Novel | ナノ


▼ 3


「……俺も一緒に話を聞く」
「ジル?」
「何を言ってるんだ、ジル」
 驚く俺と旦那様を余所に、ただ腕を掴む力はそのままでジルは言葉を重ねた。
「別に俺が一緒にいても構わないだろ、それとも俺がいる前では話せないような事をカラエに話すつもりなの?」
「ジル、我が儘を言うもんじゃない。そもそも他人の話に首を突っ込む様な事が紳士な振る舞いだとお前は教えられたのか?」
「でも」
「……はぁ……ジル、お前はいい加減カラエ離れをしなさいと」
「そんな事、どうだっていいだろ!!」
 大声で怒鳴ったジルに仰天する。
 ジルが怒鳴る姿なんて、今まで見た事も無かった。いつもは柔和な色を宿している瞳が怒りの色に染まっているその表情は、エルザが牙を剥き出し唸っている姿と似ている。
「ジル」
「顔合わせる度に、カラエ、カラエって……!」
「ジラード!」
 旦那様の怒った声に、ジルが唇を噛みしめながら口を閉ざす。
「お前は部屋に行っていなさい」
「俺は……!」
「これ以上言うなら反省するまで部屋に軟禁するぞ。それなりの対処もする。嫌なら行きなさい」
 その言葉にまた深く唇を噛むと、ジルはガタン!と大きな音を立てて食堂から出て行ってしまった。

「気にしなくて良いよ、カラエ。この年頃だ、反抗期ってやつかな」
 おろおろと旦那様とジルが出て行った扉とを交互に見ていると、旦那様は苦笑交じりにそう言った。
 でもそう考えると、カラエはあの子と同じ年なのにしっかりしていて素直な良い子だね、という言葉に首を振って否定する。
「そんな事。ジル様の方がずっとしっかりなさっていますし、頭も性格も良いですし……」
「いやいや、あの子は中身が見た目よりずっと幼い。……大人になりたくて仕方ないんだろう」
「あの……こんな事を、俺が言うのはなんですが……」
「うん?言ってごらん。ああ、話もここでしてしまおうか。私の書斎に行ったら、あの子が聞き耳を立てかねないからね」
 冗談なのか分からないような事を笑いながら言った後、旦那様が他の使用人の人達に指示を出して食堂から人払いをした。
「話を中断させてすまないね。さぁ立ってないで、そこに掛けて楽にして」
 そこには使用人の人が去り際置いて行った紅茶が、温かい湯気を立ち上らせていた。
 それに手を掛け、一口啜ってから旦那様を見る。
「その、旦那様がお忙しいのは重々分かっているんですが、ジラード様のためにもう少しだけ時間を割いて頂けたらな……と」
「ジルに?いや勿論だが、どうしてそう思ったんだい?」
「なんか……あの、さっきのジル様の言葉が……ただの思い上がりかもしれないんですけど、お、僕に嫉妬しているように聞こえたので……」

『顔合わせる度に、カラエ、カラエって……!』
 これは、旦那様が俺の事を気にする事に嫉妬していたから出てきた言葉じゃないだろうか。
 忙しい父親が久しぶりに帰って来たと思ったら、息子では無く同じ年頃の使用人ばかりを気にしていたら、それは腹も立つだろう。
 もしかしたら、大分前から不満があって、あの時一瞬歪んだ顔はそれだったのかもしれない。
「ああ……なるほど、確かにそう聞こえるかもしれないね。……あれはむしろ私に嫉妬したのだと思うんだが」
「え?」
「ああ、いやいや、何でも無い。大丈夫だよ、まぁそうだな、確かに最近は忙しくて中々話せないからね」
 今度ゆっくり食事をする時間でも設けよう、と旦那様が微笑んだのを見て少し安堵した。
 それじゃあ次は私が良いかな?と言った旦那様に慌てて頷く。
「申し訳ありません、旦那様がご用事があると仰っていたのに……」
「いやいや、構わないよ。さて、私の話というのはね――……」




