▼ 3年前の約束
ジルと同じベッドで寝た日から、どうやらジルはそれに味を占めたらしく度々潜りこんで来る様になった。潜りこむと言っても、寝ている間にベッドに文字通り潜りこむ訳では無く、寝る前にこっそりと部屋を訪ねて来て一緒に寝たいと駄々をこねるという具合なのだが。
勿論ダメだと突っぱねても、それならばこのまま廊下で寝るだの、身体が冷えたから入れてくれだの、そして何よりの切り札は自分の留学だった。
「長いこと離れ離れになるのだから、これくらい良いじゃないか」という台詞を口にされれば、無断で留学を決めてしまったことに多少の負い目もあって、頷かざるを得ない。
そうしてジルと一、二日に一度はこっそりと同じベッドで寝ている。
「……またか」
「だって」
「ハイハイ、ほら、中入って。身体冷えるから」
何度目か分からない会話に、もう何を言っても部屋に戻りはしないと理解して、無駄なやり取りを省いて部屋の中に招き入れる。
途端にジルはパァと顔を輝かせた。
律儀に俺がベッドに入るまで待っていたジルを、隣を開けて呼べばいそいそと潜りこんでくる。
「お前の部屋の方が暖炉があって暖かいし、布団だって良い物だろうに……」
「カラエと引っ付いてた方が暖かいよ」
「ハイハイ」
適当に合槌を打って、ジルの肩まで毛布を掛けてやった。
「……明後日、だね」
「……ああ」
何の事か問わずとも分かる。――出国の船に乗る日だ。
「……いかないで、って言っても行くよね」
「……うん」
笑うような、困ったような、どちらとも言えない細い息を吐いて、ジルが身体に回していた腕にぎゅっと力を込めた。
「……ねぇ、一つだけお願いがあるんだけど」
「お前のお願い、一つだけとかじゃなくていっぱい聞いてきたと思うんだけど」
お願い、と何度あの金茶の瞳でねだられただろう。そして、何度ダメだダメだと言いながらも最終的にその願いを聞いてしまっただろう。
呆れると同時に、ジルのお願いを断る選択肢が元々余りないことに気づいていた。
余程無理でなければ。ジルの立場が悪くなったりするものでなければ、愛しいこの駄々っ子の願いを仕方なく聞いてやろうとそう思っている自分がいることに。
「ダメ?」
暗闇の中であの瞳の色ははっきりとは見えない。けれど、あの窺う様な気配はありありと伝わって来た。
「……あれだけ聞いたなら、もう一個くらいなら数の内に入らないから。言ってみろよ」
苦笑交じりで先を促せば、抱きついたまま吐息混じりで
「キス、しても良い……?」
そう、お願いをしてきた。
まさかそんなお願いだとはついぞ思っていなくて、思わず言葉を失っていたら、ジルは慌てて言葉を重ねた。
「キスだけ。キスしたらちゃんと寝るから」
や、やっぱり、ダメ?と諦めたような、悲しそうな声音で言われたらダメとは到底言えない。――やっぱり、甘やかしてしまう。そう思いながら一つ頷いた。
本当!?とジルが相好を崩したのは僅かで、今は酷く真剣な様子でこちらを窺っている。恐る恐るといった態で頬を撫でられると、こっちも緊張してしまう。
「……は、はやく、するならしろよ」
「うっ、うん……でも、もうちょっとだけ」
頬の感触を味わうように撫でられて居心地が悪い。
暫くして、漸く顔が近づいてきて、覚悟を決めるように目を瞑れば、再び頬を撫でられた。
さっきよりも柔らかくて滑らかなそれに、そっと目を開けて、ジルが頬を摺り寄せていることに気づく。
抱き締めながら、すり、とまるで猫がすり寄るように何度も何度もゆっくり頬を合わせられる。それが心地良くて、でも覚悟をしていただけに少しだけ拍子抜けてもいた。
「……き、キス、しないの?」
思わず聞いてしまってから、まるで心待ちにしているようではないかと赤面する。が、その言葉に誘われるように、柔らかい感触が唇に触れた。
想像以上に柔らかく、温かい。ふに、ふに、と何度か啄むようなキスは拙いもので、けれどじわりと指先が痺れるような興奮を覚える。
おずおずと返せば、ジルの興奮が触れる肌から伝わって来た。鼻先に触れる息がくすぐったくて、身を捩れば唇が離れる。
