Novel | ナノ


▼ 2

 深夜だというのに煌々と電気の付いた部屋の下、湯気の立つお茶を二つ挟んで重い沈黙が流れる。
 その沈黙をアキが初めに破った。
「……俺は、こういう事を君とするつもりは無い」
 震える声で告げられた言葉に瞠目する。
 どうして。何故。
「な、んで」
 呆然と告げた言葉に、答えはない。
「僕が……僕が“総十郎”じゃないから?“総十郎”そのものじゃないから!?でも、僕は秋邦さんの事全部じゃないけど覚えてるよ、約束だって……あの気持ちだって……!なのにダメな訳!?こんなに……こんなに好きな――」
「それ以上言うな!」
 それは押し殺されてはいたけれど、確かに叫びだった。
 まるで拒絶されたみたいで、お前じゃダメだと言われたみたいで。両目からは関を切ったように涙が零れてきた。
「どう、して……僕は……っ」
「その気持ちが君の、光の気持ちなのか、それとも総十郎の物なのか分からないからだよ……!」
 その言葉に喉の奥が詰まる。すぐに違うと言う事が出来なかった。
 この気持ちは一体どこからなのか分かっていない自分がいるのも事実だから。
 ――でも。
 でも、そんなの関係無いじゃないか。自分が彼を好きなのは明らかなんだ。それがどこから来てる物なんて関係無い。
 親に対する愛情でも、動物に対する愛情とも違う、今まで感じた事の無い好きで好きで堪らないこの気持ちは彼にしか向かない。“三本光”という人間の一生の内で、彼一人だけだと、何を根拠にしているか分からないけど確信できた。
「僕、が…秋邦さん以外を好きになる事は無い……絶対無いよ」
「絶対なんて無い!無理だ……。俺だって……俺だって、好きだ。でもそれは多分君に総十郎を重ねてる。だって君は総十郎の生まれ変わりなんだから……好きにならない方が、重ねない方がおかしいだろ……!?でもそのまま進めば絶対に後悔する。今だって君は総十郎をどう捉えたら良いのか分かってないんじゃないか。俺だって……分からない……」
 この違和感を抱いたまま二人進めば、いつかはダメになる、と泣きそうな声で言うアキ。
 顔を覆うアキのその肩はずっと小さく見えて、まるで途方に暮れた迷子の様だった。




(あの後は葬式みたいだったなぁ……)
 濡れた髪をガシガシと掻きながら、俺は思い出して苦笑いをした。
 話が終わった、というより、もうどちらも喋らなくなって、それぞれの寝床に着いた。
 次の日の朝もそれの延長線で、会話をする事は愚か、目を合わせるのもぎくしゃくとしていた。そんな日が一週間くらいは続いただろうか。
 その間に自分の気持ちについて、総十郎について色々考えた。
 最初の三日くらいは悩むくらい考えたが、もう後は正直面倒臭くなっていた。どう考えたって“自分が”アキを好きなのは変わらないのだ。
 だから気がつけばもう何も考えずにアキに向かって告白をしていた。
 あの時のポカンとしたアキの顔は忘れられない。それはみるみる内に、呆れやら驚きやら色々な感情が入り混じった表情になったけど。
 それからはアタックの毎日だった。相手にされなくても、無下にされても好きだと伝えた。
 夜這いも毎夜掛け、毎回驚かれて突き飛ばされ、最終的には寝たふりをしていたアキに捕まえられてこっぴどく叱られた。――でも、最終的に勝ったのは俺だった。

 しつこい俺にアキが折れたのだ。そして一つ条件を出された。
 中学を卒業し、高校生になり、十六歳になるまでずっとアキの事を好きだったら――……。
『付き合ってあげても良いよ』
 そう言って頬を歪めて笑ったアキ。
 あれはきっと、そんな事は出来ないだろうという嘲りの様な……でも決して俺を嘲ったのではなく、自分を嘲っている様な寂しい笑いだった。

「……まったく」
 腰にタオルを巻き直しながら笑えて来る。
 アキは本当に強がるのに怖がりで、変に人に優しい可愛い人だ。一緒に過ごしている間に、きっと好きな気持ちは冷めるだろうとアキは思ったに違いない。だからあんな事を条件にしたんだ。
 ところが好きな気持ちは、この四年間で深まるばかりで、今ではアキ以外考えられない。どんな可愛い女の子に告白されようと、はにかんだアキの笑顔を見た時以上に胸が高鳴る事は無かった。
 四年前、確かに自分は総十郎の記憶でアキの事が好きだったかもしれない。漠然と言葉に出来ない想い。でも胸を一杯に満たすそれでアキの事が好きだと思った。
 でも今は違う。
 勿論その漠然としていながら熱い気持ちは根本にあるだろう。でも、この4年で色々なアキの素敵な所を知った。愛しいと、守りたいと更に思えるようになった。
 今では総十郎の生まれ変わりである三本光ではなく、三本光という一人の人間としてアキが好きだった。
(アキは俺が、俺“達”がどれだけアキを愛しているのか思い知れば良い)
 何せ前世から彼が好きなのだから。
 身を持ってこの感情の深さを知れば良い、と唇が笑みの形に歪むのが分かった。


 腰にタオルだけの姿のまま部屋に戻ると、台所の流しアキの背中が見えた。
 晩御飯は俺がいつも作っているから、多分米を研いでくれているのだろう。その背中に近寄ると、後ろからガバリと抱きついた。
「アーキ!」
「!!ばっか、急に跳び付くな。驚くだろうが」
 肩をビクリと跳ねさせて、横目で睨むアキ。
 その目線が自分より低くなったのはいつだったか。いつの間にかアキより足のサイズや手が大きくなって、背も抜かして。アキの肩や背中を見てどこかほっそりしていると思うようになったのはいつだったか。
 アキの全てが愛おしくて愛おしくて。細胞が求めている、という言葉を良く聞くけれど、自分の場合はそれこそ文字通り魂が彼を求めていた。
「……ね、アキ。今日何の日か知ってる?」
 そっと呟くと、再びアキの肩がビクリと動いた。
 それは驚きでは無いことはアキが放つ空気で分かる。例えるならば――恐れか。
「……さぁ」
「さぁって酷いなぁ」
 硬く強張った声に対して、明るく笑ってみせる。
 何も怖がる事は無いのだと、そう伝える様に。
「今日は俺の誕生日じゃんか……アキ、俺もう十六になったよ。約束の歳だ」
 今でも俺は――……そこまで言って、口を手で塞がれた。拭かれたばかりの手はまだ大分湿っていて、ひやりと冷たい。
「言うな。……お前はムキになってるだけだよ、出来る筈が無いって思われたならやってやるって。高校生になって、可愛い女の子とかいっぱい周りにいるだろ。それをムキになって続けてる恋愛感情で、視界に入れないなんて馬鹿げてる。高校生だなんて愉しい盛りなんだから、無駄にしたら駄目だ。無理矢理視線を逸らさなくて、良いから。な、止めにしよう、こんな事」
 自分の口を塞いでいるその手を掴むと、引き剥がしてそのまま握る。
 アキはハッとして振りほどこうとしたが、その手がすり抜ける事は無かった。
「無理だよ。部活やってる高校生と、在宅勤務で身体鈍ってる大人じゃ俺の方が力は上だ」
「馬鹿にしてんのか、離せ」
「嫌だ。……もう離さない」
 じっと見つめれば、うろうろとアキの目が泳ぐ。
「無理矢理目を反らしてるのはどっちだよ、アキ。俺の気持ちが変わる事は無い。……だってそれこそ、前世から好きだったんだから」
 ひゅ、と息を呑むのが聞こえた。
 アキが何を恐れているのか、四年前に漠然と感じていた事が今では良く分かる。

「……アキは、また俺が居なくなるのが怖いんだろ」
 掴んでいる手の震えが、血の気を失った唇がそれを裏付ける。
 一度、俺はアキの前から姿を消した。それも目の前で。必ず会いに来ると口にし、アキもそれを信じてくれた。でも、心のどこかでは諦めていたのだろう。もう、二度と会える事は……会えたとしても、人としては会えないだろうと。
 だからアキは別れ際に泣いたんだ。信じていると言いながら、終わりの見えない約束に絶望したから。
「もう絶対に、絶対にアキの前から消えたりしない。守り通すよ。アキ、アキだけが……ずっと好きなんだ」
「……っは、自惚れるのも、大概にしろよ」
 血の気を失った顔で、ぎっとアキが睨みつけて来た。
「誰が、誰を好きだって?居なくなるのが怖いっていつ言った。俺はそんな事一言も――」
「じゃあどうして俺を拒まないの」
 その睨みに対して冷静に返す。
 アキの睨みは怯える動物が近寄るなと威嚇している物と同じだ。これ以上踏み込まれたら戻れなくなると、分かっているから。
 でも、その一線を俺は越えたい。
「俺が嫌いなら追い出せば良いだけだ。俺はアキに養ってもらっているんだから。アキのおばさんだって、俺の面倒を見続けるって言った時反対してただろ。まだ若いのに無理だって。なのにどうしてそれを押し切ってまで、俺の面倒見てくれるの」
「ど、うして、それ――……」
 アキは真っ青になって目を見開いた。
 俺は知らないと思っていたのだろうが、ずっと前から知っている。おばさんは家が落ち着くまでの間だけ俺をアキに預けるつもりだったのが、アキはそれを引き取って育てると言ったのだから反対するのは当たり前だ。
 夜な夜な何度もアキがおばさんと電話で話をしていたのを知っている。
 おばさんの声は大きくて、何を言っているのかまでは分からなくとも、受話器越しだというのに音が聞こえる程で。それに対してアキは「母さん、どうしても俺が育てたいんだ」と何度も何度も言っていた。
 最終的にはおばさんも納得して、俺の学費等の負担をしてくれたりと力になってくれて……こうして俺はアキによってアキの傍に居る。
 でもそれは何故か。考えれば考える程、答えは一つしかないのだ。

