Novel | ナノ


▼ 1


 耳を打つ騒音。
 剣撃。命を絶たれる声。命を絶つ声。自身の呼吸。鼓動。
 全てが混じり、鼓膜を痺れさせる。
 もう数えるのも億劫になるほど人の命を斬った剣は、血と肉の油でぬめり、それでも息を続けるためにそれを振るい続ける。
 幾つの命を奪っただろう。
 幾つの戦場を駆けただろう。
 己を奮い立たせるように雄叫びを上げながら切り掛かってくる相手の懐に潜り込むと、喉笛に突き立てる。途端に雄叫びは調子外れな音に変わり、すぐに消えた。
 大声を上げ、己を奮い立たせるなんてことはとうの昔に止めた。戦場で生き残るためには、無駄なことに力を裂いてはいられない。息を一定以上切らさないように。呼吸を一定以上乱さないように。
 血煙の舞う戦場に、震える足で立った日から十数年近く。その全てで身に着けた経験で、最低限の動きで呼吸をするように、命を屠る。

(――なんのための、戦だ)
 味方と敵の区別も出来ない程の人の海に呑まれ、襲い掛かってきた相手を殺し、きりなど見えそうにもない。
 何より分が悪すぎる戦いだ。
 人間対、神。これは、神と呼ばれている存在に売った、喧嘩だった。
 流石に今対峙しているのはただの人間だが、それを率いているのは神と呼ばれている者たち。兵をどれだけ屠ろうとも、大将首が討ち取れないのなら、勝ち目がない。
 それでも、戦わなくてはならない。戦うしかない。対価のため戦えと命ぜられたのなら、従う以外に道はない。
(――なんのための、戦だ)
 この終わりには何があるというのだろうか。しかし、それを知ったからと言って、この手を止めることには繋がらない。
 戦に意味はなくとも、戦わねばならない理由を自分は持っている。死ねない理由を、持っている。
 がりがりと、心と魂が削れる音が耳を打った。




「――見事だ」
 高みから見物をしていたそれは、そう高らかに呟いた。
 戦場を一望出来る本陣で、全てを見渡すことの出来るその目を一際惹いたものを、ずっと食い入るように見ていたのだが、感嘆の溜息を吐きながら、大きな瞳を輝かせる。
美事みごとな手練れ。人間であそこまで動くのは面白い」
 ニッ、と笑みを浮かべて、すっくと立ちあがる。
「――アツァ
 隣に座る従者の、引き留めるような、咎めるような響きに、笑い声を返す。
「心配ない。ちょっと、遊んでくるだけだ」
 そうして、己の馴染みの相方を手に握ると、その場から跳んだ。




 トニトルスかと、思った。
 いや、実際雷のようなものだった。
 ゾッと背筋を悪寒が駆け抜け、本能的に咄嗟に後ろに飛びすさる。
 次の瞬間、さっきまで自分が立っていた場所に、轟音と共に何かが落ちてきた。
 周囲の人間を叩き潰し、地面を抉り、土埃と突風を起こし、ゆらりとその中から立ち上がった人影をはっきりと目にして――瞠目した。
 怒号と断末魔、血と土に塗れた戦場で、それは明らかに異質なものだった。
 風にそよぐ、雪のような色の短い髪。横顔でも分かる程造形が整っているが、それ以前に幼気な相貌。
 自分が初めて戦場に立った時よりも、ずっと幼い子供がそこにはいた。

 そこだけ戦場を切り取ったかのように場違いで、思わず魅入り、目が釘付けになる。
 ふと、子供がその視線に気づいたかのように、顔を向ける。正面から見ると、猶更人離れした美貌と、幼くも凛々しい面立ちだというのが分かる。空もかくや、と思うほど深く、澄んだ碧眼を向け、そして何に驚いたのか一瞬目を見張ると、酷く嬉しそうに破顔した。
 その幼気で無邪気そのものといった笑顔と、浴びている潰した人間の返り血という、あまりにも不釣り合いな組み合わせに、困惑で眩暈が起きそうになる。
「――おまえ、避けたのか」
 未だ声変わりを迎えていない、愛らしくすら思える高い声が耳朶を打つ。
 が、その言葉の指している内容は、さっき感じさせた悪寒を再び呼び起こした。
アエスの毛並み、葡萄酒ヴィヌムの瞳――か。随分見ない色だ。おまえ、この国の人間じゃないのか」
 興味深そうにこちらを見つめていた子供は、くふ、と楽しげな笑いを淡い桃色の唇から零す。
「面白いうえに、珍しい」
 戦場では見ない程白い肌の華奢にすら見える腕を伸ばし、地面を抉っていたものを軽々と拾い上げる。
 ――大人の身の丈ほどの、戦斧。
 斧槍のようだが、見たこともないほど刃が広い。半月形のそれは人間を両断することも容易いだろう。戦場では考えられないほど身軽で、最早防護という用途よりも装飾に近い鎧を纏いながら、その身に隙は全く無い。
 凶悪なそれを片手で握る幼子の姿のそれに、確信する。――これは、神だ。
 相対する軍を率いるモノ。その長の一柱。
 いきなり戦場の真ん中に現れた神に、味方は半狂乱し、我先にと逃げ始める。逆に敵は鼓舞され、勢いづいたかというとそうでもなく、神の刃に巻き込まれないようやはり逃げ出す。
 男と幼子を中心に、人波が退いていった。
「なあ、おまえ」
 幼子はともすれば少女にすら見える愛らしい顔で、満面の笑顔を浮かべた。
「少し、おれと遊べ」

