Novel | ナノ


▼ 1


(――ああ格好良いなぁ……)
 一番前にある机で無言で書類に目を通し、普段はつけていない黒縁眼鏡を軽く押し上げながら、持っていたペンで何か書き込む姿は、無駄な動きが一つも無くて。同じ男だというのに惚れ惚れする。
 いや、彼は、芹沢 春人(せりざわ はると)は、ただ突っ立っているだけでも格好良い。
 背が高く、四肢の長いすらっとした体躯。染めていない黒い髪は襟足が少し長めだが、さっぱりとしている。切れ長で涼やかな目元に、きりっとした眉。鼻も高いし、唇の形も良い。それらが理想的な位置に収まっている端正な面立ち。
 おまけに品行方正、文武両道、年上は敬い、年下には厳しくも優しい良い先輩。もう文句のつけどこが無いではないか。
 そんな一つ上の先輩は、自分の理想そのもので。それは憧れというよりももっと強い――恋愛感情という物の方が相応しい程だった。
 でもだからと言って、告白したいとか、付き合いたいとか思っていない。いや思えないのだ。言葉はおかしいかもしれないが……畏れ多すぎて。
 自分の容姿は平々凡々で、勉強もそこそこ、運動もそこそこ。悪くも無ければ良くも無いという何とも華やかさに欠けた男子高校生。
 三日に一回は告白されているんじゃなかろうか、と思う様な人がそんな奴にどうしてそういう対象として目を向けるだろうか。
(――同じ委員会で仕事出来るだけでもう十分すぎる……)
 生徒会長という立場の憧れの人、を影から支える事が出来る。それは本当に嬉しい事で、それだけで良いと思っていた。

 先輩が小さく息を吐き、眼鏡の縁を軽く引っ掻く。
(――あ)
 憧れの人のちょっとした癖。
 それを待っていた僕は、いそいそと席を立つと、部室に設置してある職員室のお古のコーヒーメーカーから中身をカップに注ぎ、色々と置いてあった茶菓子の中で合いそうなものを選んでお盆に乗せて先輩の傍に近寄った。
「あの……息抜きにどうですか、先輩」
「ん?ああ、ありがとう」
 先輩がちらっと用紙から目を上げ、手元のお盆と僕を見るとふっと小さく笑みを浮かべる。
 ああその笑顔が僕のエネルギー源です……!
 先輩は別に無愛想という訳では無いが、余り表情が動かない。だからこうやって至近距離で笑顔を見れるなんてかなりの特権な訳で……。
「いつもタイミングが良くて助かる」
「いえ、そんな」
 それは作業の合間に貴方をこっそり見てるからです、すみません。
 心の中で謝りながら、またちらっと先輩を盗み見した。
 先輩が眼鏡を弄り始めたら、疲れて集中が途切れ始めた時だというのに大分前気付いた。それからというもの、その癖が出たのを合図にお茶を出す事にしている。
「今日の茶菓子はなんだろう?」
「あ、えっと、三年の女性の……えっと吉原先輩が、差し入れにと。駅前に出来たばかりのお菓子屋さんの物らしいです。書記の中塚君も美味しいって言ってました」
「そっか。ありがとう」
 小さく目で笑って、先輩が小さな皿の上に乗っているクッキーを摘んで口に運ぶ。ああ、そのクッキーになれたら良いのに……。

「ん、本当だ美味しい」
「そうですか!良かったです」
 自分が持って来た訳じゃ無いけど、美味しいと言う先輩の顔を見れた事が嬉しい。
「あ、じゃああの、おかわりがいる様だったらいつでも声かけてください。えっと、こっちの資料は目を通し済みで良いですか?」
「ああ。何から何まで悪い」
「そんな。僕だけがやってる訳じゃ無いし、先輩が会長として色々やってくれるから、僕達に渡る仕事も手早く済ませられる訳で……」
 本当の事だ。先輩が会長として、必要以上の仕事をしてくれるおかげで、他の委員達に渡る仕事は量が少なく、とてもスムーズに済ませる事が出来る。ただその事を語る言葉に、やや力が入ってしまったかもしれないが。
 最後に多分幸せで緩んだだろう顔で締まりなく笑うと、僕は資料を受け取って自分の席に戻った。




(――ああ可愛い)
 資料を捲り、小首を傾げ他の資料をがさがさと漁って引っ張り出し、両方を照らし合わせているのか、目が右へ左へと行き来した後、あ、そっかとばかりに頷いてシャーペンで記入をしていく。
 窓際の机で、手際が良いというより一生懸命に書類と格闘している彼は、可愛らしくて仕方が無い。
 彼、会計の丸本 青(まるもと あお)を見て、可愛いと思う人間は余りいないだろう。
 可愛い面立ちでは無い。美少年という訳でも決してなく……だからといって崩れた面立ちでもないが、正直言って平凡。勿論自分と比べれば小さいが、物凄く小柄という訳でも無い。
 可愛いと言えば、殆どが「どこが?」もしくは「え、誰?」と言うだろう。でも自分にとっては、もう可愛くて可愛くて仕方が無いのだ。
 人の目を見て喋り、良く気が利く。自分が秀でた存在では無いと、そう誰よりも彼が思っていて、だからその分を埋め合わせる様に何事にも一生懸命。
 そんな直向きな態度に好感が持てるのは当たり前で、平凡で余り記憶に残りにくいが顔なじみになると『マル』と愛称で呼ばれ、可愛がられる事もしばしばだ。
 しかし自分はそういった所が可愛いと言っている訳では無い。彼のちょっとした仕草や笑顔、それが凄く可愛いのだ。染めた焦げ茶の髪も彼に似合っているし、実を言うと睫も長かったりする。
 仕事の合間に伸びをするのも可愛いし、計算が合わないのか疑問符を頭上に浮かべて、何度も計算し直す姿も全部。
 まぁつまり……好きな相手は何をしていても可愛い、という事になるのだが。
 自分は男が好きな訳では無い。男に告白された事はあるが、恋愛対象として見た事もなかった。
 それが今では、一番彼が気になるし、こんなに好きになった事は無いと言う程好きだ。
 相手が男なのに……という悩みや葛藤が思った以上に薄かったのは、もともとからそういった事にリベラルな性質だったのだろう。男に告白された時に嫌悪が無かったのも、それがあるに違いない。
 しかし彼に告白するという事は出来ない。
 いや本当はしたい。恋愛感情というのは勿論肉欲も込みな訳で、最近の自慰のおかずはもっぱら彼だ。男同士は一体どうやって事に及ぶのだろう、だなんて事を調べる余り知識だけ豊富に得てしまい、やけに生々しい事を想像している辺り、救い様が無い。
 恋人同士になりたい。なのに告白できない――この関係が壊れたらと思うと怖くなる。
 先輩として慕ってくれているあの真摯な眼差しが、気まずそうに反らされたり、嫌悪で歪められるなんて考えると戦々恐々としてしまう。
 だからと言ってこのまま、というのも蛇の生殺し状態で。

(――ああ、どうすれば良いんだか)
 溜息を小さく吐いて、最近の自分の癒しに手を出すことにした。
 ちらりと彼を横目で窺い、眼鏡を端を軽く引っ掻く。すると、まるでそれを待っていたかの様に、彼はコーヒーメーカーに近寄り、お茶の準備をする。
「あの……息抜きにどうですか、先輩」
「ん?ああ、ありがとう」
 いかにも今気づいたという風を装って、小さく笑みを浮かべる。
 これが俺の今の癒し。
 いつからか分からないが、眼鏡を縁を引っ掻くと、そのタイミングで彼がお茶を用意してくれる事に気が付いた。それが自分の集中が切れた際にやってしまう癖だ、というのに気が付いたのはその後だ。
 自分すら気が付いていなかった癖に、彼が気付いてくれていた事が嬉しくて嬉しくて。だからたまに意図して、こうして秘密の催促をしてしまうのは許して欲しい。
「いつもタイミングが良くて助かる」
「いえ、そんな……」
 机の上にお茶菓子とコーヒーを置いて、お盆を抱えた丸本が小さく微笑む。ああもう君は新妻か何かか。可愛いな。
「今日の茶菓子はなんだろう?」
「あ、えっと、三年の女性の……えっと吉原先輩が、差し入れにと。駅前に出来たばかりのお菓子屋さんの物らしいです。書記の中塚君も美味しいって言ってました」
「そっか。ありがとう」
 そんな名前も知らない相手の差し入れよりか、君が差し入れして欲しい。そして中塚の感想より、君の感想が聞きたい。……なんて言えたらどんなに良いか。
 普段なら他人から貰った物は口にしないのだが、彼が選んだのならばとクッキーを口に運んで数度咀嚼する。
 結構好みの味付けで、それを彼が選んだというだけでまた嬉しくなった。
「ん、本当だ美味しい」
「そうですか!良かったです」
 本当に嬉しそうに頬を綻ばせる彼。自分の美味しいという言葉に、こんな笑顔を見せてくれるのならば、それこそ生ゴミを口にしても美味しいと言える自信がある。
「あ、じゃああの、おかわりがいる様だったらいつでも声かけてください。えっと、こっちの資料は目を通し済みで良いですか?」
「ああ。何から何まで悪い」
「そんな。僕だけがやってる訳じゃ無いし、先輩が会長として色々やってくれるから、僕達に渡る仕事も手早く済ませられる訳で……」
 力説してくれる彼の言葉に胸が温かくなる。
 自惚れではないが、その言葉は確かだ。彼が生徒会に入ってからという物、自分の仕事に精が出る。
 それもこれも、彼の負担が少しでも減れば良いという気持ちからなのだが。
 資料を受け取りながら、ふにゃりと笑みを浮かべ、席に戻って行った背中をじっと見つめつつ、さて次はいつ眼鏡の縁を引っ掻こうかと考えた。




