雪隠詰め | ナノ


▼ 初授業


 二夜に手を引っ張られながら移動すること十分。
 ぜいぜいと肩で息をしながら『C』と書かれた教室のドアの前に来ていた。
「間に、合った……か?」
 恐る恐るといった体で二夜が呟く。
「おせーよ」
 ぱこーん、と小気味良い音がしたと思ったら、二夜の頭に何かがぶつかっていた。
 それを持っている手をたどると、昨日の蛇の――ギリア先生が立っている。どうやら出席簿で二夜の頭を叩いたようだ。
「いでぇよ!!」
「うるせぇ。お前はさっさと後ろのドアから中に入れ。ナトリは俺と前のドアから入って自己紹介すっから」
 面倒臭そうにギリア先生は頭を掻くと二夜を中へと追いやる。
 二夜は不安そうな顔で一度こちらを見たが、がんばれ、と唇を動かすと、ぎこちない笑みを浮かべて先に教室の中に入った。
「んじゃまあ、中入るか」
 二夜が入ったのを見届けて先生が口を開く。俺を一瞥した後、ドアに手をかけたが、ピタリと止まった。
「あの、先生?」
 ゆっくりとこっちに向き直るギリア先生。
 何かあったか?と思っていると、がばっと昨日のように俺の首筋に先生の顔が埋まった。
「あ、あの!?」
「うるせぇ。耳元ででかい声出すな」
 その言葉の後に、シュー、と細い音が耳に入って来て体が強張る。
 この音を聞くと今にも噛みつかれそうで凄く怖い。
 唾を飲み込んで思わず喉を鳴らすと、くくっと喉で笑われた。
「恐いのか?」
「え……ええ、まあ……本能的に……?」
「そうか」
 どこか楽しそうな響きの声でそう言ったのを聞いた次の瞬間、べろぉと首筋を舐めあげられる。
 温かくてぬめる物が首を滑る初めての感覚に、堪えきれずに小さく悲鳴のような声を上げてしまう。
「本能は大事だ。大切にしろよ。……まあ、これぐらいの匂いだったらバードで通るな」
 大切にしろよ、と低くささやいた後声音が変わって呟くと、漸くギリア先生の顔が離れる。
「じゃあ中に入るか」
「……はい……」
 なんかもう、既に疲れました……。


「おら、席に着け、黙れ。こっち向け」
 中に入ると、ギリア先生が教卓を出席簿で叩きながら低い声で吼えた。
 凄い一方的な喋り方に思わず苦笑いが零れる。
「転入生が入って来た。バードのナトリだ仲良くしてやれ」
「ど、どうぞ、よろしくお願いします」
 頭を下げながら俺はドキドキしていた。
 勿論初めて自分がお世話になるクラスの人と顔を合わせるからでもあるが、それだけでは無い。
(うわぁ皆、獣耳と尻尾がついてるよ……!!)
 ぱっと見で正確では無いが、このクラスの七、八割は形は違えど、獣耳か尻尾がついていたのだ。
(なんか、可愛い……かも)
 獣耳と尻尾がついてるだけで男と言えど、三割増し可愛く見えるのは気のせいだろうか。
 いや、というより何だか美形が多い気がするのだが……?
「ナトリ、お前は一番後ろの席な」
「はい」
「んじゃーはじめっぞー」
 既に配置されてあった一番後ろの窓側の席に着く。八×八の席、プラス俺だから俺の横の列は無しだ。
 席に着くと目の前の席の人が、くるっと後ろを向いてニカッと笑った。
「ハジメマシテー。俺、フィーラインのネクロってゆーの。もしかして、ニヤのオトモダチ?」
「え、あ、うん……?」
 初めて顔を合わせたばかりなのに、二夜と関係がある事を指摘されて疑問を持ち、返答があやふやな物になってしまう。
 すると彼はニヤリと笑った。
「いやだってねー。前後のドアっていっても、同じ時間に入ってきたからさぁ?俺はね、ニヤの同室者なんだぁ。ヨロシクねぇ」
「あ、こちらこそ」
 ……また美形だ。
 オレンジに近い髪を後ろでまとめ上げている細面の美形。くっそう、猫耳で美しさ割増しなんてずるい……!
 俺にもあったら、少しは平凡さ加減がどうにかなるだろうか……いややっぱ止めよう。考えるだけでも悲惨な物になりそうだ。
 黄緑に近い緑の目を細めて、んふんふと笑いながらニヤの同室者――ネクロは話し続ける。
「ナトリちゃん、だったよね?は何歳なのー?」
「十七だよ」
「へぇえ、俺といっしょー。ねえねえ、ニヤってお馬鹿だよねぇ。昨日もギリちゃんに怒られて帰って来なかったしー」
 あ、でもニヤって自分の秘密の場所いっぱい持ってるから、そこで寝ただけかもーと呟くネクロ。
 昨日は俺の所にいたからなんだけどな……と思ったけど訂正すると理由まで話さなくちゃいけなくなりそうから、そのままにしておく。
「ニヤは頭は良いけど、悪い事するとすぐバレちゃうからさぁ。不器用なんだよねぇ」
「あー……」
 なんかわかるかも。
 まだ出会ったばかりで二夜の事を深く知っている訳ではないけど、何となくそんな気がする。
「あ、わかるー?」
「うん。何となくだけど」
「でも、今日来るなんて災難だねぇナトリちゃん。どうせなら、明日からにすればよかったのにー」
「え、それってどういう……」
「だって今日はンぎゃ!?」
 奇声と同時に、がくん!とネクロの頭が前に揺れる。
「ネークーロ?」
 俺の授業を聞かないなんざ良い度胸じゃねぇか、と先生がぎりぎりとネクロの頭に指を立てていた。
 大きな手に血管が浮かんで相当の力な事が分かる。
「ぎっ、ギリちゃん!やばいやばいやばい、頭蓋骨砕けちゃうよ!?まじで粉砕する!!中身でちゃう!!ホント、やばいって!!」
 ネクロは、さっきまで間伸びした喋り方が打って変って、早口言葉みたいになっている。
 余程痛いのかばたばたと暴れ、ギリア先生の手を引っぺがそうとしているのに先生の手は離れない。
「良いじゃねぇか、ぶち撒けろよ……啜りとってやらぁ」
「止めてギリちゃん!二つに割れた舌を出さないで!!シャレになんないよ!?ってか、全然違う意味に聞こえ、痛たたたた!!ごめんごめん、ごめんなさい!!許してください!!」
 本気で泣きが入り出したネクロが謝ると、ぱっ、と手を離したかと思うと、次はないと思え、という恐ろしい捨て台詞を残して、何事もなかったかのように先生は戻っていった。
 後に残ったのは、ひくひくと痙攣をしているネクロ……。
「ね、ネクロ、大丈夫?」
 恐る恐る声をかける。
「……ナトリちゃん……俺の頭、手のひらの形に陥没してなぁい……?」
「だっ、大丈夫、してないよ!」
「じゃあ……いい、や……」
 がくり、と頭を垂れたネクロはこの一時間、全く動かなかった。




 一限目が終わるとすぐに二夜が近づいてきた。
「大丈夫か?」
「うん……」
 遠い目をしながら曖昧に頷くと、二夜は怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうした?」
「いやぁ……俺が喋ってたの、日本語じゃないんだなって、今更ながら気付いてさ……」
 授業が始まって、ギリア先生が黒板に字を書いた時に愕然とした。
(――なに、その文字!?)
