Novel | ナノ


▼ 3


 薄暗くなった生徒会室の中、ぼんやりと箱に山の様に入れられた色とりどりの包みを見つめる。
 先輩が貰った大量のチョコは、生徒会室のお茶菓子になる事になった。
 それは余りに大量すぎて持ち帰るのが困難である事と、それだけの糖分を一人で摂るのは無理だという先輩の主張からだった。
 『手作り系は早く食べないといけないから、早めに出してくれないか』そう苦笑しながら言った先輩。
 「人が貰ったチョコを食べるのはなぁ……」と最後まで渋っていた中塚君を見て、また更に苦笑を深めていた。

 生徒会の仕事も終わり、皆帰り始めた中、一人だけ残った。その理由は――……。
 鞄の中に入っている小さな包みを意識する。それは昨日作ったクッキーとトリュフを数個包んだ、本当に小さな包み。
 そしてさり気無く入れられた、名前も宛名すら無い一言だけ書いた素朴なカード。
 『いつもお世話になっています』という建前に隠れてチョコを渡す事は出来ても、本当の気持ちが込められているこの包みを、彼に渡す事は、本来なら出来ない。
 でも、こんなに沢山あるのならば……その中に紛れ込ませるくらい、出来そうだ。
 掻き分けて潜り込ませる空間を作る為にそっと手を伸ばし、まるで彼女達の気持ちの様に色とりどりなその山に触れた瞬間、ドッと熱い想いが込み上げてきた。
 その想いは両目から涙として溢れ出す。

 ずるい、ずるい。
 君たちは、先輩に想いを伝える権利を持っている。女の子だから。
 僕や中塚君を経由してチョコを渡した人もいるが、先輩に直に渡した子もいる。
 僕だって先輩に素直にこの気持ちを伝える事が出来たら、どんなに良いか。
 想いが叶う、叶わない以前に僕はその恋愛の土俵に立つ事が出来ない。
 それは僕が、女の子では無いから。先輩と同じ、男だから。

 ずるい。
 性別が違うというだけの壁。でもその壁の高さに膝を折るしかない。

 ずるい、ずるい。
 君たちは先輩の隣に立てるかもしれない。でも僕は、一生立つ事は出来ない。

 ずるい。僕だって

「僕だって……伝えたい」

 尊敬してます。
 ずっと見てました。
 一緒に仕事が出来るのが僕の誇りです。
 大好きです。
 優しくて、格好良くて、誰よりも輝いている貴方が、大好きです。

 ぼろぼろと泣きながら、包みの一つを掴む。
 今からしようとしている事は、とんでもない事だ。
 気が高ぶっているから出来る事で、冷静になれば、なんて事をと後悔するのは目に見えていた。
 でも、この気持ちを、この虚しさをどこかにぶつけたかった。
 床に座り込んで涙をぼたぼたと落としながら、手に掴んだ包みのリボンを荒々しく解いた。

 最初に口に入れたのはクッキー、その次にはトリュフ、その次はブラウニー。
 今押し込んだのは、金色の包みに入れられたチョコだ。
 彼女達の想いを詰まった甘い甘い菓子を、ろくに味わいをせずに食べていく。
 甘酸っぱい、まだ恋愛に発展する前の気持ちを、醜い僕が食べていく。もぐもぐと咀嚼して、嚥下する度に、胸には重い物が降り積もって行った。
 食べたお菓子の中には、勇気を振り絞って渡した物もあるかもしれない。徹夜で作った物もあるかもしれない。そう思うだけで、心がぎゅうっと締め付けられた。

 さっきまで心の中で声高に叫んでいた「ずるい」という言葉はか細く今にも消えそうになっていた。
 だってこれは、八つ当たりだ、ただの。

 告白するのに勇気が必要なのは、彼女達も同じだ。
 同性という事はとても不利な立場であるけれど、告白する事で何かしら壊れる覚悟をするのも、その壊れる物の大きさの違いは有れど、同じ。
 そもそも僕が女になったとして、彼に一瞬でも振り向いてもらえるだろうか。この平凡で何の取り柄もない、僕に。
 それよりも、毎日の様に自分を磨く手入れを欠かしていない彼女達の方がずっと……ずっと……。
 新しい包みを掴んだ手が、パタリと力無く落ちた。
 ひぐ、と喉を鳴らす。さっきとは違う涙が頬を伝い始めた。
 それはとてつもない後悔、やらかしてしまった事の恥ずかしさ。
「ごめん、なさい……ごめ……っ」
 
 僕は、君たちの気持ちを、食べてしまいました。

 周りに散らかる包みの残骸が、自分が何をしでかしたのかを突き付けてくる。
 潤む視界でそれを捕えた瞬間、ドクンと心臓が大きく脈打った気がした。
 同時に、視界が涙では無く熱で歪む。
(――え、な……に?)
 胸を押さえて息を荒げる。身体が熱い。熱くて、堪らない。
 意味の分からない状況に突然追い込まれて混乱する頭を、ドアの開く音が追い打ちを掛けた。
(――だれ!?)
 床を踏む音が近づくにつれパニックになる頭をフル回転させ、近くにある机の下に体を縮め込ませ、息を潜めた。




 バレンタインの日を迎えてから、明らかに丸本の様子がおかしい。

 職員室で書類を提出した帰りの人気のない廊下を歩く。きっと、生徒会のメンバーは皆帰ってしまっただろう。……もしかしたら、丸本も。
 バレンタインの日も何も言わずに先に返ってしまったし、今日は一度も話しかけられなかった所か、いつもの眼鏡の端を引っ掻く素振りにすら気づかなかった。
 おかげで鞄の中に忍ばせておいた彼への菓子は、渡す機会無く底で静かに眠っている。
 何をやらかしてしまったのか――と、自分に問うまででも無い。
 自分がお願いした訳では無いが、バレンタインの受け取りの代理、それをやらせてしまった事が原因だ、というのは何となく察しがついた。
 そりゃぁ男なら誰だって、他の男へのバレンタインチョコ渡しの代理なんて嫌だろう。
 でも、丸本はそんな事で怒る様な質では無い、と思うのだ。
 あれが原因ではあっただろうが、他に気に障る様な事を――……。
(去年のバレンタイン、後半受け取るのを断ったっていうの……軽蔑された、とか)
 有り得る。そっちの方が有り得る。
 さぁあっと血の気が引く感覚がした。最低な奴だと、そう思われてしまったのだろうか。
弁明のしようが無い分、どうすれば良いか分からない。
 どうしてそんな事を言ってしまったのか、いやそれよりも、どうして去年自分は全部受け取らなかったのか。
 そんな事を今更悔やんでもどうしようもない。
 一体どうやって名誉挽回をするべきか、とふらふらと生徒会室のドアを開けた。

 日が暮れて部屋の中は薄暗いが、必要な荷物を取りに来ただけなので明かりを付ける必要は無いかと自分の机に手を伸ばした。
 やはり丸本は帰ってしまったか、と嘆息しながらプリント類を纏めてトントンと整えた時、ふと微かに音が聞こえた気がして身を強張らせる。
(――人の泣き声の様な……。)
 いや、声というよりは、引き攣れた息の様な……しゃくりあげると言った方が良いのか。
 怪談は余り信じていないが、薄暗い学校というのは不安を煽るのには十分すぎる効果がある。
 それもこの部屋の中で聞こえた様な、と益々嫌な想像が膨らんでしまう。
 さっさとこの部屋を出よう、と思った時、また微かな吐息が聴こえた。
 今度は確実だ。聞き間違いでは無い。それもどちらから響いて来たかもわかってしまった。
 おそるおそるそちらの方に顔を向け、一歩踏み出す。
 止めておけと本能は言うのに、このまま帰れば気になって夜も眠れない気がした。
 それに、もしかしたら何か別の(他に一体どんな要素があってこんな音が出ているのか分からないが)物が出しているただの音かもしれない。
 怖いもの見たさ、という馬鹿な気持ちに後押しをされ、じりじりと距離を縮め――息を呑んだ。
 それは恐怖だからでは無く、想像もしていなかった人物がそこにいたから。

「丸本……?」
 声を掛けた途端、びくりとその身体が動いた。
 ぎゅうっと腕の力を強め、怯える様に縮まる丸本の身体は微かに震えている。まさか体調が悪いのか、と慌てて膝をついて覗き込む。
「どうした?どこか痛いのか?保健室に……いや、もう閉まって――」
「ごめ……なさ」
「……丸本?」
 微かに漏れた謝罪の言葉に何を謝っているのか分からず、距離を縮めようとした時、カサリと指先に何か当たった。
 下を向いてみれば、それはバレンタインのお菓子の包み。
 良く見てみればそれは指先に当たった物だけでは無く、丸本を中心にして散乱していた。
 それはまるでやけ食いの後の様で――……。
「ごめ、なさ……っ」
 震えながら紡がれた言葉に、はっと我に返る。
「食べた事を謝ってるのか?別に気にしなくて良い、元から皆で食べる予定だったんだ。むしろ先に食べてくれて助かる――」
 そこまで言って慌てて口を閉じた。
 この言い方では軽蔑されるだろうか、人がくれた物なのにと。
 しかし、だからと言ってここで丸本を責める事は出来なかった。そもそも責める気など微塵もない。
 どうするべきかとうろうろと目線を彷徨わせ――ふと手に持っている包み紙に目が行った。
 市販の一口サイズのチョコを包んでいたものらしく、金色の紙に黒でロゴが打ってある。
 もう少し離れた所にはそのチョコの物らしき箱がひっくり返り、中身のある物が数個散らばっていた。
 その文字の羅列と、ロゴタイプにふと既視感を覚える。
(――どこで見た……?)
 記憶に残っているという事は、何かしら特別なチョコだったのではないか……と思った瞬間、ある記憶に思い当たり、瞠目する。

 いつだったか忘れたが、以前放浪癖のある叔父が家に遊びに来た時の事だ。
 母親の兄である叔父は、ふらふらとあっちにいったりこっちにいったり、国内にいたと思ったら知らぬ内にやれインドに行って来た、オランダに行って来ただのと一所に留まる事の知らない人だ。
 その事を疎ましく思われないのは、風来坊でありながらも人好きのする性格のお陰だろう。
 ある時、叔父はニヤニヤと下卑た笑いを、整った、しかしどこか軽薄な顔に浮かべてある物を見せて来た。
『おいハルト知ってるかぁ、このチョコ。普通のチョコじゃないんだぞ、媚薬入り。び・や・く。ガラナチョコっつってな?食べるとイイ気持ちに……おい、ハルト聞いてんのかコラ。おい、結構値段したんだぞコレ。話聞いたら少し分けてやっても――おい、おいこらハルト、叔父さんの話を聞けー』
 またいつもの外国の土産話の一つかと余り気にせず適当に相槌を打っていたのだが、まさか再び目にするとは。
 それもここにあるという事は、誰かが自分に向けて送って来たのだろう。多分、効能も分かった上で。
 食べて欲情した自分をどうするつもりだったのか、と思うだけでゾッとしたが、今はそれについて考えている場合じゃない。
「丸本、丸本。お前、これ食べたのか?」
 取りあえず確認を、と話しかけたが、ビクリと身体が強張り更に震えながら謝るだけだった。もしかしたら意味の分からない状態に身体が追い込まれて、パニックになっているのかもしれない。
 それならばまず落ち着かせてやらないと。
 そっと縮まる丸本の背中に手を回し、耳元で一言一言ずつ区切りながら話しかける。
「丸本、あのな。お前が食べたチョコに、もしかしたら……その、身体に影響が出る成分が入ったチョコがあったかもしれないんだ」
「えいきょ、う……?」
「あー……その、媚薬……効果、らしい」
 食べた……か?と再度聞いてみると、コクリと小さく丸本の首が縦に振られた。






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