Novel | ナノ


▼ 2


「なら家まで送るよ」

 言われた言葉の意味が分からなくて首を傾げる。
 送る?家まで?何を送るんだろう……。
「丸本の家ってここから遠い?」
「あ、電車通学ですけど、二つ隣の駅だし、駅からは徒歩で十分くらいだからそんなにでも……」
「そっか、じゃあ行こうか」
「……はい?」
 呆けたように先輩を見上げ、そして漸く何を、誰の家まで送るのかを理解した。
「えっ、えぇっ、もしかして僕を家まで送るつもりとかじゃ……」
「その他にどんな選択肢が……?」
「そ、それが分からないから、何の事か僕も聞こうと……じゃなくて、い、良いですよ、だって先輩の家って学校から凄い近かったですよね?」
 無言を肯定と受け取って、慌てて両手を振る。
「暗くても大丈夫ですよ、慣れてますし!あの、気持ちだけで凄く嬉しいです……」
 本当に嬉しかった。
 先輩が送ってくれるなんて言ってくれて、それはつまり少しでも心配してくれたという事なんだろうか。
 日は沈んで、街灯や店から洩れる光だけの薄暗い中では分からないとは思うけど、赤くなっているだろう頬をマフラーの中に埋めて隠した。
「あの、それじゃ僕帰りますね――」
「……丸本の帰る方向に用事があるんだ」
「えっ?」
 先輩の言葉に顔を上げれば、薄暗くて表情が良く分からない。
「そのついでに、送って行くよ」
「あ、う……」
 一体どう答えたら良いのか分からず、思わず俯いた。
 先輩に本当に用事があるのかどうか、なんて分からない。
 自分の為に、嘘を吐いてまで送ってくれていたらと思うと、嬉しい反面、本当に申し訳ない。でも嘘は良いですよなんて言って、本当に用事があったら失礼だろう。
 静かに送ってもらうのが一番良いのだろうか……と迷っていると、わしゃっと頭を撫でられた。
「ここは素直に甘えれば良いんだよ。それに本当に用事あるから気にしないで良い」
 ふ、と軽く笑った気配に、心の閊えがすうっと消えてなくなった。
 そうだよ、先輩が僕を送る為だけに、わざわざ来てくれる訳が無いじゃないか。ついでならば少しくらい甘えても……罰は当たらないかもしれない。
「じゃあ……あの、お願いします」
 そう照れながら口にして、小さく破顔した。


 電車に揺られ、駅に着き、それでじゃあ、さよならか、と思ったら、先輩は断る僕を押し切って家まで送ってくれた。
「へぇ、ここが丸本の家」
「はい」
 普通の一軒家で何だか申し訳ないです、と首を竦めれば、何が申し訳ないんだよ暖かい感じがして良いじゃないか、と笑われた。
「じゃあ、明日また学校で」
 そう言って小さく笑った先輩を、慌てて引き留める。
「あ、あの!」
「ん?」
「ちょっと待っててください!」
 ダッシュで家の中に入り、お帰りにーちゃん、という妹と弟におざなりに返事をして、目についた物を袋に詰め、また走って外に出た。
「あの、婆ちゃん家から沢山蜜柑届いて、あの良かったら……今日は本当にありがとうございました」
 ぽかんとした先輩の表情に段々声も小さくなり、俯き加減になる。
 高校生に蜜柑はダメだっただろうか、いや自分も高校生だけど。あっビニール袋に入れるとか、田舎臭かったかもしれない、先輩呆れてないだろうか、そもそも蜜柑好きかな……。
 そんな考えが一瞬で頭を過ぎり、差し出した手に握っているビニール袋を回収したい衝動に駆られた。が、そっとそれを受け取る手に顔を上げる。
「……ありがとう、好きだから嬉しい」
 表情ははっきりと分からないけれど、声音がとても優しくて、嬉しくて堪らなくなる。
(――先輩、やっぱり僕貴方の事が大好きです。)
 格好良くて、勉強も生徒会の仕事も出来て、優しい憧れの人。これからもその仕事を、少しでも手伝える様に頑張ろうとまた心に決める。
 そうして最後に先輩に小さなカイロを手渡した。
「寒いですから、これ。送ってくれて本当にありがとうございました……。先輩も気を付けて帰ってください」


