Novel | ナノ


▼ 11


「イルファーン、全て吐け。それで楽になれるのだぞ」
(――吐いたら、楽に)
 唇を開きかけた瞬間、脳裏に紅の瞳が瞬いた。
「……ッ!!」
 何を諦めようとしているのか。
 心に決めた筈だ。祖父の想いを、乳母の悲しみを、皆の願いを叶えると。
 民を苦しめる?それは奴隷解放を行った後、何もしなければだ。サクル殿下を話したでは無いか。理想の国を、その為にどう政治を行うかを。
 ……アサドに誓ったのを忘れたか。
「……わた、しは……」
 口を開いたのは掠れた細い声だった。
 父が話す気になったかと身を乗り出すのが分かる。
「……わたし、は、そうは思わ、ない。はなす……ことなど、なにも……無い」
 言い終わると同時に、背中に激しい痛みが走った。強情ぶりに腹が立ったのか、間をおかずに何度も振り下ろされる。
 それは鞭で殴り殺そうとしているかの様な勢いで、けれどそれでも良いと思った。
(――死ねば、開く口も無くなる)
「バドル殿、おやめなさい。死んでしまいますよ」
「しかし……っ」
「死んでしまったら口を割らせる事も出来ますまい。それに少し趣向を変えてみようと思いましてね」
 パン、と両手を打ち鳴らす音と共に、再び男達が何人か狭い部屋に入って来る。
 どこか室温が上がったような気がした。
「背中……は、流石に出来る状態では無いか。顔、も良いが、その整った顔を傷つけるのは惜しい。手、が無難ですかね。隠せない場所だから尚良いか」
 何の話だ、と顔を上げて目を見開く。
 ズハイルの横にいつの間に持ち込まれたのか、燃した石炭が詰め込まれている壺があった。
 そしてそこに突っ込まれている一本の鉄の棒。
 それが何を意味しているのか直観的に悟った。
「な……っ!!!」
 叫ぼうとした口を塞がれ、縛られていた腕は解かれる。しかしすぐに暴れない様にと、骨が折れそうな程力強く押さえつけられた。
 せめてもの抵抗にと握った拳も、指を無理矢理開かされる。手の甲に酒を振り掛けられたのか、すうっと冷える感覚がした。
 鼓動が走り、ガンガンと頭が痛む。
 まさか、まさか、まさか。
「ふふ、聡い君ならもう察しがついたかな」
 ガジャリ、と音をたてて壺から引き抜いた鉄の棒の先には、奴隷を示す紋様が彫りぬかれた金属板が真っ赤に焼けていた。
 絶望と恐怖に目の前が真っ暗になりそうになる。
「奴隷と同じ苦痛を分け合うなんて、君も本望だろう?ん?」
 厭らしい下卑た笑みを浮かべて、ズハイルはそれを手に近づけた。ズハイルが顎をしゃくると、口を塞いでいた手が退く。
「さてイルファーン君、最後のチャンスだ。全て話してくれるかい?」
 少ししか離れていない焼き鏝の近さに、血の気が引くのが分かった。
 嫌だ、と頭の中でもう一人の自分が絶叫している。
 焼き印そのものの恐怖だけでなく、手の甲という隠し様が無い場所に奴隷の烙印を押されるという絶望。
 ――けれど計画の事を話せる訳が無かった。

(たす、けて……)
 初めて誰かに助けを求めた。
 共に願いを叶えてくれないかと、力を貸してくれないかという助けは求めた事がある。けれど、こんな風に、誰かに縋りつくような一方的な助けを初めて求めた。
 けれどそれを口にする事など許せるわけもなく、唇を噛み締め、青ざめて震えながらズハイルを見つめて、ゆっくりと、首を横に振った。……振るしか、無かった。
 にんまりとズハイルが嗤って――焼き鏝が手の甲に押し当てられる。

