながら、ルエトさんは面白がる光を目に宿して俺を見る。
「俺に恩があったんじゃないのか?」
「恩はちゃらになったみたいですしっ、それに、俺はチャンスを逃すほど余裕がありません!」
 伸ばす腕を余裕で避けながら、ルエトさんは器用に右手でネックレスを外して高く上げた。俺も手を伸ばすが、いかんせん身長が足りない。
 背伸びをしてぷるぷるしながら伸ばす。……まあもちろん届かないけど。
 最終的にはジャンプを続けてしてみたが、ダメだった。
 ルエトさんが明らかに楽しんでいるのがわかって、足掻くのを止める。
「なんだ諦めるのか?」
 あともう少しだったぞ?と笑いを堪えた震える声で言うルエトさんを軽く睨む。
「どこがですか。明らかに十センチ以上足りてなかったですよ!」
「そうか?」
「そうです!王様なんですから、少しはハンデとかください!」
 言い募れば、とうとうルエトさんは小さく吹き出して顔を背けてしまった。
「ふっ、騒がしい鳥だな……」
 そして俺に向けられたその顔は笑ってなくても目の光は優しい物で、思わずこんなにムキになっているのが恥ずかしくなってくる。
「恩は返してもらったが、お前……俺の昼寝の邪魔をしたな?」
「はい?」
 ……あれ何この嫌な予感……。
 とりあえずそこに座れ、とさっきの場所を指されて、なんだか逆らってはいけなような気がして素直に従う。
 その状態でルエトさんを見上げて、びっくりした。ルエトさんが上半身のジャージを脱ぎ始めている。
「何してるんで、」
 次の瞬間、目を見開いて止まった。上半身裸になったルエトさんの指が、先からどんどん黒くなっていって、十秒も立たない内にそこには黒ヒョウがいた。
 ……はじめて、見た。
 徐々に獣になっていく姿は無理のないもので、なめらかだ。夢のようで夢じゃないそれはどこか神々しいと表現しても過言じゃない。
――獣の中でも選ばれた獣だけが出来る人化。
 そんな想いが不思議と胸の内で浮かぶ。
 黒豹の姿になったルエトさんは口でズボンを器用に脱ぐと、座っている俺の膝に顎を乗せて来た。
「邪魔をしたら、詫びをしなければいけないだろう?」
 俺の気がすむまでこうしてろ、とルエトさんは翠緑の瞳を閉じた。
「ええ!?」
「俺に隙が出来たら、これは取って良いぞ」
 これと言って、尻尾を揺らす。そこにはあの銀ネックレスがぶら下がっていた。
 試しに手を伸ばしてみれば、ぎりぎりで届きそうだったけど、ふいっと尻尾がそっぽを向いてしまって遠のいてしまった。
「隙が“出来たら”な」
 再び開かれた緑の目が、楽しそうに細められる。
(――こ、こんのいじめっ子め!!)
 こうして、俺は“追いかけっこ”の間、猫王様の頭を膝に乗せて木陰で過ごす事になった。




 鐘が鳴って終了を告げる。
 丁度その時、俺は四つん這いになって震えていた――足の痺れで。

 いくら頭だけっていっても何時間も乗せていたらそりゃあ痺れる。おまけにネックレスも取れなかったという情けない始末だ。
 うう、と唸っている俺を面白そうに見下ろしていた猫王は「惜しかったな」と言って去っていった。――最後に尻尾で俺の足を叩いていくのを忘れずに。
 残ったのは痺れの痛みに悶える俺だけだった。