 いや、読める。読めるのだけれども、見た事のない文字。まるで幾何学模様のようなそれ。
 そして俺が喋ってるの言葉も、そのようだと漸く気づいた。
「あんまりにもナチュラルすぎて、ぜんっぜん気付かなかった……。自分の世界の言葉喋ってると思ったら、違ってたってことはさ。ニヤは“二夜”って書かないんだ……」
 こちらの台詞に、二夜がなにを言っているのか良くわからないと言ったような表情を浮かべた。
「いやね?俺の国には“漢字”って文字があるんだけど、それでニヤって書くと『二』つの『夜』って意味になるのかな〜綺麗だな〜って思ってたんだよね。ほら、『月が二つ出てた夜』って意味があるって言ってたし……」
 まあギリアとかエレミヤって名前が出てきた時点で、おかしいなとは思ってたけど。
「……綺麗?俺の名前が?」
 きょとん、とした表情をしている二夜に頷いて肯定すると、少し黙った後、頬を指で掻いた。
「……じゃあ、そのままでいい」
「へ?」
 ミツルの世界の言葉でも綺麗だと思ってもらえるのは嬉しい、と二夜は顔を赤らめた。
 それがなんだか嬉しくて、気分が高揚する。
「そう、そっか……そっか!なら俺の中でニヤはこれからずっと“二夜”ね!」
「聞いてる分にはわかんないけどな」
 まぜっかえすように二夜は言ったけど、照れ隠しなのはバレバレだ。
 あ、あとそれとここ男子校なんだね……と呟くと、「言ってなかったっけ?」と言われた。猫耳女の子が見れなくて、なんだか残念に感じてしまったのは悪いことではないと思う。
 平凡だけど俺も健全な十七歳男子高校生だからね?お年頃なんだな。
 それにしても言葉が違っていたのに、自然と喋っていたというのは衝撃だった。
 バベルの塔に神の怒りが落ちた後も会話が普通に通じたらこんな感じなんだろうか。……いや、それとはなんか違う。これは――。
「ド○えもんのホン○クコンニャク食ったらこんな感じかな……」
「……さっきから何を言ってるんだ?」
 不思議そうに見つめる二夜の背中に、ネクロがしなだれかかって来た。
「ニヤちゃーん、なぁに話してんのー?」
「お前、頭は大丈夫だったのか?」
「……一瞬死んだじっちゃんが見えたけどね……じゃなくて、次の授業の準備しないといけないでしょー?」
「次……って何だった?」
「なぁに言ってんの≪追いかけっこ≫でしょうがー」
「あ゙っ!!」
 二夜が叫んで固まる。その顔にはありありと『しまった!』と書いてあった。
「≪追いかけっこ≫……?」
 そんなのも授業に入るのだろうか?
 まぁ机に向かっているのが嫌いではないけど好きな性質でも無いから、それで授業になるなら別に良いのだけど。
「あ、ナトリちゃんは知らないかなぁ?うちの名物授業でねー月に一回のペース程度であって、学年関係なく皆で盛大な≪追いかけっこ≫をするのさー」
「へぇ、面白そう」
 素直に返せば、二夜は顔を顰めてネクロを窘めた。
「馬鹿、そんなに軽いもんじゃないだろ。あのな、ミツル。この≪追いかけっこ≫は、俺達が獣の本能を忘れない為というのが名目で――」
「つまり弱肉強食の感覚ねー」
 へぇえ、やっぱり元が動物だとそういう授業があるんだ、と感心する。
「追いかける方を【狩る】側って読んで、追われる方はまんまで【逃げる】側って呼ぶのねぇ。で、どっちが【狩る】側で、どっちが【逃げる】側か掲示されてるから、着替えて見に行こーって事ー」
 教室でエレミヤさんが用意してくれた指定のジャージに着替えて、その掲示板の所へ向かう。ルンルンと鼻歌を歌うネクロの後ろで、二夜がこっそり耳打ちしてきた。
「マズい事になった」
「え?」
「この授業、進級にも関わる小テストみたいなもんなんだ」
