Novel | ナノ


▼ 2

 あれから、頭痛がするから先に帰るわ、と言って長政は先に帰ってしまった。
 仕方なく一人取り残される形でレポートを仕上げると、少し汗ばむくらい暖房の効いていた図書館から、耳がキンと冷える外へと出た。辺りは日が暮れて薄暗くなっている。
「――あ、佐野、佐野じゃね?」
 寒いからさっさと帰ろうと身を一度震わせる背中に、知らない声が掛かった。マフラーに口を埋めたまま振り返ると、どこかで見たような顔の同年代の男が、こちらに駆けて来る。
「佐野、あのさ、来週の土曜に学部内の数人で飲み会するんだけど、来ねぇ?」
(――……ああ、学部同じ人か)
 いくら学部が同じだろうと、学科が違うと結構顔は覚えていない。彼を覚えているのは、彼がよく飲み会の幹事を務めることがあるからだ。
「ごめん。その日は用事入ってるんだ」
「えーまじかぁ。お前来ると女の子の食いつきが良いんだけどなぁ……予定ずらせねぇ?」
「うーん……無理かな。ごめん」
 そっかぁ、それなら仕方ねぇよなぁ……と残念がった彼は、じゃあ今度は来いよな!と言い放つと朗らかに笑って背を向けて去っていった。

『秋邦殿は酒がお嫌いですかな?』
 ふっと背中から声が掛かる。初めて外で自分から話しかけたな、と思いながらゆっくり瞬きをした。
「んーん。酒は好きだよ。飲み会が苦手なだけ」
 あのざわざわした感じは好きなんだ。ただ、自分目当てで来る女の子が面倒臭い。
 自分の顔が女性に受けるのは、自惚れにも聞こえるが、二十一年生きて来た経験で分かっている。
 ただ、だからと言って、それを武器に立ち回る器用さは自分に無いし、自分で鏡を見ても、眠そうだなぁ、くらいにしか感じないので、どうしたら生かせるのかてんで分かっていない。
 最初は普通に嬉しかった。女の子に言い寄られて嬉しくない男はいないだろう。それでそのノリで帰りなどに告白され、付き合うことになって――そしてどれも長続きしないのだ。
 去り際に皆口をそろえて言った言葉を、ぽつりと呟く。
「……『イメージしてたのと全然違う』んだってさ」
 彼女らは何を期待していたのだろう。どうして欲しかったんだろう。
 見た目しか見ていなかったという内容の言葉をこっちに投げつけて、去っていく彼女達の背を見ながら、またか、と思うのに疲れてしまった。
 白く色付く息を吐いて眠たげに瞬きを繰り返す俺に、武士はただ一言。
『そうでござったか。なら機会があれば一献、拙者にお付き合いさせて頂きたいですなぁ』
 暖かく笑みの含んだ声でそう言った。




 文明の結晶。お湯を注いで待つこと三分。

「いただきます」
 出来上がったラーメンに手を合わせた後、箸を持って口に運ぶ。
 失敗しない、早い、美味しい。一人暮らしの助っ人であるカップ麺にはいつもお世話になっている。
『は、早い……』
「でしょ、おまけに美味しいし」
 目を見開いている武士にちらりと目を向けながら答えた。一応食べる?と聞いたけど、いらないという返事だったので、お茶だけ出してある。
『しかし秋邦殿……一つお尋ねしたい事が』
「ん?」
『それだけ、でござるか』
「それだけって……ああ、他に何か食わないのかってこと?」
 基本小食だし、これで事足りるからと頷く。
『……昨夜も同じ物を食べてはおりませなんだか』
「ううん、昨日は塩で今日は醤油だからちょっと違う」
『いや、味のことでは無く……。自炊はなされないので』
「殆どしないなぁ」
 料理なんて殆どしない。炒めて出来上がり、ならまだしも、手間暇かけて、はする気がしないし、そもそも出来ないと思う。
「食べられない物が出来そうだしね」
『……それは……ふむ。秋邦殿』
「ん?」
『ならば拙者がお作りいたしましょう!』




『おお!この様な市があるとは、真、便利な世になりましたなぁ!』
 俺の後ろで嬉々とした声が上がる。それをうんそうだね、なんて聞き流しながら久しぶりに来たスーパーの野菜売り場に俺はいた。

 昨日の武士の、有り難くもちょっとだけ何となく迷惑な申し出に、俺はしばらく武士の顔を見つめた後、まぁ自分がやるわけでは無いし、と頷いた。が、しかし。こんな食生活を続けていたので、冷蔵庫の中は冷凍食品か飲み物、もしくは酒のつまみしか入っていないという有様。仕方なしに食材を買いに来たという訳だ。
『……見たことも無い食材が多いでござるなぁ』
 目を瞬かせながらパプリカを眺める武士。
 一体何を買えば良いのかと問えば、大根やら葱やら味噌やら……。まぁ考えてみれば当たり前なんだけど、明らか和食チョイスでちょっとだけ、げんなりした。俺和食嫌いなんだけど、どうしよう。
(――あ、酒も買っておかないと)
 そろそろストックが切れるな、と思ったその時、思い切り襟首を引かれて首が締まった。
「ぐえっ!」
 カエルが潰れた様な声を上げながら、尻もちをつく。
 持っていた買い物カゴもひっくり返り、大根がゴロゴロと床に転がった。
 面倒臭くて余り怒ったりすることが無い俺も、流石に少し頭に来て、いきなり何をするんだと文句を言おうと後ろを振り返って――小さく息を呑んだ。
 あの人の良さそうな雰囲気はどこに行ったのか、こちらが気圧される程の鋭い目をしている。触れれば切れるという空気はこのことかと思いながら、彼が見ている方向に顔を向けて更に息を呑んだ。
 今まで自分が入っていた通路の棚が、通路を押し潰すような形で倒れている。もし引っ張られずにそこに立っていたら――と思うだけでぞっとした。
 これはもしかして、彼が言っていた祟りという奴の所為なのだろうか。
 震え始めた俺は腰の辺りに逞しい腕を感じながら、店員が慌てて駆け寄ってくる音を遠くで聞いた。


 あれから店員に真っ青な顔で謝られ、別室に連れて行かれると怪我等の確認と共に責任者さんが来て更に謝られた。
 ショックで右から左の状態だった俺にずっと武士はついていてくれて、商品券やらなんやらをもらって、お会計も無料にしてもらった俺は支えられる様に家に戻った。

『秋邦殿、気分が優れませぬか』
 帰るなりソファーに座って膝を抱え込んだ俺に、そっと武士が聞いてくる。気分が優れないも何も、最悪だ。初めて命の危険とやらを体験した。
 爺ちゃんと従姉夫婦が死んで、母さんは怪我して、姉ちゃんは病気。それでもどこか他人事の様に思っていたんだ。自分は大丈夫と思っていた。祟りと言ったってどこか現実味が無かった。
 いや、この武士がいる時点で現実味も何も無いけれど。それでもまさか本当に……。
 爺ちゃんの葬式を思い出して涙が出そうになった。あの冷たい棺桶に寝ていた爺ちゃんに、自分が重なる。
「……あのさ」
『何でござろうか』
「次は……本当に俺なの、他の親類じゃないの」
『……祟りは血族を滅ぼそうとしている物。まず初めに近しい者から屠ろうとし、その中でも家の柱となる男を強く狙っており申す。……順序から言って、次は秋邦殿だと』
 膝の間に頭を埋めて呻く。
 爺ちゃんも爺ちゃんだ。何でそんな危ない事に手を出してたんだ。もうこの世にいない爺ちゃんを心の中で責めるが、どうしようもない。
「……どうしたら祟りって無くなるわけ」
『祟りを振り撒いている本体、それを滅す事で秋邦殿のお命は助かりましょう。この度来たのは祟りの一片。本体が現れし時、拙者が切る所存』
 カチャリと武士は腰に差していた刀を鳴らす。それはとても様になっていて、ああ本当にこのひと武士なんだなぁとぼんやりと思った。
『祟りなど見えぬものは、同じく見えぬ者か、そういった類の力を持った人にしか倒せませぬ。拙者にお任せ下され。必ずお守りいたしましょう。秋邦殿を祟りに触れさせなど致しませぬ』
 真摯な眼差しを見つめながら、すん、と鼻を吸った。この人、何でここまでしてくれるんだろう。俺がこの人の子孫だからかな。
「……本当?」
『勿論!この命……はもう有りませぬが、拙者の全てを懸けて……!ですのでもう安心してくだされ』
 胸を叩いてそう言う武士を見て、分かった、と頷くのを、武士は目を優しく緩めて見つめていた。




「……美味しい」
『それは良かった!』
 作ってもらった食事に箸をつけて、びっくりしながら呟いた。見た感じ凄い質素で、食欲もそこまでそそられないのに、美味しい。
 久しぶりに炊いたご飯を咀嚼しながら、向かい側に座ってにこにこと嬉しそうな武士をちらりと見た。
「……食べないの?それとも食べれないの」
『どうでござろうか……。空腹感も、眠気も無い故、食べず眠らずが出来るという話で、食べようと思えば食べられるのでは』
「ならさ、一緒に食べようよ」
 思わず口を衝いて出た言葉に、きょとんした表情を浮かべる武士。自分自身も、何言っているのかと慌てて言い訳をする。
「いや、だってこんなに食べきれないし、それに食べてない人の前で食べるの心苦しいし……」
 そんな俺を見て、ふはっと武士は笑った。くっくっと肩を揺らして、どこか嬉しそうに笑いながら片手で口を隠す。
『いやはやそれは、有り難い申し出でござるな。分かり申した。ならばお言葉に甘えて次回は共に頂く事に致しましょう』


 夕飯を食べ終わって一服した後、風呂に入りに行く。幽霊は当たり前だけど汗も掻かないという話なので、風呂に入る必要は無いらしい。
 ……というか、そもそもあの着物脱げるのだろうか。シャワーの蛇口を捻って頭の泡を流しながらそんなことを考える。
『秋邦殿、お邪魔致す!』
「はぁ!?」
 急に武士が風呂に入ってきて、驚く。思わず水が鼻に入って咽てしまった。
「え、何。何か用?風呂入るの」
 腰にばっちりタオルを巻いて、風呂に入る気満々な武士を、濡れた前髪を掻き上げながら見て問う。何だ服脱げるんだ、っていうか凄い身体だなぁ……とか言う前に何で入って来てんの。まだ俺入ってるよ。
『いや、お世話になっている身故、お背中でも流そうかと!』
 ばっと手に持っていたタオルを笑顔で広げた武士に、何か言う気は失せてしまった。

『いやそれにしても秋邦殿は白いでござるな……』
 俺の背中をタオルで擦りながら、武士が呟く。擦る手は気持ち良くて、目を閉じながら、そう?と応えた。他人に背中を洗ってもらうなんて何年ぶりだろう。
『おまけに細いではござらんか』
「んーこれが普通だよ、そっちががっしりしすぎてるんだって……」
『そうでござるか。そう言えば秋邦殿の髪は黒とは違いますな。この時代の者は髪が明るい者が多い。異国の血でも混じっているのでござろうか』
「染めてるのね、コレ。俺もこれ地毛じゃないから」
『なんと!』
 そんな他愛も無い話をしながら、ゆっくりと背中にお湯が掛けられて、仕上げとばかりにパンと叩かれた。
『終わり申した!』
「ん、ありがとう。じゃあ次俺ね」
 タオルをくれと手を差し出すと、武士は笑って手を振って断る。
『いやいや拙者はお構いなく。汗を掻きませぬし、それに自分で……』
「それなら俺も自分で出来たから。ほら貸して」
 ずいっと手を出せば、武士はまたあの嬉しそうな、温かい眼差しをして『それではお言葉に甘えて』とタオルを手渡してきた。座る位置を交換して、武士の背中を擦る。
 広く逞しい背中には、真ん中らへんに大きな傷があった。
「この傷……」
『ああ、お恥ずかしい。生前死に際に負った傷でござる』
「……ふぅん」
 どう答えれば良いか分からず、気の無い返事しか出来ずに、もう一度その傷を見つめる。
 既に塞がっているけれど、なにか違和感を感じる。自然に治ったというよりも、無理矢理そこに皮膚を被せたような、肌色の粘土で埋めたような、不自然さ。それはやっぱり、この傷が治ることなく、彼が死んだからなのだろうか。
 それにしても、その傷以外は、思っていたよりも傷が少ない。もっとこう……色々な切り傷があるんだとばかり思っていた。
「これだけなんだね、傷」
『いや、前や腕には多いでござるよ。ただ背に負う傷は武士の恥。死に際と申しても背中を切られたのは一生の不覚でござった』
 その答えにまた気の無い返事をして、背中を擦るのに戻る。自分よりも広い背中は擦りがいがあって、タオルを滑らせながら、なるほどこれなら華奢だと言われても仕方が無いかなと思った。

『……秋邦殿は優しいでござるなぁ』
「は?」
 突然何を言い出すのかとびっくりする。全然そんな流れじゃなかったし、そもそも優しいって、自分と一番疎遠な言葉だと思う。
 だって俺はとても自分勝手だ。人の気持ちを酌んであげられない。だからいっつも振られるんだ。
 優しいっていうならそれはアンタの方だよ、と口にしない言葉を喉の奥で飲みこんだ。
「……そんなこと無いよ」
『いやいやお優しいでござるよ』
「違うって。だって俺、良く言われるから。顔のイメージと違う、もっと優しくて甘やかしてくれる人かと思ったのにって」
『はて。その御仁は何を見てらっしゃったのか……』
 くるりと武士が振り返って、にっこりと笑みを向ける。
『秋邦殿はこんなにも優しく愛いらしい顔立ちをしていて、それと同様優しく愛いらしい方でござるのになぁ』
 恥ずかしい言葉をもろに面と向かって言われて、顔が赤くなるのが分かった。
 な、何だこの人。恥ずかしくないのか。直球にも程がある。
『食事の際、拙者が食べないと分かっていても、いるかと毎回聞いてくれるでござろう?いらぬと返事をしても、茶は必ず出してくれる。今宵の風呂とてそうでござる。秋邦殿は優しく、そしてそれを上手く出来ない不器用で可愛らしいお方でござぶわぁっ!!』
 持っていたタオルを、恥ずかしさに耐え切れずに武士の顔に叩きつけてしまった。
 思い切り仰け反る武士を横目に泡を洗い流し、溜めていた湯にも浸からずに風呂から出る。
 慌てる武士の声を聴きながら、赤くなった顔をどうしようかと、がしがしタオルで拭いた。



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