「ジル……?」
 部屋の扉をノックして、返事が無かったため、開きながら恐る恐る声を掛ける。するとベッドの上で靴も脱がずに背中を向け、転がっている姿が目に入った。
 不貞腐れているオーラが背中からばんばん伝わってきて、思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。
 無言で拗ねるのは、小さい頃から全然変わらない。
 近づいてそっとその背中を揺する。
「ジル、ベッドには靴を脱いでからあがれっていっつも言ってるだろ」
 それにも無言で返され、苦笑を零して靴から足を抜いてやった。
 されるがままのジルに再び苦笑を零し、身体を軽く揺する。
「ジル、ジール。……ジラード様、気分転換に紅茶でも――」
 淹れましょうか、と口にするよりも先に思い切り腕を引かれて体勢を崩す。
「う、わ!」
「止めて」
 硬質な声に驚いて顔を見れば、金味を帯びた茶水晶の瞳を剣呑に光らせ、ジルが睨んで来た。
「そんな言葉使い……っジラード様だなんて、呼ぶなよ!」
「ジル……」
 そのまま胸元に顔を埋めて来たジルを、半ば呆気にとられながら眺めた。
 一体どうしたのだろう。元が温厚なジルがこんなにもカリカリするなんて本当に珍しい。
「どうした?お前……学校でなんか嫌な事あったか?」
 柔らかく指通りの良い髪に指を埋め、優しく撫でてやる。
 こうしていると、まるで昔を思い出す。……あの時はされる側だったけれど。

「カラエ……俺から離れないで……。置いて、いかないで……」
 か細く紡がれたその言葉にきょとん、とした後、思わず吹き出した。
「な、何笑ってんだよ!」
「っぶ、ふふ、あははは。何言ってんだよ」
 わしゃわしゃと髪をかき混ぜて、小さい頃の様に額と額をくっつけた。

『――このことはヒミツだよ』
『――うん、ふふ。ぼくたちだけのヒミツ』

 まだ身分の違いというのを、理解していなかったあの頃。
 血の繋がりは無くとも、まるで兄弟の様に過ごしていたあの頃、悪戯や二人だけのとっておきを作る度に、こうやって額を合わせて笑いながら約束を結んだ。
「ジル、俺がお前から離れる訳ないじゃないか」
 くしゃりと髪をかき混ぜ、鼻先が触れ合う近さで笑う。
「置いていかないよ、置いてなんかいけるわけないだろ」
「……絶対?」
「勿論。……約束するよ」

『――やくそくだよ』
『――うん、やくそくする』

 茶色の瞳がちら、とこちらを窺う。
 本当?絶対?と瞳が何よりも問うていて、それに再度笑って頷いた。
「……もう、他人行儀な言葉遣いとかしないで欲しい」
「あ!それについてだけど」
 その言葉に今朝の事を思い出し、パッと額を離す。とたんに、何で!とばかりに恨みがましい目で見つめられた。
「今朝お前玄関先でキスしただろ!おかげでジルってまだ呼んでる事もばれて、ミセス・レティに怒られたんだからな」
「……もう他人行儀な言葉遣いしないで」
「……あのな、話聞いてる?主人と使用人としての立場を――」
「いやだ」
 いつもミセス・レティに言われている言葉を口にすれば、きっぱりと、でもむくれてジルが否定した。
「……ジルが嫌がっても、俺とジルはやっぱり使用人と雇い主の子供、っていう関係があって――」
「カラエは違う!」
 目を怒らせてそうジルが喚くが、どれだけ喚こうと世間から見ればいくら乳兄弟であろうと主人と使用人。昔は確かに一緒になって遊んだ。大きくなるにつれて周囲にそれとなく窘められる事も増えて、でもあの頃の俺はそれでもずっとジルと対等でいられると思っていた。変えたくなんかないと。
 けれどある事を切っ掛けに、使用人としての立場をわきまえる様になったんだ。やっぱり俺とコイツは違うのだと、馬鹿な俺はようやく気付いた。
 母さんも納得したのか、それとも以前からそう思っていたのか、そうした方が良いと言っていた。奥様も旦那様もそんな畏まらなくて良いと言ってくれたのだが、その好意に甘える事は出来なかった。
 乳兄弟である事に、ずっと甘えている訳にはいかないのだ。やはりジルと俺の立場は違うのだから。住む世界が、違うのだから。俺は目の前の彼に、近侍しなければならない。

