Novel | ナノ


▼ 2


 留学先での話を旦那様に聴かれ、楽しく会話をしている内に夜も更けてしまった。
 シャワーを浴び、自室に戻ったのは大分遅く、疲れもあるからベッドに潜ればすぐ眠れるだろうと思いきや、目が冴えてしまい眠れない。
 もぞりと動いた後、ガウンを羽織ると廊下へと出た。
 久しぶりにホットミルクをつくろうと、使用人用の小さい厨房に足を運ぶ。マグカップ一杯分のミルクを注いだ鍋に火を掛けながら、ぼんやりとさっきの旦那様の言葉を反芻する。
(――違った愛で、確かに愛している)
 あの時、心が軽くなったのは、旦那様の奥様への愛を疑っていたのが晴れたからだけでは無い。
 ジルも――三年前のあの告白も、……そしてあの夜も、気の迷いなどでは無く、確かに愛していてくれたとしたら。これから先、ジルが誰かと結婚をしても、あの時の一時の愛の中で自分が一番になれるのならば。もう、何も望みはしないと思ったのだ。
(――それで十分だ。……それで幸せだ)
 生憎こちらは執事になれば生涯独身を貫いてもなんら問題は無い。一人死ぬまでこの愛を抱いていても良いのだ。それはきっと幸せなことに違いない。
 瞼を閉じた瞬間、睫毛の先からミルクの中に何か落ちたが、気にせずゆっくりとかき混ぜる。
 全てを溶かしたこれを飲みほして、この気持ちに折り合いをつけようと静かに心に決めた。


 カップを片手に廊下を足早に進む。春も近くなったが、夜はやはり底冷えする。
 温めたミルクが冷めてしまう前に、とドアの扉を開けて中に入り、小さなランプに火を灯した瞬間、ドン、と背中に何かがぶつかった。
 扉では無い。真後ろで扉が閉まった後、鍵も閉められ、それが人だと気づく。
 誰かがついて来た気配はしなかった。ならば、部屋に誰か潜んでいたということだ。
 咄嗟に振り向くよりも先に後ろから抱き締められ、動揺に手が揺れ、カップの中身が零れる。成長しても、逞しくなっても、覚えている。間違えるはずがない。
 この体温は。この匂いは。

「――カラエ」

 ビクリ、と身体が震えてもう一度ミルクが零れた。
 手に掛かり、指先から滴る。人肌なので熱くは無いが、それにまた動揺してしまう。
「カラエ」
 自分も身長は伸びたつもりだったが、それよりも随分と伸びたみたいだ。前は額までくらいだった差が、頭半分ほどに開いてしまっている気がする。いや、半分で足りるだろうか。
 耳元で囁かれ、吐息が耳を擽る。
 指先をミルクが濡らしていることに気づいたのか、震える手からカップが後ろからそっと奪われ、近くのチェストの上に置かれた。
「……ずっと待ってた」
 ああ、こいつの声はこんな響きをしていただろうか。
 耳から侵入して、脳を端から溶かしていくような、そんな甘い響き。
 手を取られ、後ろに回される。ぬるり、と指を何かが這う感触に小さく息を呑んだ。
 腰と胸に腕が回されたかと思うと強く締まる。
「――もう、俺から離れないで」
 反転させられ、顎を取られたかと思うと、息まで貪るような口付けをされた。

 熱い。
 熱くて、ぬめって、苦しい。
 呼吸をしたくて胸を押せば、抵抗していると思ったのか、更に口付けは深くなった。
「――ずっと、待ってた。ずっと……カラエ、カラエ……っもう、逃がすもんか……!」
 呼吸の合間に、早口で語気荒く告げられる。最後の方など、まるで噛みつくように。
「っは、ジ、ル。まって、ジル」
「ずっと夢見てた。ずっと、ずっと……。カラエが行ってから、カラエの事を考えない日は無かった。どんな風に大きくなっているんだろうって。どんな風に成長しているんだろうって。夢にまで出て来た。手紙も何回も読んだよ。覚えてしまうくらい。でも、読めば読むほど、声が聴きたくなった。触りたくなった。恋しくなって、苦しくて、辛くて、カラエに会いに行きたくなった。ううん。カラエを――連れ戻したくなった」
 荒い呼吸混じりに早口で紡がれるのは、三年分のジルの想いなのだろうか。
 頭を強く抱き締められ、額に額を寄せられる。
 後頭部を鷲掴む手にぎりぎりと力が籠り、指がかぎづめのように曲がっているのが分かった。
「カラエが頑張っているから、俺も頑張ったんだ。カラエに恥じない主になろうって。でも、それでも、辛かった。苦しかった。ずっと、ずっと、待ってたんだ。――凄く、綺麗になったね。びっくりしたんだ。船から降りてきた時。凄く、凄く、素敵になってて、見惚れた。俺の執事になってくれるんだと思ったら、嬉しくて、でも不安で。俺はカラエに相応しい人間になれているだろうかって。いつかまたどこかに行っちゃうんじゃないかって。でも、何よりも、……嫉妬した。向こうの学校では、こんなに綺麗になっていくカラエを見ていた奴らがいるんだろ?俺の知らないカラエを、知ってる人間がいるっていうのが悔しくて、堪らなかった」
 長く濃い睫越しに、金茶色の瞳が熱を浮かしてこちらを眺めている。
 昔の面影を色濃く残しているのに、尚、精悍になった面立ち。
 増した色気に呑まれそうになり、身体がふらついた。
「……向こうで、この身体に――カラエに、誰にも触らせてないよね?」
 地を這うような声に身体が跳ねる。が、気圧されてばかりの自分を叱咤し、顔を上げると、ぐっとジルの瞳を睨み据えた。
「さ、っきから、べらべら好き勝手言いやがって!」
 金茶の瞳が丸くなったのを見て、少しばかり胸がすく思いをしたが、まだ言い足りない。
「俺だって、ずっと、ずっと!ジルに相応しい人間になりたい、って気持ちだけを糧にして、我慢して、頑張って!なのにお前は手紙返さないし、帰って来たらそっけないし!もう、気持ちは冷めたのかと思って……っ俺は、好きな、ままなのに!」
「え……」
「ああそうだよ!向こうに行ってから自覚したよ!お前のことが好きなんだって!でも、たとえ執事になったって、使用人と主だ。……俺の好意はぶつけて良い物じゃない。だから、ジルの気持ちが冷めたのなら、この気持ちはずっと……しまって、おこうって……」
 ミルクに溶かし込んだ筈の気持ちが、両目から溢れ出るのを止められなかった。
「俺だって、ジルのこと、凄く格好良くなったと思ったよ!だから猶更、猶更辛かった。きっと、お前の周りには素敵な女性がいるんだろうって。将来のことを考えたらその方がずっと良い。分かってるけど……っ」
 ひぐ、と喉が鳴り、呼吸が引きつれるように乱れる。

「……っあいたかった……!!」

 声を上げて泣き始める俺の両頬を挟み、掠れた声で名前を呼ばれると、そっと唇が重なる。
 零すだけでは無く、上からもぱたぱたと降ってくる熱い滴が頬で交わり、顎を伝って滴り落ちるのを、いつまでも俺達は拭えなかった。