 瞬間、幼子が跳躍し、人ではありえない速度で間合いを詰めた。
「――ッ、グ!!」
 すんでのところで、胴体を真っ二つにする勢いで横薙ぎに繰り出された一閃を剣で受ける。が、勢いを殺しきれず、横に吹き飛ばされた。もんどりうちながら転がり、どうにか体勢を整えながら身体を起こす。
 しかし、こちらが完全に立て直すより先に斬撃が繰り出される。
 瞳孔を開いて爛々と瞳を輝かせ、犬歯を剥き出しにして愉しそうに笑うそれは、美しくありながら獰猛な獣よりも凶悪で。これがただの神ではなく、戦神と呼ばれる類のモノなのだと否が応でも悟らせる。
 全身の筋肉のバネを使い、どうにか鎧と皮が裂けるぎりぎりで剣戟を避ける。首を狙った二撃目、剣でいなす。叩きつける三撃目を受けたところで、元々酷使を続けていた剣が歪で甲高い音を立てて砕けた。
「クソ……ッ!!」
 悪態を吐き、後ろに飛びすさりぎわ、転がっていた死体から武器を取る。
 横なぎに払われた一閃を拾い上げた戦棍で受け、勢いを殺してもなお強いそれに手を痺れさせる。
 一瞬、幼子の目が見開かれ、は、と小さくその唇から漏れた音がした。しかし、それを捉えている暇はない。一秒でも集中を切らせば、その瞬間、この身体は砕かれ、命を奪われるという確信があった。
 呼吸は声が漏れるほど乱れ、鼓動は今にも張り裂けそうに胸を打ち、集中にこめかみから血が噴き出しそうだ。
 打ち込むなど出来るわけがない。防戦に徹し、生き延びることだけを考え、相手の動きに全身全霊を向けて一撃一撃を避けるのが精一杯。それでも確実に負う傷は増えていく一方だ。――これを、いつまで続けられるのか。
 受け流し損ねた戦斧の刃が肩口に刺さり、鎧を砕いて肉を断つ。痛みに一瞬意識が飛びかけるが、咆えて弾き、次に構える。
 溢れる血は腕を伝い、地面に滴る。明確に忍び寄る死の足音に、息が更に荒くなる。
 ――死ねない。死ぬわけにはいかない。
 醜悪なまでに生に縋りつく。
 二撃目で折れた戦棍を捨て、次は剣を二振り拾い、構える。

「――くふ」
 幼子の唇から再び音が漏れる。
「くは、ははっ、あははは、ははははは!!!」
 それは本当に愉しそうな哄笑へと変わった。
 興奮で頬を紅潮させ、無邪気に笑いながら、幼子は戦斧を振るい続ける。その動きはまるで舞っているかのように軽やかだ。
「ははっ、人の身でおれの刃をそこまで受けきるか!」
 ははは、と未だ戦神は高らかに笑い続ける。
「そのなりふり構わず生をもぎ取ろうとする気概、気にいった!」
 攻撃を防いだ刃が、そのまま幼子の頬の皮を一枚裂いた。
 引かれた血の線を指で拭うと、まるで傷などなかったかのように消える。噂に聞く不死の片鱗を見せられ、絶望が深まった。
「――よし、決めた!」
 戦う心をへし折られそうなこちらを余所に、燦然と笑い、高らかに神は告げる。
「おまえは、おれイェマ・シャンラのモノにする!!」