 でも、それを厭んでいる訳では無いのだ。
 むしろ使用人として、少しでも力になれるのならば、こんなに嬉しい事はない。
「あのな、ジル。何度も言ってるけど、俺とお前は違うの」
「違わない」
「違うんだよ、お前は貴族の血を引いてて、おまけに港の貿易で名を馳せてるオルタシア家の一人息子。俺はただの使用人。同じ物を飲んで育ったかもしれないけど、今は違うんだよ。な?そろそろお互いに自分の立場を弁えないと……」
「嫌だ!」
 キッとこちらを睨んだ少し吊り上り気味の瞳が、潤んでいるのが分かった。
「……いやだ、そんな事言わないでカラエ……。カラエの口からそんなの、ききたくない……」
 そう弱々しく言って俯いた頭を慌てて撫でてやる。
「で、でもほら、ジルは小さい頃から、それこそ生まれた時から一緒な訳だし。家族がいない俺にとってはとても大切で、本当の兄弟みたいに思ってるよ?」
「……」
「でもさ、周りからみたら俺は使用人、ジルは雇い主の子供にしか見えなくて、乳兄弟だなんて分かる訳ないんだし」
「……」
「どんな口きいてんだーって。……俺がミセス・レティに怒られても良いのかよ」
「……それは、やだけど」
 漸く口を開いて不貞腐れたように、もごもごと言ったジルに、だろ?と同意を求めた。それでも心の底から納得はしていないようで、頭は俯いたままだ。
 この歳だというのに、薄らと精悍さも漂い始めて来ている綺麗な顔立ち。それが唇を尖らせて、ぶすくれているのだから、なんだかこんな時なのに笑える。
 図体ばかり大きくなって、中身は同い年だというのにジルの方が子供っぽく感じる程だ。
「な?だから今の内に言葉使いとか慣らしておかないと」
「……」
「ジール」
「……時々は。家とか仕事の事とか関係ない、ただ話してるだけの時は、そうやって喋って欲しい」
「じゃあこの部屋で、仕事も全部終わって、俺達だけの時。その時だけ。明日からは今度こそちゃんと態度もきちんと分ける。良い?」
 渋々といった態で頷いたジルに笑いかける。
 本当に、こいつは全然変わらない。
 まだどこかしょんぼりと項垂れているジルに、うっと詰まる。垂れ下がった耳と尻尾が見える様な、このジルの表情が俺は一番弱い。
「あーもう」
 わしゃわしゃっとジルの頭を掻き混ぜると、髪越しに額にキスをした。
 小さい頃は喧嘩する度に、これで仲直りをした。お互いに意地を張って口を利かないと段々寂しくなって。最後には二人とも泣きじゃくりながら謝っていたっけ。
「あんまり我儘言うなよ。俺がどんな言葉使いしたって、気持ちとかそういうのは変わらないよ」
「……うん」
 漸く笑顔を見せてくれたジルに、ほっと胸を撫で下ろす。

 ジルに言った事は何一つ嘘では無い。
 母さんも死んでしまった俺にとって、ジルはたった一人の家族みたいな物だった。
 旦那様にはしきれないほど感謝しているし、親しみも感じているけれど自分の父親の様だとは思わない。
 正直、俺の世界はジルを中心にして回っているといっても過言では無かった。兄の様でもあり、弟の様でもあるジルの幸せを、俺は一番に願ってやまないのだ。



/


[ 戻る ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -