Novel | ナノ


▼ 1

 この所、身の回りで不幸が立て続きに起きていた。
 爺ちゃんの死を皮切りに、従兄夫婦の自動車事故。母さんは階段から転げ落ちて右足の骨折。姉ちゃんは急な腹痛で倒れ、救急車を呼んだ。生死に関わらなかったが原因は未だ不明で、今も姉ちゃんは名前の複雑な薬を、大量に服用しないといけない状態だ。
 ただ父さんだけはピンピンしていて、母さんと実家住まいの姉ちゃんのために、慣れない家事に精を出しているらしい。
 もう歳だといっても、余りに急に婆ちゃんの所に行ってしまった爺ちゃんや、まだ親が必要であろう年齢の息子を遺して逝ってしまった従兄夫婦に比べれば、母さんと姉ちゃんに起きた不幸は軽い方かもしれない。が、ここまで来ると笑えない物がある。
 だがしかし、俺は今はっきりと分かった。これは呪われているんだ。だからこんな事が起きているんだ。そして……。

『おお!お戻りになられたか!拙者、今か、今かと、お待ち申し上げておりました!』
 それは目の前で、地面から一メートルは上で浮いて胡坐を掻いている、こいつの所為に違いない。




『ささ、秋邦あきくに殿。お入りくだされ、お話が――』
「悪霊退散」
『ぎゃぁあああぁ――っ!?』
 友達に今日貰ったお札を、若武者……というには年がちょっといった感じの、侍の額に貼り付けた。渋みのある青の着物に、薄い色の袴を身に着けた侍?ああ、武士。武士がぴったりとくる。そんな武士は額に貼り付けられた途端に、仰け反って絶叫した。
 そのお札は、立て続けに起きた不幸の話しをしたら、本気で心配してくれた友人が、近くの神社で貰って来てくれた物だ。本当に使うことになるとは思わなかったが。
 まだ武士が悶絶しているのを確認して、ポケットから携帯を取り出し、ボタンを押すと耳に当てる。
「――あ、もしもし。長政?お前に貰ったお札、役に立った。え?うん、うん。ありがと」
『あ、秋邦殿ぉ!!し、暫し!暫し、拙者の話に耳を傾けてくだされぇっ!』
「え?あー……そのレポートは、まだ書きはじめても無い……うん。うん。そう、明日の休みに図書館に行くつもり」
『秋邦殿ぉ!!!』
「あー……ねぇ、ちょっと煩くて聴こえないんだけど」
『あ、それは面目無い……ではなくて!この札!この札取ってくだされっ……ってあれ、取れ申した』
「じゃあちょっと黙ってて」
『あい解った』

 俺は一通り話終わると、電源を切って目の前の武士を見上げて首を傾げた。
「……あれ。何か俺忘れてね?」
『……拙者もそう思うのは気の所為でござろうか』
『「――あ、そうだ、札」』
 安っぽいコントのようなこの出会いを、見ていた者は幸いなことに誰もいなかった。




「……これお茶菓子、です」
『ああ、これは面目無い。有り難く頂戴致す』
 暖かいお茶の入った湯飲みを両手に、人好きのしそうな笑みを浮かべる武士を、まじまじと見つめる。
 彼が今話した内容をざっと纏めると、最近の身の回りの不幸は本当に祟りだったらしい。ただし、原因は目の前の彼ではないそうだが。
 何でも、近所で仏の様だと評判の良かった爺ちゃんは、お祓い屋として裏では結構有名だったのだそうだ。それも、心配をかけたくないからと家族の誰にも知らせずに。そしてこの度、ちょっとしたミスで依頼された祟りのお祓いに失敗し、当事者の爺ちゃんはもろに祟りを受け、現在はうちの血縁にその牙が剥かれている。
「……って事で良い?」
『左様』
新名な顔をして武士が頷く。
『秋邦殿の祖父殿は、深く後悔しておられた。己の失態で己が不幸に会うのは良いが、娘、孫まで巻き込まれるのは、死んでも死にきれぬと。その呵責の念が届き、この現の世に拙者が使わされる事となり申した』

「で、そのアナタがいらした場所は……地獄」
『如何にも』
 深々と頷く武士に、微妙な顔になるのがわかった。
 何だか心強くない気がするのは俺だけだろうか。だって、地獄ってあれだ。悪い人が行く場所じゃないのか。爺ちゃん助けを呼ぶ相手を間違えているよ。いや、この人は言われて派遣されただけだから、その向かわせた人が悪いのか。それって誰だ。
(――でも悪い人には見えないんだよなぁ)
 ちらりと男を盗み見る。
 硬そうな黒い髪を一つに高く結い上げた髪型。長さは、括っている状態で項の辺りだから、解いたら結構長いかもしれない。
 がっしりした体躯の持ち主で、意思の強そうな眉と鼻筋、瞳孔と同じくらい真っ黒な瞳が配置されたそこそこ男前で精悍な顔つき。これが凄んだら怖いだろうな、と思うのに、それらは笑みで緩められていてちっとも悪人らしくない。
 はっきり言って人の良さそうな……お兄さんと呼ぶにはちょっと躊躇いがあるおじさんだ。
 いやいや、でも容疑者の周りの人の反応とかで、「そんな人には見えなかった」っていうのを良くニュースで見るし……いや、でも……。
(――……まぁ、いいか)
 嘘を言っているような感じもしないし、守ってくれると言うのなら、守ってもらおう。正直、『どうにかなるさ』が常な性分なので、色々考えるのが面倒臭くなってきた。
 側によくつるんでいる友人がいたら、「おいちょっと待て」とか言われそうだが、生憎いない。
 そう結論付けて、一人小さく頷いた。
「えーっと、じゃあよろしくお願いします。あ、俺は佐野 秋邦さの あきくにです」
『おお、これは申し訳ござらん。拙者、柏木総十郎光久かしわぎそうじゅうろうみつひさと申す』




