雪隠詰め | ナノ


▼ 日向ぼっこ


 【狩る】側に鳥と犬。【逃げる】側に猫と蛇、その他と書かれた用紙を見上げて顔を顰めた。
「狩る側かぁ……。俺、出来るかなぁ」
 掲示板を眺めながら呟く。
 発情期で延期されていた“追いかけっこ”も今日から開始らしい。といっても、ピークを過ぎただけだから気をつけるように、と注意書きも掲示板に貼ってある。
 気を付けるように、というのは襲われないようにとかそういう意味なのだろうか……怖すぎる。
 ここ最近、皆の顔を見ていなさすぎて、なんだか一人で行動するのに慣れてしまった気がする。慣れてしまったというのはおかしいか。元の世界では元々殆ど一人だったのだから。
 バイトに追われて忙しい日々。遊びを度々断っていたら、気づけば誘われなくなっていた。それに加えてこのパッとしない容姿に、目立たない中身だ。友達はいても、親友というか、いつも一緒に行動するというような友達はいなかった。
 まぁそれが当たり前で、それが日常で、寂しくなんてなかったのだけれど。
 少し俯き加減で自分の爪先をぼんやりと眺める。
「ミツル!」
「ぐふっ!」
 突然、誰かが突進してきた。
 その勢いで思わずつんのめり、倒れそうになるのを必死で耐える。俺、此処に来てからこうされる事が頻繁になっている気がする。
「一緒だな!」
 嬉しそうな声で俺を抱きしめる腕には赤と透明の数珠――。
「アズ?」
 後ろを振り返ると、そこには満面の笑みのアズがいた。あれから全く会ってなくて、どんな顔をして会えば良いのかと思っていたのに意外と普通で、どこかホッとする。
「もう大丈夫なの?」
「あんまし、だけど、ミツルのおかげで山は越した!」
 それに、この時期の“追いかけっこ”なんてミツルの側にいないと心配だ!とアズは抱き締める腕に力を込める。
「そう、かな?」
「あたりまえだ!」
 力強くアズは頷いた。
「だって、こんなに可愛くて、優しくて、良い匂いがするんだぞ!?危ないだろう!?」 
「そ、それは多分アズだけのような……」
「んなわけない!」
 力説するアズに若干後ずさっても、再び腕を引っ掴まれて腕の中へ。そろそろ周りの人の目が痛いんだけどなぁ……。
「……今日はバードの匂いがするんだな」
 ぼそりと耳元で囁かれてハッとする。それを確かめる為にくっ付いていたのか。
 アズを見上げれば、紅の瞳がじっとこちらを見返していた。
「うん。今日は羽根を持ってるからね」
 同じように小さい声で返すと、アズは、ふぅんと気の無い返事をした。
「そっか、残念だ。……なあ、ミツルが『ニンゲン』ってこと、他に何人知ってんだ?」
「えっと……二夜と、ギリア先生と、エレミヤ学校長……の三人、かな」
「そんだけ?」
「うん」
 ふぅん、と再びアズは口にした。
「なんであの猫も?」
「えっと、最初に出会ったのが二夜だったんだ」
「ふぅん、なるほど」
 そうかそれだけか、と妙に嬉しそうにアズは呟く。ばさりばさりと揺れる尻尾が視界の隅に映った。
「じゃああのオレンジも知らねーんだな?」
「オレンジ?あ、ネクロの事?」
 ん、ソレ。と言いながらアズは鼻を俺の髪に埋めて、すんすんすんすんと嗅いでいる。何で皆そんな嗅ぐかなぁ……。
「バードの匂いいらねー……邪魔」
