Novel | ナノ


▼ 空の下

『名前、何にしようか……』
 俺に手を伸ばしてくれたその人は、汚れを気にもせずに温かい腕の中に俺を迎え入れてくれた。
『名前、名前……』
 その人の鼓動と歌うような声に心が落ち着く。
『……それにしても、今日は良い天気だな……』
 あ、と声を上げて、その人は俺のあご下を指で擽った。空腹は痛いくらいだけど、心地良くて微かにぐるぐると喉がなる。
『“ソラ”で、良いか……』
 そう言ってその人は歩き出した。今日は本当に綺麗な空だな、とぼんやり呟きながら。




 なんてことを思い出すほど綺麗な空の下、庭を見ていたら白い猫が視界に入って来た。ここ最近来る雌猫で、雑談相手。庭と言っても、何処から何処までがこの家の庭という仕切りは無いから、いくらでも出入りは出来る。この白猫は、飼い主がちょっと離れた畑に仕事に来る際に、一緒に連れて来られ、暇な間散歩でここまで来るそうだ。……長い散歩なこって。
『暇そうねぇ』
「まあな」
 猫は人の言葉が分かる。俺は猫だったから猫の言葉が分かる。だから会話は成立しているが、傍から見たらちょっと怪しい人だ。
『休日の真昼間に縁側でぼうっとしてるなんて……。恋人に構ってもらえないの?』
「ちげぇよ」
 白猫は青の目を細めて嘲笑った。こいつ……分かって言ってるな。
「俺の大切な人は奥ゆかしいだけだ」
『あら、そう。でも物足りないんでしょ』
 図星ね、と笑う彼女に溜息が出た。確かに物足りない……というか、もっといちゃつきたい。はっきり言えばそうだよシたいんだよ、俺は。でも日向が嫌がるなら無理はしない。したくない。
『顔にありありと欲求不満ですって書いてあるものねぇ』
「……そんなにか?」
『鏡をごらんなさい』
 顔を擦ると、愉しそうに彼女は笑った。
『それでも貴方は恋人さんが好きなのよねぇ……。ああ、違うわね 好きだから無理させないのよね』
「……そうだよ」
 目を閉じて拾われた時の温もりを、餓えた腹と心を満たしてくれた優しさを、泣きながら側にいてくれと言った時の日向を、そんな愛おしい所全てを思い浮かべて
「大好きだ」
 と呟くと、自然に頬が緩む。
『……だらしない顔ねぇ』
 呆れたような声を上げた白猫は、ふと目を横にずらすと、面白い物を見つけたように目を細めた。
『ふふ……。そろそろ私帰るわね。貴方のだらしない顔なんか見ても、ちっとも楽しくないし』
 そう言うと、外に出していた俺の脚に身体をすり寄せて甘えて見せる。いつもはそんなことをしないのに、なんでだ?と疑問を抱いたが、それを質問する間もなく、『まあ時には押し倒してみるっていうのもいいんじゃない?』と笑って、長い尻尾を揺らがしながら首に付けた鈴を鳴らして消えた。

「また来んのか?」
 彼女が一体何をしに来たの分からずに首を傾げ、室内に戻ろうとして踵を返したら、すぐ横に日向がいて驚く。
「うぉっ」
「あ……いや、ごめん」
 気まずげに目を反らす日向の手には、それぞれにマグカップが握られている。湯気が立っているそれは、一緒に飲もうと持って来てくれたのだろう。
「ああ、ありが――」
「やっぱり、猫の方が……いいの、か?」
「は?え、ちょ!?」
 急にボロボロと目を見開いて涙を零す日向。両手が塞がっているから拭えず、ただ流れるそれを俺は慌てて拭った。
「何が、何がだ日向?」
 俺が働いていた仕事先は、俺がそのまま続けることになったが、親切な仕事先の人は日向にも簡単な仕事を与えてくれた。こういう融通が結構簡単に利くのは、本当に田舎の特権だと思う。周りの環境が良いおかげで、ゆっくりと日向は社会に戻って来たが、やはり時折情緒不安になる。前のように絶望しきった目はしなくなったが、こんな風に時々滂沱することがあった。そういう時は聞いて、ただ受け入れる事に徹する。
「ゆっくり息吐いて、吸って、んでもって喋ってみろ。焦らなくていい、待つから、な?」
 日に透けると茶色に見える髪を、ゆっくり撫でる。すー、はーと何度か肩が上下するのを見ていると、ぽつりぽつりと日向が口を開いた。
「……俺は、お前が生きていてくれるだけでいいって、思えるようになった、から。お前が一番幸せなら……相手は俺じゃなくても、いいんだ、ぞ……?」
「え?」
 猫の方とか、女性の方が良いなら……俺は止めない。俺は大丈夫だ、多分……と泣きながら涙を拭う俺の手に少し頬を擦りつける日向に俺はもう、唖然とした。まず、日向が我慢しているのは明らかだ。そこまでして俺を一番に考えてくれているということに、喜び通り越して驚嘆する。
 そしてその事に泣いてくれている……と、言う事はだ。
「ひ、日向……もしかして、俺があの猫の事を好きだとでも思ってる……?」
 彼はマグカップ両手に俺の後ろに立って、俺にじゃれつく猫に羨望の眼差しを向けていたのか?それは、つまり……嫉妬というやつでは?
「日向」
 がっと頬を挟んで顔を合わせる。今の素直な日向じゃないと、きっと言葉は聞けない。
「さっきの猫見て、どう思った?」
「思ったって……?」
「悔しかった?悲しかった?怒った?どう思った?」
 いつもはこんな風に矢継ぎ早に聞いたりなんかしない。でも今はどうしても聞きたかった。
「……あ、焦った」
 ぽつりと零すと、つられるようにぼろぼろと言葉が出てくる。
「俺じゃ駄目なのかって、やっぱり女性が良いのかって、どこか行っちゃうんじゃないかって……!でもお前が幸せなのが一番だから、潔く俺はお前の判断に従おうって、でもやっぱり俺の側に居て欲しくて……!!」
 嫉妬だー!
 喜びで背筋が震える。
「日向」
「ふ?」
「セックスしたい」
「……は?」
 涙を止め、ぽかんと日向は口を開けた。ああもうそんな可愛い顔しないでくれ。我慢できなくなる。
 マグカップは取り上げて、中身を溢さないように近くのテーブルの上に置くと、上機嫌で俺は日向を肩に担ぎあげた。
「俺がどんだけ日向の事愛してるか、体中でたっぷり分からせてやるから」
「え……?愛し……って、う、嬉しい……じゃなく……え?体中で……って、え、あ、ええ!?」
 戸惑いを隠せない声を背中から聞いて、俺は唇に笑みを乗せた。
 そうだよな。時には俺が我が儘言ったっていいじゃないか。

 一体どうやって日向を啼かせようかと楽しく考えながら、俺は外にちらりと目を向けた。
 ――ああ、それにしてもいい天気だ。





- 終 - 




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