Novel | ナノ


▼ 6

 夕飯も食べずに、布団の中で総十郎にくっ付きながら、浅い眠りと目覚めを繰り返した。
 長めの微睡から覚めた時、辺りが真っ暗で深夜なのかとあたりを付ける。もぞりと動けば逞しい腕に包まれているのが分かって頬が緩んだ、が。

『――動かず、そのまま』
 低い総十郎の声が耳元で動きを制する。
『――祟りの本体が、すぐそこに』
 その言葉に体が強張った。恐る恐る目だけを向ければ、刀を片手に布団の中で俺を抱き締めている総十郎がふっと目だけで笑う。
 いつの間にか袴を身に着けていて、俺は総十郎の着物に包まれている。
『……すぐ終ります故』
 安心なされよ、と言った瞬間布団が跳ねあがり、一閃が閃く。
 布団に遮られて見えなかった物が見えて、辺りが暗いのはこれの所為かと気づく。蠢く影にいくつもの腕。腕の先には指があるが、どれも三本しか指が無かった。
 総十郎の一閃をすんでの所で躱した影は、キシキシキシと耳障りな甲高い笑い声を上げた。
『秋邦殿、拙者の後ろに!』
 その声に慌てて広い背中に密着するように近づく。その間、影は腕を揺らし、指をざわめかせながらキシキシと歌うように笑った。

―ヒトツハコノ手デ抉リダシ、ヒトツハ炎デ燃エテイッタ。ヒトツハ後ロカラ突キ飛バシ、ヒトツハ腹ニ禍ノ種ヲ植エタ。―

―サァオ前ハ、ドウシヨウカ。―

 それが何を指しているのか分からない訳が無い。
 爺ちゃん、従兄夫婦、母さん、姉ちゃん。そして……俺。
 竦んだ俺に嗤い声を立てながら影が躍り掛かってくる。
 それを刀で阻んだ総十郎に影が紐の様に絡み付いた。が、総十郎は刀でそれを切り――切る前の体を捕えられた一瞬、影の頭の部分が近寄ると、総十郎の耳にそっと何かを囁いた。
『しま……っ!』
 総十郎の目が見開かれ、そして――刀を持っていた手から力が抜けるのが分かった。
「総十郎!?」
 キシキシキシ!!と嬉しそうな声を上げて、影が俺の四肢を捕える。総十郎の着物を裸に羽織っただけの身体に、細い紐みたいな影が絡み付いて引き絞られて痛い。

―無駄ダ、アレハモウ助ケニ来ナイ。―

「総十郎に何した!」

―心ノ隙ニ漬ケ込ム簡単ナ呪イヲ掛ケタダケダ。―
―ズットアイツノ心ノ弱味ヲ探ッテイタ。―
―サテ、オ前ハドウシヨウ。―
―我ヲ祓オウトシタ忌々シイ、アノ男ノ血。足ト手ヲ裂コウカ。―

 影の中に半ば埋まっている顔の目が、ニィと細められた。

―アア、ソウダ。オ前ハ愛シイ者ノ手デ殺シテヤロウ。―

「なっ!?」
 影の腕が伸びて、だらりと腕を垂らしている総十郎をこっちに導く。総十郎が虚ろな目でこっちを見るのを見て怖くなる。
「総十郎、総十郎……!」
 何度声を上げても、総十郎の目に光が宿る事は無い。

―サァ、オ前ノ手デ殺セ。―
―ソウスレバ一緒ニ居ラレルゾ。―
―共ニ居タイノダロウ?―

『共に……』
 微かに総十郎が呟くのが耳に入って、泣きそうになる。
 総十郎になら殺されたっていい。でも、殺して苦しむのは総十郎だ。だってあんなに命を奪ってしまった事を悔やんでいたのに。
 必死で名前を呼ぶけど、影に口まで塞がれてしまう。総十郎が刀を持つ手を構えて腕に力が籠められるのをスローモーションの様に感じながら目を閉じた。

『――嘗めるな』

 でも痛みは全く襲って来ず、代わりにその言葉と共に、耳を防ぎたい程の醜い咆哮が耳を襲った。
 はっと目を見開けば無表情の総十郎と、顔面を真っ二つに切られた影がのた打ち回っているのが目に飛び込んで来る。
『一度守ろうと誓った者を手に掛けるわけが無い』
 静かにそう言うと総十郎はのた打つ影に刀を向け、頭の部分を踏みつけると腕を振り下ろした。
 断末魔が響いた後、ボロッと影の端が崩れたと思ったらみるみる内に砂になって消えた。
 刀を納めた総十郎は振り返ると、恥ずかしそうに笑ってこちらを見る。
『申し訳ござらん、少し手間取ってしまい申した』
「総十郎……!」
 駆け寄って、その逞しい身体に抱きついた。
「良かった……っ」
 操られなかったのかと聞けば、あんな物、心を強く保てばどうとでも無い。フリをしていたのみと笑う総十郎。
『……しかし謝らなければ』
「な、なにが?」
『……共に居られるならば……と、一瞬でも、秋邦殿をこの手に掛けても良いと思ってしまった……』
 会わせる顔もござらんな、と自嘲気味に笑った総十郎を抱き締める。
「そんな事無い。助けてくれたんだから。……ありがとう」
 お礼の言葉を口にした途端、ぽぅっと総十郎の身体が光り始めた。蛍の様な淡い光が、身体のあちこちで瞬く。

 それが何を意味しているのか、分からないわけでは無い。もっとパニックになるかと思っていたけど、存外心は静かだ。
 顔を合わせれば、総十郎が薄く透けているのが分かった。
「……待ってるからね」
『……はい』
 それ以上言葉が続けられなくて、総十郎の着物の裾を握りながら俯いた。
『……秋邦殿』
 既に透けて先が無くなっている手で、総十郎が俺の顔を上げさせて涙を手の平で拭ってくれる。
『……草になれば秋邦殿の為に花を付けましょう。鳥になれば秋邦殿の近くに巣をつくりましょう。虫になれば秋邦殿の元へ飛んでいきましょう。……何に姿を変えても、秋邦殿の元へ必ず参り申す』
「……俺、虫嫌いだし」
 苦笑交じりにぽろぽろと涙を流しながら言えば、なら気を付けなければと総十郎は笑った。
『秋邦殿……必ずや、お傍に』
 もう輪郭も分からないくらいに透けた総十郎は最後に優しい笑みを浮かべて―――消えた。
 着ていた着物も無くなって、裸で膝をつく。

「……っ」
 両手で顔を覆って、咽び泣く。
 いつまでも待つよ。いつまでも。
 俺にそれが総十郎だって分かる術は無い。けど、きっと総十郎が伝えてくれる。俺はお前を信じてる。
 でも、今くらいは泣かせて欲しい。
 暫くの別れの悲しみと、お前が最後に言った言葉に浸らせて。

 ―愛して、おります―




 朝日が昇り、部屋を明るく照らした。
 泣きすぎて腫れた重い瞼をぶら下げて、台所へと向かう。洗って干してある食器を片づけないとな、とカゴを見れば自分の茶碗と、もう一つの茶碗。
 俺のではない青色の茶碗を手に取ってしばらく眺めると、静かに黒の箸と一緒に食器棚の奥に直した。
 絞りつくしたと思った涙腺が、再び熱を持ちそうになるのを必死に堪えて、他の食器に手を伸ばしたら、軽快なリズムの音楽が携帯から流れる。
 この着信音は確か……と思いながら手に取って耳に当てた。

「……もしもし」
『もしもし、秋邦?ってアンタ酷い声ねぇ、どうしたの』
「……ちょっと喉痛めた」
『あら気を付けなさいよ』
「ん。で、要件は何、母さん」
 明るい声の母さんの声を聞き流して、食器を片づける。母さんの電話はいつも音量が大きくて、少し耳から遠ざけ気味だ。
『そうそう、あのね、実はお願いがあるのよ』
「お願い?」
『そう。母さんは自分で手一杯だし、お姉ちゃんも具合よくないでしょ?父さんも慣れない家事に疲労が溜まっててあんまり調子よくないのよ』
「……で?」
『だから、あんたしかいないのよ。確か一度会った事あると思うけど……。まだ十三歳なのにあんな事のあった後でしょう?あんまり深い事は聞かないで、優しく接してあげなさいね』
「あのさ、まず要件を言ってくれないと分からないんだけど」
 いつも通り好きなように進める母さんに、軽い苛立ちを抱く。『だから――』と母さんが言ったのと同時にピンポーンと玄関のドアのベルが鳴った。
 朝から何だ、忙しい。と溜息を吐く。
 ……でも忙しいくらいが良いかもしれない。悲しみに浸っている暇も無い方が……。
 そう思って玄関に行って、外を確かめずにドアを開けた。

 そこに立っている人を見て携帯を持っていた手がだらりと垂れる。
 耳に当てられていないのに、母さんの声は聞こえてきた。
『ほら、従兄の(りょう)君達――亡くなっちゃったでしょ?そこの息子さん…(ひかる)君。引き取り手がいないからって取りあえず家で面倒見ようと思ったんだけど、家今この有様じゃない?だからあんたの――』
 総十郎が言っていた言葉が頭の中で繰り返し響く。
――もしかしたら欠けた身で既に転生しているやもしれない……――
 それはつまり、もう随分前に総十郎の魂の半分は、この世に戻ってきているかもしれないという事で。……じゃあその転生した所に魂が戻ったら?
 唇が震える俺を目の前の人物は見上げ、そして見慣れたあの優しい笑顔を浮かべた。

「――ただいま」

 その言葉に崩れるように膝をついて、その体を抱き締めた。後ろに放り投げた携帯が何か言っているが気にしない。
「……昨日、泣いてたんだ」
「……うん」
「次は、僕の方が年下だね」
「うん……っ」
 言葉使いも、声も違う。でも確かに目の前のこの子は総十郎だ。
 くしゃりと髪を撫でられて嬉し涙で滲む視界の中、嗚咽を殺しながら腕の力を強める。
「片付けたお茶碗、出さないと、だね……」

 これから一緒に同じ時を過ごしていくために。





- 終 - 
あとがき

2011.06.30



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