Novel | ナノ


▼ 朱い輪。

 形の良い鼻筋、美形と言ってもなんら不足ない顔立ちは中性的で、『可愛い』『格好いい』といったカテゴリの中では、どれかというと『甘い』に分類されるだろうと思った。
 暗い茶色に染められた髪は、天然で軽く癖が付いていて、それがまた似合う。テレビを見ている彼は無表情で――ちなみに、今放映されているのは、お笑い番組なはずなんだけど――これを意識して笑みで飾る努力をすれば、鬼に金棒だろう。まぁ、そんな金棒持たせるつもりはさらさらないが。
 テレビに集中していることを横目で何度か確認すると、自然を装って、その白いきめ細やかな肌の手に自分の手を伸ばし――重ねようとした瞬間に、その美しい手はさっと引っ込んでしまった。
 対象が逃げてしまったことで、ぺちんと情けない音を立てて落ちた手の平に感じるのは、彼の熱が移ったテーブルの硬質さ。そして目をその上に向けると、一緒にいることで無表情ながら、幾分か感情を読み取れるようになった彼の顔が、こちらに向いていて。今、そこから伝わるのは不機嫌さだった。
 ……付き合い始めて二ヵ月とちょっと。まだ、手を握らせてもらっていません。




「ね、ちょっとだけ。ちょっとだけだから」
 夜の営みで、先っぽだけと彼女に頼む彼氏のように、情けない声で恋人に懇願する。あの俺の理想美の手は、今は腕を組まれて全貌が見えていない。
「本当にちょっとだけだから、加賀見君……っ」
「……ちょっとって、どれくらいですか」
「えっと、とりあえず手を重ねた後――指を絡めて爪をなぞって肌の感触を楽しみつつ一本一本の細さを確かめるように握るだけ」
「それちょっとじゃないですから!」
 思っていた答え以上だったのか、驚きの色を微かに表情に滲ませる加賀見君。
「じょ、冗談だよ……」
「……とにかく嫌です」
 目を拗ねているように逸らす加賀見君の顔を覗きこんだ。今日こそは、今日こそはと胸の内で呟く。

「ねぇ加賀見君。俺ら付き合ってるんだよね?」
「……そうですね」
「恋人同士じゃん?」
「……そうですね」
「なのに手繋いだことが無いって……俺、寂しいよ……」
 ああ、言ってて本当に寂しくなってきた。目を軽く伏せると、加賀見君から少し慌てたような気配が漂ってくる。……って言っても、顔を上げると無表情なんだけどね。
「キスもしたよ、セックスもしたよ?でもさ、そこまでしておいて、手は繋がないっていうのはさ……」
 もしかして凹んでみせるのは有効なのかと気づいて、申し訳なく思いながらも、悲しげな表情をしてみせる。すると、おろおろと加賀見君の手が動き始めた。
 ――これは、いけるのでは。
 手を繋ごうと言う度にフられ、なんやかんやで有耶無耶にされてきたこの行為。今日はとにかく触らせてもらいたい。……いや、触らなければいけない。
 加賀見君は目を泳がせながら口籠った。
「じゃ、じゃあ…手フェチを止めてください」
「無理」
 きっぱりと言い放つと、加賀見君の顔が曇る。でもこれは譲れない。
「俺は人の手が大好きなの。それでもって、加賀見君の手が断トツ好きなんだから、無理」
「……そんな」
「嘘は言いたくないから言うけど、加賀見君の手がきっかけで出会えたような物だから。俺はそれを無しにはしたくない」
「で、でも……」
「言っただろ?俺はそんな加賀見君の手よりも、加賀見君が好きだから。俺は加賀見君の手を握りたいんじゃなくて、加賀見君と手を繋ぎたいの」
 お分かり?と笑うと、加賀見君は真っ赤になって「……お、お分かり、です」と小さく頷いてくれた。
 ――良し、勝った!

「じゃあ、手、握らせて」
 満面の笑みで、はい、と手を向けると加賀見君は手を背中に隠した。……あれ?やっぱり駄目なの?でも分かってくれたんじゃ……。
 表情を窺えば、困った顔をして目を泳がせていた。
「……やっぱり嫌?」
「いえ、そういうわけじゃなくて、その……」
 小首を傾げると、更に困った色を深める加賀見君。
 やっぱり無理かぁ……。もしかすると、手を繋ぐのが生理的に無理という場合もある。いや、あんなことや、こんなことまでしておいて、今更生理的に無理というのはどうかとも思うが、人それぞれだし、何よりそんなに嫌がるのならば、無理矢理したくない。たかが……いや、俺にとっては“たか”ではないのだけど、たかが手を繋ぐことの一つや二つ、しなくても……まぁ、良いじゃないか。
 加賀見君と付き合ってられるだけでも、十分幸せなんだし、と自分にそう言い聞かせて自己完結させる。
「ん、ごめんね。無理にって訳じゃないから」
「あのっ」
「うん?」
 捨てられる寸前の子犬みたいな目で、加賀見君が俺を見上げてくる。昔と比べると、結構感情が表に出るようになって来たなぁ……。いや、俺が読み取れるようになって来たのか。いやでもやっぱり、加賀見君が少し変わったのだろう。
 それはきっといい傾向なのだろうが、諸手を上げては喜べないな……。余り可愛い顔を見せると、また変な虫がついてしまう。なんてよそ事を考え始めた俺の態度を、どうとったのか分からないが、不安そうな色が濃くなった加賀見君に、慌てて先を促す。
「辻さんは、俺の手だけじゃなくて、本当にその……」
 おろおろと喋る加賀見君の、言いたいことを察して、思わず微笑む。頭に手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめると、言い聞かせる様に囁いた。
「何度だって言うよ、俺は“加賀見君が”大好きだ。例え手が無くなっちゃったって、愛してる」
「……ッ」
 その言葉にどこか胸を撫で下ろしつつも、泣きだしそうな表情をした加賀見君は、おずおずと両手を俺に差し出してくれた。

 長い指、白くて滑らかな肌、指の長さと甲の広さの比率は、見ていて溜息の出るほど綺麗で、ピンクの爪は形が良く、付け根の淡い色で描かれた三日月は健康的だ。
 そっと両手を伸ばし、手の甲を撫で、平を向けさせようとすると、くしゃりと加賀見君の顔が歪んだ。
(――ん……?)
 微かに抵抗を感じるが、そのまま手の平を上に向けさせ、小さく息を呑んだ。
 左の手の平に走る、醜い赤の線。白い肌にそれは酷くはっきりと浮かび上がっていて、太いミミズ腫れの様だ。
 それを指でなぞると、次は加賀見君が息を呑む。
「痛い?」
「痛く、無いです」
「そっか……」
「……ごめんなさい……っ」
「え?」
 顔を上げると、加賀見君は泣いていた。
「あんなに、褒めてもらってたのに……っこんな傷をつけてしまって……っ」
 思いがけない言葉に瞠目する。
「辻さんがそれだけで判断するなんて、思ってないです。でも、でもどうしても、やっぱり不安で、悲しくて……っ」
 その言葉を遮るように傷跡に口を近づけると、唇を落とす。
「加賀見君」
「は、い」
「ごめんね。俺、この傷が好きだ」
「えっ」
 ごめんな、こんなこと思っちゃいけないんだ。だってこれは彼の体に負わされた傷。彼が痛い思いをした結果。俺が彼を守りきれなかった証でもある。
 だけど。
「俺を守ってくれたから、ついたんだろ……?」
 痛々しいそれを誰が拒むだろうか。これは彼が俺を守りたいと思ってくれた証で、そして愛情で。
「ありがとう……」
 そう呟き、指を絡めると、その体を引き寄せた。




 舌と舌を絡める行為が好きだ。粘膜の感触に体を高ぶらせ、心行くまで満喫して唇を離せば、息苦しさと、これからの行為への期待に、同じく体を火照らせた愛しい人の厭らしい顔が目に入る。
 既に二人とも服がベッドの脇に脱ぎ捨てられていて、生まれた姿で肌を重ねていた。
「……こうやってキスして、裸で寝るっていうのだけでも気持ち良いよね」
 女性みたいに柔らかくない。抱き心地でいったら、格段に女性の方が良いだろう。でも、好きな人と隔たり無く肌を重ねるということは、それ以上に満たされる。人肌はとても心地よくて、思っているよりも、人というのは体温が高いんだなと毎回思った。
「……そうですね」
 目を伏せて、頬を赤らめながら頷く加賀見君は猛烈に可愛い。
 ああ、本当幸せだ。さっきからずっと、俺の右手と加賀見君の左手は指を絡めたまま、離れない。
「このまま寝ちゃおうか」
「えっ」
 勿論冗談なのだけど、そう口にすると、加賀見君は慌て始めた。そりゃそうだよね、そういう流れだったのに急に止めるとか困るよね。同じ男として分かる。
 でも俺がこのまま本当に寝ようとしたら、加賀見君はきっとそのまま隣で寝るのだろう。体に燻る熱に、もどかしさを感じながら、俺に迷惑を掛けない様に。でも困った顔で。
 ……なんか、そういう加賀見君も見てみたい気もする。でも今日はそういうつもりはないから、笑って抱きしめる。
「嘘だよ」
「……い、いじわる」
 肩に顔を埋めながら軽くこっちを睨む加賀見君は、そりゃあもう可愛くて、繋いだ手を強く握った。




「あ、あ…ぁ」
 ローションと指で解した後孔に、ゆっくり腰を押し進めると、押し出されるように加賀見君が喘ぐ。
「痛い?」
 吐息混じりの疑問に、首を横に振って返答される。初めての時よりは慣れたらしいが、今でも時折痛みを感じるみたいで、少し眉を寄せていることがある。
 自分に捧げられる様に上げた臀部は染みひとつ無く、思わずうっとりと撫でまわす。加賀見君は背中に熱と重さを感じるのが好きなようで、今日もバックから挿れている。顔が余り見えないのが残念だが、この体位が一番受け身には楽らしいので、俺も賛成だ。
 顔を埋めた枕を握りしめる手に、己の手を重ねると首筋を甘く噛む。
「んっ」
「加賀見君、良い匂いがする……」
 鼻を擦り付けると、擽ったそうに身動ぎをされる。
 後ろに押し込めた熱はまだ動かさず、加賀見君に負担が掛からないように、馴染むまで待つ。この熱いくらいの温度や、締め付けるナカの動きをじっと耐えるのは、中々に辛かったりする。
 熱の籠った息を吐き出すと、それが首筋に掛かったのか、きゅうっと後孔が締まって思わず呻きそうになった。
「あ、はっ……辻、さん……」
「ん?」
 重ねていた左手の指に、加賀見君から指が絡められる。
「大好き、です」
 あのね加賀見君、この状態でそういうこと言ったらダメだから!同じ男なんだし、分かるでしょ!息子が大泣きだよホント!
 荒々しく打ち付けたい腰を抑えて、擦りつけるようにグラインドさせるだけに留める。それでも甘く鳴いてくれるのだから、堪らない。
「俺も、好きだよ」
 同性という壁を飛び越えるくらい好きだ。今はただただ彼を大事にしたい。
「つじ、さん、辻さん…っ」
「名前で呼んで……冬野とうや
「っ、啓太けいた、さん……!」
 叫ぶように呼ばれた名前に、応えて腰を引き、ずるりと引き出した熱を直ぐに打ち付ける。頬を張るような音と共に、加賀見君の背中が反った。
「あぁあ!」
「……はっ」
 抜く時は引き留めるように絡み付き、突き入れる際には拒むような動きをするナカを、掻き分ける度に腰が溶けそうな程の快楽を味わう。
 それを余さず貪りたくて、加賀見君に覆いかぶさって腰を何度も突き入れると、その度に甘い嬌声が上がった。
「はっ、今日は後ろでイってみようか……ッ」
「えっ、あっ!そん、な……無理、ぁああっ!」
 彼が一番感じるらしい箇所を擦り上げるように穿つと、声が一層大きくなる。最初の方はそこまで感じなかったそこを、ここまで開発したのは自分なのだと思うと、暗い支配欲の笑みが思わず零れた。
「無理じゃないよ手延…ほら、ここ。気持ち良いんでしょ?」
「あ、あ、やめっそこ、ダメっ!」
 少し抜いて浅い所をごりごりと刺激すると、加賀見君の腰が震える。ちらっと目に入った横顔は、涙に濡れて蕩けそうな表情をしていた。
「あっあっ、はぁあ……う、ぁ!そこ、突かないでっ」
 そんなの突いてと言っているような物なのに、と笑みを浮かべ、ガツガツと突き上げる。
「あ、だめ、出ちゃ、出る、でる……ぅっ!」
 大きく目を見開いた加賀見君は唾液を口から零すと、びくりと大きく跳ねた後、押し出されるように白濁を雄から吐き出した。イったことで蠕動する内壁に呻きながら、次は自分の快楽のために腰を打ち付ける。
「えっ、やっ、まって、くださ……まだイってるの、に、ぁああ!」
「ごめん、すぐだから……っ」
 悲鳴に近い声を聴きながら腰を突き入れ、揺さぶり、奥まで嵌め込むと思い切り吐精する。
「う……ク……ッ」
「は、ぁ……ぁ」
 注がれる熱に感じているのか、加賀見君の雄から吐き出される白濁は、とろとろと止まる気配が無かった。




 行為が終わった後の気だるげな空気の中、最中も離すことのなかった加賀見君の左手を、満喫するように指で擦る。
「……好きですね」
「ん?うん。好きだよ。だって繋がってる気が凄くする」
 指と指を絡めるこの行為は、自分にとって心を繋げる行為で。それはもしかしたらセックスよりも深く繋がれる気がするのだ。
 笑みを浮かべて加賀見君を見ると、目を数回瞬かせた後、小さく笑みを返してくれた。
「……俺も辻さんの手、好きですよ」
「え、本当?嬉しいな」
「男らしくて、大きくて……温かい」
 辻さんと一緒だ、と呟いて寄せられた唇に、欲情しないわけがない。
「加賀見君」
「はい?」
「もう一回シようか」
「はっ!?」
 逃げようとする腰を引き寄せて、ふと加賀見君の左の薬指を食んだ。
「何してるんですか辻さん。痛っ」
 びくりと肩を跳ねさせて、指に走った痛みに困惑した表情を浮かべて俺を見る。
「三ヵ月分の給料という謳い文句があるけど……、もう少しで貯まるから、今はこれで我慢してね」
 口から放された薬指の根本には、赤い歯型。
 それを茫然と見つめた後、ぽろぽろと加賀見君の目から涙が零れた。
「お、俺、ずっとこれで、これが良いです……っ」
 涙混じりの声でそう言いながら、俺の首に腕を回した加賀見君の一言は一生忘れられないだろう。

 ――……その代り、消えない様に毎日付けてください。




- 終 - 




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