 耳の側で何だか甘く囁かれる。その甘みを帯びた響きに、手を舐められた時のアズの舌の感覚が重なって思わず声が上ずった。
「そ、そう?」
「ん。そう、がぁおっ!?」
 奇声を上げながら抱きしめていた腕が、凄い勢いで離れていって、ずべしゃあっとアズが転がった。
 その勢いに俺も一瞬引きずられそうになるが、足を踏ん張ってどうにか堪える。
 何事かと見ると、アズの頭のあった高さに色のあせたスリッパを履いた脚があった。
「んふふ、盛ってんじゃねーよ。この駄けーん」
 その脚の持ち主は左手をポケットに突っ込んで、右手でパックのジュースを飲みながら笑っていた。
 でもキレ気味なのが笑ってない緑の目とか、握りしめられて掌を伝って滴り落ちるジュースとか、噛み千切りそうなストローとかでわかる。
「ネクロ……!」
「やっほーい、ナトリちゃーん」
「もう良いの?」
「うーん、良くは無いんだけどねぇ。なんかやーな予感がして来てみたら……案のじょーだったねぇ?」
 ちなみに二夜はまだ寝込んでるよーと微笑むネクロに、アズは唸りながら起き上ると掴みかかった。
「ミツルから離れろ、このバカ猫!」
「ナトリちゃんから近づいて来てくれたんだけどねぇ?ってか、そろそろ本気でしつこいんじゃなーい?ナトリちゃんも迷惑してるよぉ。勿論お、れ、もぉ」
「うっせぇ」
 アズは勝ち誇ったように笑って、俺を再度引き寄せると右手に唇をつけた。
「ミツルは俺の事、本気で考えてくれんだから別にいーんだよ」
「ちょっ!」
 その唇の感触に先日の事をはっきり思い出して赤面する。
「……何、そんな事言ったの?」
 急に真面目な顔をしてネクロが俺に近づく。
「そうだよ!」
「五月蠅い駄犬、お前に聞いてない」
 低く這うような声は、いつものネクロとは程遠い。それに気圧されて数歩後退りしながらも、頷いた。
「え、う、うん。真面目に想ってくれてるんだから、俺もちゃんと真面目に考えなきゃなって……」
 俺が言葉を続ける程、ネクロはどんどん不機嫌になっていく。
「何それ……」
「おまけに右手も貸してくれたしなっ」
 アズが嬉しそうに髪に顎を乗せてくる。
「あ、あれはっ!」
「は?どーゆーこと」
 慌てる俺に更に詰め寄るネクロ。
「や、その、舐めたりなんたりされただけで……」
「美味かった」
 小声でぼそぼそと言う俺と、満足げに笑うアズにネクロの表情が凍った。
「ナトリちゃん」
 腕を掴むと、ぐいっと自分の方に引き寄せるネクロ。
「うん?もごっ」
 何?と開こうとした口に、ネクロの右手の長い中指と人差し指が差し込まれる。
「もがっ?んんん!?」
 そのまま指で咥内を掻き回された。
「何してんだバカ猫!?」
「いやー俺の指、今甘いと思うんだよねぇ」
 うん、確かに甘い果物の味がする。あ、さっきジュース握り潰してたもんね……ってそんなことのために突っ込んだの!?
「何言ってんだバカか!?」
 俺をネクロから引き剥がすアズ。それが、さっきから気になっていたことに完全に触れて、思わずイラッとしてしまった。
「さっきからあっちへこっちへと……小さいからって雑に扱うな!」
 お前らがデカイだけなんだからな!
 自分でも何だか的外れだと思うが、これだけは譲れない。
 そんな捨て台詞を大声で言うと、俺は二人に背を向けて走り去った。




