Novel | ナノ


▼ 7


 侵入路と同じ道を辿って城から抜け出ると、アイツはすたすたと歩き始める。その後ろを無言でただついて行く。が、暫くすると違和感を覚えた。
 路地裏からずっと、足音がついて来ている様な気がするのだ。
 城から出て来たという事で気が立っているのだろうか。それにしては、それなりに人のいる道に出てからも、足音は人波に紛れ込むことが無い。人が多いという事は、足音が紛れても良いだろうに、変に研ぎ澄まされた感覚が足音を辿っている。
 何かおかしな恰好をしているかとも考えたが、イルファーンはあの踊り子の服の上から一枚服を纏っているし、俺も城の使用人用とはいえど目立った服では無いので人混みに紛れれば目立たないだろう。
 嫌な予感がして、イルファーンの腕を掴むと心なしか足を速めた。
「……?どうした、アサド」
 足を速めると、足音も速まった気がする。
 嫌な予感が確信に近づき、曲がる予定の無かった角をアイツの腕を掴んで勢いよく曲がった。
「アサド!?そっちの道では――……」
 足音もついて来た、と思った瞬間目の端で何かが煌めいた。
 ほぼ反射でイルファーンを胸に抱き寄せ、身体ごと反転する。
 腕を煌めきが掠り、カッと熱くなるのを感じてそれが短刀だと視認すると、羽織っていた上掛けの下に隠してあった短剣を抜いた。
 剣を構えると同時に、ザッと音を立てて周りを囲まれた。
 一、二……四人か、と数えながら、アイツを背中に庇う。
 服装は町人が身に付ける様な物で、手に持っている武器もまちまちだ。という事は城の侵入者として捕まえに来た物では無く、誰かが雇った町人、もしくは町人に扮装した暗殺者。……そして目当ては間違い無くコイツの命だ。
 四対一で相手にしても勝てる見込みは無い。雇った素人では無く、本職の暗殺者だった場合は猶更だ。引き付けている間に逃がすのも、ここから屋敷までを考えると難しい。
 後ろに商品用の材木が建物に立てかけてあるが、コイツの武器にするには高さがあり過ぎていささか難しい。
 イルファーンも不味い状況だというのが分かっているのだろう、悔しそうに舌打ちをするのが後ろから聞こえる。
 どうすれば……と考えている暇もない。と思った瞬間、パッと考えが閃いた。
 どうなるか分からない、上手くいくかは難しいが……一か八かの勝負に出る。

 スッと即座にしゃがみ込むと、思い切り材木の足を蹴りで敵の方に向かって薙ぎ払った。
 ガラガラと轟音と土煙を上げて倒れ込む木材に、敵が怯んだ隙にイルファーンの腰を掴むと、残してあった一番太い木材を梯子にして建物の屋根に駆け上る。
 この国特有の土で出来た家は屋根が平で、上がりやすい。
 上がり終えると梯子にした材木を蹴って屋根から外し、後は喚き声を背に、イルファーンを肩に担いで屋根伝いにその場から走って逃げた。




「……ア……ド、アサド!!」
 耳元で叫ばれ、ハッと我に返る。
 敵を撒いたと思われた所で、屋根伝いの逃走は止め、道に降りた。
 それでもそのまま色々な路地を見つからない様に歩いていたのだが、その間ずっとコイツを担いでいたのか、流石に少し身体が軋んでいた。
 いや、一番辛かったのはコイツを掴んで屋根に駆けあがった時か。
 コイツ自身は石を詰め込んだ袋に比べてみればずっと軽いのだが、それでもやはりいくら細身だといえど重みはそれなりにある。
 急に酷使された筋肉が悲鳴を上げたが、それでもまあ、無理という物では無かった。
 いや、危機に瀕していた事で、身体の痛みに鈍くなっていただけかもしれないが。
「アサド!!!」
 また考えに耽っていたのを、怒鳴られて覚める。
「アサド、下ろせ、今すぐだ」
 冷たい声がそういうのに従うと、イルファーンは足が地面につくのと同時に、自分の顔を覆っていた布を剥いで裂いた。
「何だ?」
「腕を見せろ、早く」
 どちらの腕か、と思っていると右腕をぐいとひかれて、二の腕に裂いた布を巻きつけられた。布に押さえつけられて痛みが僅かに走り、そういえば刃が掠ったな、と思い出す。
「アサド、こちらを見ろ」
 目を向ければ、真剣というよりも鬼気迫る様子で紫の瞳が俺を射る。
「他に痛みは、身体に痺れは無いか。私の声は聞こえているか?」
「ああ」
 矢継ぎ早の問いに短く答えると、イルファーンの顔の強張りは僅かに解けたがそれでもまだ硬い。
「腕の怪我が気になる。近くによしみの医者がいたはずだ、そこに行こう」
「こんな傷、別に大丈夫――」
「……ずっと声を掛けていたのに、お前は気づかなかった」
 低い声に口を噤む。
「興奮状態にあったのかもしれないが、気になる。もしも刃に毒を仕込んでいたらどうする。早く行くぞ」
 俺の腕を掴んで早足で歩き始めたアイツの横顔は、命の危険に晒された所為か僅かに青ざめ、強張っていた。

