Novel | ナノ


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 貴方ニ魔法ヲカケマショウ。

 あの時少女の口から放たれた言葉は、子供特有の柔らかい響きなど一切持っておらず、ただただ無機質な冷たさで、俺を突き刺した。
 確証などない。ただの言葉だ。でも、確かに呪われたのだと分かった。
 それは命僅かな動物が死期を悟り、己の墓場となるべき場所へと足を向ける。その時の感覚に似ているのだと思う。

 七歳の秋のこと――。




 俺は幼い頃に呪われた。――二十年後に、石になる呪い。
 これを聞いたら、どこかの王子様か、謂れのある騎士か、それともごたごたに巻き込まれた村人か……。立場は色々考えられるが、とにかく物語の世界の話だと思うだろう。しかし残念ながらそんなんじゃなかった。
 俺は現代社会の普通のサラリーマン宅に生まれた、ただ普通の人間だ。家族構成は少しばかり特殊だったかもしれないが。
 だから呪われた行程も華々しいとは言えない、むしろ何とも味気ないというか、情けない物だった。

 ――七歳の時、俺は隣に住んでいた女の子と遊んでいた。彼女は……どこかは忘れてしまったが、異国の血を引いているという話で、灰青色の目と、茶色の巻き毛が印象的な可愛い子だった。ちなみに初恋で片想いだ。……なんて事は置いといて。
 ある日、その子は家の倉庫で面白い本を見つけたと言って、俺に見せてくれた。それは分厚く、薄汚れていたが、幼いながらにも高価な印象を与えた。
 彼女はうきうきとしながらページを捲り、ある部分を指さすと「これならあたし出来るかも」と笑顔でこちらを見た。
 その指が指す部分を覗きこんだが、訳のわからない文字がつらつらと並んでいるばかりで、俺にはさっぱりだった。その時は自分の知識不足なのだと思っていたのだが、今振り返れば、あれは異国の言葉でもなんでもなかったのだと思う。所謂『呪文』とかに使われる特殊な文字。たとえ大人になった今、見せられても分からないだろう。
 話は戻るが、片想いの女の子に微笑まれて嬉しくない男が何処に居ようか。「すごいね」と誉めると「やってみてもいい?」と返された。片想いの……そろそろしつこいか。彼女が喜ぶならばと俺はすぐさま頷いた。それがどんな運命を招くのかも知らずに。
 彼女の為にも言い訳をしておくと、彼女はその本を読めてはいたが、きっと意味は分かっていなかった。だからそこに悪意や悪気は微塵もなかった。はずだ。
 しかしそんな本が家にあるという事は、そういう血筋というわけで……。
 言葉が読めるという事は、そういう力もあるというわけで……。
 彼女に悪気や悪意はなかったかもしれないが、結果的に俺は呪いに掛ってしまった。
 ところが掛けた本人はというと全然気づいていなくて、「何も変わらないね」と笑っていた。
 確かに俺の身体には何も変化はなかった。けれど、確実に俺の中で砂時計の砂が零れ始めたのが分かった。

 『石になる呪いを掛けられた』それだけなら、物語のような響きを持つのに。
 『二十七歳に石になる呪いを初恋の女の子に掛けられた』だと、何故か悲惨な響きを帯びるのは何故だろうか。
 石になる年齢が十七歳とか、二十歳とかだったらもう少しましだったかもしれない。
 二十七歳……。微妙だ。おじさんと呼ばれるには若干気が引けるが、お兄さんでもないデリケートな歳。
 とにかく呪いが発動する適年齢ではないことは確かだ。呪いを掛けたのが女の子ではなく、魔女だったらよかったかもしれない。いや、『初恋の』というワードが何よりも悲惨な気がする。
 初恋は実らず、少女は引っ越し、俺は親にまさか呪いが掛けられたなんて非現実的な事を言えず、静かに生きてきた。
 そして二十五歳を迎えると同時に仕事を辞め、両親との連絡を絶ち、全く縁の無い土地を訪れた。山奥の人の住んでいない、ボロい小屋を買い取り、籠る毎日。

 そして今日は、その二十七歳の誕生日だったりする。




 もう準備は万端だ。
 椅子に腰かけ、ゆっくりと目を閉じる。
 もうすぐ明日になる――呪いを掛けられた日が終わる。それと同時に俺の身体は石になるだろう。
 どうやって石になるのだろうか。
 一瞬にして?それともじわじわ?痛いのだろうか?……何故こんなにも自分は諦めているのだろう。思い返せば一度もこの呪いを解こうと足掻いたことがない。
 いやそもそも彼女に呪いを掛けられた時、何故解いてくれと言わなかったのか。
 信じていなかったから?いや、あの時確かに呪いを感じた。
 恋している相手だったから?……そうだと何故か断言できない。
 端から無理だろうと決めつけ、ただひたすらこの時を見つめてきた。この日の事をただ考え、この日の為に動いてきて、この日の為に人との柵を捨てた。まるで…この日を待ち望んでいるかのように。
 ここに来たのも石になった自分が、人の迷惑にならないようにだ。遺書まで用意して、両親にも迷惑がかからないようにして。そうしてもう心配することなど……ああ一つだけあった。

