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首にしがみついていた神は、パッと離れると楽しそうに笑った。
「さて、なら、おまえにおれの印を入れないとな」
印というと、焼き鏝か何かでも入れるつもりかと思考を巡らす。
「どこぞの輩に奪われないようにな。別に痛くないぞ、安心しろ」
さて、どこに入れるかな、と小首を傾げ、じろじろと全身を見回す神は、そうしていると幼子そのもので、思わず小さく笑いが零れた。
「貴方の良い場所に、
「ふは、良い応えだ。なら心臓の上か、いや、首でも良いな」
くくく、と喉奥で小鳥のように笑いながら、楽しそうに心臓の上辺りを撫で、首回りも撫でた。
どちらとも急所と呼ばれるそこを晒し、その気になれば素手でも軽々と殺せるであろう相手の指に委ねる。
「――いや、決めた。顔にしよう」
一目で誰でも解るようにな、と笑う神の瞳は、一瞬凶悪な色を見せて輝いた。
右手を伸ばし、男の左頬を覆う。
『――我が名はイェマ・シャンラ。
朗とした声で、神が告げる。今までとは一線を画し、先ほどまで子供のようにはしゃいでいたそれと、同一のものとは思えない変わりように気圧される。
『人間よ、その肉体、命、魂、一つ残らず、全てを
内から輝く碧眼に、その幼子の形から放たれる尋常ではない気に、畏怖を呼び起こされ、喉奥が乾く。
本能的な部分が、応えてはいけないと何故か警鐘を鳴らす。が、それを知ってか知らずか、言葉を失っている男に、神は瞳を弓なりに細めた。
『誓うならば、人間。――おまえの名を、おれに寄越せ』
これに応えれば、自分はとてつもない物を失うに違いないという直感があった。
しかしそれ以上に、この幼気で恐ろしい神に応えたいという衝動が胸から突き上げる。
その衝動に突き動かされるように唇が開き、喉が震え、音を紡ぐ。
「わた、しの名、は――ゼノウィズ」
瞬間、手を添えられていた左頬を中心に、バツン!と重い衝撃を受け、身体が傾いだ。
殴られたわけではない。痛みもないと断言出来る。ただ、左頬に――いやもっと深い所に、印を、刻まれた。
――そうか。と、今更ながら男は理解した。
神に全てを捧げるとは、こういうことなのだと。
全てを神に奪われ、全てを神から与えられる。
死ねと言われればその場で首を掻き切るくらいの覚悟では生易しい。その後の魂すら神に捧げるものだ。最早死後の安寧すらこの神の手中に収まった。
そのことに深い喪失感を覚える以上に、この身は神の物になったのだという歓喜に全身が痺れていた。
『――
傾いだ身体を引き留め、“見える”印が刻まれたであろう左頬を神が愛しげに撫でた。
その感覚に印を刻まれた直後で敏感になっている全身が粟立ち、思わず熱い息が零れる。
ゼノウィズ、と名前を繰り返した神が、くふり、と愛らしい笑みを零す。
白く長い睫毛が、この世のものとは思えない蒼天の宝石を包み、喜悦を湛える。
「おまえはおれのものだ、――ゼノウィズ」
名前を呼ばれれば、喜悦が背骨を走る。は、と零した吐息に食らいつくように、唇に柔らかいものが重ねられた。
見開く目の前には、伏せられた睫毛が映る。
しかしそれはすぐに離れ、問いかける前に神は悪戯げな笑みを浮かべて、ゼノウィズの手をとった。
「まずは湯だ。随分長いこと汚れを落とせず、気持ち悪いだろ」
さあ、こっちだと手を引かれ、ふらつく足をどうにか動かして、男は神の後ろをついていった。
「気持ちはいいか?」
「……ッ、は、い」
答えると、笑った神の指が髪をくすぐり、泡立てていく。
――どうして、こうなった。
ゼノウィズは泡が目に入らないように瞑りながら、胸中で静かに呟いた。
周囲を幕で隔てられ、湯が張られた広い桶のある野外の湯殿に連れて来られたまでは良かった。が、身に着けていた服は自分で脱ぐことを許されず、なぜか神の手で脱がされた。
抵抗ともいえない抵抗をどうにか試みたが、おれがやる、の一点ばりで、とうとう全身服を奪われた。
それだけでなく、石鹸を手に取ると、洗ってやるからそこに座れ、と満面の笑顔でのたまわったのだ。
髪を解かれ、湯をかけて丁寧に洗われる。背の半ほどまでの長さのそれを、神は鼻歌混じりで泡立てる。
「おまえの髪の色はいいな。好きだ」
日に焼けて色の抜けたこの硬い髪を好きだと言われ、喜びに魂が震える。
髪の泡を流されると、神は前に回り、泡立てた手で肌を擦り始めた。
「そ、んなことは――」
「自分のものを自分で綺麗にするのは当たり前だ。大人しくしてろ。ほら、膝で立て。洗いにくい」
頑として譲る気のない様子と、大人しくしていろという命令に抗うわけにもいかず、おずおずと椅子から降り、湯に濡れた床に膝で立つ。かといって冷静さを保てているわけでもなく、目線が泳ぐのを止められない。
白く、幼い、しかし武器を握る胝がしっかりと出来ている手の平が、石鹸のぬめりを纏って胸板を滑る。
服を全く脱いでいない相手に対し、己は全裸で隠すものは何一枚ないというなんとも心許ない状態だ。
無骨な男の身体を、見た目だけは凛々しくも愛らしい幼子が洗っているという絵面も不味いが、なによりもその手に触れられるだけで、印を刻まれた魂が喜びに打ち震えてしまうのが不味い。しかし、そんなことをお構いなしに、手は割れた腹を擦り、臍を撫で、下腹まで下り――。
「な、ッ!」
白い指が己の性器に絡められて、流石に制止の手が伸びる。
しかし、その腕を払い除け、神は美しい碧眼で男をにらんだ。
「大人しくしていろ、と言った」
「だ、だが」
その手に触れられるだけでこんなにも心がざわめき、魂が打ち震えるというのに、陰部まで触れられればどうなるか。
「おまえは、おれの物だろう。――ちがうか?」
美しく幼気で、凶悪な戦神。己の神であり、唯一が求めるものを、拒めるわけがない。
なにより、その剣呑に光る神の碧眼に覗き込むように見つめられるだけで、身体から力が抜け、抗う気など失せていく。
「……いや、違わない。この身体も、心も、魂も、全て貴方の物だ。
その答えがいたく気に入ったようで、神の機嫌は手の平を返したように良くなった。
「ふふ、なら良い。だが、“
「……では、
「んむ、まあそれも捨て難いが、名を呼べ。おまえだけに特別許す。」
「それは」
「許す」
「……イェマ・シャンラ様」
「様も必要ない!イェマと呼べ、いいな?」
「……承知した、イェマ」
そうしろというのなら、酷く大それたことではあるが、従う他にない。
望む通りに名を呼ばれ、うれしそうにしていた神は性器に絡めていた指を、ゆっくりと動かし始めた。
「――ッ、つ……!」
白く幼い指が、浅黒く醜い大人の男性器の根元から先端までなぞっていく。
ぞくり、と滲む快楽に、羞恥で抗ってしまわないように両拳を身体の横で握りしめる。
「ふふ、なかなか立派だな。下の毛は髪より赤いのか。面白い」
ただ洗っている指の動きは、ともすれば弄んでいるかのようだ。
予想もしていなかったが、全てを捧げる、ということはこういう意味も勿論含んでいるのだろう。戦場では珍しくないことではあるが、まさか自身が対象になるとは考えたこともなかった。
丁寧に竿に泡を広げ、ゆっくりと上下に擦る。裏の筋をなぞったかと思うと、浮き出た血管の凹凸を確かめるように押される。
「イェマ……ッ」
