Novel | ナノ


▼ 2


 久しぶりに一緒に風呂に入ったが、これといって会話は無く、気まずい沈黙が浴室に広がる。
 東はスポンジ派で、自分専用のスポンジでさっさと身体を洗い終わると先に湯船につかった。……本当に正反対の兄弟だと思う。
 スポンジ派の弟。タオル派の俺。
 髪を万年染めている東。生まれて一度も染めた事の無い俺。
 視力の良い東。眼鏡を外したら殆ど何も見えない俺。
 幼い頃から外で駆けまわるのが好きだった東。物心ついた時から読書が好きだった俺。
 体育推薦で入学した東。学力推薦で入学した俺。
 明るく、快活な東。無口で、無愛想な俺。
 同じ所と言ったら、唐揚げが好きな事くらいじゃないだろうか。そんな事を考えながらもくもくと身体を洗っていたら。

「……兄貴……」
 呼ばれたので目を向ける。呼んだくせに、俺が目を向けると東はびっくりしたようにつり上がり気味の目を丸くした。
「呼んだだろ」
「え、そ、うだけど……」
 湯船に浸かって赤く火照った東の喉が、こくりと上下した。
(……そういえばやたらとさっきから喉が渇く。東も同じなのだろうか)
「あ、にき……は何か嫌な事があんのかよ」
「嫌な事?」
 ふと眉を寄せて考える。
 そんな事あったろうか。そもそも東は何故そんな事を聞くのだろうか。
「……別に」
「嘘吐くんじゃねぇよ……っ!!」
 ざばりと湯船から立ちあがると、東は押し殺した声で叫んだ。泣きそうな顔で俺を睨みつける東の真意が分からない。
「リスカなんてしようと思ったくらい思いつめてたんだろ!?何で相談しねぇんだよ!」
「リスカ?」
 リスカ。リストカット。自傷行為。
 はて。俺は自分を傷つけたいだなんて思った事があっただろうか。
「……ああ」
 そうか。あれか。
 確かに自分の腕を切りつけて血を飲もうという行為は、他者から見れば思いつめた故の自傷行為に見えるだろう。
「あれはそういうつもりじゃ……」
「何だよっ!はぐらかすつもりかよ!!」
 身体を震わせて東が怒鳴ると、五月蠅く思ったのか母さんの鬱陶しそうな声が浴室のドアの向こうから聴こえて来た。
 当たり前だが、不意を突かれた俺達の肩がびくりと跳ねる。
「ちょっと〜?久しぶりに仲良く一緒にお風呂入ったと思ったら、もう喧嘩?ご近所の迷惑になるから大声あんまり出さないで頂戴ね。それとお母さんちょっと用事が出来たから、お隣の中井さんと出かけてくるから。お父さんが帰ってきたら夕飯は温めてって言ってちょうだい」
「……分かった」
 静かに答えると母さんは頼むわね、とぱたぱた出ていった。
 話が切れた事で少し頭が冷めたのか、東が目を反らして俯く。溜息をつくと、東の肩がびくっと竦められた。
「俺は別に自傷行為をしたいと思った訳でもないし、死にたいとも思ってない。何かに追い詰められてもいない」
 そう抑揚なくいっぺんに喋って、これで納得しただろうかと東を見ると不貞腐れたように口を尖らした。
「……じゃあ、なんでナイフなんか……」
 東はこんなに俺に干渉したがるようなやつだったろうか。眉間に小さく皺を寄せる。
「お前には関係ない」
「あるよ……っ!」
 がばっと顔を上げ、俺を睨みつける。
「だって俺、……俺……は……っ」
 嘔吐くように苦しげに呻いた後、東は深呼吸をした。
「……兄貴がちゃんと言ってくれたら俺も言う。はっきり言うから。だから、お願いだから何であんな事しようとしたのか教えてくれよ……っ」
 東が言っている事は筋が通って無いと思った。何故そんな一方的な取引みたいな事を俺がしないといけない?
 はっきり言って無視して良かったと思う。
 でも余りに必死な東の顔を見ていると、もうどうとでもなれと……俺にしては珍しく考える事を止めてしまった。