(――ソラはどうしているだろうか。)
 半年程前に拾った黒ネコ。それが三日位前からいないのだ。
 自分が石になる前に、一度人里におりて誰かに預けたかった。既に自分で新しい飼い主を見つけていれば良いのだが、なにせこの家は人がいる所まで歩いて二時間の距離にある。人に会うのもやっとではないだろうか……。
 一応餌をいつもの皿に入れてはあるが、それを食べたらお終いだ。そのあとの面倒は見てやれない。
 大丈夫だろうか、と考えている俺の耳が、時計の鳴り響く音を捉えた。
 十二回鳴り終わるのと同時に、指先からざぁっと硬くなる感覚が伝わってきた。目を向けると、掌が灰色に。石になっていた。灰色は徐々に腕を上がってくる。
 それを見て俺は小さく微笑んだ。
(良かった。ちゃんと石になってる)
 ここまで準備しといて、なにもありませんでした、なんて肩透しもいいとこだ。――ああ やっぱり俺は石になりたかったんだろうか。
 そう思いながら、眠るようにゆっくり目を閉じた。
 願わくば、ちゃんとソラが新しい飼い主に出会えますように。

 ニャー……。

 か細い猫の鳴き声が聞こえたような気がしたけれど、俺は目を開けなかった。いや。開けられなかった。瞼が、もう石になっていたから――……。




 突然、石になってしまった飼い主――日向ひなたの膝に俺は飛び乗った。
 一週間ほど前に飯を食う俺を見ながら「ソラの新しい飼い主さんを探さないとね……」と呟いていたのを聞いてから、俺は日向を避けていた。どこか知らない奴に引き渡されてはたまらないと、三日前からは家に帰ってもいなかった。
 俺は日向の側に居たいのに何故……。
 確かに悪戯もしたし、失敗もしたことがある。でもその度に日向は苦笑の様な優しい目を向けてくれていたと思う。嫌われるほど、手を焼かせていたのだろうか――……。なんて事を考えていたが、何故か今日は胸騒ぎがしたのだ。
 その胸騒ぎに急かされるように、こっそり家へと戻ると、日向が灰色に変わっていく所だった。

『――日向!!』
 驚いて声を上げたが、日向が瞳を開ける事はなく。そのまま灰色は頭の先まで到達して、日向は服を覗いて灰色一色になってしまった。
 膝に飛び乗ったまま、日向の腹に顔を擦りつける。薄い布の向こうから伝わる感触は、暖かい柔らかさではなく、冷たい硬さ。
『――日向ぁ……』
 悲しくて悲しくて、何度も日向の名前を呼ぶ。
 日向はこれを知っていたのか。だから、その前に俺を誰かに預けたかったのか。これは病気なのか。日向は元に戻らないのか。色々な疑問がぐるぐると頭をまわった。
 一緒に居ればよかった、と、今更遅い後悔も襲ってきて、項垂れる。
 幼い頃から野良猫として細々と生きてきて。撫でてくれても。ひと時の餌はくれても。薄汚れた俺を拾ってくれる人間はいなくて。日向はそんな俺を拾ってくれた唯一の人間だ。
 一緒に寝る暖かさを教えてくれたのは日向だ。安心というものを教えてくれたのも日向だ。傍にいる心地よさを。幸せを教えてくれたのは日向だ。日向が教えてくれたものが、俺の幸せの全てだった。
 足元が崩れるようなショックに呆然としていると、ふと、横の机の上に、茶色の本が置いてあるのに気付いた。あれは……日向が書いていたものだ。
 日向の膝から飛び降り、それを月明かりの下で開く。そこに書いてあったのは日向の日常のちょっとしたこと、俺のこと、そして……。
(――呪い?)
 しげしげとその単語をみつめる。意味は勿論分かる。呪い?呪われた?ならば――解ける。
 俺は再び日向の膝の上に飛び乗って、更に肩の上まであがった。日向は灰色である事だけ除けば、まるで眠っているかのようだ。その硬い頬と唇を、さりりと舐めて囁く。
『日向、日向。俺が必ず呪いを解いてやるから。だから待ってろよ……』
 そうして俺は、その家を後にした。



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