 数で押すだけの戦など何も面白くない。なにせこの神――幼子の姿、白雲の髪、青天の瞳を持ち、血に塗れ刃を交える戦いを何よりも好む戦神、イェマ・シャンラ――が腕を振れば、ただの人間なら血と肉に帰すのだから。そこに何かしらの策が敷かれているのならまだ良いが、長年続く戦に、敵対国は掻き集めただけの人間を戦場に投入している。
 最早じり貧状態だ。民あっての国。これだけ屍を積み上げれば、必然と財政は逼迫し、何もしなくともおのずと滅んでいくだろう。
 それでもそんな戦を最後まで見届けるのが、天の父アンシャルから課せられた使命だった。
 欠伸が出るほどつまらない戦場を眺めていた時、ふと、面白いものが見えたので、少し遊んでみようと思った。つまらないが故のただの気まぐれ。だが、シャンラはその気まぐれに感謝をした。
 ほんの少し遊べば、すぐ壊れてしまうと思っていた。しかし、この戦士は人の身でありながら、遊びと称したとはいえ戦神イェマ・シャンラの攻撃を何度も躱し、そして何度も受け流したのだ。
 土埃と血煙に薄汚れた銅の髪は、戦士の証か、長く編み込んで結われている。鋭い葡萄酒の目はアクィラを彷彿とさせ、どこか厭世の擦り切れた色を抱きながらも、光を失わず、また微塵の隙も見せない。

 戦いの中で研磨されたような戦士だと思った。
 無駄を一切省き、綱渡りのような命のやり取りの中で、一瞬の活路をもぎ取っていく。
 死者の武器を、転がりながらなんの躊躇いも無しに握った時には流石に虚を突かれた。
 そして、その生に執着する様を、好ましいと思った。
 この戦士は決めたに違いない。どれだけ無様であろうと、どれだけ醜かろうと、生にしがみ付いてみせると。そのためならば誇りを捨てても、泥を啜っても、罵られても構わないと。
 戦神故にその戦い様からありありとその覚悟を感じ取った。
 人の身で戦神の斧を紙一重とはいえ躱し、受け流すその技量。戦いのためだけにあるような、鍛え上げられたその身体。何より生にしがみ付くその気概。
 それは、幾千の戦士を見てきたシャンラですら、惚れ惚れとした。
(――欲しい)
 全身が粟立つほど、そう強く思った。
(欲しい)
 だから、戦神はこの戦士を、己の物にすることに決めた。

 朗々と宣言したは良いが、これが思ったよりも難しかった。
 叩き潰すのはたやすいが、生きて捉えなければならない。かといって手心を加えれば、この戦士はその好機を逃さないだろう。
 殺す気で、しかし殺さないように。
 なんとも難しい力加減に、姿同様あまり気の長い方ではない戦神は段々と苛立ち始めた。
 打ち込めば打ち込むほど、この戦士が欲しい気持ちは膨れ上がってくる。
 大人しく自分のものにならない戦士が酷く面白く、好ましく、そして何より腹立たしかった。
 その怒りは如実に一撃に乗せられ、ついうっかり、本気を放ってしまった。
(しまった……!)
 神の怒りを乗せた一撃に流石の戦士も今までにない程吹き飛び、落ちた先で動かなくなった。
 いくら神といえど、死んだ人間を甦らすことは出来ない。気に入りを殺してしまった、と滅多になく慌てて戦士の傍に駆け寄る。
 肉塊になっていると思ったのだが、戦士は血に塗れ、口から血泡を吐きながらも微かに、そして確かに息をしていた。
 生きていること、なによりひしゃげてはいるが四肢がまだ身体についていることに驚き、そして握りしめていた刃を削り取られた剣を見て、この男が一瞬とはいえ放った渾身の攻撃を受けながら力を弱め、受け流したのだと理解し、歓喜に全身が沸き立った。

 昏倒している戦士の髪を掴み、狩りで捕まえた兎を掴むかのように引き摺り上げる。
 大の大人を片手で目の高さまで持ち上げた幼子の姿の戦神は、目を輝かせながら満面の笑みを浮かべた。




 戦利品マヌビアイだ、と意気揚々と戦士を担ぎ、野営地に戻ってきた戦神は、驚く周囲を余所に、いそいそと己の天幕に戦士を連れ込んだ。
 未だ昏睡状態の戦士を床の毛皮の上に寝かせ、まずは治癒かと、心臓の上に手の平を翳し、力を注ぐ。
『――生きよVive
 それは治癒というにはあまりに大雑把で、力任せで、傲岸不遜な神の命令だった。
 しかしそれでも注がれる神力に、疲労していた心臓は力強く鼓動し、砕けた骨は接着し、断裂した筋肉は繋がり、破損した内蔵は癒え、傷は塞がっていく。
 粗方傷を治し終え、手の平を心臓の上から下して、幼い姿の戦神は楽しげな笑い声をあげた。
 目覚めの時を考えるだけで今から楽しみだった。



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