 二人で縺れるように、ベッドに倒れ込む。
 ジルの大きくなった手が身体を弄るのを、そうすることが自然であるかのように受け入れていた。
 前を肌蹴られ、素肌に手が触れた瞬間に身体が跳ねる。
「じ、ジル、明かり……消して」
 さっきつけたランプの明かりで、お互いの様子がはっきりとまではいかずとも、表情が分かる程度には照らされてしまっている。
「いやだ」
「はっ!?やだって、おまっ」
「帰って来たら、続きするって約束した……。全部見せて」
 確かに、続きをすると三年前言った記憶はあるが、明かりをつけたままと言った覚えは微塵も無い!と叫びたくなったが、肌蹴られた素肌を舐めるように這うジルの目線に、思わず言葉を飲み込んだ。
「……すごい……真っ白だ」
 指を胸に滑らしながら、陶然とジルが呟く。
「あの時、カラエのことが見たくて堪らなかった……。こんなに真っ白だったんだ……」
 金味を強くしてうっとりとした表情のジルは、精悍さも相まってどこか危うさのような物を含んでいた。
 つ、と指の腹だけで触り、胸の飾りをふにりと押される。
 快感は感じずとも、皮膚が薄く敏感なそこを押し込まれて、腰まで小さな電流が走ったように痺れた。
 美味しそう……という不穏な言葉は聞かなかった事にして、シーツを掴みながら羞恥に耐える。
 当分お預けをさせていた犬のような物なのだ。今は何を言っても届かないに違いない。とりあえず、満足するまで好きにさせてやるかと、諦めにも近い決意を抱いた直後、ズボンを下着ごと思い切りずり下げられて、つい先ほど胸に抱いた決意もよそに、思わず制止の声を上げた。
「こっちも赤毛なんだ……。もしかして、最近生え始めた?」
 ジルの言った通り、ここ数年でようやく生え始めたアンダーヘアーは、大人と比較すれば大分面積が狭いだろう。
 羞恥やら何やらで顔が真っ赤になり、怒鳴ろうにも言葉が出ず、無言ではくはくと口を開けたり閉めたりした。
 そんなこちらのことなど構いもせず、楽しそうにジルは指でかき混ぜている。
(……こっ、こいつ、こんなに変態だったっけ?)
 何やらこの三年の間にどこかおかしくなってしまったような気がするのは、気のせいだろうか。
 意識を逸らしている間に、高い鼻をアンダーヘアーに擦りつけられ、思いっきり息を吸われた。
「馬鹿!か、嗅ぐな!!!」
「大丈夫、石鹸の香りがするよ?」
 それと、やらしい匂いも。と、舌なめずりしながら続けるジルの雄の色気溢れる表情に、思わず腰が痺れる。
 そんなこっちの様子を分かっているのか、いないのか、口を閉ざした俺を満足そうに眺めながら、ジルは自身のシャツに手を掛けた。まだ、就寝の準備はしていなかったのか、夕食の時に来ていたワイシャツと黒いトラウザースを身に着けたままだ。
 毟り取るようにボタンを肌蹴、シャツを脱ぎ捨てると、見事なまでに引き締まった男の身体が現れた。何か運動でもしているのか、同じ歳とは思えないほど成熟した体つきに見惚れてしまう。
「カラエ」
「な、なに」
「……興奮した?」
 勃ってるよ?と嬉しそうに笑いながら言われたその箇所は、確かに少し首を擡げていて。
 慌てて両手で隠せば、その格好いやらしいねとうっそりと笑われ、一体どうしたら良いのか分からず、全身が赤くなるような気分になった。
「隠さなくっても良いのに……俺なんか、ずっとこうだよ?」
 太腿を両足で挟んで来たかと思えば、ゴリ、と不穏な感触が伝わってきて、羞恥を通り越し、血の気が引いていく気さえする。
 陶然として腰を押し付けるジルは、頬を紅潮させながら息を乱れさせた。
「ん……っ最近は、カラエとこういうことする事ばっかり考えてた。……その度に」
 こんなだよ、と笑うジルにどう返せば良いというのだろうか。
「すぐにでも抱きたいけど、下準備、しないと」
 カラエに痛い思いさせたくないから、と微笑む様子は、顔だけ見れば王子のようだが、如何せんシチュエーションがシチュエーションだ。逆に違和感が凄い。
 ベッド横の小さなチェストの上の引き出しを開けたかと思えば、何やら平らで丸いケースのような物を取り出した。
「……な、なにそれ?」
「ん?軟膏」
 見覚えのないそのケースに疑問を抱けば、当たり前のような顔をしてさらりと答えられる。
「滑りを良くしないと互いに辛いからって。こういう用途で一番質が良くて、評判も良いやつ聞いて買っておいた」
 人差し指と中指でたっぷり掬い上げられた中身は、ねばりとしていてなるほど良く広がりそうだ。だがまず一体それを誰に聞いたのだろう。そして、そういう用途の軟膏が自分の部屋に、自分が知らない間に用意されていたというのはどういう事だ。と、頭が状況に追いつかないまま、手際良く腰の下に枕の一つを差し込まれ、指の腹で温められた軟膏が後孔に、ねとりと塗り込まれた。
「ひ、ぃ!」
「大丈夫だよ、ゆっくりするから……」
 あやす様にそう言われ、表面を撫でるだけだった指がゆっくりと潜りこんでくる。
 体内に潜りこみ、粘膜を直接撫でられる感覚に、喉を反らし、耐えていると一瞬だけジルの動きが止まった。
 しかしそれは瞬きの間のことで、すぐにぐちりと指が緩やかに動かされる。
 堪え切れない呻きが口から零れれば、不安そうな色を宿した瞳がこちらを窺った。が、それでも止める気はないのか、何かを探るように内壁を指の腹で執拗に撫で回している。
 興奮して少し頭を擡げていた性器は、異物感に萎え、じっとりと身体に汗が滲む。
 不快感を訴えてはいないが、快楽を得ている訳では無いというのはジルにも一目瞭然で、少し考える素振りを見せたかと思うと、良いことを思いついたとばかりに蜜色の瞳が鮮やかに輝いた。その輝きに不穏なものを感じ、顔が引きつるのが分かる。
 萎えている性器の近くに顔を寄せられ、身構えていると、根本から先端までねろりと舌が這わせられた。
「ッあ!?」
 直接的な快楽と、そんな場所を舐められたという驚きに高い声が抑える間もなく口から飛び出る。
 制止しなければと思うのに、温かく滑った物で性器を愛撫されるという初めての快楽と、自分の主人であるジルに、性器を舐めさせているという凄い背徳感に理性も飛んで、思わず魅入ってしまう。
 舐めるだけだった行為は、咥えこまれ、唇と舌で刺激されるという物に変わっていく。
「あ、あ……あ!」
「気持ちいい?」
 頭を振り乱す俺を、ジルは嬉しそうに見つめながらそう聞いてくる。
「カラエのここ、美味しいよ」
 じゅ、と音を立てて先端を吸われれば、罵倒の言葉も呑み込んで嬌声に変わり、こぼれ出る。
「ま、って!まって、ジル、やめ……!」
 身を焦がすような快楽を与えられ、浸りきってしまいたい本能を無理矢理引っぺがす。こんな、与えられるだけだなんて。そんな。
「あっ、おれも、ジルのするから……!」
 顔を覆いながら、どうにか叫んだ言葉に漸くぴたりと快楽が止む。
 息荒く手をどけ、呼吸を落ち着かせてジルを窺った瞬間、早まったかもしれないという思いが真っ先に浮かんだ。



/


[ 戻る ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -