Novel | ナノ


▼ 4

 総十郎が目を見開くのを感じながら唇を離して、その首にしがみ付く。
「……総十郎」
『はっ、はいっ』
「総十郎、総十郎、総十郎」
『な、何でござろうかっ』
「……俺は総十郎に救われたよ」
 命も、心も。
「総十郎がいなかったらあの時ヘタしたら死んでたかもしれない。今日だってそうだ。……それに、俺、総十郎がいてくれて、嬉しかった……」
 嬉しかった。
 内面を見てくれて、それを褒めてくれる人なんて中々いなかったから。総十郎の暖かい眼差しで微笑まれると、胸が苦しくなるくらいに嬉しい。褒めてくれると泣きたくなるくらい嬉しい。
「そう、胸が……苦しいんだ」
『あ、秋邦殿!?』
 突然泣き出した俺を見て、総十郎がぎょっとする。
「総十郎、苦しい。胸が苦しい……どうして。俺男なのにどうして、こんな……。お前が泣いてると俺も悲しいよ、苦しんでると俺も苦しいよ。笑ってくれるとすごく嬉しい。こんな……こんな気持ち、彼女にだってなった事無いのに……他なんてどうでも良いって思ってたのに……面倒臭いのに……」
『あ、秋邦殿』
「総十郎……俺、お前のこと……好き」
 その言葉に涙を拭ってくれていた指が止まった。
「好きだよ、どうしよう……総十郎は、俺の事嫌い?」
『き、嫌いではござらん!』
「男だったらダメ?恋愛対象にならない?」
 じりじりと近づくと総十郎は目を泳がせた。
『秋邦殿っ』
「俺はね……男はムリ」
『はい?』
「俺も男だもん、ムリだよ」
『……秋邦殿、一体どれだけ飲まれたでござるか』
「……でも、総十郎なら良い。総十郎が、良い」
 何だかぐらぐらとした気分で抱きつきながら、そう口にした。
 今までちゃんと固まっていなかった気持ちが言葉となってすらすらと口から出ていく。……ああ、何だか凄く気持ちが良い。
 気分は良いし、何だか脈絡が無い気がするけれど、そこに嘘は一つも無かった。
「総十郎……」
 何度目か分からない名前を呟くと、短く息を詰まらせた総十郎に顎を持ち上げられてキスをされた。ぬるっとした物が口の中に入ってきて気持ち良い。
『……甘い、でござるな、柑橘の味……』
 唇を離された後に、濡れたそこを熱を持った目で見ながら指で撫でられる。
『……秋邦殿……』
 腰を抱き寄せられながら、甘く優しい声で呼ばれる名前がだんだん遠くなって、俺は心地良い眠りに落ちて行った。




 初めて会った時、一瞬、男かどうか分からなかった。
 しかしその人間には自分が見えているようで、そしてそんな配慮をされているという事は『彼』が『秋邦』殿なのだと分かって、笑顔で挨拶をした瞬間。
 額に札を張られた。

 衝撃的な出会いだったが、その後普通に茶菓子や茶を出されて、良い人間なのだろうなと小さく笑った。普通ならば不審と思われ、話も聞いてもらえないのがオチだ。
 一応信じてもらえないままでも護衛は出来るが、四六時中共に過ごすわけだし、見えていれば協力も願える。それをどうやって聞いてもらおうか……と考えていたのに。
 外に出たら迷惑にならない様にと声を掛けずにいたら、囁く様に「いる?」と確認する彼は親の手をしっかりと握ろうとする子供のようで微笑みを誘った。
 死人だと言っているのに、毎回食べるかと聞いてくれる優しさを持ち、一人で食べる事に引け目を感じているのか、少しだけ居心地悪そうにして箸を進める姿は可愛らしい。
 彼が初めて祟りの片鱗に触れた時、真っ青な顔で腕の中で細かく体を震わせているのに気づき、同じ男であるのに守ってやりたいと強く庇護欲を駆られた。

 彼の為に何かしてやりたいと思って料理を作ってみたら、最初は気が進まなさそうにしていたのに、箸を口に入れた途端驚いた顔をしていた。
 美味しいと呟き、小さく笑ったその表情に思わず目が惹きつけられる。
 元から中性的な顔立ちで、背は高いが線の細い人だ。
 どちらかというと釣り目がちなのだが、どこか取留めない雰囲気を纏っている彼は笑うと優しい顔になり、右頬に小さく笑窪が出来るのだと気づく。
 彼の一挙一動に笑みがつられ、温かい気持ちになった。

 これが久しぶりに人と接したから、罪を少しでも償っている気がするからという物とは別の物やもしれないと思ったのは共に風呂に入った時だ。
 きめの細かい白い肌と、細い腰と首。濡れた黒味を帯びた茶の髪が纏わりつく項。女子とは骨格が違うと言うのに、それは自分の中の何かを掻き立てそうで、慌ててその何かから目を逸らした。

 ――なのに。
 自分の過去を吐露して零れた涙を秋邦殿は唇ですくって来た。
 頬に触れる柔らかい感触に驚く前に、涙で濡れた唇は自分の唇に重なっていた。
 甘い味に狼狽している自分に告げられた、秋邦殿の言葉。生前男娼と関わりを一度だけ持った事がある所為で、男だという事はそこまで抵抗を与えなかった。
 むしろその時の男娼などより涙で濡れた睫を震わせ、己の名前を呼ぶ秋邦殿の方がずっと欲を煽られる。
 僅かに、しかし確実に募っていた想いを煽られて、次は己から唇を重ねた。仄かに香る柑橘の香りを堪能し、興奮で情けない事に微かに震える手で細い秋邦殿の腰を引き寄せ、名前を呼べば――秋邦殿は腕の中で寝息を立てて寝ていた。

『あっ秋邦殿!?』
 今までのは何だったのか、酔った勢いだったのか。煽られに煽られた気持ちの収集がつかず、もどかしさにわきわきと手を動かした。
『秋邦殿ぉ……』
 切ない気持ちに腕の中の人の名前を呟くが、心地よさそうに寝ている姿に笑みをつられるのもまた事実。小さく溜息を吐いて苦笑を浮かべると、秋邦殿の布団を敷き、そこに寝かせる。
 ……むしろ良かったのかもしれない。
 秋邦殿もそうだが、自分にも酒が入っている。酔っているつもりは無いが、素面でも無い。
 今のままならば確実に己の想いに流され、してはいけない事をしていたやもしれない。
 秋邦殿は生き人、自分は死人だ。本来ならば関わってはいけない、関わる事も出来ない存在。
 この件が終われば自分はどうなるのか分からないが、確実にこの場にはいられないだろう。ならば自分がここに居た証も、思い出も、少なければ少ない程良い。
 少しだけ濡れている秋邦殿の髪に指を挿し入れ掻き回す。
『……お慕い申しております……』
 もし自分が貴方と同じこの時代に、この場所に生きていたならば。
 ずっと傍に居たかった。
 けれど彼に出会えたのは自分が死人であるからで。彼を守れるのもやはり死人であるからで。それならば死人である事に悲しみは無い。
 もう一度ふっと笑うと、微睡の中にいる秋邦殿の枕元に座ると刀を抱いて闇に目を光らせる。
 夜は禍を撒き散らす者が活発になる。
 今宵も眠らず、秋邦殿を守る盾と剣になるのみ。
 愛しい人を守る為に。




 朝起きて目が覚め、昨日何をしたか思い出した瞬間絶叫しそうになった。
 何してんだ自分!思いっ切り告白してしまった。おまけに人が過去話してんのに、なんかそこに漬け込む形でキスした……!
 何だか凄く酒の周りが早かった……っと布団に突っ伏して呻く。
『秋邦殿、お目覚めですかな。朝餉の支度が出来申したぞ』
「うわっ!!」
 突然背中から声を掛けられて、その場で飛び上がりそうになるくらい驚く。振り返れば、いつもと何にも変わらない笑顔の総十郎が、いつもの恰好にエプロンをつけて立っていた。
『どうかなされたか?』
「……あ、えっと……その、昨日は……」
 目の前の総十郎からは告白された気まずさは感じられずに、むしろ夢を見ていたんじゃないかとさえ思う。
(――あれ、夢じゃないよ……な……?)
 うん夢じゃない、本当にした。多分した。
 なのにここまで接し方が変わらないという事は、もしかしてこっちが酔ってたから無かった事にしたのだろうか。

 ……普通はそうか。
 異性ならまだしも、同性ならなんの冗談だと思ってあたりまえだ。キスだって、酔えばキス魔になるやつが友人にもいる。
 そう考えれば昨日の事は総十郎の中で片が付いてしまっているのだろう。……それが凄く、悲しかった。
 思い切った告白じゃない。酒に流されてつい口を出てしまった告白だ。
 だから受け流されたって仕方が無いとは思う。でもそこにあった想いは確かな物だった。それを流されてしまうという事は、総十郎の中で自分はそういう対象じゃない訳で。
 そうだよな……男にこんな事言われたって困る。自分だって困る。
 総十郎も、純粋に命を守りたいと思ってくれているのに、それを勘違いされたら迷惑千万だろう。
「……ううん。何でも無い」
『そうでござるか。朝餉、一昨日てれびとやらでやっていた物を作ってみたでござるよ、ささ冷めない内に』
 笑顔で進める総十郎に笑顔を返して頷くと、テーブルに並べられた食事に向かった。




 ――って簡単に諦められる訳ない……。
 講義が終わって家に戻り、パソコンを広げて出されたレポートを始める。
 始めても、講義名、学部学科名、学籍番号、自分の名前を記入してからさっぱり進んでいない。溜息ばかりが口から零れ、ネットで資料を探そうにも全然頭に入って来なかった。
 提出は明日明後日の休日挟んでだというからまだ余裕はあるが、この調子のままでは終わるかどうかさえ分からない。
『お疲れですかな、秋邦殿。どうでござろう、帰りに買った饅頭で一服』
「……うん」
 こし餡入りの饅頭を綺麗に並べた皿と、湯気の立つ美味しそうなお茶が置いてあるテーブルに座って、湯飲みを手に持った。総十郎もその前に座るのを待って、熱い湯飲みに口を付ける。
 特に会話も無く無言のまま饅頭を咀嚼していると。