 医者とやらの家に着くと、イルファーンは戸を叩いた。
 暫くの沈黙の後、戸が開き、訝しげな様子の老人が顔を覗かせ……そしてアイツと、アイツの強張った顔を認識すると、慌てて大きく戸を開いて俺達を中に入れた。
 老人はイルファーンの話を聞き終わると、俺の傷を手当し始めた。
 腕の怪我の方は長さはあるがそれ程深くも無い様で、純度の高い酒を振り掛けるだけの治療で済んだ。
 むしろ大量の材木を薙ぎ払った脚の方が怪我としては大きかった様で、骨に影響は無いが数日は腫れるだろうと言われた。
 毒は使われていない、という言葉にイルファーンが漸く全身で息を吐いて安堵の様子を浮かべる。
「そうか……」
 良かった、と言うそれは本当に俺の身を案じてくれていた様に思えて、気恥ずかしくなる。
「アンタ、その……大丈夫なのか。命を狙われて平常心を保てないのは分かるが……顔色悪かったぞ」
「そうか?命を狙われるのは慣れているのだが……」
 その発言にぎょっとする。
 それでは今日初めて殺されかけた、という訳では無いのか。
「ああけれどこんな昼間から、人の往来がある場所で狙われたのは初めてだった。まさかそこまではするまいと思っていたが……もうなりふり構っていられなくなったか」
 こちらの事も、色々と漏れ出ているのだろうな。と静かにイルファーンは呟いた。
「イルファーン様、このままお二人で帰られるのは危険でございましょう。仲間の者から護衛を付けさせ、馬で帰られるのが宜しいかと」
 医者の提言にイルファーンは頷く。その表情はどこか思いつめた物だった。
「そうだな……頼んでいいか」
「勿論です、仲間の者に声を掛けて参りますのでここでお待ちください」
 医者は礼を一つすると、外へ出て行った。
 二人きりになった部屋が、シンと静まり返る。どこか居心地の悪いそれにもぞ……と身体を動かすとアイツが口を開いた。
「礼を、言わねばならないな」
「……何のだ?」
「お前は私の命の恩人だ」
 驚いてアイツの顔を見れば、どこか儚げな空気を漂わせて目を細めていた。
「ありがとう……お前がいなかったら、私はきっと死んでいた」
「……止めろ」
 礼なんかいらなかった。
 自分でもどうしてコイツを助けてしまったのか、助けようと思ったのかすら分からないのだ。
 反射だった。深く考えず、ただ“守らなければ”と瞬時に思ってしまった。
「……アンタが死ねば……奴隷解放の望みが潰える」
 だから助けたのか?いや、そんな事を考えている暇も無かった。
 無心で、コイツを殺す為の刃を守る為に構えていた。
「そうだな……確かにそうだ。だが、命を救ってくれた事には変わりは無い。……何か礼が出来る物があれば良いのだけどな」
 何か望みはあるか、とアイツは問いを投げてきた。
「出来る限りの物は用意するが……そうだ、休みなんかどうだ。働いてもらっている給金は、奴隷の身分から解放された時に纏めて渡そうと思っていたが、休みは取らせてなかったな。四、五日程……いやお前が望むならもっと長期でも良い。自由に好きな事をやるというのはどうだろうか」
「……は?」
 想定外の言葉に声が裏返る。
 奴隷に休暇?そんな事をする奴は頭がおかしいに違いない。休暇など与えられた奴隷は永遠に戻って来ない。誰が好き好んで虐げられる場へ戻ってくるものか。
 そう思う反面、今の俺は虐げられているだろうか、と考えると答えは否だ。それに俺はコイツを見極める為に傍にいるわけで……いや、それならばひと時も離れずにコイツを監視し続けなければいけないのではないか?いや、けれどもうコイツは……。しかし…。
 ぐるぐると疑問が渦巻き、思考が纏まらない。
「いや……良い。欲しい物も、無い」
