Novel | ナノ


▼ 2

 ――日向、日向 起きろ。

 誰かに肩を揺り動かされ、目を薄らと開く。身動ぎすると体中が変に凝っていて、痛くて思わず呻いた。
「日向、大丈夫か?」
 前のめりに俺を男性が覗きこんだ。男性というか、青年が。……全く俺の知らない顔。
「……君は?ここは……?……俺は……っ!」
 ぼんやりしていた思考が段々とはっきりと晴れ、椅子から大きな音を立てながら立ちあがった。
「石、俺は石に……なんで……!?」
 サラリーマンがレジ前で財布を捜すような動作で全身を触る。しかし手に伝わってくるのは、確かに生きている肉体だった。
「日向、俺が魔法を解いたんだ」
「ええ!?」
 その言葉に驚いて振り返ると、青年は自慢げな顔をした。
「俺頑張ったんだぜ?色んな所に行って、ようやくそういう類の話が分かる奴を見つけて、人間にしてもらって、解き方を教えてもらって……」
「ま、待ってくれ。君は一体誰だ?なんで俺が呪いに掛っていることを知っているんだ?人間に……ってどういうことだ!?」
 髪を掻き毟る。嫌な汗が背筋を流れるのが分かった。意味が分からない。いや、意味を分かりたくない。
「『掛ってる』じゃなくて『掛ってた』だ。魔法の事を知ったのは、日向の日記を読んだから。んでもって俺は……日向、俺の事わかんねぇ?」
 鋭い目を嬉しそうに細めながら、青年は俺と目線を合わせた。髪は墨を流したように真っ黒なのに対して、瞳は満月の様な……まるで金色に見える茶色。意思の強そうな眉の似合う、美形の男だ。
 会った記憶どころか、見た覚えさえ無い。その事が酷く俺を不安にさせて、困惑を更に深めさせた。
 どうして目が覚めてしまったんだ。こいつは誰だ。俺はどうして。
「……知らない。俺は君のことなんか知らない……!!」
 全てを断ち切るように叫ぶと、俺はその場で事切れるかのように崩れ落ちた。




 崩れ落ちる日向を慌てて抱きとめた青年は、拒絶をされた悲しみを隠し切れていなかったが、気を失ってしまった日向を暫く無言で眺めた後、頬を少し擦りつけると日向の体を寝室へと運んだ。




 ぎしぎしと軋む階段を下りる。その音も、匂いも、感覚も石になる前と全く同じ。
 ――もしかして昨日の出来事は夢で、俺はまだ石になっていなくて……。
 という考えが寝起きの頭をよぎるが、それはテーブルの端に軽く腰かけ、ゆったりとコーヒーを飲みつつ、新聞を読んでいる青年を見て粉々に砕かれた。
「あ、おはよう。日向」
「君は……。一体……」
 眉間の間を指で揉みながら俺は溜息をついた。一体どこから疑問をぶつけようか。彼がこの家で生活をしているのは明らかだ。
 何せ彼が持っているマグカップも、彼が腰かけているテーブルも、俺が持っていたものではないから。それに俺はこっちに来てから、新聞を取っていなかったはずだ。
 何を勝手に人の家で生活をしているのだろうか……いやこの家は石になった時に手放したようなものだ。そこにそんな疑問をぶつけるのは余りに利己的過ぎる。ならば……。
「君は一体誰なんだ?」
「……わかんねぇ?」
 疑問を疑問で返し、青年はマグカップを置いて近づいてくる。
 その表情は真面目そのもので、からかっている雰囲気は全く無かった。その空気に圧され、無意識に唾を飲み下す。まるで分からない自分の方が悪いような気がしてきて、目を反らした。
「……っ、わからない、と言っている」
 それを聞いた青年はとても悲しそうな顔をした後、ぼそりと呟いた。
「……ソラ」
「そら?……すまない。やっぱり知らな――」
「日向が拾った猫だよ」
「……は?」
 何を言っているのだろうか、と反らした目線を元に戻して青年を見つめた。その視線を受け、青年は若干苛立たしそうに前髪を掻き上げる。
「俺は日向が拾った黒ネコのソラ。日向の魔法を解く為に旅に出て、解き方を教えてもらって戻って来たんだよ。ついでにその時に俺も人間にしてもらった」
 余りの話の展開に頭がついていかない。
「そ、そんなお伽噺のような……」
「石になっていた人に言われたくはないな」
「ぐ……」
 確かにその通りだ。
 目の前の青年が元猫でソラかどうかは置いておくとして、とにかく彼が俺の呪いの事を知っていて、方法は分からないがそれを解いた人物なのだということは変わりない。――そうだ。彼が呪いを……。
「……なあ」
「……何だ」
「呪い……解いて欲しくなかったか?」
 その言葉に俺は俯く。石になる直前まで抱いていた疑問に、答えは未だはっきりと出ていない。
「……俺は余計な事をしたか?」
 酷く悲しそうな顔をして、ソラと名乗る青年は俺の頬に手を添えて来た。その手の温もりが余りにも優しくて、触れたくなくて。身体を半歩引いてその手を避ける。
「……すまないな。……わざわざ呪いを解いてくれたのに、感謝の言葉を伝えられなくて……」
「俺は感謝の言葉が聞きたい訳じゃない、日向。日向に笑っていて欲しいだけだ」
 青年は苦い笑みを浮かべると、突然俺の腰を引き寄せて唇と唇を重ねた。
 ふにっと柔らかい感覚に驚いて、彼の胸を押して突き放す。
「んでもって、出来ればその隣に俺がいれるといいなぁって、思ってたりするんだけどよ?」

 ……は?
 まじまじと青年の顔を見て、再度彼の言葉を脳内で繰り返す。さっきのキスと、その言葉は……その、そういう意味なのだろうか。
「そ、それはどういう……」
「日向のパートナーになりたいってこと。精神的な意味でも、肉体的な意味でも。俺、猫だった時も、人間の今も結構モテるぞ。自分で言うのもなんだけど、良い物件じゃないか?」
「……君は男だろう?」
「そうだな。雄だな」
「俺が男なのは……」
「ああ知ってる」
「……す、すまないけど、俺はそういうのはちょっと……」
 目の前の青年がそういう嗜好の持ち主だとは、ついぞ考えていなかったから思わず身を離してしまった。
「それは……俺の気持ちは受け取れないってことだよな?」
「いや、そうじゃない……、という訳じゃないけど、その、あったばかりで……。それに俺は男性は」
「日向。はっきり言ってくれ」
 何故か酷く真面目な表情の青年に、たじたじとなる。とにかくここは断っておくにこしたことはないだろう。

「『アア、スマナイガ、受ケ取トレナイ』」

 ばっと口を両手で塞ぐ。な……なんだ、今の声は!?
 ばくばくと心臓が脈打つ。
 断る為に俺の口から出てきた言葉は、いつもの俺の声ではなかった。この声は聞いた事がある。忘れたくても忘れられなかった冷たさ。初恋の少女の口から零れ落ちた、あの呪いを綴った音。
「そっか」
 それを聞いて、ソラがふわりと微笑んだ。
 その時俺は彼の中の砂時計の砂が零れ始めたのを、どこかで感じた。




「君、ちょっと!待って、待てって!話を……」
「んーでも俺仕事あるからさ、帰ってからな」
 一体今のは何なのか問い詰めようとしたが、ソラと名乗る青年はそんな事どうでも良いからと相手にしてくれない。
「し、仕事?」
「そう。俺働いてるんだ」
 パタパタと手を振る青年。さっき俺に告白して振られたとは思えないほど、態度が変わらない。
「そうだ」
 青年は俺を一瞥すると、にやっと笑った。
「飯作っといてくれ」
「え?」
「働かざる者食うべからず、だろ」
 七時には帰るから。あ、体力があったら薪割りも頼むわ。そう彼は言うと玄関から出て行ってしまった。




「は、はは……」
 唖然とした日向に見送られ、玄関から出たて戸を閉めた途端、小さく笑ってしゃがみ込んだ。
「あー…」
 前髪をぐしゃりと掻き混ぜて、小さく声を出す。日向はそんな気の無い人間だという事は分かっていた。だから玉砕覚悟だった。
「それでもこれが俺の【一番の望み】なんだから仕方ねぇじゃんか」
 覚悟はしていたつもりだが、やはり目の前に突きつけられると怖い。しゃがむ足が小さく震えた。
「……あー。……よし」
 小声で自分に気合を入れると立ち上がる。
「日向の為にも稼ぐぞ」
 それが残り僅かな俺に出来る、最後のことだから。



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