『っああ、もう!』
 突然総十郎がバン!とテーブルを叩いて、俺の頬を掴んできた。
『後生でござるからそのような顔をしてくださるな!朝からそんな浮かない顔されて、もう拙者は見ておられぬ……っ』
 本当に苦しそうな顔をしている総十郎にこっちも苦しくなる。
 ああもう俺、本当何してんだろ。
『……っ、また……っ!はっきり申し上げますとな、昨夜の想い、一笑に付せる訳が無いでござろう!』
「……え?」
『いくら酒の席で相手が酔っておろうとも本気かそうでないかくらいは分かり申す!拙者も同じ気持ちだった故、嬉しくて仕方なかった……!だが拙者と秋邦殿の間には大きな隔たりがあるでござろう!』
 思ってもいなかった答えに目を白黒させる。驚きと喜びと困惑とが混じって、頭の中が上手くまとまらない。
 今なんて。同じ気持ちって言った?それって……でも、隔たりって……?それは……。
「……同じ男って事?」
『違い申す!秋邦殿は生きておられ、拙者は既に死んだ身という事をお忘れか……っ』
「そ、そんなの、俺気にしないっ」
『拙者が気にするのでござる。秋邦殿、拙者は秋邦殿をお守りし、祟りを切った後、いなくなるのでござるよ?なら秋邦殿の想いに答えても、それは長続きせぬ物……そんな思いをさせるわけにはいきませぬ』
「え。ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って……」
 総十郎がいなくなる?そんなの考えてなかった。だって総十郎は俺を守ってくれるって――……。
 でもそうだ。俺を守ったら総十郎はここに居る必要は無い。でも、でも……。
「どう、して……傍にずっと居てくれればいいじゃんか」
 自己中心的な想いが溢れる。
 どうして。どうして。帰らないで。

『……っ、拙者とて共に過ごしたい!!』
 がばっと強く抱きしめられた。
『けれども、この身は生きてはおらぬただの魂。それも半分しかござらん。申したでござろう?仏に、秋邦殿をお守りした後、魂を一つに戻してやると言われたと。ここにいる拙者の魂は半分。もう半分は仏の手によって別の場所に飛ばされ申した。今はもしかしたら極楽にあるのやもしれませぬし、地獄にあるのやもしれぬ。もしかしたら欠けた身で既に転生しているやもしれない……。分かるのは、自我はこちらの魂にあるといえど、魂としての力は別たれたもう一方の方が強いという事……。それを一つに戻されれば、おのずと拙者は強い魂の方に引かれ、同化するでござろう』
 故に、拙者の意思でここに居る事は出来ませぬ。と言われて目の前が真っ暗になりそうになった。
 俺の命が助かった瞬間、総十郎はいなくなる。
 総十郎に居なくなって欲しくない。でもそれはずっと命の危険にさらされるという事で、そして総十郎にずっと辛い思いを強いなきゃいけないんだ。
 総十郎の袖をぎゅっと掴む。
『もうこれ以上拙者と深い仲になれば、拙者はまだしも、秋邦殿が辛くなるでござろう。故に――』
「嫌だ」
『秋邦殿?』
「俺、総十郎がいなくなるんだったら、猶更“今”一緒に居たい。そういう仲になりたい」
 総十郎と一緒に居られるなら命の危険なんてどうでも良い。きっと総十郎が守ってくれる。
 でも、魂が一つにならない事で総十郎が辛い思いをするならば、良い。一緒にいられなくても良い。
 でもその変わり。
「俺に総十郎を忘れさせないで欲しい。大切で、大好きな人が傍に居たんだ、って思いたい。……ずっと覚えていたい」
『……それ、は……つまり……』
「……好きだ。だから、俺を……抱いて。総十郎。総十郎が俺の事好きって言ってくれるなら、お願い」
 男が何言ってんだろうなと思う。
 でも、総十郎とシたい。自分の深い所で覚えたい。そう思ったら止められなかった。総十郎なら抱かれて良い。むしろ抱かれたい。
 俺が抱いても良いけど、俺が受け身の方が総十郎も楽だろう。……それに何だかそっちの方がずっと覚えられそうだ。
 男でもこういうのかわからないけれど。
「俺の初めて、奪ってよ」


『……受け身は辛いでござるよ』
「大丈夫、俺頑張る」
 はぁ、と溜息を吐く総十郎に詰め寄り過ぎたかと少し怯むと、腰を引いて抱きしめられる。
『酒が入っていなければ大丈夫と思っており申したのに……。秋邦殿には敵いませぬなぁ……』
「……ごめん。嫌だったら――」
『嫌な訳が無いでござろう。……拙者もお慕いしております』
 ふっと向けられた笑みは優しくて暖かい俺の好きな総十郎の笑みで、でもどこか切なく感じた。



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