Novel | ナノ


▼ 4


「少しだけ寄り道をする」
「あ?」
 コイツはそれだけ言って、次の角を右に曲がると小さな店に入る。俺も入ろうとすると、手で止め、直ぐに終わるから待っていろと言った。
 言葉通り、待っていることに苛立つ前に店から出て来る。
「腰に付けていろ」
 手渡されるというよりも、押し付けられた物に目を見開く。
 刃渡りが大人の拳を二つ連ねた程の長さの短剣。少し湾曲した刀身を持つそれは、この国ではジャンビーヤと呼ばれ、良く見られる形の物だ。
 柄は動物の角で出来ており、鞘は黒い皮で目立ちはしないが、巧緻な装飾が嫌味にならない程度に施されている。
「長剣は切れそうに見えて、技が無い者が持つと役に立たない。こういった短い物の方が使い勝手が良い」
 喉を掻っ切るのには最適だ。そう言ったような気がして弾かれる様に顔を上げた。
 けれどそこにあったのは静かな、意図を汲み取らせない様な紫の瞳。
「……ど、れいに……剣を渡すなんて……聞いた事が、無い」
「ああ」
「アンタは……アンタは良いのか、俺にこれを渡して」
「ああ」
「俺は、アンタの命をこれで絶てるんだぞ」
「そうだな」
 しれっと返され、堪らなくもどかしくなった。
「っ、そういえば俺に本を借りる使いを頼むとも言ったな、俺は出て行ったきり逃げ出すかもしれないぞ」
 どうしてコイツはそんなに俺を信頼する。
 奴隷の俺を、上流階級であるコイツが。
 出会った時から感じて来た違和感を、吐き出す。しかしそれはぶつける様な強さでは無く、どこか途方に暮れた様な響きを持っていた。
「お前は逃げない」
「……っんなの分からないだろうが!!」
 確信に満ちた響きにカッとなった。
 駄目だ、コイツの一挙一動が俺は気に食わない。どうしてコイツは俺の胸を掻き乱す。
 上流階級らしくない金持ち。それである事がどうしてこうも気に入らない?
「お前は逃げない、アサド」
 ゆっくりと白い瞼が瞬きをした。
「お前も言っただろう?逃げても死が待つばかり。それならば道連れにしてやると。ならば私を殺してからでは無いと逃げられない筈だ。けれどお前は私を見極めてから決断してくれると頷いた。ならば当分お前は逃げられない」
「っどうして」
「私が今手がけている物の半分もお前に見せていないから」
 だからまだ判断は出来ない。そうだろう?
 さも当たり前のように言い放った。
「全部見せ終ったら、決断すれば良い。私はこの様にして事を成すつもりだと、お前に伝える。それが気に食わなければ、道理に反していれば、その短刀で」
 私を、殺せとアイツは言った。
 殺すつもりだ。その事に躊躇いは無いと断言出来る。
 でも、こんな風に殺す相手から剣を受け取り、殺しても良いと言われると戸惑いを隠せない。こちらの戸惑いに気付いたのか、小さく溜息を吐いてアイツは近づいた。
 体格差的に覗き込む様な形になり、近くなった顔に無意識に息を詰める。
「アサド、忘れるな。私はお前が恨み、憎んでいた“金持ち”だ。同情はいらない。ただ、今だけはその憎しみに目を曇らせる事なく、判断して欲しいと思っている。けれど私が宣言した事を成せそうに無いと判断した時には、今までの思いの丈を込めて殺せばいい。嬲り殺しにもして良い。私を殺した後に、上手く逃げおおせれば、その剣で他の上流階級の者を殺めるのも良いな、止める私はもういない。私達はそれだけの事をしてきたのだから」
 だからそれは、その時の為にお前に渡すのだと、その言葉が脳に染み込む様にして消える。
 それは感じた事の無い感情や思いの嵐を生んで、俺はその場で動けなくなった。
 そんな俺を見て何を思ったのか、トンと一つ俺の胸を叩くと「まぁ、私は殺される予定は一切ないのだけどな」と口の端で小さく笑って見せた。





「ここは……」
 俺は連れてこられた場所に思わず言葉を無くした。

 刀を受け取った後、アイツは元の道に戻るとまた無言で歩き、薄汚れた小さな家の中に入っていった。
 外から見ても何を取り扱っている店かも分からなかったが、それは中に入っても同じで。奥にある小さな扉を三、五、二と分けて叩くとそれは内側から開いた。
 用心棒の様な男が警戒しながら顔を出し……そしてアイツの顔を見てパッと笑顔に変える。
 さあさあ、とばかりに通されたそこは地下に降りる階段で――その階段を下りきったのが今目の前に広がっている物だ。