 ひゅ、と息を呑み、次の瞬間皮膚が焼け爛れる痛みに、喉が破れんばかりに絶叫した。




 城に潜り込み、アイツの元へは仲間の手を借りて、案外すんなりとたどり着けた。
 部屋の前に立って扉を叩くと、即座に中に入れられる。
「あの子の身に何かあったというのは本当か!」
 掴み掛からんばかりに鬼気迫った様子で、サクルは俺に詰め寄った。
 砕けた指輪を見せると、その顔から血の気が引いて真っ青になる。
「頼む、俺じゃ何も出来ない。イルファーンが捕えられていそうな場所を……っアイツを救うのに手を貸してくれ……!!!」
 ふらりとサクルはよろめくと、椅子に座って頭を抱えた。
「何座ってんだ、そんな暇……!」
「……今、間諜を放っている。それが情報を持って来るまで動けない」
「は……。そ……んな事やっている間にアイツは!」
「分かっている!!!」
 大声で吼えたサクルは、その後に同じ言葉を呻きながら呟いた。
「分かっている……。敵対している人間は掃くほどいるが、その中からこういった行動を起こせる様な奴を絞る事も出来る。それでも、まだ動く事は出来ない。せめてそれが三、四人にならないと……」
「ふざけるな!アイツが今……!!!」
「黙れ!!お前はあの子が培ってきた物全てを壊す気か!!!」
 その怒号は身を裂くような悲痛さも含んでいた。
 拳を握り、椅子の肘掛を壊す勢いで叩いて一言一言区切る様に吐く。
「俺だって、今すぐにでも探したい!!一体、どんな目に合っているか考えるだけで、不安と焦燥で吐き気がするくらいだ……!!けれどあの子が、一番望んでいた夢を、潰す訳にはいかない!俺がしらみつぶしに敵対者の元を訪れたら、それこそ計画が露見する。それだけは、避けねば……っ俺の命など捨てても良い。だが、この計画は一度駄目になったら、もう二度と立ちなおす事は出来ない。計画を捨ててまでイルファーンを助ければ、あの子はきっと自らの命を絶つ。それくらいに力を入れて来たのだから……っ」
 それを聞いて、膝から崩れ落ちそうになった。
 こいつの言っている事は正しい。けど、イルファーンが。
「どうして……」
 両手を握りあわせ、力の込めすぎで震わせながらサクルは顔を上げた。
 苦しみや焦りに歪んだ目で俺を睨む。
「どうして、お前はあの子を守れなかった……っ」
 絞り出すような呻きに息を呑んだ。
 俺が傍に居ながらアイツの身を危険に晒した。いや、俺は傍に居られなかった。
 俺が、アイツを裏切ったから。
「こんな事を言っても後の祭りで、ただの責任転換だろうが……それでも、俺はお前を少しは信頼して……お前ならば、あの子を少しは守ってくれるだろうと……っ」
 信頼した俺が、馬鹿だった。そう言っている様な内容に返す言葉も無かった。
 刻々と時間だけが過ぎて行く中、ただ俺は自分を責めながらイルファーンに想いを馳せて歯噛みをするだけだった。

 焦燥で張り詰めた様な空気の中、泥の様に重い沈黙が横たわったまま、物事は進展せずとうとう一夜が明けた。
 俺もサクルも全く寝ようともしない所か、その場から必要以上に動かなかった。
 今打つ手は全て打った、というのもあったかもしれないが、それよりもイルファーンが苦しい目に合っているかもしれない中、のうのうと痛みを感じられずにいる自分達が許せなかった。
 朝日が部屋を満たし始めた頃、扉を控えめに叩く音に二人同時に身体を揺らした。
 急ぎ足で扉を開けるサクルの背中を、藁にも縋る想いで見つめる。
 数度サクルは頷くと扉を閉め、部屋の壁に掛けてある剣に手を伸ばした。
「今から出る」
「見つけたのか」
「……可能性が高い者達と場所を数名まで絞った。本当ならばもう少し確実な情報が欲しいが、俺が今まで得た情報も合わせてふるいに掛けよう。正直危ない賭けだが、これ以上、待てない」
 無表情に言い捨てたその言葉に、ただ俺は無言で頷いた。