 とにかくそれだけ告げなければ、と口を開けば珍しくアイツはそれに食い下がった。
「遠慮はいらないぞ?旅に出てみるもの良いかもしれん。旅費も案ずるな」
「アンタな……だから俺は、」
「街での生活も満喫した事はあるまい、そういえば夜になると表情を変えるとか。色町には行った事が無いが、男にとって楽しい場だと聞いた事があるぞ」
「人の話を……」
「今までしたくとも出来なかった事があるのでは――」
「俺が良いって言ってるんだから、別に良いだろうが!!俺はアンタの傍にいる!それで話は終わりだ!!」
 怒鳴り付けると、ハッとイルファーンは口を閉ざし目を伏せた。
「そ……うだな、すまない。意見を押し付けてしまった」
 今まで見た事も無いコイツの様子に怒鳴りつけた後ろめたさもあって、不安混じりの心配が胸に湧く。
 だがそんな心配を口にする事も出来ず、代わりに出て来たのは追及の言葉だった。
「そんなに俺が傍にいると不都合か?俺の目が無い内に何やらかすつもりなんだか……」
「そういうつもりでは無い!」
「じゃあどういうつもりなんだ。傍にいて見極めろと言ったのはアンタだろう」
 目を伏せ、俯き加減になったアイツの手が、微かに震えている様な気がして言葉が喉奥で詰まった。
 怒りで震えているのでは無く、怯えている様に見える微かな震え。
 それを見た瞬間、どっと胸の奥から何かが溢れ出して来て、それに突き動かされる様にコイツに腕を伸ばしていた。
 しかし自分の事なのにその腕で何をしたいのか検討が付かず、うろうろと動かすと仕方なく静かに下ろした。
 コイツが恐れている物を知りたいと思うが、コイツはきっとそれを教えてはくれないだろうという確信があった。
 きっと口を割らない。そう何故か分かった。
 それはコイツがイルファーンという人間だからで、尊ぶ所なのかもしれない。
 そういう所に俺も心を動かされた。けれど、そう思う反面、そうやって強固にコイツが背負っている物を見たいという思いも何故かあった。
 未だに良く分からない自分の思考と、この場の空気を誤魔化す為に話を変える。
「あー……そうだな、その……。それじゃあアンタが今嵌めている腕輪をくれ」
「腕輪……?」
 勿論、今コイツが手首に付けているシャリシャリと音の鳴る女物のそれでは無い。
 疑問をあげたイルファーンの二の腕を指さす。コイツは余り装身具を身に付けないが、いつも親指に金の台座の青金石のゴツイ指輪と、二の腕に同じ金の台座に孔雀石を敷き詰めた細い腕輪だけは身に付けていた。
 指輪の方は正直似合って無かったが、古めかしい装飾と少し曇った台座に、例の祖父から譲り受けた物だろうと見当をつけていた。
 反対に腕輪の方はコイツの雰囲気に似合っているが、指輪の方は欲しいとは流石に言えずにそちらにする。
「これか……?中々色が美しくて買った物だが……そんなに高い物では無いぞ……?」
「……別に良い」
「?装身具が欲しいのならば、もっと良い物が……」
「それが良いって言ってるだろ」
 先程の様に怒鳴りはしなかったが、唸る様にそう言うとイルファーンは首を傾げながらも腕輪を外した。
「大きさも合っていないが……」
 確かに、イルファーンの二の腕に嵌められていたそれは自身の二の腕には到底嵌らなかったが、手首に嵌めれば問題ない。
 ただ、欲しい物は何かあるだろうか、と考えた時、何となくではあるがコイツが身に着けている物が欲しいと、微かに思ってしまったのだ。
 右手首に嵌められたそれは、ついさっきまで嵌められていたアイツの温もりを残していた。



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