Novel | ナノ


▼ 1


「あれを」
 それは低くも無く、高くも無く。石が声を出したらこんな感じなんじゃないかと思うくらい、平坦で無機質な声が薄暗く汗臭い部屋の中で響いた。
 俺の周りにいるやつらはその言葉に身動ぎする事も無く、ただ淡々と息をしていた。
 それは商品を所望する言葉で、この店の主人との契約を意味する言葉で。この部屋では何遍も何遍も耳にしてきて別にとりとめて珍しくないからだ。
「短期契約でしょうか、それともお買い上げで?」
「息子が十七になるのでな。持ち帰る」
「おおそれはそれはおめでとうございます」
 先ほどの声とは違った傲慢で野太い声と、媚び諂う店主の声が会話する。
 ああ、例の馬鹿みたいな習慣の犠牲者を買いに来たのかと、昨日酷使した身体に残る疲労を逃がす様に姿勢を変えた。
 でっぷりと太った腹を揺らしながら店主が隣の檻に近づく。そこは見目麗しい男が入れられている檻だ。もっと簡単に言えば鑑賞、もしくは性玩具用。後者であった場合、女ではなく男を選ぶという事は手酷い扱いをするつもりなんだろう。男は孕まず、また女より頑丈だ。または個人のそういう性癖か……いや、そんな事も無いか。女であっても手酷い扱いをする奴はごまんといる。
 別に身籠ったって、彼らにしてみれば堕ろさせれば良いだけの話なのだから。
 腰からぶら下げる鍵束をガチャガチャと音を立てて漁る店主は、鍵を見つけると鍵穴に差し込み、その中でも一番美しいと思われる男の腕を浮かんで――。
「違う」
 さっきの無機質な声がそれを制した。
「その隣の檻に居る奴だ」
「は?あ、いえ、その檻に居る奴らは肉体労働用で、見目もそこまでですし、何より無骨で――」
「それで良い」
 店主がどうするべきかと迷っているようだ。さっきの傲慢そうな声も、その無機質な声を諌めている。
「イルファーン。お前の初めての奴隷だ。何もあんな薄汚れたのを選ばなくとも……。もっと美しい者を傍に置きなさい」
「父上が沢山お持ちの様な美しく甘い香りのする者達を、ですか?」
 丁寧な物言いだが、父親を馬鹿にしているのがどこか端々に見える言葉の調子に少しだけ興味が湧く。
「私はあの者達を好みません。別に身の回りの世話は自分で出来ますし、今いる召使で十分です。どうせ買うなら役に立つ者が欲しい」
「な、ならばほら、その隣の知的労働用のにしたらどうだ?あれは礼儀作法を叩き込まれていて、最低限の勉学も――」
「父上」
 ぴしゃりと無機質な声が傲慢な声を叩く。
「言った筈です。私は別に奴隷などいらないと。それを体裁の面もあるから買えと言ったから仕方なく――」
「ああ!分かった!おい店主、その肉体労働用の奴隷をくれ!」
 慌てて傲慢な声が店主に命令を出す。店主は胡乱げな目を向けながら肉体労働用――俺のいる檻の鍵を開けた。
「で、どれが御要りようで?」
 さっきよりも慇懃無礼な感じになった店主に、無機質な声が答える。
「その檻に凭れている、褐色の肌に黒髪の。それが良い」
 そこで初めて俺は身動ぎした。少し顔を上げかけ、目を合わせてはいけないと俯く。
 嫌な予感がするのだが、まさか自分ではあるまいと言い聞かせる。褐色の肌に黒髪なら俺の隣にも、向かい側の壁に凭れているのもそうだ。
 店主の太い腕が俺の隣の奴隷の腕を掴み――。
「違う」
 再度冷たい声がそれを制した。
「その隣の。……赤い目の奴だ」
 その言葉に思わず歯噛みをしそうになる。黒髪に褐色は他にもいるが、その中で赤い目は俺しかいない。
 さっき顔を少し上げた際に見えたのか、と心の中で舌打ちをした。
 その苛立ちのまま顔を上げ、奴隷を買いに来た金持ちの顔を拝んでやる事にする。凶悪な顔つきと反抗的な態度に買う気を無くしてくれれば万歳だ。
 薄暗い部屋に差し込む僅かな逆光に目が慣れると、たっぷりとした布地で出来た服に身を包む三人の男が目に入る。
 一番近くにいる太った豚の様に醜い姿をしているのは、言わずもがなこの店の店主だ。そしてそれと似たり寄ったりの姿をしている隣の男は、多分傲慢な声の持ち主だろう。
 店主と似た体形ではあるが、店主が油の塊だとすると、この男は少しは筋力がありそうな気もする。と言っても速く走るのは諦めた方が良いだろうな、等とどうでも良い事を考えてその厳めしい髭を蓄えた男の面を眺めた。
 そして目線をほんの少し横にずらせば……その二人とは全く異なった風貌の男が佇んでいた。
 いや男というにはまだ早い。少年の香りすらさせる面立ちの青年。
 白を基調とした服を、男にしては細く見える肢体に纏っている。肌が褐色では無く白いというのもあるだろうが、巨体に挟まれているのでやけに痩せて見えた。
 切れ長の冷たいハジャル・アズラク紫水晶の瞳。
 淡泊でそこそこに整った面立ちだが、まだ少年の名残を見せているというのに、その瞳に似合う様な冷たさを放っていた。
 クーフィーヤ(頭を覆う布)の下から僅かに窺える柔らかそうな栗色の髪が救いになっている。これが隣に立つ男の様に暗い闇色だったならば、印象は更に冷たい物になっていただろう。
「……お言葉ですが、アレは止めておいた方が……。肉体労働用奴隷の中でも特にがさつですし、礼儀作法どころか言葉使いもなっていない。反抗的な態度で何度も鞭打たれる様な物ですから、この度の節目の奴隷としては相応しくないかと……」
 非常に言いにくそうに店主が口籠る。
 思わず、良いぞ店主、もっと言ってやれと言いそうになった。
 どうだ、お前が買おうとしているのはろくでも無い奴隷なんだぞ、止めておけという気持ちで金持ちを睨み据える。金持ちに玩具として買われるくらいなら、睡眠もろくにとれないまま何日も肉体労働をした方が何倍もマシだ。
「イルファーン。肉体労働用の奴隷でも幾らなんでもアレは……。見てみろ、知性の無い獣の様ではないか。人の言葉さえ通じるかどうか」
「別に構いません」
「イルファーン!」
 咎める様に傲慢そうな男が声を上げたが、隣の青年の瞳は揺るが無い。
 それを見て諦めたような溜息をついて、傲慢そうな男はそれをくれと力無く言った。
「さっさと出ろ、ラキーク奴隷!」
 苛立った声に急かされながら、太った手に首枷を掴まれて引っ張られる。
 余程臭うのか、身体が近づいただけで顔を心底顰められた。
 自分から出るというのに引っ張る物だから、唯一衣服として身に着けている腰に巻いた薄汚れた布がずり落ちそうになる。俺は別に逸物を晒しても良いが、それで困るのはお前だろうがと心の中で悪態を吐く。
 そもそも少し走っただけでヒィヒィと息を切らすこの男に、酷な肉体労働で強制的に鍛え上げられた身体の、それも大人の男を引きずり出す腕力など無いのだから、無駄な事は止めて欲しい。
 檻の中から出ると、傍から見ても分からない様に体の筋を伸ばす。両手を上げて伸び上るなどすれば、鞭を貰うのは瞭然だ。
 ガチャリと重苦しい音を立てて手枷を揺すり、再び顔を上げると、冷たい紫が俺を射抜いた。
「このまま持って帰る。鎖と鍵を」
 指の先に引っ掛けられた金貨が入っているのであろう皮袋を店主が受け取り、代わりに黒い鍵と俺の首輪から伸びる鎖の先を乗せた。
 ジャラリと音を立てて鎖を引かれると、買主の男と顔が近くなる。
 紫の瞳は感情が分からないくらい冴え冴えと澄んでいて、本当に血が通っているのかと思う程で。
 逸らす事をせずに見つめても、それは一度も動じる事は無かった。




 金持ちは嫌いだ。
 脂ぎった身体を輿に乗せて人を見下すような目をする奴。
 吐き気がする程甘ったるい香を練り込んで街を闊歩する奴。
 湯水のごとく金を撒き散らして全てに贅を尽くす奴。
 どいつもこいつもろくな者はいやしない。
 この風習だってそうだ。金持ちは子供が十七歳になった時に専用の奴隷を買い与える。または自分で買わせるのが、金持ちの崇高な趣味であると思っている。なんて馬鹿げた話だろうか。
 奴らは自分達が遊びほうけるその下で、どれだけの人間が虐げられているのか知りもしない。知ろうとも思わない。奴らにとってそれが当たり前だからだ。
 貧しい者は搾り取られ、富んだ者は生まれてから死ぬまでその搾り上げた蜜を啜る。なんて浅ましく醜い姿か。
 自分が奴隷であるのが彼らの所為だと恨みを持っている訳では無い。そう思わなかった事が無いとは言わないが、今はただただ金持ちが嫌いだ。
 人間を人間として見ないその目が。
 貧しい者は虫けらの様にしか思っていないその頭が。
 吐き気がする程嫌いだ。
 そんな金持ちの専属奴隷として買われるなんて、と余りの不運に嘆く気すら起きない。
ただ、腹の奥底で決めた事はある。
 ――肉体労働用の奴隷と言うのは、大抵日にちを決めてあの店主の元から貸し出される形式だ。鑑賞用、性玩具のどちらにも向いていない肉体労働用の奴隷が、売りに出されるという事は、生命の危険がある場所の労働に連れて行かれるという事を指す。
 だが今回の場合はそれに当て嵌まらなさそうだ。
 じゃあ意図は何だと考えを巡らすが、どちらにせよろくな事は待っていないに違いない。
 何故なら何の面白味の無い肉体労働用の奴隷を『崇高な趣味』という名目で玩具として買ったのだ。肉体労働用の奴隷の売りはただ身体が頑丈なだけ。
 奴隷で身体が頑丈。極めつけは買主のあの血の通って無さそうな冷酷な目。
 一体どんな方法で痛めつけられ、じわじわと殺されるのか分からない。
(――なら死なば諸共だ)
 逃げ出そうとした奴隷に待っているのは惨たらしい死のみ。身体に焼き印を刻まれた奴隷は、その身分から一生離れられない。
 しかしこのままでも待っているのは死だろう。
 ならばその時は、せめて大嫌いな金持ちを最低でも一人は共に地獄に連れて行ってやろうと腹に決めた。




 鎖を引かれて買主の屋敷へと連れて行かれる。
 相手は馬に乗っているのに、その隣を炎天下の中、裸足で歩くというのも、物心ついた時から奴隷だった俺にはそう大して苦な物では無かった。
 門を潜った所で父親と思しき方の男が振り返り、顔を顰めると「イルファーン、その奴隷を清めぬまま屋敷に入れるなよ。臭くてかなわん」と吐き捨てる様に言った。
 そのまま馬を使用人に預けて、のしのしと屋敷の中へ入っていく背中を見届けて、まだ馬に跨っている俺の主を見上げる。
(――……で、俺をどうする?)
 窺う目線を寄越すと、紫の目が静かに見下ろす。
「……お前達、馬とこれを馬小屋に連れていけ」
(――馬扱いか)
 さて一体これからどんな酷い扱いが待っているのか、と想像するだけで溜息が出た。

 ……と思っていたのだが、馬小屋には何故か買主も一緒について来た。
 不思議に思う間もなく、使用人を呼び何かを言いつけている。こくりと使用人が頷いて去ると、買主は振り返って俺の枷を外すと薄い唇を開いた。
「ここで一度汚れを落としてから風呂に入れ。そのままだと風呂が汚れる。お前の面倒は使用人達に頼んであるからそれに従え。頭から爪先まで全て汚れを落としたら私の部屋に来い」
 ……その言葉通り、本当に頭の先から爪先までまるまる洗われた。
 まずは馬小屋横の井戸で、使用人三人がかりで犬を洗うかのように。
 泡をつけたタワシでガシガシと洗われ、余りの痛みに文句を垂れようとしたが、あっという間に汚れていく水と泡に流石に口を噤んだ。
 頭も三回程洗われて、漸く乾いた布で身体を拭かれると、裏口から屋敷に入って次は蒸し風呂に入れられた。
 汗をだらだら溢れさせた後、それを湯で流される。そしてまた石鹸で身体を洗われたと思えば、また蒸し風呂で汗を流させられ、その次には体中に油を刷り込まれ、揉まれた。
 逃げ出したくとも、蒸し風呂の中。もう止めてくれと言えば、まるであの買主の無表情が映った様な顔で、出て来た垢を無言で見せられて黙らせられる。
 漸く終わった時には全身の皮を二、三枚剥がされた様な気分になった。
 新しい腰布を渡され、それを身に着けると風呂の部屋を出て違う場所に連れて行かれる。
 大理石で出来た床を進むと、至る所で薄い衣に身を包んだ美女や、時折美男を見かけた。鑑賞用、または性的奴隷である彼らとすれ違う度に、独特の甘ったるい匂いが鼻の奥に残った。
 堕落の匂いだと顔を顰める。
 金持ちは香水や香油を好み、己が身に着けるだけでは無く自分の手持ちの奴隷にも付けさせる。それを思い出しながら、そう言えば風呂に入ったというのに余り香りがしないなと気付く。
 あれだけ油や石鹸を使われたというのに、ほんのりとした花の様な香りしかしない。
 ……まぁ、肉体用奴隷如きにつける香など無いと言われれば、それまでだが。
 そんな事を考えながらついた先は、これはまた豪奢な扉だった。前に立っている使用人が扉を叩き、開くと俺だけ押し込んで去って行ってしまった。
 どうするべきかと迷うのもそこそこに、読んでいた本をパタンと閉じて、座っていた椅子から買主が立つ。
「何を突っ立っている。来い」
 そちらに足を向ければ、頭の先から爪先まで目を走らされた。
「……ん、マシになったな」
 そりゃあそうだろう。何せ足の爪まで切られたのだから。そう内心悪態を吐いていると、ふと、この部屋は屋敷内に漂っていたあの甘い香がしない事に気が付いた。
 仄かに香の匂いはするが、あのねっとりと絡み付く甘さでは無く、爽やかさの中に僅かに甘さがある様な匂い。
 すん、と鼻を鳴らせば買主が瞼を一度瞬かせた。
「匂わなくて不思議か?私はあの匂いが嫌いなんだ」
 ああいう強い匂いは嫌いだ、と臆面もなく口にする買主に違和感を覚えた。
 出会った時にも少しだけ思ったが、こいつはどこか自分の持っている金持ちのイメージと違う気がする。ただそれは『変な金持ちだ』という印象なだけで、俺の嫌いな金持ちである事は変わりない。
「お前、名は」
「……好きな様に呼べば良い」
 いつも通りに答えると、不快そうに眉間に皺が寄った。
「名が無さそうでは無いが?名乗れと言っている」
 自分の名前が嫌いな訳では無い。ただ、面倒事を起こすのが嫌いなだけだ。だがこのまま黙っていても、面倒事は起こるだろう。溜息を静かに押し殺す。
「……アサド」
 見た事の無い母も、どうしてこんな名前を付けたのか。売るのならば、もう少しどうでも良い名を付ければ良かった物を。
「アサド……アサド獅子か」
 すんなり名乗れば、奴隷の癖に図々しい名だと嗤われ、下手をすれば名付けたのは俺じゃないというのに身の程知らずがと鞭を貰う事もある。理不尽だがそれが罷り通るのがラキーク奴隷だ。
「なんだ似合っているでは無いか」
「は?」
 だからまさかこんな事を言われるとは、考えた事すらなかった。
「似合っている。そうだな、お前はさながら黒獅子の様だ」
 面白そうに紫の目を細めて見せる目の前の買主を見て、それが初めて目にする彼の“笑み”だと気づく。
 笑っても冷たい印象は変わらないが、少しだけ纏う空気が柔らかくなった。
 そのまま買主は顎に手を置いて考える素振りを見せた。
「近くで見ると思っていた以上に大きいな」
 確かに俺はそれなりに背丈もガタイもある方だが、大きく見えるのは目の前の買主が平均身長より低めな事も関係しているだろう。頭先が漸く俺の肩に届く様な気がするのは気の所為なのか。
「それにしても……洗っても黒いままだな。もう少し色が落ちるかと思ったんだが……元からこの色なのか」
 しげしげと肌を眺められ、そうぼそりと呟かれる。
 一体どれだけ汚れていると思われていたのやら……いや、確かに酷く汚れていたが。肌が褐色なのは元からだが、炎天下の元で労働を強いられていた事で更に黒い気もする。
 しかしこの砂漠に囲まれた街では褐色の肌の人間は余り珍しくも無いだろう。むしろ、買主の白さの方が珍しい。
 考え込んでいる買主に気取られぬ様に、そっと部屋の中を見回した。来るべき時の為に何か使える物が無いか――例えば剣とか、を探る。
 目の前の買主なら道具を使わなくとも殺せそうだが、あの傲慢そうな男はそうもいくまい。
「――使える物は無いと思うが」
 その言葉に身体を揺らしそうになるが、ぐっと堪える。鎌を掛けられているならば反応したら負けだ。
「それだけ殺気を空気に潜ませていれば嫌でも気付く」
「そんな事は……」
「別に良い。私を殺したいんだろう?」
 揺らがない眼差しで見つめられて誤魔化せられないかと察すると、舌打ちをして瞬時にその細い首に手を掛けた。
 まさか今この場で行動を起こされるとは思っていなかったのか、冷たい紫の瞳が大きく見開かれる。慌てて後ずさろうとしても、こちらの方が速く、掛けた手でぐっと気管を圧迫すれば苦しそうに買主の顔が歪んだ。
「……っ待、て……!殺す、なら……っ私、を……見、極め、てから……っ殺、せ……っ」
 つくづく変な金持ちだと思った。
 殺されかけているというのに、何を冷静にのたまっているのやら。
 狭まった気管を空気が通る高い音を響かせながら、金持ちは顔を苦しさで赤く染めている。
 その表情が今まで胸の内に溜まっていた鬱憤を晴らし、歪んだ楽しさを感じる。
 気まぐれにそっと手の力を緩め――でもまだ快適に呼吸をするには苦しい強さで締め付け続けて、顔を近づけた。
「なぁ、あんたらは俺達の言葉に耳を傾けた事があるか?俺達の血反吐を吐くような願いを叶えてやろうと思った事があるか?虐げられる痛みを知らないあんたらが、地面に這いつくばる俺達を、虫けらを見る様な目で見るあんたらが――俺は大っ嫌いなんだよ」
「……っか、は……っ」
「お前の何を見極めろって?俺にとっちゃ金持ちってだけで殺したい程憎いんだ」
 首を締めている手に買主の手が掛かり、爪を立てる。
 しかしそれも弱弱しい力で、後数分もすれば意識を飛ばしそうだった。
「変え……て、」
「あ?」
「変、えて……みせ、る……っ」
 何を変えてみせるのだろうか。
 胡乱げに眉を寄せれば、酸素不足で虚ろになりかけた買主が唇を震わせて言葉を吐いた。
 ――その言葉に驚き、手を緩ませると、その場でぐにゃりと買主は床に倒れ込んだ。
 殺してはいない。完全に息を止めるのならば今の内だ。けれど俺は朱い痕の残る細い首に手を伸ばす事が出来なかった。
 買主であるこの男が、最後に口にした言葉が頭の中で何度も回っていたから。

 ――変えて見せる。この国から、奴隷という身分を無くしてみせる。



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