 生徒会の仕事もそれなりに片が付き、薄暗くなった部屋の中で疲れた目を指で軽く揉むと、帰る仕度をする。
 鞄を肩に掛け、この季節に必須であるマフラーを首に巻きながら、既に空になった席を見つめ、やっぱり先に帰すんじゃなかったと小さく溜息を吐いた。
 寒さが増せば増す程、日が暮れるのは早くなる。そんな中、電車通学だという彼を早めに帰してあげたい、と思うのは勿論恋の欲目だったりする訳で。
 勿論彼は「会長が頑張っているのに帰れません」と、他の役員の生徒は何かと言い訳をして帰って行った中、何度も断った。
 しかし、それくらい俺に出来るから、と好きな人の前で良い恰好をしたいばかりに言った言葉に、彼も漸くそうですか……と後ろ髪を引かれる態ではあったが、この部屋を後にした。
(――だって仕方が無いだろう、あんな可愛い子に夜道を歩かせるとか、危ないにも程がある)
 一緒に帰りたいが、遅くまで居残りなんてさせたくない。いやいっそ居残らせて、暗いのを理由に家まで送るとかするのもありかと考えた事もあるが、何しろこちらは一応は自転車通学だが正直言うと徒歩で帰れる近さに家がある。
 いくら何でも送る、と言ってそれじゃあお願いしますと言ってはくれないだろう。
 再度溜息を吐きながら自転車に跨り、ふと今日食べた茶菓子の事を思い出す。好みの味付けで美味しかったし、なにより丸本も美味しそうに食べていた。包装もお洒落だったし……と考えながら自転車を帰る方向とは逆の、駅の方に向ける。
 そろそろバレンタインが近い。「いつもお世話になっているから」という言い訳を元に、可愛らしくラッピングされたお菓子をあげるというのはどうだろう……という思いつきに、にやける口元をマフラーで隠しながら地面を蹴った。

