雪隠詰め | ナノ


▼ 3


 ――数分前。

「あのっ、すみません、とりあえず逃げてください!!」
 池の入り口が曲がりくねっているため、追っ手は一応まだ見えないが追いつくのはきっとすぐだろう。聞こえる声に急かされる様に、目の前の人に叫んだが、全く動揺する素振りが無い。
「ごめんなさい、俺が連れて来ちゃったんですけど……っ」
 早く早くと急かすと、その人はふっと微笑んだかと思うと、おいでおいでと手招きをした。早くしなければと思いながらも、駆け足で近づく。
「……ここに入れ」
 唐突にその人は自分のジャージの前を寛げ、微笑を浮かべたままそう言った。
「……はい?」
 思わずその人の顔を凝視してしまう。
 いや確かにこの人はギリア先生よりも大きいし、ゆったりとした伸縮性のあるジャージはもしかしたら俺くらいなら収まるかもしれない。
 だけど俺がそこに入っても、事態が好転する気がさらさらしない。
 困惑と不審の混じった目を向けても、その人は微笑を崩さずに口を開いた。
「……追われて、いるんだろう?」
「いや、そうですけどっ」
 だから逃げなければいけないのに。
「……大丈夫、だ」
 けれど、その人がそんな風に微笑むから。なんだか大丈夫な気がして来てしまって、俺はその人の懐にお邪魔することにして――今に至る訳なのだが。

「……本当に、大丈夫でしたね……」
 思わずぼんやりと呟く。
 だって絶対見つかると思った。いくら俺がこの人との体格差があるにしたって、足は出ちゃってたし、不自然なくらいに前が膨らんでた。
 追っ手がこの人に近づいたら一発でアウトだったのに、彼らはこの人に近づきもせずに去って行ったのだ。
「……言った、だろう?」
 微かに笑う気配が上からする。
 それに再び頷いてから、完全にその人の懐から出切ると頭を下げた。
「なんか、凄いお邪魔しました」
 そう言って顔を上げて、漸く懐に隠してくれた親切な人の顔をしっかり見る事が出来た。さっきも見ていたが、認識する余裕がなかったのだ。
 ゆるゆると波を打つ黒い髪と、垂れて柔和そうな焦げ茶の瞳。厚めの唇とか全部そろって、すごい優しそうだ。――いや実際、優しかった。
 懐に俺を隠している間も、苦しくない様に配慮してくれているのが分かった。
「あの俺、名取って言います」
「……俺は、ザイン……ブリューインだ」
「熊」
 聞いたことがないが、きっと【逃げる】側の【その他】に入ってるグループだ。
 だからこんなに大きいのだろうか。
 体操座りをしているから分かりにくいけど、でかかったギリア先生を軽く上回る大きさだと思う。だって俺を懐に入れれるくらいなんだから。
 ……決して俺が小さいんじゃない。ザインさんがでかいんだ。
「あの、ちょっと立ってもらっていいですか?」
 そう言えばザインさんは、何も言わずに俺の言葉に従って立ってくれる。……本当にいい人だ。
「わぁい……おっきい」
 見上げる首が痛くなるくらい大きい。……二メートルはある気がする。いや多分ある。
 こんなに背の高い人を見たのは初めてで、目を瞬かせながらまじまじと眺めてしまった。
「……怖くないのか?」
「何がですか?」
 突然聞かれて思わず聞き返してしまう。怖いって……大きい事がだろうか?
「……俺が」
「え、何でです?」
「……俺が何か、言ったよな……?」
「えっと……クマ、さん、ですよね?」
 高校生にもなって、動物にさんづけするのも恥ずかしいが、かと言って面と向かって猫だ犬だと呼び捨てするのも憚られて、敬称をつけて熊だと答える。
 すると何故かザインさんは困ったような笑みを浮かべた。
 あれ?俺なんか間違えた?もしかしてこっちの世界では熊というのは恐い部類なのだろうか。
 まあ俺の世界でも襲われたって話は聞くけど……この人は熊は熊でも言葉通じるし、それに。
「だって、俺を助けてくれたじゃないですか」
 へらっと笑ってみせる。
 意図的では無くても追っ手を連れて来てしまった俺を攻める事は無く、それどころか匿ってくれた。それにあんな優しい笑い方をする人のどこが怖いだろうか。
「だから恐くないです」
 嘘では無く、心からそう言った。
 その言葉を聞いてザインさんは少し驚いたような顔をしたが、直ぐにふっと目を細めて笑ってみせた。
(――甘っ!)
 クマさん……もといザインさんは彫が深く男前な面立ちだが、柔和な空気と大人っぽいので笑うと凄く甘い顔になる。
(女の子だったらイチコロだろうなぁ……)
 こういうのをフェロモンを撒き散らす、とでもいうのだろうか?羨ましい限りだ。ザインさんの柔らかい雰囲気に、美形な人ばかり見て荒んでた心が和む。まぁどっちにしろ俺なんかと比べ物にならないくらいモテるだろうけど。
 美形というよりは男前。顔というよりもオーラでモテそうだ。
 また二人で座り直して会話を続ける。
「俺、熊の人って初めて見ました。尻尾とか、耳とか無いんですね」
「……熊は、数が少ないからな……それと、尾は無いが……耳はある、ぞ?」
「え」
 何処に?と頭を見るけれど髪に隠れて見えない。
「……触って、みるか?」
「え、良いんですか?」
 んじゃ、お言葉に甘えてちょっと失礼します……と、軽くうねっている髪の中に手を入れる。
 思ったよりしっとりとした髪の中に、違う毛並みの物が手に触れた。少し硬い毛に覆われた薄めの――。
「あ、本当だ。あった」
 小さいそれを指で挟んで撫でると、ぶるりとザインさんの身体が震えたので慌てて手を引く。
「ご、ごめんなさい。痛かったですか?」
「……いや、別に、良い……」
 ザインさんは否定するが、顔が少し赤い。ザインさんは優しいから痛くても相手の事を思って痛いと言わなさそうだ。
 軽く触ったつもりなのだけど、痛かったもしれないと申し訳なく思った。
「……ナトリ、はバードか」
「あ……いや、えーっと……そんな感じです……」
 ここで“はい”と答えてしまうのはザインさんを騙しているようで――いや実際そうなのだけれど――心が痛んで、歯切れの悪い答えになってしまった。
 明らかに怪しい答え方だったのに、ザインさんは何も言わずに俺の頭をそっと撫でて「そうか」と微笑んでくれた。
 前言撤回。ザインさんは“本当に良い人”ではなくて、“良い人の化身”のようだ。


