Novel | ナノ


▼ 6


 それから毎日俺はイルファーンに様々な場所に連れて行かれた。殆ど行動を共にしたと言っても良い。
 買い物をする時から、下層の民との会談、そして貴族達との密談まで。
 貴族達は胡乱げな目を俺に向けたが、イルファーンは気にせずにいつも俺を連れて行った。
 アイツと行動を共にして色々な事を知った。それは文字や知識といった物だけでは無く、イルファーン自身についても。
 言葉使いは横柄だが、内容は正しく、時には相手を思いやる様な優しさもある。一見冷たく見える紫の瞳は、観察や会談をしている時には鋭く光り、笑みを浮かべる時には柔らかく滲む。
 イルファーンは目で笑う人間だった。
 冷酷で自尊心が高そうな印象を抱きやすいが、実際は確かに無駄な事は切り捨てるが人情が厚く、プライドが高いというよりも高潔という感じだった。
 アイツの傍にいる日を重ねれば重ねる程、あの短剣を使う日など来るのだろうか、と思う様になっていた。

 ある日、俺を朝早くから連れてイルファーンは外に出ると、初めて服を買ったあの服屋に入った。イルファーンだけ店主に奥に連れられ、暫く経って出て来たイルファーンを見て俺は絶句した。
「なっ……っ!?」
 腰に薄絹を何枚も重ねた様な腰布を巻き、上半身には肌が透ける様な布を羽織っている。
 首や腕には装身具を身に付け、手首や足首には動けばシャリシャリと音を立てる踊り子特融の輪がついていた。
 化粧もしてあるようで、唇だけでなく目尻にも薄らと紅が引かれている。
 完全に、踊り子の様な姿のそれ。
「アンタ何して……!」
「アサド、今から王宮へ向かう」
 こちらの狼狽をもろともせず、ぴしゃりとイルファーンは言いのけた。
 『王宮』という言葉に思わず口を噤む。
 顔を覆う薄いベール越しの瞳は真剣そのもので、思わずその美しさに我を忘れて見惚れた。

「サクル殿下に会う。お前もついて来い」




 手渡された、白を基調とした服に俺も着替えて王宮へ向かう。
 前門からでは無く使用人専用の裏口から入ると言われ、付いて行った場所は本当にここが王宮に繋がっているのかと思う様な質素で小さな木の戸だった。
 そこをイルファーンが拍子を付けて叩けば、一人でに開き、誰かが顔を覗かせるとイルファーンの顔を見て頷き中に導く。
 いつぞやの酒場に入る時の様なそれに、王宮内にも仲間がいる事を知った。

 シャリシャリと微かに音を立てながらイルファーンが歩き、その後ろを俺が歩く。王宮に入ってから気づいたのだが、俺が身に付けている服はどうやらここの使用人の制服らしい。
 いつの間にか歩いている床が、大理石に紅の絨毯が引かれている物に変わった頃、イルファーンが囁いた。
「今からお前は私の前を歩け」
「……どこに向かえば良いか分からない」
「大丈夫だ、この廊下を真っ直ぐ、心持ちゆっくり歩け」
 小声に小声で返すと、しずしずとアイツが後ろに回る。仕方が無いから、言われた通りゆっくりと廊下を歩いた。
 同じ服を着た使用人に、官僚か何かなのか偉そうな奴等が時折横を通り過る。
 正規の方法で中に入っていない俺達はつまりは侵入者だ。見つかればただでは済まない。それどころか俺は奴隷の身分を隠している。
 今までで一番危ない橋を渡っているという緊張からか、じわりと背中に嫌な汗が流れた。
「お前」
 突然声を掛けられて、思わずギクリと身体を強張らせる。
「そこの踊り子、また来てくれたのか?」
 その言葉と共にアイツの隣に影が差したと思えば、誰かの腕の中にアイツがいた。
 褐色の腕が優しく囲っていてイルファーンの顔がうかがえない。
「嬉しいな、私も会いたかったよ」
 にこにこと笑みを浮かべる精悍な男にアイツは抗う事も無く、ただ小声で「アサド、頭を垂れろ」とだけ聞こえたのでそれに従う。
 目の前のこの男が一体何者なのか分からない。
 もしかして敵か、と全身で気配を探った。
「今日はゆっくり出来るのだろう?おいで、私の部屋に行こう」
 イルファーンの腰に手を回し、まるで寝室に女を連れ込むかの様な態度に、何故か怒りが洩れる。
 ここで騒ぎを起こしてはいけないと己を抑えるが、ここが王宮で無かったら無理矢理にでも引き剥がしていた。
「ああそこの使用人もついて来たまえ。用事を頼みたい」
 こちらを振り返りもせず男が命令するのが、また腹立たしい。
 けれど離ればなれにならなくて済んだのは良かったと、その背中を睨みながら思った。

(――さっさと離れろ……!)
 男に導かれるまま廊下を進むが、その道中の男の素振り一つ一つが神経を逆撫でる。
 片腕はイルファーンの腰に巻きつけられ、さっきからやけに距離が近い。笑みを浮かべて話しかけているが、一体どうしてわざわざ顔を覗き込んで喋る必要がある。
 まるで女を口説き落とそうとしている様な……いや、そうにしか見えない。
 アイツもアイツだ。身体を委ねっ放しな事が腹が立つ。ぎりぎりと歯軋りする音が聞こえるくらい奥歯を噛みしめていると、いつの間にか男の部屋に着いた。
 イルファーンの部屋よりもずっと大きく重厚感のある扉が開かれ、イルファーンの背中を男が軽く押して中に入れた。
 俺も入った所で、扉が閉まり鍵も掛けられる。
 ガチャリ、と音が鳴った途端にイルファーンが大きく息を吐いた。
「殿下、この様な芝居はおやめくださいと言っているのに」
「何を言うんだ。どこに目があるか分からないのだから芝居は打っておくに越した事は無い」
 ニヤリと唇を歪め、抱きしめたまま顔を近づける男の胸をイルファーンの腕が強く押す。
 薄い布越しに見える眉が顰められているのが分かって、僅かに胸がすく。
「ここでは必要ないでしょう」
「分からんぞ?どこに目がありどこに耳があるとも限らない」
「そんな簡単に盗聴を許すような警備をこの部屋に許しているんですか?」
「いや、まさか」
 おどけてみせた答えに溜息を吐いたイルファーンに男が腕を伸ばし、抱き寄せる。
「それにしてもイルファーン、お前面白い物を手懐けているな。先程から牙を剥き出して威嚇してきている。アサド獅子と呼んだな、呼び名か?」
「手懐けてなんかいませんよ。いえ、それが名前です。アサド、こちらがサクル殿下だ」
 顔を顰めながら男の腕の中からすり抜けたイルファーンは、俺を振り返って説明した。
 部屋に入った時に『殿下』と呼んでいたからまさかとは思ったが……。
 ジトリ、と見つめるとこの国の第二王子である男は肩を竦めた。
「やれやれ嫌われてしまったようだ」
「殿下がおふざけになるからでしょう、真面目に話をしてください」
 分かった分かった、と苦笑しながら男は頷くと表情を真面目な物に変え、イルファーンと小難しい話を始めたのだった。
 小難しい話は小一時間程続いただろうか。
 話が一段落したのか、途切れず続いていた声が少し途切れる。すると男はふいにイルファーンの手を握った。
 パンジャと呼ばれる手の甲の装身具が、チリと微かに音を立てる。
「イルファーン、少し休憩しないか」
「ええ、構いませんが……。何ですか、この手は」
 アイツが怪訝そうに眉を寄せるのが見えた。
「イルファーンが淹れた茶が飲みたい。お前が淹れると味も香りも違うからな」
「それは嬉しいお言葉。……ですが別に手を握って言う必要はないでしょう」
 苦笑を小さく洩らすと、イルファーンは男の手を解いて茶を淹れに、入口とは違う扉から別室へと移って行った。

「さてと、そんなに睨まないでくれるかな」
 イルファーンが見えなくなった途端、男は微笑みながら言葉を掛ける。
「……睨んでいない」
「いいや、睨んでいたね。まるで睨み殺す勢いだったじゃないか」
 近くにあった椅子にドカリと男は腰かけた。焦げ茶の髪を掻き上げると、また笑みをこちらに向ける。
 ……イルファーンが目で笑う男ならば、コイツは顔だけで笑う男だ。目の奥が少しも笑っていない。
「君はあの子の何だい?前にここに来た時はいなかったから……いや、あの子がここに誰かを連れて来た事すら初めてか。ここ数か月の仲にしては、やけにあの子はお前に心を許している様だ」
 “あの子”という言い方が気に障る。自分とイルファーンの仲は長いのだと言っている様に聞こえた。
「俺はアイツのラキーク奴隷だ」
「ほう、奴隷」
 驚いた様に男は目を見開いたが、直ぐにああと頷いた。
「そういえば十七の誕生日だったか。そうか、あの子の父親ならば奴隷を買わせるだろうな。無理に逆らえば奴隷についての考えを疑われるだろうから……従わざるを得なかったか」
 その言い方が更にこちらの神経を逆撫でした。
 まるで『お前を買いたくて買ったのでは無い』と言っているみたいではないか。
「それにしても奴隷なのに服を着させているのか……。……嫌な思い出もあるだろうに」
「……どういう意味だ」
 最初だけならば、奴隷に服を着させる事に反対をしている様に聞こえるが、“嫌な思い出”とは何だ。
 アイツは奴隷に服を着させる事に関して何か嫌な事があったのか。そんな素振りは全くなかったが……。
「……君は肉体用奴隷だね?良い身体を持っている。幾つになるかい?」
「……二十二か、二十三、四ぐらいだろう」
 話しを反らされた事は分かっているが、流石にこの国の王子に食って掛かる事は出来ない。ぎり、と奥歯を噛んで苛立ちを飲み込むと質問に答えた。
 奴隷になったのが余りに幼い頃だったので、自分の歳がいくつかは分からない。ただ、売り主がそう言って俺を売っていたのを聞いた。
「あの子は十七なのに、とても大人びていると思わないか」
 それは確かにそう思う。アイツはいつでもきびきびと行動していて、その歳特融の振る舞いを見た事が無い。
 言葉使いも相まって、本当にこれが十七歳なのかと疑う事すらあった。
 ずっと奴隷で、若者らしい思い出所か子供らしい思い出すら無い自分が言えた物では無いが、十七歳と言えばもう少し他の事で楽しそうにしていても良い様な物では無いのだろうか。
「昔から聡い子ではあった。だがあんな風になったのはいつからだったか……。だから滅多な事では心を開かない。……君はあの子に何をしたんだい?」
 最後の方は問いかけ、というよりも独り言の様で、答えた方が良いのか、そもそもどう答えたら良いのか分からずにいると、イルファーンが茶を手に戻って来た。
 部屋の空気がどこかおかしいのに気付いたのか、ふと眉を寄せる。
「どうしましたか、アサドが何か」
「いいや、別に何も。ただお前のいつもの様子を聞いていただけだよ」
「私ですか?」
 男に茶の入った杯を差し出し、イルファーンは疑問の声を上げた。
「十七の誕生日の際に礼服を送っただろう?あれをちゃんと使っていてくれているかと思ってな」
「ああ、あれですね。ええ大事に使わせてもらっていますよ、肌触りも良くて重宝しています」
 嬉しそうにイルファーンが目を細める。
「そうか、そう言われると嬉しいな。お前に白は映えると思って布から選んで作らせた甲斐があった」
 その言葉に、男が言っている礼服がどれか分かった。
 アイツが金持ちや、貴族の奴等の屋敷を訪ねて会談をする時に着る服の一つの、特に質の良さそうな白い礼服。施してある刺繍が繊細で、美しい印象を受けた記憶がある。
 あれはそいつが贈った物なのか、と知った途端、醜い物に思えた。
 モヤモヤとした想いを抱えて歯噛みをしていると、イルファーンがくるりとこちらを向いて俺にも杯を差し出した。
「ここに来るまで気が張っただろう、遅くなったが飲んで緩ませると良い。……口に合うかどうかは分からないが」
 鼻を擽る茶の香りが胸の苛立ちを治める。
 ……奴隷の為にまで茶を淹れて来る奴がどこにいるだろうか。
 そう思いながらも、茶を受け取った。
 口に含んだ茶は、どこか甘く美味かった。



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