 あ、ミツル!このバカ猫!お前絶対ぇ狩ってやるからな!そう叫んだ馬鹿犬はナトリちゃんを追って行った。
(――気に食わない)
 何がかはわからないけど、“自分だけ”と優越感に浸っている駄犬のあの顔がムカつく。
 ナトリちゃんの口に突っ込んだ指を自分の口に含んだ。
「んーあまー」
 それが果物の甘さかどうかはよく分からない。
「まじでムカつくなー……」
 そのままその指に、ぎりりと牙を突き立てた。甘さは消え、鉄と生臭い味が広がる。そっちの方が自分に似合っているなんて笑える。
「あーなるほどぉ。……俺、自覚しちゃったかもー」
 ……誰が駄犬なんかにやるか、と朱の交じった唾液を吐き捨てながら呟いた。




 追ってきたアズに半泣きで謝られて、一緒に行動しようと誘われたが、少し迷った後、断った。
 断られたことで伏せられた耳や力無く垂れ下がった尻尾を見て、慌ててフォローを入れる。
「ほら、アズは狗王だから皆を引っ張っていかなきゃいけないじゃん?」
 それに……と言ってちょいちょいと手招いて少し屈ませる。
「俺は『人間』だから、ついていけないだろうしさ……アズに迷惑は掛けられないよ」
 アズのピアスのついた耳にこそっと呟いて、苦笑いをして離れた。
「……アズ?」
 話し終わったというのに、アズは何故か屈んだ格好のままで凍り付いている。おまけに何だか間抜けな顔をしていた。
「アズ?アーズー?」
 目の前でぶんぶんと手を振っても反応が無い。
 どうしたのかと思っている俺の耳に、【狩る】側の人で、印となる布を貰ってない人は取りに来るように、という先生のアナウンスが入った。
「あ、俺貰ってない。アズは?」
「……貰った……」
「そう?じゃあ俺、取ってくるから」
 呆っとした表情のアズに首を傾げながらも、じゃあと手を振った。


「王そろそろ行きましょうぜ……ってなんつー顔してんスか」
「うるせぇ喋りかけんな」
 驚いた顔をして話しかけて来たチームの一人を睨んで黙らせて、アズはうっとりと自分の耳を触った。
「あーマジで良い声……あんな近くで聴けるなんてサイコー……」




 【逃げる】側が逃げ始めてから十分後、俺達【狩る】側の始めの鐘が鳴った。
 【狩る】側になってわかった事だけど、【逃げる】側には常に緊張が付き纏う。その緊張が無い分、【狩る】側の人達は思い思いのペースで行動出来るみたいだ。
「っても、俺に狩られてくれる人なんているのかな」
 はは、と乾いた声で笑う。
 俺は一人で行動をしている。【狩る】側の時、バードは個人で行動するタイプが多いみたいだから、行動として目立ってないけど、さて困った。
 人間である俺の運動能力で捕まる人なんていないような気がするのだが。
「俺今回は零点かも……」
 苦笑いして歩き続けると、また人気の少ない所に来ていた。全校生徒が行動しているというのに、こんな確立で人気のない所に来れるという事実に、この学校の広さを思い知らされる。
「それとも皆上手く隠れているだけなのか……な?」
 語尾が疑問になってしまったのは仕方がないと思う。
 だって、少し垣根に隠れているような樹の下、で明らかに誰かが寝ているのだから。
「えーっと、【狩る】側の人かな?」
 そう口にしてみたけど、【狩る】側の印となる赤い布が見えない。
 こんな簡単でいいのか?と少し不安に思ってその人に近づく。
 そしてそれが誰なのか分かった途端、脱力というか信じられないというか、色々な気持ちに襲われた。
「……うそぉ」
 それは心地よさそうに寝ていらっしゃる猫王様だったのだ。

「どうしよっか」
 寝ているルエトさんを見下ろしながら腕を組む。
 ルエトさんの首には銀のネックレスが光っていて、今なら俺でも取れそうな気がする。
(――でも、この人にお世話になってるんだよなぁ……)
 そういえば背中に乗せてもらったお礼も、ろくに言ってない気がする。
 泣いちゃったし、と思いだして俺は恥ずかしくなった。
 ここで取れば、恩をあだで返す事になる。それは些か不本意だ、と思って背を向けてここを離れる事にした。
「取らないのか?」
 途端に、背中から声が掛かって、驚きの余りその場で飛びあがる。
「寝ている獲物を狩るのは容易いだろう」
「……起きていたんですか」
「あれだけ足音を隠さず近づいてくれば誰だって気付く。下手すぎる」
 このやろー。言葉をオブラートで包むってことを学べっ、と心の中で小さく悪態をつく。
「すいませんね、ドスドス近づいてお昼寝の邪魔をして」
 お邪魔しましたっ、とまた背中を向けるが。
「で、何で取らない?」
 また聞いてきた。
 何だかどっと疲れた気がして、溜息を吐きながらルエトさんに近寄って隣に腰をおろした。



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