雪隠詰め | ナノ


▼ 違和感


 アズさ……アズのことで頭がいっぱいで、おかげで俺は薄情なことに、次の日の授業が始まるまで、ザインさんのことを思い出しすらしなかった。
 忘れていた事実に自己嫌悪でひとしきり悶えた後、昼休みにザインさんのいるBクラスに走る。
「ザインさんいますかー?」
 そうおずおずと言いながら、教室を覗きこむ。人間の世界でもそうだったけど、上級生のクラスに行くというのは緊張を伴う。
 ザインさんは大きいので――といっても、同じくらいのサイズの人が二、三人いるのだけれど――すぐにわかった。
「ザインさ」
 ん、と呼ぼうとしたが、何者かにぐわしと抱擁されて言葉が続かなかった。
「ミツル、会いに来てくれたのか!?」
 ばっさばさと何かが揺れる音と非常に嬉しそうな声は、一晩中頭を離れなかった人物の声だ。
 ゆっくりと顔を上げると、喜悦を湛えた紅の目が覗きこんでくる。
「アズさ……アズもBだったんだ」
 その可能性を微塵も考えていなかった。
 ぎゅっぎゅっと腕を締めるアズをどうにかしたいのだが、さすが狗王ウルフびくともしない。
「ちょ、ちょっとごめん」
 別に抱き締められるのが嫌な訳では無いけど、今は離してと言おうとしたらまた突然腕が、ふっと離れた。
 アズの腕を誰かが掴んでいる。どうやらその手が俺から腕を引き剥がしたみたいだ。
「あん?」
 その容貌にぴったりな凄みを表情に載せて、アズがその手の持ち主を見る。自分に向けられている訳でないと分かっていても、少し怯んでしまいそうな表情だ。
「あ、ザインさん!」
 今正にその表情を向けられているのが、探していたザインさんだという事に気付く。
「あ?あー……ああ、あいつか、ミツル担いでたブリューイン。で、なんだこの手?」
 うわぁ……犬歯を剥き出しにして睨みつけるアズは本当に怖い。
「……ナトリが困っている」
 ザインさんは、珍しく笑み以外の表情を浮かべている。眉を顰めて、まるで自分が迷惑しているとでも言わんばかりの表情だ。
「はぁ?」
 ピクリと一度苛立たしげにアズの耳が揺れ、じゃらりとピアスが鳴る。
 ……な、何この空気。
 一触即発とはこの事かと俺は慌てて止めようとして手を伸ばし、手っ取り早く一番近くにあったモノを掴んだ。
 毛を逆立てて、上を向いているアズの尻尾を。
「ぎゃうん!?」
 途端に尻尾を踏まれた犬のような声を出して、アズは膝から崩れ落ちた。
「え?え!?」
 びっくりして尻尾を持ったままアズの顔を覗きこむと、はーっ、はーっと息荒く切れ切れに呟いている。聞き取れないそれを聞き取ろうと、一生懸命そばだてた耳に入ってきた言葉は「し、し……尻尾……尻尾っ……」という単語の繰り返し。
「え、ご、ごめん!」
 そんなに強く握ってしまったのかと申し訳なくなって、握った辺りを撫でた、が。
「あぐ…っ!!」
 逆に呻いてしまった。
 どうしたらいいのかとおろおろしていると。
「そこまでに……しといてやれ……」
 そう、やんわりとザインさんに止められた。ってええ!?アズをそんな憐れんだ目で見るほど俺はひどい事をしたんだ!?
 慌てて尻尾から手を離すと、ぜいぜいと四つん這いになるアズ。
「ナトリ……俺や、バードサーペントには無いが、尾はかなり弱い……」
 さっきまでの険悪な空気を感じさせないほど優しくアズの背中をさすりながら、ザインさんは俺にそう告げた。
「そうなんだ!?ごめんねアズ!?」
 そんな所を無遠慮に思い切り握ってしまって相当痛かっただろう、と俺はアズの返事が来るまで謝り続けた。

 満もアズの背中を撫でている間、アズとザインは満に聞こえない様にぼそぼそと言葉を交わす。
「な、なんだ、あれ……!普通あんなに感じないぞ!?」
「……強烈だろう」
「あ、ああ」
「俺も……耳で、やられた」
「み、耳……」
 あの指で耳なんて撫でられた暁には……と想像をしたアズの生唾を飲み込む音が、二人の間でやけに大きく響いた。




「……何このカオスー……」
 ぼんやりとネクロが呟く。
 俺もそう思う。
 俺の右隣に二夜、その隣にネクロ……まではいつも通りだ。でも左隣にアズ、その隣にザインさん……っておかしいだろう。
 ザインさんはまだいい。だって怪我していてもともと誘うつもりだったから。
「でも、なんでアズまで……?」
 それも何故に隣?と言うと、アズはさも当たり前の様に笑顔で。
「言っただろ?お前が好きだって」