「げ。そうなんだ」
「でも、ミツルは『ニンゲン』で、俺らみたいに鼻も利かないし、獣の姿にもなれない。圧倒的に不利な状況だ」
 ……確かに。人間は天敵がいなくなった今、身を鎧う必要もなくなって、もし仮に現在、捕食者が出来ようものなら人間ってのはすごい狩りやすい獲物――らしい。
 テレビでそういう事を言っていたのを聞いた事がある。
「ごもっともです……」
 たしかに五感が鈍く、脚も遅い。武器となる爪、牙もなし……。人間って野生に戻されたらすごい食べやすい餌だと思う……。
「ニンゲンって、物凄く速く走れるとか、高く跳べるとか、そんなこと出来たりするか?」
「で、できません」
「マズいな……」
「あ、発表されてるー」
 こそこそと二人で小声で話していたが、ネクロの声に顔を上げ、大きな掲示板に張り付けてある紙を視界に入れた。
 【狩る】側には、フィーラインと、サーペント。【逃げる】側には、ケイナインバードと、その他と書かれていて――。
「え」
「げ」
「ありゃりゃ。敵味方に分かれちゃったねー俺ら」
 からからとネクロが笑う。 そして笑ったまま俺に顔を向けて、更に目を細めて見せた。
「まぁでもぉ、ナトリちゃんは初心者だしねぇ。俺のターゲットからは外してあげるから安心してぇ」
「あ、ありがとう」
「ミツル」
 がしっと肩を掴まれる。目の前には俺以上に必死の形相の二夜。
「いいか逃げろ。逃げて逃げて、隠れて息をひそめて終わるのを待てよ!?」
 ぜってーボロを出すな!二夜はそう耳元で囁いた。
「やっだー、死に別れるわけでも無いんだし、ニヤちゃんったらおーげさぁ。そんな言い方したらナトリちゃん怯えちゃうでしょぉ。鐘が鳴るまでの辛抱じゃーん。まぁ俺は【狩る】側楽しいから、もっと続いても良いけどねぇ」
 にやぁぁ、とネクロは黒い笑みを浮かべる。今にも舌なめずりしそうなその笑みは、捕食者の笑みだった。
 そんなネクロを指差しながら、二夜は顔を歪めた。
「こいつ見てわかるかも知んないけど、肉食系の【狩る】側の奴らは追いかける事に快感を感じる。我を忘れて狩ってくる奴もいるから気をつけるんだぞ?この≪追いかけっこ≫では毎回怪我人が続出する」
「死人はでないけどねぇ」
「そんなにハードな内容なの!?」
 怪我人って、と少し青ざめるが、そんな俺に気付かず二人はうんうんと頷き合っている。
「まぁ、今回はケイナインが【逃げる】側だから、そんなに危なくないとは思うけどぉ……」
「あいつらすごいチームワークで追ってくるからな……」
「まぁ、我を忘れやすいのは俺らだけどねぇ」
「それを言うなよ……」
サーペントも気をつけてねぇ?狩り方はそこまででも無いけど、ターゲットにされたらしつこいよー。まぁ、ナトリちゃんなら、飛んで逃げちゃえばいいかもだけどぉ。あ、一応教えておくと、動物の姿になるのは校内は基本禁止されてるけど、この授業は免除されてるからねぇ。かと言って、動物の姿になれば安全ってわけじゃないんだけどー」
 ――な、なんかすごい恐くなってきた。
 飛んで逃げろ、と言われても、自分には飛ぶ術はないのだ。
「おろ?【逃げる】側の移動が始まったみたいだよぉ。ほらほらナトリちゃん、いってらー」
「あ、最後に」
 別れ際、ぐいっと二夜に腕を引っ張られると、
「『王』には気をつけろよ」
 ついさっきのエレミヤさんと同じ言葉を繰り返された。
 しかし、それは一体どういう事なのかとその意味を聞く前に、俺は【逃げる】側の移動の波に呑まれてしまった。



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