 そう言って先輩の背中を見送った次の日から、先輩は毎日の様に、俺を家まで送ってくれるようになった。
 始めは勿論断った。凄い勢い良く断った。電車代だって馬鹿にならないし、そもそも先輩の家は違う方向で電車に乗る必要さえない。
 そうやっていくつも僕を送るデメリットを挙げたというのに、先輩は頑として「丸本の家の方に用事があるんだ」と譲らなかった。
 最終的に先輩は苦笑交じりの溜息を吐くと。
「分かった。じゃあこうしよう。俺は丸本の家の方に用事がある、だから『一緒に帰らない?』」
 それとも俺と一緒に帰るなんて嫌?なんて言われたら断れなくて。仕方なく、なんて言ったら罰が当たりそうなくらい嬉しい気持ちを押し殺して小さく首を縦に振った。




 ここの所、頗る機嫌が良いのが自分でも分かる。
 それは勿論、絶賛片想い中の丸本と一緒に帰る日々を送っているからだ。
 片想いだ、分かってる。でも揺れる電車の中で、今後の生徒会の仕事の話から他愛の無い話をしたり、人が多い時には、彼が人波に揉まれない様にさりげなく庇ったりしていると、まるで付き合っている気分を味わえてしまうのだ。
 自分でも分かっている程の機嫌の良さは、他人から見たら猶更分かる物で。
 その態度や素振りがいつの間にか妙な噂を作ってしまっている事に、浮かれた芹沢は気づいていなかった。




 ある日、丸本がいつもの様に登校すると、何となく空気が浮ついている事に気付いた。
 ざわざわと言葉が絶えない玄関口は、日常通りの騒がしさだ。でもそういうのではない。何となく、浮足立っているという表現がぴったりな……。
 ふと、小さい綺麗な包みを持った女子生徒二人組みが、下駄箱付近でコソコソと喋り、時折笑いながらうろうろしているのを見て、今日が何の日であるかに気が付いた。
(そうか、バレンタインか。)
 既に好きな人が、それも男性でという立場上、女の子からチョコが欲しいという願望は無かった。
 むしろ落ち着きなく、そわそわとしている彼女らを見ていると微笑ましいくらいだ。
(先輩、沢山貰うんだろうなぁ……。)
 そう思って、ハッと、自分は貰う側どころか、あげるべき立場なんじゃないかと気付く。
 普通男が男にチョコをバレンタインに送る理由に困る所だが、最近先輩にはお世話になりっぱなしだ。
 友チョコというのも流行っているみたいだし、そういった諸々の事情に、本当の心を隠して渡せるんじゃないだろうか。
(ああ、どうしてもっと早くに気付かなかったんだろう……っ)
 明日は休日だし、次渡すとしたら月曜日になってしまう。間を開けて渡したチョコなど、きっと何のチョコか分からないに違いない。ああでも……と思っていると、目の前にふっと影が差した。

「あの……っ」
「?はい?」
 俯いていた顔を上げると、そこには見知らぬ女子生徒がいた。一つ上の先輩の様に思えるけれど、どうなのだろう。
「あの……っこ、これ……」
 可愛らしい顔立ちの彼女が緊張しながら差し出したのは、綺麗にラッピングされた箱。
 思わず瞠目する。だってまさか自分が渡されるなんて考えてなかったし、そもそも彼女とはこれが初対面なのに……。
「あの、生徒会の方ですよね?……せっ、芹沢君に渡して貰えませんか!」
「へ?」
 顔を真っ赤にしながら言われた言葉に、思わず間抜けな声が出た。が、直ぐにああと納得する。
 代理を頼まれたのだ。
「あ、はい分かりました。渡すだけで良いですか?名前教えてもらったら誰からか会長に伝えておきますけど……」
「あっ、良いんです、私の事は言わないでそのまま渡して貰えればそれで……」
 良く見れば、箱を飾ってあるリボンの間に小さなカードが挟まっていた。
 多分そこに名前か、メッセージが書かれているのだろう。