 駅前には、確かに新しいお菓子屋が出来ていた。小ぢんまりとしているが雰囲気が良さそうな店。
 しかし問題は、何故その店の前に彼が立っているのか、という事だ。
 そっくりさんかと目を擦るが、巻いている薄茶にチェックのマフラーは丸本と同じ物だし、そもそも自分が彼を見間違える訳が無いだろう。
 中に入るのは躊躇われるのか、うろうろとショーウィンドウから中を覗いては白い息を吐いている。
 マフラーから覗く鼻の先が、寒さで赤く染まっているのを見て、もう思わず声を掛けてしまった。
「……丸本?」
「え?……え!?せ、先輩……!?」
 呼ばれて振り返った丸本は目を丸く見開いた後、声を掛けた事が悪く思える程、驚き慌てていた。
「えっど、どうして。あれ、先輩の家ってこっち方面でしたっけ、あれ?」
 頭の上に疑問符を沢山浮かべて戸惑っている丸本が、可愛くて仕方が無い。
「今日食べたお菓子が美味しかったから、気になって」
「あ!ああ、そうですか!ですよね、僕も美味しかったです」
 納得がいったという様に頷くと、にっこりと笑う彼に吐血しなかった事を誰か褒めて欲しい。
 まさか会えるとは思っていなかった場所で会えた嬉しさに、ぼおっと突っ立っていたが、ここ、クッキーとかだけじゃ無くてケーキとかもあって美味しそうですね、と言う言葉にハッと覚める。
 これは、もしかしなくても丸本のお菓子の好みを聞き出すチャンスでは無いだろうか。
「……丸本はどんなのが好き?」
「えっ僕ですか。そうだなー……あのケーキとか綺麗ですよね、食べるの勿体なさそう」
 でもここに並べてあるクッキーも美味しそうだなぁ、ときらきらした目で見つめているこの子は天使か何かか。
 抱き締めたい衝動をぐっと拳を握って堪え、余りがっついて見えない様にそれとなくまた探りを入れる。
「余り好き嫌い無いんだ?」
「あ、いえあの、ドライフルーツ系と、紅茶系はちょっと苦手で……味覚が子供っぽいってよく言われちゃって」
 ドライフルーツのクッキーとか綺麗だと思うんですけど、なんか苦手で……と恥ずかしそうに口籠る丸本。
 そういえばいつもコーヒーや紅茶では無く、丸本はお茶だったかと思い出す。良かった、知らないままだったら紅茶味の物を購入していたかもしれない。
「あっあの、先輩はどんなのが好きなんですか?」
「俺は……」
そうだな、とショーウィンドウに目を向けようとした目線の中、ちらりと丸本の顔が目に入って、思わずどきりとした。
 頬を赤らめ、緊張した面持ち。まるで告白の答えでも待つような表情に、ごくりと唾を飲む。こんな顔で告白されたら即座にOKの上、家に持ち帰るのに……。
「そう……だな、結構チョコ系のが好きかな」
「あ、そう言えば前のチョコのお茶菓子、美味しそうに食べてましたね」
「ああ。あれは美味しかった。洋酒が入ってるのが好きなのかもしれない」
「へぇ、僕は余り強いとダメかもです」
 二人して店内に入らないで、寒い風に吹かれながらそんな会話をしているのは変かもしれないが、とにかく彼と生徒会の仕事絡みでは無い会話をしているのが嬉しい。会話が途切れそうになった頃、ふと最初の疑問を思い出した。

「そういえば丸本はどうしてここに?先に帰ったんじゃ…?」
 聞いた途端、笑顔を浮かべていた丸本の顔色が、みるみる内に青くなる。何事、と思うのと同時にあわあわと謝り始めた。
「す、すみません会長が仕事頑張ってるのに、僕、僕……っ」
 項垂れる丸本に、慌てて責めるつもりで聞いたんじゃないと宥める。
「ちょっと不思議だっただけで……、それにほら、丸本は十分仕事やってくれてるよ」
 本当に助かってる、と笑顔を向けると少しだけ顔色が戻る。
 それでもまだ俯き加減で、マフラーに口元を埋めながらもごもごと喋り始めた。
「あの……僕、弟と歳の離れた妹がいて、家に帰ると騒がしくてあんまり集中できないんです。だから、学校帰りに近くの市民図書館で、課題とか終らせてて……」
 確かに駅の近くに少し大きめの市民図書館があったなと思い出す。が、それよりも気になった事があった。
「……もしかしていつも図書館で?」
「あ、はい。大抵授業で宿題出るので」
「それって生徒会の仕事がある日も……?」
「そう、ですね」
「……ごめん、いつも何時に家に帰ってる?」
「えっと、七時か遅くて九時過ぎくらいに……」
 返って来た答えに、蹲って拳を地面に思い切り叩きつけたい衝動に駆られる。
 夏ならまだしも、この時期の九時なんて真っ暗にも程がある。高校生ならば普通だと言われても、彼は別だ。
 襲われたりしたらどうするんだ……!と本人に向けて叫びたい衝動に駆られたが、そこは、ぐっと堪えた。分かっている。丸本は平凡な高校生男子で、襲われる可能性も低ければ、自分で対応もそこそこ出来るだろう。心配し過ぎなのは分かっている。
 でも現に彼を好きな奴がここにいるからこそ、心配なんだ。だから。
「……今日はもう帰るだけ?」
「はい!先輩が早く帰らせてくれたので、早く終わりました……!」
 ありがとうございます、と漸く笑ってくれた丸本に、そう、と呟くと「なら家まで送るよ」と言っていた。



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