縋っているのか、窘めているのか、自身でも分からない声で神の名を呼ぶと、くふ、と笑い声を返された。
「気持ちいいのか?女を知らぬわけでもないだろ」
知らないわけではない。しかし今まで抱いたどの娼婦の膣よりも、その指に下腹が痺れるほど感じていた。
性器に血が集まる感覚がわかる。硬くなりはじめた性器に、神は愉し気な笑い声を零すばかりだ。
「……イェマ、ッ」
再度今度は縋る意味を込めて神の名を呼び、視線を向ければ、神は碧眼を細めた。
「んん、ふふ。いいぞ、許す」
そう言い、洗うためにゆるゆると動いていた手が、性的な意味合いを明確に持って扱き立ててきた。
極彩色の悦楽が全身を貫く。あまりの激しい快感に仰け反り、漏れそうになった喘ぎを、歯を喰いしばって堪える。
「声を殺すな、周囲に人はいない。存分に鳴け」
ぐちぐちと音を立てて擦られる性器は腫れあがり、既に先端から透明な液を滴らせている。
開いた傘の縁を強く撫でられ、腰が跳ねるのを抑えられない。性器から得られる快楽に没頭していれば、中の双球を擦り合わせるように袋を揉まれ、更にはその奥にまで指を伸ばされた。
細い指が尻の
抵抗らしい抵抗をしないうちに指がゆっくりと挿し込まれていく。
イェマ、と吐息で呼べば、碧眼に慈愛としか表現しようのない色を湛え、神が爪先で伸びあがり、接吻を施した。
全身が痺れる喜悦に、は、と強請るように口を開くと、柔い舌が咥内に挿し込まれる。神の唾液はなにより甘く、どんな美酒よりも沁みる。咥内を舐められる感覚と、与えられる快楽に陶然としていると、だらしなく開閉し、白混じりの粘液を零していた先端の穴を、思い切り指先でくじられた。
「ッヴ!グゥ、ウッ――!!!」
睾丸がせり上がり、脈打ちながら精液が迸る。瞬く絶頂に目の前が白熱し、口づけで抑えられたが、それでも喉奥で殺しきれない悦びの声が零れた。
精を放った後のいつもの喪失感はなく、余韻に未だ身体が痙攣する。乱れる息を必死に整えようと肺に空気を取り込んでいる視界に、ふと目の前の惨状が飛び込んで来た。
擦っていた神の白い手だけでなく、衣服にまで跳ぶほど吐き散らかされた己の精液。随分と長いこと吐き出す機会がなく溜まりに溜まっていたそれは、どろりと濃く、白というには黄ばみを帯びていて。放った余韻にひくつき、未だ硬さを持っている性器の先端からも、太い糸を引いて垂れ下がっている。
汚らしい以外の何物でもない光景に絶句し、余韻も吹き飛ぶほど青褪める。
「い、イェマ……ッ、」
拭くものを探すが、裸一つの自分に拭くものなどなにもない。いやそれよりも謝罪を、と、みっともないほど狼狽していると、後ろに挿し込まれていたままの指が抜かれて息を一瞬詰める。
硬直している自身の前で、イェマはその手の平を汚している白濁の粘度を見せつけるように開いた。
「――随分と、出たな」
嘲るような口調だが、その口元と瞳には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
ぐちゃぐちゃに汚れたその手の平を、イェマはゼノウィズの頬に擦りつけた。吐き出した物を頬に広げながら、神はゆるりと笑う。
「気持ちよかったか?ゼノウィズ」
「申し、わけ――」
「違う」
震える唇で謝罪を紡げば、それを遮られる。
「気持ちはよかったか、と聞いている」
眼差しを優し気に細め、子供に言い含めるように問われて。羞恥で顔に熱が集まるのを自覚しながらも、消え入りそうな声でどうにか、はい、と答えた。
「そうか、なら良い」
ニッ、と笑いながら再び口づけられる。
今度は軽く触れるだけに済ませ、すぐに離れると耳元でイェマは囁いた。
「可愛いやつめ――続きはあとで。寝所で、な」