 笑い声に混じり怒鳴り声も微かに混じる、ガヤガヤと騒がしい室内。人が密集している事で籠る空気。酒の匂い。漂う紫煙。
 この街ではさして珍しくも無い、大衆酒場。
 ただ、目の前のコイツがいるには余りに不自然な場所。
 なのにこの不自然さに誰も突っ込む事もせず、むしろコイツを見て、おお、と声をあげたのだ。
「おお、イルファーン様!」
「イルファーン様、お久しぶりですなぁ!」
「おいイルファーン様がいらっしゃったぞ!」
「止してくれ、様などつけなくて良いとあれほど言ったのに」
 苦笑をしながら自然なまでに馴染んでいくアイツ。酒場にいる誰もが、アイツに笑顔を向けたり声を掛けたりする。
 ……憎しみの眼差しを向ける奴はいなかった。
「おや、お連れの方がいるとは珍しい」
「本当だ。どうだいアンタこっちで一緒に飲まないか」
 差し出される銅製のグラスには、白濁したアラックという酒が注がれていた。
 それを見て、微かにアイツが笑う。
「アラックは他国では『獅子の乳』と呼ばれるらしいぞ、お前に相応しい飲み物だ」
「ほう、相応しいとは」
「ああそれはな、これの名前が――」
「……アサド?」
 アイツの言葉を誰かが遮った。
 俺の名前を呼んで、目を見開いている男はどこかで見た事のある様な、無いような……。
「そうだ、お前アサドだ。ちょっとばかし前に、ここの近くで働かされてた――」
 そこまで言って、はっと男は口を噤んだ。
 俺が奴隷だという事、奴隷だというのに服を身に付け、さらには帯刀している事に気が付いたのだろう。
 血の気が引く音がした気がした。
 この男は、多分以前にこの街へこっそりと抜け出した時に、共に酒を交わした仲か何かに違いない。
 こいつが口を噤んだのは、俺が身分を隠してコイツに使えているとでも勘違いしたからだろうが、不自然な口の噤み方に周りにいた奴等が胡乱げな目をこちらに向ける。
「イルファーン様、こちらは……?」
「アサドという。今日買い受けた元奴隷だ」
 平然とコイツ言いのけた奴隷、という言葉に周囲がざわりとしたが、次の瞬間弾けんばかりの笑い声に包まれた。
「奴隷に服を着させるとは、流石イルファーン様!」
「ああそういえば十七のお誕生日を迎えたのでしたかな。なるほど、奴隷を買い受けるなどどうした事かと思いましたが……」
「元奴隷とおっしゃったとは、いやはやその心意気が素晴らしい!」
 向けられる言葉に小さく笑みを返し、コイツは俺にグラスを押し付けてきた。
「ここでは使用人のふりをしなくて良い、好きな様に降るまえ。久しぶりの酒だろう、心行くまで飲むが良い。……いや、先程のあの男の言葉からして、そこまで久しぶりでも無いのか?」
 そう言って、どこか悪戯めいた光を目に宿して俺から離れて行った。
 溢れかえる人の中に紛れるアイツに慌てて手を伸ばそうとしたが、さっきアイツと喋っていた周りの奴等にやれ飲めと無理矢理椅子に座らされる。
「アンタ奴隷だったのか、いつからだい?」
「その体格からして肉体労働用か?大変だったろう」
「イルファーン様に買われるとはアンタは本当に運が良い」
「なに安心しな、ここに奴隷が服を着ているだなんて言いふらすような奴はいないよ」
「ほら飲んだ飲んだ、アンタ酒はいける口かい?それとも何か食うかい?」
 矢継ぎ早に向けられる疑問や言葉に思わず身体を引く。
 日に焼けた肌に、刻まれた皺。自分と同じ年くらいの者から、祖父くらいの歳の者までいる。
壮年の男が、笑いながら彼らを諌めた。
「いっぺんに言われたって分からないだろう、困っているじゃないか。すまないね、アサド、とか言ったかな」
「……ああ」
「まぁともかく、一杯飲んだらいい」
 促されるまま杯を煽る。
 喉を通る酒の味は、久しぶりで美味かった。
「私はダヒカという。アサド、君は一体いつから奴隷としてか聞いても?」
「さぁ……物心ついた頃だったから、四つか、五つか」
「そうか。……では親の顔も知らないのだろうね」
 辛そうな顔をしてダヒカと名乗った男は酒を飲んだ。
「けれど先程誰かが言ったように、本当に君は運が良い。イルファーン様に買われるなんて運が良いとしか言いようが無い」
 その言葉に周りの数名も各々静かに頷く。
 それは押し付けるような物では無く、心の底からそう思っている様な頷き方だった。
「……どうしてアイツに買われるのが運が良いんだ?」
「おや、イルファーン様から聞いていないかい?」
「……奴隷解放を目指しているからか?」
「ああ何だ知っているじゃないか、その通りだよ」
 にこりと笑った男の目尻には深く皺が刻まれた。
「あの方は私達に約束をしてくれた。だから私達はついて行くと決めたのだよ」
「約束って」
 たかがそれだけで信じたというのか、アイツを。金持ちを。
 初めてアイツが接触してきた時、憎くは無かったのか、悔しくは無かったのか。どうして聞く耳を持ったんだ。