 二夜は水を吐き出し、ネクロは咳き込み、ザインさんはスプーンを取り落とした。

「ななんでそんなことここで言うかな!?」
 お前って奴は!と、真っ赤になる。
「にゃ!?お、オッケーしたのかミツル!?」
「こんな青いののどこがいいの!?ナトリちゃん!?」
 食って掛かる二夜とネクロ。ザインさんは無言だが、その両目は何よりも雄弁に語っている。
「ちっ、違!」
 両手をぶんぶんと振って否定するが、その手を捕まれて「でも、考えてくれるんだろ?」と手の甲に唇を落とされる。
 その瞬間、太い物が切れる音がしたような気がした。
「おいごら、そこの野良犬……汚ねぇ手で触ってんじゃねぇよ」
 低く低く地を這う声は二つ隣の席から聞こえる。って、え、え?ネクロ?
 ゆらぁ、と立ち上がるネクロはまるで鬼のようで。
「やべっ」
 二夜は慌ててパンを咥え、俺とザインさんの腕を掴むと、立ちあがらせて食堂の出口へと引っ張っていく。
「え?え?ネクロは?」
 昼食だって終りかけと言っても途中で、訳が分からず二夜を仰いだ。
「いいんだ。いいんだ。ただでさえケイナインと、フィーラインは仲悪いのにあんな事されて、あいつ今我を忘れてるから」
 つまり、≪追いかけっこ≫の時の状態って事ということだろうか。というか、そんな状態まで追い込んだアズがした“あんな事って”何をしたんだ?
「多分あいつ、あの状態をミツルに見られたくないだろうし……」
「でも、相手は仮にも狗王ウルフだよ!?」
「大丈夫だよ、あいつは……あー……うん。強いから」
 少し言葉を濁すと二夜は俺の手を引っ張る。でも、とまだ食い下がろうとするとポンと頭を軽く叩かれた。
 その手の持ち主はザインさんで。
「ナトリ……あのフィーラインが怒ってくれて、良かったんだ……。でないと……俺が暴れていたかもな……」
 そう言って微笑むザインさんを見て、ザインさんが暴れる理由はわからないけど俺はネクロに心から感謝した。
 ……それほど目が笑って無いザインさんは恐かったんです……。




 それからは、アズが俺にかまってひっつく、ネクロがキレるもしくは静かにザインさんが微笑みを浮かべて引き剥がす、喧嘩または冷戦状態に陥る、という流れが日常になっていった。
 それを俺と二夜は顔を引き攣らせながら、ただただ見ているしかなかったけど、鬱陶しいとかそういった負の感情は無く(まぁ出来る事ならば喧嘩はやめて欲しいけど)楽しい毎日を過ごしていたと思う。
 でもいつしか毎日と言っても語弊が無いくらい教室まで来ていたアズが来なくなって、姿を見せなくなった。
 毎日来ては好きだと伝えるアズが来なくなったという事は、他に好きな人でも出来たのだろう。
(まぁ俺男だし、魅力なんて無いからなぁ)
 アズも目が覚めたのだろう。それに俺も友達として傍にいるだけで、好きという言葉に返していなかった。当然の結果だと思う。
 ……なのに、少し寂しく感じているのは何故だろう。
 好きという気持ちに応えなかったくせに、好きと言われなくなったら寂しいとか、自分勝手にも程がある。
(このままずっとアズに好きだと言われ続けていたら、俺はどうしていたんだろう)
 その気持ちに応えた……?

 俺はそのことで頭がいっぱいになっていた。


 そんなアズについて考えていて数日の朝、いつもの様に教室のドアを開けて、あれ、と首を傾げた。
 俺が教室に入る時間には生徒のほとんどがいるはずなのに、四分の一くらいの生徒がいない。
 自分の席に着きながら、既に席についているネクロの肩を叩いた。
「おはよう。なんか風邪でも流行ってる?……あれ?二夜もいない」
「おはよ〜ん。二夜は昨日からなんだよねー。……って、あ、そっかーナトリちゃんはバードかぁ。バードはそんなに強く無いらしいからわかんないかなー……」
 くるりとこっちを向きながらネクロが呟いた。
 そのネクロもどこかおかしい。なにかを堪えているような辛そうな、そんな顔をしている。顔色が悪いというか、熱がありそうな火照った色だ。
「もしかして、ネクロも調子悪いの?」
 心配になってネクロの額に手を当てると、ぴくりとネクロの尻尾と耳を動かす。
「熱はなさそうだけど……」
 その間ネクロの尻尾は落ちつきなくゆらゆらと揺れていた。
「あー……あ……ナトリちゃんの匂いやば、いかも」
「え?なんか言った?」
 きゅっとネクロの瞳孔が細まり、触れていた俺の手から逃れるように身を捩る。
「ネクロ?」
「ごめ……ナトリちゃん。当分俺には近づかないで」
「え」
 ネクロの言った意味が分からない。
 呆然としている俺の顔を一度も見ないで、ネクロは教室から出て行ってそのまま戻らなかった。

 その日はザインさんに会うことなく、始めて一人で昼食を食べた。
 アズは勿論、毎日のように尋ねて来た二夜もネクロも部屋には来なかった。




 その日の夜、俺は嫌な夢を見た。
 俺が人間だとわかった皆が、嫌悪を込めた見る目で俺を見てくる夢だった。
『まじかよ……気持ち悪ぃ』
 アズが犬歯を剥きだして威嚇してくる。
『……嘘をついていたのか』
 ザインさんが失望しきった目で俺を見る。その表情はいつもの笑顔は微塵も見られなかった。
 二夜が無言で繋いでいた手を振り払い、顔を歪ませて後ずさる。
 そしてネクロが冷めきった目で俺を見降ろし、口を開いた。
『――近寄るな』

 はっとそこで目が冷めた。
 泣きながら寝ていたみたいで、枕が濡れている。
 寝たというのに倦怠感に身体が怠い。無言で目の端に残った涙を袖で拭うと、重い身体を引きずるようにしてベッドから下りた。



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