 城から数名の兵を連れ、サクルが導く方へ馬を走らせる。
 焦りと不安で急く心とは別に、思考はやけに冷静になっていた。
 ついたのはイルファーンの屋敷に輪を掛けて豪勢な屋敷で、行く手を遮る門番をサクルが第二王子である事を盾に、次々と振り切り屋敷の入り口を潜る。
 急な第二王子の訪問とあって、使用人が慌てて屋敷の主を呼びに行っている間、低い声でサクルが囁いた。
「いいか、相手は一癖も二癖もある相手だ。イルファーンを攫ったのは情報を聞き出そうとしただけでは無く、イルファーンが攫われた事で俺が動く事を予想していての可能性は十分高い。そんな事を考える程、狡猾で頭の回る人間だ。必ず挑発をしてくる。それに乗るな。どんなに腹が立つ事を言われようと口を閉ざしていろ。表情を変えるな。暴力は論外だ。わかったな」
 その言葉が終わると同時に、奥から一人の男が近づいてくるのが見えた。
 一目で高級品と分かる様な服に身を包んだその男は、今まで見て来た上流階級の奴等とは違う空気を放っていた。
 見た目は中肉中背で平凡な顔立ちなのに、目に宿るどろりとした色が脳裏にこびり付く。
 野心、驕傲、狡猾、全てを集めて煮込んだような、重く沈んでいるのにぎらぎらと輝いている嫌な瞳だ。
 嫌な臭いを嗅いだ時の様に鼻に皺を寄せそうになるのを、サクルの一言でどうにか押し止める。
 男はこちらに近づきながら、満面の笑みを浮かべた。
「おやおや第二王子が連絡も無しにいらっしゃるとは、一体何がありましたかな?」
「ズハイル殿。突然の訪問を詫びるが、事は急を要するのだ。イルファーン・バドル・アル=ラシードが行方不明だ。何か貴殿はご存じないか」
「イルファーン君が?」
 驚いたようにズハイルと呼ばれた男が目を見開く。
 しかしそれはどこか芝居がかって見えるのは、目の前のコイツがイルファーンを攫った張本人である可能性があるからなのだろうか。
「行方不明……。どこかに遊びに出かけて、帰らないというのでは無いですかな?十七といえば遊び盛りの歳。私もその歳頃は幾晩も帰らぬ様な日々を過ごしていましたからなぁ」
 ははは、と放った笑い声が耳につく。
「いや、彼はそういったのとは無縁な性格なのは貴殿もご存じだろう。帰らないのならば誰かに伝言を頼むくらいの生真面目な青年だ。それに彼が身に付けている指輪を、彼の使用人が砕けた状態で街で見つけたと持って来たのだ。これは彼の身に何かあったと考えた方が良かろう」
「ほう指輪……」
 すうっとズハイルが目を細める。
「それは確かにおかしいかもしれませんな。……しかし、何故それを私にお聞きになられるのです?そして第二王子であるサクル殿が何故、直々に動いておられるのですかな?」
 目を細めて笑ってみせたズハイルのそれは顔だけで、目は全く笑っていなかった。
 相手の隙を少しでも見つけたら、そこから全てを暴いてやろうと虎視眈々といやらしく獲物を狙っている瞳。
(――こいつだ)
 直観だが、この目の前の男がイルファーンを攫った男だと思った。
 直接攫った訳で無くとも、一枚何かしらこの出来事に噛んでいる。
「王の右腕であるズハイル殿ならば、街の様々な情報が耳に入るだろう。その中にこの出来事に関するような、不穏な物が無いだろうかと思ったのだ。それに私は以前から彼の事を、実の弟の様に思っているのを貴殿は知っているだろう。弟が危険な目に合っているかもしれないというのに、心配しない兄がどこにいる」
「ああそうでしたかな?そういえばイルファーン君とサクル殿は、どの様にして出会ったのでしたかな……」
「幼い頃に祖父殿に連れられてこの城に来た際に会った。彼の祖父殿は私の教育係だったからな。そんな事は今はどうでも良いだろう、ズハイル殿」
 互いに互いが相手の思惑を知りながら、それを引きずり出そうと腹を探る会話を続けている。
 長引く会話は苛立ちを誘い、その苛立ちを煽る様にさり気無い侮蔑や挑発が織り交ぜられる。
 先に行動に移した方が負けなのだという事は重々分かっていても、こんな事をしている間にもイルファーンが、と思うだけで気持ちが焦れた。
 このままでは今すぐにでもこの目の前の男の胸倉を掴んで、イルファーンはどこだと怒鳴ってしまいそうだと思い、この場から離れようと踵を返そうとする。
 生憎後ろの方にいるため、ズハイルという男には連れて来たお供の者の一人としか認識されていないだろう。拳を握ってそう思った時。

(――、――)

 誰かに呼ばれた気がして、バッと顔を上げた。
 いや、誰にも呼ばれていない。耳にはサクルとズハイルが会話している声しか聞こえていない。
 けれど確かに、呼ばれた。――イルファーンに。
 ざわりと毛が逆立つ様な感覚が身体中に走る。
 瞬間、勝手に動くなというサクルの命令は頭の中から消し飛んだ。
 気が付けば脚に力が入り、大理石の床を蹴っていた。
「!なっ!?」
「アサド!?」
 突然身を低くして横を通り、屋敷の奥へと走り始めた自分にズハイルとサクルが同時に驚きの声を上げるのを背で聞く。
「……ッ、あの男を捕えよ!!」
 先に我に返ったのかズハイルが大声で喚くのが聴こえたが、それに周囲が反応するよりも先に廊下を曲がり、ただ一心に駆けた。



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