「……どうしてって顔をしているね」
 ダヒカの言葉に、途端に周りはどっと笑い始めた。
「はっは、俺達も最初は何を言っているんだと思ったさ」
「まだ子供だというのに、何を信じろと言うんだ、それよりも俺らは上流階級だと言うだけでムカッ腹が立つのに、と殴りつけた奴もいたなぁ……誰だったかな?」
 ちらりと視線を寄越された男が呻いて、「あの事は本当に反省している」と口にした。
 それに更に周りは笑い声を上げる。
「けれど彼は足げく通って……どうか力を貸してくれないかと言ったんだよ」

『私の口からこんな事を聴く事は腹立たしいかもしれない。それでも、どうか私に力を貸しては貰えないだろうか。貴方がたの力が奴隷解放には必要だ。私に出来る事ならばなんでもするつもりだ、だからどうか』
 信じてくれ、と言ったのだと。

「最初は取り合わなかった、けれど誰かがふざけて……もしくは本気だったのかもしれないが、『何でもと言ったな、それならばそこに跪いて額を地面に擦り付けてみろ。地を舐め、請うてみろ。あんた等は俺らにそうやって来ただろう』と言った言葉に――彼は従った」
 男の言葉に思わず手の中の酒を落としそうになった。
 アイツが跪いた?地面に額を擦り付けた?あのプライドの高そうな横柄な喋り方をするアイツが?
「私達も騒然となったよ。本当にあの方は……流石に地面に舌を伸ばした所で誰かが押し止めたが。それだけじゃない。あの人は第二王子までここに連れて来て下さった」
「……は?」
 王子とはどこの王子だ、この国の?まさか。
「まさかだと思うだろう、本当だ。この国の王が四年前に崩御し、第一王子のマアルーフ様が後を継いだ。奴隷制度は何も変わらずそのまま引き継がれた。だが第二王子のサクル殿下は奴隷制度に反対しているのだという」
 話が見えて来て目を見開く。
 アイツはもしかしなくても、その第二王子の奴を王座に就かせるつもりか。
 第二王子と第一王子の年齢差は七歳とそこまで大きく変わらず、まだ第一王子は三十五かそこらだった気がする。自然による死を待つには若すぎるという事は、つまり……。

「謀反を、起こすのか」

 毒殺、暗殺、大人数による反乱。どの方法を使ったとしても大罪だ。
 企てが露見したが最後、皆殺される。
 漸くアイツが、必ず外で口にするなと言っていた意味が分かった。
 当たり前だ、こんな事。俺が奴隷なのに服を身に付けているのとは比較にならない程口にする事は危険だ。思想すら罪に問われる。
 第一王子――現国王は疑り深い性格だと聞いている。歳の近い王子がいる事が更にそれを煽っているのだろう。どこかに人の目が無いとも限らないのか。
「ああ、ここにいる奴等は皆私達の仲間だ、そこに関しては安心してくれ」
 男は片目を瞑って、危ない橋を皆で渡っているとは思えない程おどけて笑って見せた。
 彼の話によると、この酒場には面識が無い者や紹介者の同行がなければ入れないのだという。他にも色々と彼らなりの目の光らせようというのがあって、今の所、情報は洩れていないそうだ。
「しかし私達よりもイルファーン様の方が危ない場所に身を置かれている。彼が身を置いているのは奴隷制度賛成派がひしめいている場所だ。彼の父もそうだろう。気を許せる様な方はほんの一握りだ。それも、私達下層の民は心から奴隷解放を望んでいるが、上流階級の者となれば渋る筈だ。奴隷が解放されたとしても彼らには何の利益も無い。無い所か損をする者が大半だ。つまり、簡単に裏切る事が出来るのだよ。イルファーン様はそんな危ない場所で、相手を見極めながら仲間を増やしている……」
 どの話を聞いても、信じられなかった。
 今日の朝方出会ったアイツ。一日で人の全てが分かる訳では無いが、今聞いたどの話もアイツが行ったとは思えない様な物ばかりだ。
 ――けれど。
 心のどこかで有り得るかもしれないと、思っている自分がいる。
 ちらりと見せるアイツの一面が脳裏にこびり付いて離れないのだ。
 時折見せる優しさともまた違う、芯の通った真っ直ぐさ。それが胸を掻き回す。頭を掻き毟りたいような衝動を抑え、周りに一言口にするとその場を立った。



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