「あれー?ナトリちゃん随分疲れた顔してるねぇ」
「あはは……分かる?」
 会場に戻るとネクロが少し心配した顔で近づいて来て、声をかけてくれた。
「ネックレスは獲れたのー?」
「はは、全然」
 だって猫王さんの膝枕に徹してましたから……なんて言えない。馬鹿にされるのがオチだ。
「そっかー……ん?」
 ネクロが顔を近づけて鼻をすんすんと鳴らす。
「……この匂い……まさかねぇ……?」
 耳元でぼそっと呟いたネクロが顔を離す。顔を突き合わせた時に俺は何故か一瞬ぞっとした。
 なぜか、ネクロが面を被っているような感覚がしたのだ。
 笑っているのに笑っていない。別に目が笑ってないとか、そういうのじゃない。まるで笑っている仮面をつけて、その奥では別の表情を浮かべているような、そんな。
「ね、ネクロ?」
「俺ね、今日ちょっと機嫌悪くてさぁ」
 近くにいたやつ狩っちゃったんだぁ、と目の前にじゃらりとネックレスをぶら下げて見せるネクロ。明らかに五つ以上はある。
「え、そういうの良いの!?」
「良いよー、別に。ほら、返り討ちとかぁ?やる人は少ないけどねぇ」
 お、俺よくルエトさんに逆に狩られなかったな……。
「でね、これ一つあげるよー」
「……ええ!?それだめじゃない?」
 ネクロは人目になるべくつかない所に俺を誘導すると、にっこりと笑った。
「大丈夫だよー。でもそうだよねぇ、なにもなしでっていうのもルールに反するしー。……じゃあ俺を殴ってよ」
「はい!?」
 全く表情を崩さずにネクロは再度自分を殴れと言った。
「なんで殴るの!?」
「ほら、そうしたらぁ【逃げる】側の俺を【狩る】側のナトリちゃんが攻撃して、俺が降参してコレを渡したって事実が出来るでしょ?」
 なんだったら蹴っても良いよ。とにっこりと笑うネクロに、俺は再びゾッとするものを感じた。
「い、いやルール的にはそうかもしれないけど、どうしたの、ネクロ。今日はなんかおかしいよ?」
「……おかしくなんかないよー。俺は俺だよぉ?」
「と、とにかく俺は何もないのに殴れないし、蹴れないし、友達にそこまでして欲しいと思わないから良いよ……」
 優しいねぇとネクロが微笑む。でもそれさえもどこか歪んでいるようで。
「“何もない”から殴れないなら“何かあれば”殴れるかなぁ?」
 静かに囁いた言葉を理解する前に後頭部に手を回されて。
 気がつけばネクロの顔が目の前にあって、唇に柔らかい感触がした。
「ふ?んんっ?」
 何が何だか分からない。ただただ熱くて柔らかくて、睫毛長ぁ、と場違いな考えが頭を巡る。
 一度ふに、と食まれたと思うと、ネクロの顔が離れていった。
「どう?」
「へ?あ、や……?柔らかかったです……?」
 いやいや違うだろ、俺!
「あ、じゃなくて!何で……」
 俺にキス?
「何でって……。嫌じゃない?好きでもない奴にキスされんのって」
「嫌?」
 うーん、今俺嫌だったかというと、別に嫌じゃなかったと思う。だってネクロだし?
「いや、俺ネクロのこと好きだし、嫌じゃなかったよ?」
「は?」
 でも驚いたかも、とへらりと笑うとネクロが驚いたような顔をした後、口の端を引き攣らせた。
「ね、ねぇ、もしかしてナトリちゃんって――」
 少し焦った顔をしたネクロの横顔に、突然誰かの拳が叩きつけられる。もんどり打ってネクロは倒れた。
「てめぇ何してんだこのバカ猫!!」
 物凄い怒声が響き渡る。全身で憤怒を表しているその人は――アズだった。
「てっめぇ、ミツルに……っ、絶ってぇ許さねぇえ!!」
 ぐるぐると唸っているアズの牙は伸び、心なしか爪も尖っているような気がする。
 既に着替えたのか制服姿で、袖を捲りあげた腕には筋が浮き上がっていた。え、ええ、そんな怒らなくても……!
「……ったぁ……うるさいよぉ駄犬」
 ネクロが口の端の血を親指で拭いながら起きる。
 しばらく睨み合っていた二人は呆然としている俺の前で、どちらかともなく吼えて殴りかかった……が。
「止めろ狗王」
「猫の、お前もじゃ」
 アズの襟首をがっと掴んで止めたのは――ルエトさん。
 ネクロの腕を掴んで止めたのは――ラージュさんだった。
 アズは襟首を掴まれて苦しそうにせき込んで止まったが、ネクロは腕を掴まれた瞬間に床を蹴り、自分を止めたラージュさんの頭に強烈な回し蹴りを放った。
 余りにアクロバティックな動きで、目も追いつかず、俺は思わず目を瞑ったのに、ラージュさんはそれを難なく腕を掴んでない方の手で止めた。
「落ち着け!!」
 ラージュさんの一喝で止まったネクロを見て、ルエトさんが目を見開く。
「お前、猫王候補の……」
 その呟きにネクロがびくりと身を震わせ、そしてまたあの仮面のような笑顔でにっこりとルエトさんを見た。
「“元”候補だよぉ猫王サマ。気のせいかなぁ、と思ったけどやっぱりアンタの匂いだったんだねぇ、ナトリちゃんについてた匂いー」
 ラージュさんの腕を振り払いながらネクロは続ける。
「あららー。四人の王サマの内、三人も集まっちゃってぇ。……それともなぁにぃ?アンタ等も狙ってんの?」
 そう言った途端ごっそりとネクロの顔から表情が抜け落ちた。
「どいつもこいつも……俺から色んなもの取りあげようとしやがって……」
 ふざけんなよと恐ろしい顔で呟くネクロに、アズの怒りが再燃した。
「手前こそふざけんな!!」
 ルエトさんの腕を振りほどこうと暴れるアズに、ようやく俺はこの現状に頭がついてきた。とにかくアズを止めなきゃいけない……よな!?よね!?
 暴れるアズに近寄りネクタイを思い切り引っ張って屈ませると、その唇に俺の唇を押し当てた。
 周りが一瞬にして静かになる。
 ぷは、と唇が離れる音すらはっきりと聞こえたほどだ。
「これくらい挨拶!」
 唇を離してキッとアズを睨みつける。
 まだ怒っているかと思って強気で挑んだのに、そこにはまるで魂の抜けたようなアズがいた。
 その後ろでは、ルエトさんが唖然とした顔をしている。
 え……?ええ?何この空気!?俺なんか間違えた!?
 あれ?アズが怒ったのってネクロが俺にキスしたからじゃ…はっ!それって何だか凄い自惚れてたりする?あれ俺やらかした!?
 慌てる俺の周りで非常に静かな空気が流れた。



 _ 
18


[ 戻る ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -