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▼ 余談


「あー!また兄貴風呂先に入ったのかよ!兄貴入った後、熱すぎるからやだっつってんのに……」
「お前の帰りが遅かったから仕方ないだろう」
 切れ長の黒い瞳がこちらを見ながらそう言う。その瞳がどこか鬱陶しげな色を浮かべていて、ずきりと胸が痛んだ。
(本当はこんなこと言いたい訳じゃ無い。本当は……)
 ぶつぶつ文句を垂れながら風呂場に向かい、服を脱ぐと身体を洗うのもそこそこに湯船に飛び込む。熱すぎる湯は苦手なのも無視して、ぴりぴりとつま先が痛むのを感じながらそっと目を閉じた。
(兄貴が浸かったお湯……)
 そう思うだけでどきどきと心臓が高鳴る。
 変態だって分かってる。人が使ったお湯に興奮するとか、それが実の兄だとか。
 でも好きなんだ。気が付いた時にはもう好きになっていた。

 自分がゲイなのかは分からない。
 女の子を好きになる前に兄貴が好きだったし、他の男よりもずっと格好良い兄貴から目移りする事なんて無かったから。
 兄貴はどんな男よりも格好良い。
 黒くてさらさらとした髪。切れ長の黒い瞳。
 眼鏡も似合ってるけど、眼鏡無しの方が俺は好きだ。
 綺麗な子だと良く近所のおばさんとかは言うが、それは決して女々しいとかでは無く、芯が通ったとても男前な美しさだ。
 頭がよくって、でも運動も悪い訳じゃ無くて、おまけに高身長だ。性格だって、集中すると少し脱線しやすいだけで真面目で、そしてとても優しく格好良い事を知っている。
 泣き虫だった俺の傍にずっといてくれたのは兄貴だった。
 父さんみたいに背中を叩いて励ますでもなく、母さんみたいに男の子だから泣かないのと叱るでもなく、無言で傍にいて、そして時折優しく頭を撫でてくれた。

「……そうにぃ……」
 今では呼べなくなってしまった名前。
 兄を恋愛という意味で好きなのだと気づいて、そしてそれは異常な事なのだと知った日から、俺は爽兄の事を“兄貴”と呼び始めた。
 生意気で可愛げの無い弟を演じた。優しくされたら思わず言ってしまいそうだったから。
 爽兄のことが好きなのだと。ずっと、ずっと好きだったのだと。
 爽兄に好かれたい。抱き締められたい。キスしたい。抱かれたい。
 何度となくこっそりと見た事のある、細身なのに結構引き締まった体をしている兄の裸体を想像しただけで身体が火照った。
 自分の全てを捧げても良い程、好きだった。ただの恋愛感情にしては余りに強すぎる。
 傾倒とも表現してもおかしくないそれは、異性に恋愛感情を抱いているという以前に恋愛感情として異常だと分かっていた。
「俺、狂ってんのかな……」
 半泣きで小さく笑いながら、愛しくてたまらない兄への想いを一人押し殺した。

 叶わないだろう。爽兄を困らせるだけなら叶わなくたって良い。ただ願わくばずっと傍にいたい。それが無理ならば、兄のための人生を歩みたい。
「それくらい大好きなんだ、爽兄……」
 この想いを抱くことだけは許してほしい。





- 終 - 
あとがき




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