「……授業で人間は自分に近い物を一番美味と感じると聞いた。それを調べたかった。最初はお前を対象にしていたが、俺は人殺しになりたい訳じゃない。ならば自分自身そのものならどうだと肉を切り落そうとしたが、そこまでリスクを冒してまで確かめたい訳でもない。でも体液くらいなら痛みを譲歩しても試す価値があるかと思って、手首を切ろうとしたらお前が突然入ってきた。それだけだ」
 東の顔を見ずにそう言いきる。
 ……ああ、変態と思われるな。
 そもそも俺はなんでこんなに手が震えてるんだ?なんで終わったと思っている?
 ……なんで、東に嫌われたくないと思っているんだ……?
「そ、そっか……そう、なんだ……」
 東はそう呟いた後、ずるずると東は湯船の中に腰を下ろした。
 ぴちょん、と水滴が湯船を叩く音が風呂場の中で響く。
「……あ、のさ。じゃあ、さっき……俺の傷……舐めたのって、それ?」
「……ああ」
「ッ!美味かった!?」
 口籠りながら問われた問いに絞り出すように頷けば、がばりと顔を上げてそう大声で聞かれた。
「……は?」
「た、試してみたかったんだろ!そりゃ、肉とかじゃないけど、血液だって一応は身体の一部だし?細胞で出来てるわけだし?う……美味かったのかなぁって」
 ちらりと上目使いで向けられた目線に何故か唾を飲み下す。
 東の肌は白い。それが湯でほのかに色づいているのはどこか艶めかしく思えた。
 成長過程の未熟な躰は、部活で過不足なく鍛えられていてしなやかだ。濡れた髪が張りついているうなじが――。
「なぁ!……美味かった?」
 薄いが柔らかそうな唇が少し不満そうに尖らせられる。――こちらを窺う瞳にどこか熱が灯っている様に見えるのは思い違いか。それとも……。
「もし美味かったならさ……、た、食べても、いい、よ?」
 舌で唇を湿らす東は、湯船の縁に顔を寄せ、腕を伸ばして俺の太腿にそっと手を置いた。その感覚に身体を僅かに揺らして、東の視線に視線を返す。
「兄貴になら――俺……食べられたって、良い」
「……東、お前何を」
「本当だよ!俺、俺……ッ兄貴になら!痛くても良い、殺してくれたって構わな――……ッ」
「東!」
 どこか熱に浮かされた瞳でそう言い募る東の名を呼び、肩を掴んで揺さぶる。
「東、お前変だぞ。のぼせたんじゃ――」
「ちがう」
 肩を掴む腕を、東が握る。その手が震えていることに気が付いた。
「ちがう、俺……俺、ずっと……ずっと前から――兄貴のことが、好きだったんだ」

 余りの必死さに顔を歪ませながら、好きだと――俺の事を、好きだと告げた弟の顔をまじまじと見つめる。
 余り似ていない、それでも確かに血のつながっている兄弟。
 濡れた睫毛が震え、そして言葉よりも雄弁に熱を語っていた目が伏せられる。
「……ご、めん。気持ち悪いよな。男で、それに兄弟で……な、に言ってんだろう、俺、本当……ごめん……」
 その熱を訴える眼差しが自分から離されるのが惜しくて、顎を掴んで上を向かせた。
「あ、兄」
「好きって、どういう意味だ」
「え……」
「どういう意味での、“好き”だ?」
 そう問えばカッと東の頬に朱が指す。
「そ、それは」
「こういう意味か?」
 そう言ってその薄い唇に自分の唇を重ねた。

 茫然としているのか、薄く開いたままのそこに好都合と舌を差し込む。
 ゆるく舌を擦りあわせると、ビクリと東の身体が震えるのが分かった。
 舌を抜いて唇だけで何度も食む。水音が静かに風呂場内で反響する。濡れている茶色の髪を指でかき混ぜ、そして唇を離した。
 ――離した瞬間、東の方から名残惜しそうに顔を僅かに寄せた事に気づく。
 あの強気な表情をとろりと熱に浮かされたようにしている東は、いつもとは違う雰囲気を纏っていた。艶っぽく――不覚にも、可愛いとすら思ってしまうほど。
「……東、こういう意味か」
 何故か口から零れた声は掠れていて、それに我に返ったのかまた身体を跳ねさせた東は、ふいに顔をくしゃくしゃに歪めた。
「な、なんで、こんなこと……っ!」
「違ったのか」
「ちがっ、でも、兄貴は俺のこと、そういう風に好きじゃないだろ!?なのに、なんで……ッ
からかってんのかよ!ちくしょ、俺は……俺は……っ」
 本気で、好きなのに。
 消え入りそうなその言葉を、耳は何故か漏らすことなく拾い上げていた。
 ぼろぼろと大粒の涙を零す東を見て、ギュッと誰かに握られるように胸が締め付けられる。
 ……良く分からない感情だ。
 ただ、東がこれまでに無い程可愛く思えて、とても――そう、とても甘やかしてやりたくなった。
「……俺は嫌じゃ無かった」
「え、」
 ぽかん、と涙に濡れながら口を開けた東がこれまた吹き出してしまうほど可愛くて。
 頭を引き寄せると再度その唇に唇を重ねた。
 時々ちゅ、と音を鳴らして何度も何度も唇を食む。頭を抱きしめて優しく撫でてやれば、まるで子犬の様な声を東は出した。
「……お前、そんな可愛かったか?」
「ばっ、な、何言って……!ん、う……」
 くす、と思わず笑いを零しながらそう呟くと、抗議するようにもがく東。けれど宥めるように唇を重ねれば、その身体からすぐにふにゃりと力は抜けた。
「あ、兄貴は、お……俺のこと好きなの?」
「……さぁ」
「さぁってなんだよ!」
 期待している目で見られたが、そう答えると途端に悲しさ半分怒り半分で釣り目がさらに尖る。
「でも嫌じゃないし、お前なんか可愛い」
「……ッんだよ、それ……ッ」
 怒ったように聞こえるが、その実顔は耳まで真っ赤だ。
 それがまた可愛くておかしいな、と思いながらまたキスをしようとして、ふと東の身体の変化に気づいた。
「東、お前勃ってる」
「なっ!」
 これ以上赤くならないだろうと思っていた頬が、浸かっている湯を更に沸騰させそうな程朱を帯びる。が、腰に巻いていたタオルを押し上げるそれを見て、ふと頭に一つの考えが過った。
 味わいたいのは東の身体の一部だ。それは肉でも、血液でも、“東の細胞”で出来ているものならば構わない。
 ならば『それ』はどうだろうか。
 『それ』も細胞で出来ているタンパク質で。何よりそれは東のDNAを伝えていく役割を持っている物だ。それになんだか肉や血液よりも――美味しそうな気がする。
「それ、舐めるから立て」
「はぇ!?」
 素っ頓狂な声を上げて東が目を白黒させる。
「ばっ、のぼせたのかよ!?」
「『俺にされるなら何でも良い』って言ったよな、お前。ほら来い」
 腕を掴んで無理やり立たせると、クリーム色の壁に東を押し付けた。
 やだやだと首を振りながらも、東の中心が萎える事は無い。右腕は押し付けたまま、空いてる手で腰のタオルを剥ぎ取ると、勃ち上がっている中心が揺れて現れた。
同 性の物だが不思議と嫌悪感は無い。むしろ自分のと比べ若干色が薄いそれは余りグロテスクには思えなかった。髪とは違う地毛の色を残した下生えを指で弄りながら、舌で濡れている先端を舐め上げる。
「ひ、い!」
 洗ったからか、さほど味はしない。
 これなら全然いけると、大きく口を開いてガポリと含める所まで口に含んだ。勿論含んだだけで気持ち良くなれる訳じゃ無いのは分かっている。する側になるとは想像もしていなかったためぎこちないが、それでも持っている知識の応用をして口を窄めたり、気持ち良いであろう場所に舌を這わせた。
「ひゃ、あ、っ!ふぁあっ」
 途端にぎょっとするほど甘い声を東が上げた。
 女の様な、というよりもまるで甘える子犬の様なそれ。
 元からそんな低い声ではないが、一体どこからそんな声を出しているのかと口で刺激を与えながらちらりと上目使いで窺い、更にぎょっとした。
 とろりと潤んだ眼差し、口の端から零れる唾液。
 頬を真っ赤に染めながら高く喘ぐ様子を見て真っ先に浮かんだ言葉は正に“メロメロ”だった。
 まるで全身にマタタビ粉を塗された猫かの様に酔い、骨抜きになって我を失っている。
 やだ、と小さく繰り返してはいるが全く嫌そうに見えないどころか、瞳にハートがちらついて見える気がするのは何故だ。それだけでは無く、抑えようとして全然抑えられてない喘ぎ声の語尾にすらハートが付いて聞こえる。
「や、やだ、おれ、こんな……!あんっ、ひぅ……っやだ、やら、あにき、やらぁ……!」
「……全然嫌がって見えない」
「ちが、だって……!おれ、あにきのこと、ひんっ、らいすきなのに……っこんなことされたら、すぐイっちゃ……ッ」
 この行為が嫌だから“いや”なのでは無く、気持ち良すぎるから“いや”なのだと無自覚に伝えて来た東に驚き、何故か酷く――興奮した。
 そう、興奮だ。
 どくどくと鼓動が煩く、体温も上がるのが分かった。
 もっと欲しい。……何が?東の体液が?血肉が?……いや、東そのものが、欲しい。

 細い腰を片手で掴み、逃げないようにすると、もう片方の手で袋を優しく揉み拉き、東の先端の小さな穴を舌で抉った。
 瞬間、東が泣き声の様な声を漏らし、ビクビクと痙攣させながら白濁を吐いた。
 どく、どく、と性器の痙攣に合わせて先端から精液が漏れる。
 痙攣が終わり、もう出ないのかと先端を吸えば東がまた高く声を上げた。
 射精後の性器を弄り続けられるのが辛いのは分かっている。口から性器を開放し、そして口の中に溜まっている粘液を喉の奥に通した。
 苦味が強く、それだけで無くえぐみもある。精液臭というのか、自慰などで何度となく嗅いだ事のある匂いが味でも分かった。おまけに粘液だからなのか喉奥に張りつき、決して飲み込みやすいとは言えない。
(粘液は違うのか。火を通せば良いのか?いや、そもそも肉じゃないとやっぱりダメか)
「……美味しく無いな」
 ぼそりとそう呟くと、その場にずるずると座り込んでいた東の肩が跳ね、身体が強張るのが分かった。
 蒼ざめた顔でこちらを見つめ、縋るように腕を掴んでくる東が思わず可愛く見えてしまう。
 膝を付き、目を合わせると、その頬を撫でてそっと唇を合わせてやる。
 それだけで目を丸くした後、嬉しさ混じりの期待の眼差しを向けてくる単純さに、心に何かじわりと広がるのが分かった。
「美味しくない。……けど、癖になる味だ」
 その言葉に目を輝かせた東はぶるりと身体を震わせると、首を伸ばして自分から唇を重ねてきた。
「じゃ、じゃあ美味しくなるように頑張るから。おれ、あにきになら殺されても、食べられても良いから……。全部、あげるから、俺を兄貴のものにして……」
 いつもの強気なあの東はどこにもおらず、陶然としながら東は俺にそう囁いた。
 これは今の行為の所為でそうなった訳では無く、東の中で随分と前から育てられて来たものなのだろう。これが本来の東なのだ。
 それが酷く可笑しくて、愛しくて。
(兄がおかしければ弟もおかしいのか)
 喉奥で小さく笑った後、その額にそっと口づけてやった。




 俺が最も美味しいであろう人間の肉を、口にすることがあるか分からない。
 しかし当分の間それについて色々と思考を巡らせ、行動に移すことは無いだろう。
 人間の肉の味についての興味は確かに尽きないが、しかし今はそれよりももっと気になる物が出来たのだから。







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