「アンタ止めときなよー」
「そうだよ、芹沢会長とか競争率高すぎだし」
「だ、だって……!」
 彼女の後ろから、その友達なのか三人くらい女子生徒がやって来た。止めときな、と言う彼女達の顔には呆れながらも、仕方なさそうな笑いが浮かんでいる。
「去年なんかダンボールに詰めるくらい貰ってたじゃんあの人」
「あったねーそんなの」
「でも今彼女いるらしいから少しは減るんじゃない?」
「私は、つ、付き合いたいとかじゃなくて、気持ちを伝えたくて……」
 目の前で喋り始めた彼女達の話の内容に、思わず一瞬凍った。
「え……付き合って、る?」
「あれ、生徒会の人だよね、君?知らなかったの?最近芹沢君それで凄く楽しそうって」
「よっぽどラブラブなんだろうねーって噂になってるくらいだよ」
「何か隣町の子らしいってのは聞いたけど……」
「あ!私、夜に隣町で芹沢君見た事ある!なんかやけに嬉しそうだったんだけど……そっかぁ彼女ん家帰りだったんだ、あれ」
「えーこの学校かな、それとも他校?」
「も、もう止めてよ……私、仮にも好きなんだから……」
 僕をおいて会話だけどんどん進んでいくけど、頭に入って来なかった。
 彼女、隣町、嬉しそう……。
 その単語だけがぐるぐると頭の中を周っている。
 そうか、先輩が言ってた用事って……それだったんだ。そう思った途端、胸がズキリと痛んだ。
 分かってる。ずっとそう先輩は言ってて、だから気にしないで欲しいと。それに僕自身、それならば……と甘えていた所もあって。
 でも、どこかで。どこかで、『僕のため』に。僕を送る為に一緒に帰ってくれているんじゃないかと、思っていたんだ。
 自惚れにも程がある、と自嘲の笑みを心の中で浮かべると、チョコを渡して来た彼女を見て微笑んだ。
「じゃあ、ちゃんと渡しておきますね」

 驚いた事に、彼女のような女の子は結構いた。
 廊下を歩くごとに名前を呼ばれたり、「丸本君っている?」と声を呼び出されたり。
 最初はクラスの男友人らに妬ましそうにされたが、事情が分かってからは、僕が女の子に呼び止められたり、呼び出されたりする度に憐みの目で見られる。だって本当に全部が全部先輩あてのチョコだから。
 それにしても、平凡で余り記憶に残りにくいだろう僕を探し当てる程の彼女達の執念といったらすごい。
 名前を間違えられたり、「丸本君呼んで」と僕に言われたりするけど、それでも僕を探して関わろうとする事が、いつもならばありえない事だ。
 生徒会のメンバーとしてすら認識されていなかっただろうに……きっと今日の僕は先輩のチョコ運び係にでも見えているんだろう。
 昼休み、大量に受け取ったチョコを、取りあえず生徒会室へと運ぶ事にした。
 両腕で抱えても零れ落ちそうなそれをそのまま持って行こうとすると、親切な友人が紙袋を貸してくれたので、紙袋を片手にぶら下げて廊下を進む。
 それでもずっしりと重みがあって、先輩はこれを全部一人で食べきれるのだろうかと心配になった。
 貰えない事は余り気にしていないが、増えるチョコの数にどれだけ先輩が女の子にモテているのかが分かってそれで落ち込む。

 生徒会室の前の廊下に辿り着いたら、反対側からふらふらと誰かが歩いてくるのが分かった。こんもりと山の様に色とりどりの包みの物を腕に抱えている。
「あれ、中塚君?」
「ま、丸本ぉ!」
 悲鳴じみた叫びを上げる同じ学年の生徒会メンバーに、慌てて駆け寄ると、包みの山を少し分けて持った。
「凄いね、これやっぱり先輩の?」
「そうだよ……どの女の子もみんな芹沢先輩に渡してください!ってさ。……俺は一個も貰えなかったのにだぜ?」
 げっそりとした面持ちでそう言う彼に苦笑で返し、生徒会室のドアに手を掛け、開けた。
 部屋の中には、話にあがっていた先輩が既に机に向かっている。ドアの開いた音に目をこちらに向け――そしてポカンとした様に口を開いた。
「中塚……随分モテるんだな、お前」
「ちっがいますよ!これ全部会長の!!俺のは、びた一文も無し!」
 語気荒くそういうと、ドサリと中塚君は先輩の机の上に持って来た包みの山を乗せた。
 僕も苦笑しながら、包みと一杯になった紙袋をそっと傍に置く。
 唖然とした表情を浮かべて、先輩の顔が中塚君と僕を行き来する。先輩のこんな顔、初めて見たかもしれない。