けれど離れたと言っても、紙一枚が挟まるかどうかといった至近距離で、ジルの吐息が唇を撫でた。
「カラエ……大好き」
突然の告白に、ビクリと身体が跳ねる。
唇の脇に唇が落とされ、頬に触れ、首に下りた。徐々に下りて行き、鎖骨に温もりが触れて、胸元を軽く引っ張られたかと思うと、唇が更に下りて、おどいて見てみれば、ぷちり、ぷちりと寝間着のボタンが外されていく。
「なっ、なんでボタン!」
「キスなら!キスなら、いいでしょ?」
確かにキスだけれど……と、口籠っている間にボタンは全て外され、覗く肌にキスが降った。
心臓に、肋骨に、鳩尾に、臍に。
恥ずかしくて、でも心地良く感じている自分を認めたくなくて、顔に血を上らせ、背けていると、ずるりとズボンを引き下ろされた。
ひやりと空気が撫でる感じから、明らかに下着も一緒にずりおろされてしまっている。
「やっ!!」
「……キス、だから」
ごくり、と唾を飲む音の後に、ありえない場所に柔らかい感触を感じて、悲鳴を上げそうになり、慌てて自分の口を塞ぐ。
こんな所を人に見られたら本当に不味い。家主の子供が、使用人の股に、顔を。性器に、キスをしている所なんて。
「やめ、バカジル!やめろ!」
小声で、でも出来る限りの怒鳴り声で叱るが、敏感な部分に与えられる繊細で未知の刺激に声が上ずった。さっきまでのキスの興奮も合わさり、いとも簡単に、そこに血が集まってきてしまう。
「カラエ……可愛い。すき、だいすきだよ」
ちゅ、ちゅ、という音は可愛らしいのに、している場所が可愛く無い。
完全に勃ち上がってしまったそれが、ジルにキスをされていると思うだけで、先端を濡らすのが自分でもわかった。
「やめ……じる、やめてっ」
声を上げそうになるのを抑えるのと、気持ち良さに意味が分からなくなるのとで、懇願の声は細く、ヒクヒクと震えた。
「ね、カラエ、先端濡れてる?」
「バカ……っ、バカ、やめろって、言ってるのにっ」
「……舐めても、良い?」
なんか、美味しそう……という呟きと、湿った吐息が先端を擽るのと同時に、ジルの頭を鷲掴み、引き離す。
「キスじゃない!!」
最初にキスだけと言ったのはジルだ。舐めるなんて一言も言っていない。……それに、それより先に進むのは何か凄く怖かった。
微かに震えている俺に気づいたのか、ジルが慌てて抱きしめて来る。
「キスだけって、言った!」
「ごっごめん……!ごめんね、カラエ」
怖がっていることがバレたのが悔しくて、形だけでも怒ってみせれば、酷く慌てた様子でジルは何度も謝って来た。
ごめん、ごめんね、と繰り返しながら、目尻に唇を落とされる。
下半身を剥かれた状態だというのに、余りの必死さに少し笑えてしまった。
「ごめん……。カラエがもう行っちゃうと思うと、ガマン、出来なくて」
最後は少し鼻を啜りながら零したジルに、溜息を吐きながら、そっと頬にキスを返す。
「帰ってくるって、何度も言ってるだろ」
「……うん」
「ああほら、もう、許してやるから。泣くなよ」
ぽたぽたと首筋に降りかかるそれが何かなんて、見なくても分かる。そしてそれが、反省だけの涙なんかじゃないということも。
さっきの二人を包んでいた妙な熱はどこへいったのやら、いつも通りの空気に、興奮も冷め、弄られた中心も熱を収めていた。
余裕が少し戻って来て、小さく苦笑を零しながら、ぐい、と涙を拭ってやる。
「……続きは、帰ってからな」
「え?」
「だから、その……さっきの続き」
勿論、帰って、俺がしても良いと思ったらだけど。と、早口で付け加えれば、ぎゅう、と力強く抱き締められる。
「待ってる。ずっと、待ってるから」
「ばーか。……この、すけべ」
「うん。……だから、早く帰って来てね」
お願い。
そう切ない声で続けられて、ああ、と胸中で小さく溜息を吐いた。
俺はジルの“お願い”に、どうしても弱いのだ。最終的には、叶えてやってしまっている。そしてやっぱり、この“お願い”も、聞き届けないわけにはいかないのだろう。
「絶対、帰ってくるから」
そう囁いて、俺は、俺よりも幾分か広い、けれどまだ幼い背中に手を回した。
- 終 -