「おれ、俺には引き取った責任が……」
「俺、ずっとアキに好きだって言ってきたよね、恋愛感情で。それなのに傍に置き続けるの?嫌いなら鬱陶しいだけだろ」
「そ、それは……」
「アキは俺を総十郎の生まれ変わりとしてだけじゃなくて、もう俺自身を好きで傍に置いておきたいんじゃないの?」
「ち、がう、違う……!」
 首を横に振るが、それは力無い物で声も弱弱しい物だった。
「……そう、俺の勘違いなんだ。……じゃあ、出て行くよ」
 そう言った途端にガバリとアキは顔を上げる。その顔には焦った表情が浮かんでいて、俺よりも年上の――大人の顔では無かった。
「で、出て行くって何で……!?」
「何でって……。俺はアキのことが好だけど、でも、アキにはその気が無いんだろ。……迷惑になるから」
「め、いわくとか、そんな」
「アキが好きだから、鬱陶しがられて、嫌われるのは嫌だ。……四年も付き纏っといて今更とか思うかもしれないけどさ、決めてたんだ。四年頑張っても振り向いてもらえなかったら、諦めようって。それにさ、好きになってもらえないって分かりきってる相手の傍に居続けるのは……辛いから」
 そんな殊勝な事を言って、一つ寂しげに笑って見せるが、勿論そんなつもりは微塵も無い。嫌われたって、鬱陶しがられたって、ずっと傍にいると決めた。
 でも、アキの本当の気持ちをアキの口から聞きたいから。聞かなければいけないから。
 こうでもしないときっと聞けはしない。認めはしない。狡猾な事をしている自覚はあるが、それでも。――前世からずっと、好きだから。
「暫くは申し訳ないけどアキのおばさんの所でお世話になって……その後どうするかはおばさんと話し合って決めるよ。大丈夫、アキに迷惑は掛からないように俺の口から上手く伝えとくから」
 今日明日にでも、荷物纏めるね。
 そう言って半歩下がった瞬間、ガシリと痛いくらいに腕を掴まれた。

「……、のか」
「ん?」
「……また俺を、置いていくのか……!」
 キッと睨み上げた瞳は分厚い涙の膜が張っていて、それはくしゃりと顔が歪むのと同時に大粒となって零れ落ちた。
「生まれ変わっても傍にいるって……約束したのにっ俺を一人にするのか、また、置いて……っ置いて!!!」
 泣きながら叫んで、その場で膝をつくアキにつられて俺も一緒にしゃがむ。
「うそつきやろう……!」
「アキ、アキ」
 力無く何度も俺の腕を叩くアキを抱き締め、背中をあやす様に撫でた。
「アキ、俺に傍にいて欲しいのは何で?総十郎の生まれ変わりだから?」
 無言で横に振られる首。
「じゃあ何で……?俺はそれが聞きたい。お願いだから聞かせて、アキ」
 涙に濡れた目が狼狽える様にうろうろと泳ぎ、口を開いては言葉を放たずに閉じる。
 けれど辛抱強く待てば、絞り出すようにアキは喋り始めた。
「生まれ変わったお前は、総十郎だけど、総十郎じゃなかった。それを悲しく思った事なんて、無い。でも、不安で……怖くて。前世……総十郎とお前は同じだけど、違うから。だから、総十郎と交わした約束でお前を縛り付けちゃいけないって、そう思って……そう思わなきゃいけないって。でも俺の事なんか、あの日の事なんかいつか薄れて、忘れられて、普通に女の子を、他の誰かを好きになるなんて、考えるだけでも絶えられなくて……!だけどあの時の約束に胡坐をかいていたら、いつかお前は俺を疎ましく思うかもしれない。前世の約束に縛り付ける俺を。けど、どうにかして傍にいて欲しくて、だから、ここで一緒にっでも、だけど、」
「……うん」
 『一人にしないで、もう置いていかないで、傍にいて』
 それがアキの本当の気持ちだ。好きな相手がいなくなる恐怖を二度と味わいたくない。でも、約束だからと縛り付ける事も出来ない。
 それはアキが優しいからだ。優しさと我が儘の狭間でずっとアキは苦しんで来た。
「アキ、言って。アキの本当の気持ち。誰の事も考えずに、自分の事だけ考えた我侭な気持ち」
 そっと囁くとアキはゆっくりと目を閉じた。
 眦から一粒涙が零れたその表情は、どこか諦めた様にも見える。大きく息を吐いて、震えながらアキは口を開いて。
「……好き。ずっと、ずっと……好きだった。どこにも……いかないで。俺だけの、お前でいて……」
 そう、抑えていた言葉を途切れ途切れに吐き出した。



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