「……で?」
「で?」
 俺はもそもそとポテトを咀嚼しながら小首を傾げ、同じ言葉を繰り返した。目の前では友人が頭を抱えている。
 資料探しも兼ねて、休み明けに提出しなければいけないレポートを書きに市の図書館に来ていたのだが、今は昼食を食べに、近くの有名チェーン店に入っている。
 明るく染めた髪を、がしがし掻いている友人――遠藤 長政えんどう ながまさは、あの最近の不幸を話したら、近くのお寺からお札を貰って来てくれるような世話焼きで良い奴だ。
 心配してくれたのだし、一応報告はしておかないとなと思い、昨日の出来事を話せば、長政はその場で固まった。齧り付いていたバーガーの間からトマトがはみ出し、それはトレーの上に無残にもべちゃりと音を立てて落ちる。
「……もったいなかったね?」
「違ぇよ!トマトじゃねぇよ!いや確かに悲しいけどさ、そこじゃねぇだろ!どうしておま、そんな奴をすぐさま信用するんだよ、っていうか幽霊っていうの何でそんなあっさりと信じるんだよ。もしかしたらただの変な人とか、馬鹿を狙った計画的な強盗とかかもしんないだろ。本当何も無くてよかったな……待て、無かったよな?まさか起きたら根こそぎ金品盗まれてました、って報告じゃないよな?」
「……なるほど。そういう心配もあるのか」
「そこじゃねぇよ!」
 再度同じ台詞を繰り返して、長政はテーブルを叩いた。トレーの上でトマトが数センチ浮いて、また落ちる。
「うん、何もなかった。っていうか、家にそんな金になるもの無いし」
 だから大丈夫と言えば友人は天を仰いだ。
「あんのなぁ、いつかその性格で痛い目みんぞ。」
「うん」
 本当に分かってんのか?という言葉と共に吐かれた溜息を聞きながら、炭酸飲料を啜る。舌先で弾ける細かい泡を感じながら、昨日のことを思い返した。


 自己紹介を終えた後、湯飲みをしっかりと持っている武士を見てふと、傍から見れば人間が一人と、その向かいに浮いてる湯飲みがあるように映るのでは……と気が付いた。
「……本当に幽霊?」
 あ、でもさっき宙に浮いてたしなぁと思い出すが、それにしたって……。
『左様でござるが……?何故なにゆえでござろうか』
「いや、湯飲みしっかり持ってるなぁと思って」
『あ、いやなるほど』
 にかっと武士は笑うとトン、と湯飲みをテーブルに戻した。
『幽霊と申すと足が無く、透けて且つ物を通り過ぎる、おどろおどろしい感じが致しますものなぁ』
「いや、そこまでじゃないけど……」
『生憎足も有り、透けてもござらんが、ほれこの通り、通り抜ける事は出来るでござるよ』
 そう言うなり、武士の手が何の前触れもなく、すっとテーブルを両断した。上にあったはずの手がテーブルの下に何の抵抗も無く移り、そしてテーブルに異変は無い。
『どうも秋邦殿の目しかない時にのみ己の意思で触れる、触れないを行う事が出来るようで……』
 あの外で秋邦殿を待っている時に、何を触っても、凍ってしまっているかのように動かなかった、と武士は言った。
『拙者は既に死している身。腹も減らねば眠くなりも致しませぬ。故にお気遣いは無用でござるよ』
 拙者は秋邦殿をお守りに来ただけ故。そう言った彼はこちらの邪魔にならない様にと気遣ってくれているのか、外に出るとしんと鳴りを潜めてしまった。
 それでも彼の暖かい眼差しをどこからか感じる。「いる?」と呟けば『何でござろうか』とすぐさま返事をしてくれた。
(――良い人だよなぁ)
 そんなことを回想している間に、長政はトマトの抜けたバーガーを手に再び手に持っていた。齧り付こうとしながら口を開く。
「あー……まぁ、あれだ。その柏木さん?とか言う自称幽霊に今後会っても、もう関わらない様に――」
「あ、一つ言い忘れてたけど」
「何だよ」
「その柏木さん、今俺の後ろにいるからね」

 次はパテがトレーに落ちた。



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