 それから俺達は【追いかけっこ】が終わるまで話をした。
 ザインさんはぽつりぽつりと話すのが癖みたいで、多くは話さなかったけどすごく楽しかった。
 ザインさんは少し入学が遅くて、今はBクラス。歳は俺より二つ上の十九歳だとか、ここはお気に入りの場所だとか、ブリューインは【逃げる】側だと、かなり強いとか、色々。
 気付けば鐘が鳴っていて、集合場所まで一緒に歩いて行った。別れ際、ザインさんは俺の頭を再度撫でると、よくあそこにいるからいつでも来ると良いと言って微笑んでくれた。……良い人だなぁ。
 会場に戻ると、大声で名前を呼ばれた。
「ナートーリちゃぁああん!!」
 あ、と思うよりも先に、がばりとネクロに抱きつかれる。
「ねーねー聞いてぇ!俺頑張ったんだよー!ほらほら見て見て大収穫!!」
 ぱっと開いて見せた掌の中には銀色の板が、ひー、ふー、みー――六枚、ということは六人!?
 驚きを隠さず表現すれば、にんまりととても嬉しそうにネクロは破顔した。
「凄くなーい?今回俺ちょーし凄い良かったんだぁ」
「うん凄い。ネクロの勇姿見たかったかも」
「あー……うん、それは見ない方がイイと思うよー……」
 称賛しながら笑うと、何故か僅かな沈黙の後、歯切れ悪く答えられた。
「え、何で?」
「コイツが調子がいいって事は、我を忘れ過ぎてたって事だからな」
 二夜の声がネクロの後ろからしたが、二夜の姿が見えない。
「どこ?」
「ここだ、ここ」
 返事と共に、ひょこりと茶色のトラ猫がネクロの肩から顔を出す。……なんか可愛い。
「ネクロが我を忘れるとどんな感じなの?」
「あー」
「そうだねぇ……一言で言うとー」
「「死屍累々?」」
 重なって言う二人の言葉に、絶対見たくないと思った。

「ってか、なんで二夜、ネコの姿なの?」
「ニヤちゃんはねぇ、ネコの姿の方が楽だから胸張って元の姿になれる【追いかけっこ】になると、すーぐネコになっちゃうんだよねぇ」
「にゃっ、ちげぇよ!こっちの姿の方が小回りが利いて良いんだよ!」
「はいはい、言い訳しない〜」
「二夜はいくつとれたの?」
「……三枚」
 揶揄われて、ぶすっと答える二夜。
 でもそれでも十分凄い。
「凄いじゃん!」
 三人でも普通に凄いと思う、と誉めたら二夜が急に挙動不審になった。
「じゃっ、じゃあ……後で……っ」
「後で?」
「にゃっ……撫でてくれるか?」
 ご褒美として……と猫の姿で上目使いをされてノーと言える強者っている?ただでさえ俺はノーと言えない日本人なんだ。
「もー……!そんなんで良いなら、体中撫でまわしてあげるよ!」
 この慎ましい生き物がぁっ!と可愛すぎて、にこにこと笑みが零れる。
「いっいや、ナトリちゃん、そんな言い方だと、誤解を招くってゆーかー……てか、撫でまわしたら、ニヤが多分死ぬ……」
 ネクロが慌てるのと同時に、ボトリとネクロの肩から二夜が落ちた。
「えっ、なんで!?にっ、二夜!?」
「ほら、言わんこっちゃないー」
 こうして、俺の初めての授業は無事に終わった。



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