「え……っこれ、もしかして俺のか?」
「そうですよ!廊下歩く度に名前呼ばれて振り返れば可愛い女の子が頬を染めて立ってる!そして今日はバレンタイン!やっほぉ俺の時代ここに来たり!と思えば『芹沢君に渡してください!』ですよ!?」
 親切な俺に、それを受け取る以外の選択肢がある訳ないじゃないですかぁ!と泣き喚く中塚君の勢いに押されて、先輩は「わ、悪かったな……いやごめん、本当に」と呟いた。
「もしかしなくても……丸本、も……?」
「はい」
 苦笑を返すと、先輩の顔がしまったとばかりに歪んだ。
 そのまま椅子に力無く背中を預けると、顔を覆って呻く。
「あぁあ……そうか、今年はそういう戦法で来たのかクソ……っ」
「今年はって……去年も沢山貰ってたって聞きましたけど?」
「あー……うん、だからさ後半は断ったり……した」
「はぁ!?酷!」
「だってこんなに食ったら糖分摂りすぎて、俺がどうにかなるだろ……っ」
 仕方ないだろ、と言葉は強く、でも後ろめたさからかどこと無く情けない表情で先輩は言った。本当に困っているのだろう。こんな先輩も初めて見る。
 ……そして、チョコを受け取る事を余り嬉しく思っていない先輩に、仄暗い喜びを感じてしまう自分が堪らなく醜く思えた。
「悪いとは思ってる、けど食べきれずに捨てるよりかずっと良いだろ……。それに、そういうのは好きな人に貰うのが一番だと思うしな」
「うわイケメン論。好きな人どころか一個も貰えない人もいるんですよ!むしろ貰ってから始まるラブストーリーですよ、何言ってるんですか!」
 声高にそう訴える中塚君に、珍しく狼狽えながら対応する先輩を横目に、僕は上の空でさっきの先輩の言葉を繰り返す。
(――好きな人に貰うのが一番。)
 それはつまり、噂の彼女さんの事なのはきっと間違いないだろう。
 潤みそうになる目を瞬かせる事で誤魔化し、自分の仕事を始める為に机に向かう。
(――ああ、もし自分が女の子だったら。)
 例え叶わない恋でも、素直にこの気持ちを伝える事が出来たのだろうか。なんて、考えたってどうしようもない事に思いを馳せた。
 その日、悪いとは思いながらも、先輩には黙って一人で家路についた。ああ今から先輩は彼女さんに会いに行くんだな、と思いながら一緒に電車に揺られるなんて、泣くのを我慢できる気がしなかったのだ。

 しょげたまま帰ると妹弟達に心配され、一人になればぐるぐると嫌な事を考えてしまう。
 休日、バレンタインだったという事でチョコ菓子をせがまれ、気乗りがしないながらも他にする事も無く、気を紛らわせるのに良いかもしれないと、なんやかんやでクッキーやらトリュフやらを作ってしまった。
 焼き上がったクッキーと、出来上がったトリュフを見ると、先輩が貰ったチョコの山を思い出してまたじんわりと胸の奥が痛んだ。


 そうやって過ごした休日はまったく心の疲れを取ってくれず、そんな状態で挑んだ週初めは散々だった。
 授業で当てられてるのに上の空だったり、問題が頭に入って来なかったり。弁当はひっくり返すし、何も無い所で躓き、転んだ。
 放課後の生徒会での仕事も、先輩の顔を見るのが苦痛で、作業に無理矢理没頭しようとする余り、初めて先輩のあの合図をも見逃してしまっていた。




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