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▼ 素直になれなかった人


 初めてその使用人を見た時、下品にも見える赤毛の色に鼻先で笑ってしまった。
 それが憎々しいアイツの。オルタシア家の使用人だというのだから、気味の良い気分になったのも覚えている。
 けれど、その両目が赤毛のみっともなさを補って余るほどの美しさで。そして、アイツに向ける困り顔や怒り顔、笑顔が身分を超えた親しさに満ちていて。それがあんまりにも視線を奪うものだから。
 やはりアイツは、俺が欲しい物を持っているのだ、と憎々しく思うようになるまでに、そんなに時間はかからなかった。
 そんな気持ちは、その使用人に向いてしまった。なにせアイツは、どれだけ喧嘩を売ろうと、冷めた表情で買いもしない。逆に使用人は、揶揄えば揶揄う程、顔を赤らめ、瞳を曇らせ、泣きそうな顔をするのだ。
 自分の言葉に、それだけ反応を返すのが楽しくて仕方がなかった。
 一番欲しい表情ではないのが、残念ではあったが。




 学園の玄関先で、見知った髪色が目に入り、おや、と目を見開く。
 身に着けている制服がオルタシア家のものであるのを確認して、ニタリと笑みを唇に乗せた。
「おや、その制服はオルタシアの使用人か」
 レディ達の腰に腕を回し、近づいて、さも今気づいた、という風を装って声をかける。
 くるりとこちらを向いたその使用人は、誰であるかを認識した瞬間に瞳を曇らせた。
「お変わり無いようで、ライヘルト様……」
「おや、誰かと思えばカラエじゃないか。まぁそんな下品な赤毛の使用人など滅多にいないから、そんな気はしていたがな」
 鼻で笑いながらそう言えば、レディ達も連られるようにクスクスと笑い声を零す。使用人の頬は、その赤毛にも負けない程みるみる内に赤く染まっていた。
 それが楽しくて把握している相手のコンプレックスを抉って見せれば、まるで巻いているマフラーに隠れるように顔が埋もれていく。
 その様子が愛らしくて。もっと構ってやろうと身を乗り出した瞬間。

「――何をしている」
 冷たく響いた聞き覚えのある声に思わず顔が歪んだ。
 いつもそうだ。この使用人に絡んでいると、そう時間が経たない内にこいつが出てくる。
「おや、わざわざご主人様のお出ましか」
 嫌味を垂れてやるものの、全く響いていないようだ。
 用が済んだのなら立ち去れ、と言われてしまえば、立ち去る他ない。なにせその使用人はオルタシア家の使用人なのだ。直接粗相をされたわけでもない以上、部外者がこれ以上立ち入るのはマナーに反する。
 鼻を鳴らし、両脇のレディ達をエスコートしようとした後ろで、冴え冴えとした声が「何で来た」と使用人を叱りつけていた。
 思わず驚きで足が止まる。
 アイツがあの使用人に向ける目は、いつも甘い物だった筈だ。なのに、なんだ今の声は。
 振り返れば、使用人は驚きに目を見張り、言葉を失っているようだった。
 もごもごと言葉を重ねれば、それを食い気味でピシャリと打ち付けていく。
 最後には震える唇で謝罪を告げ、思い切り下げた頭を上げることなく踵を返し、使用人は走って去って行ってしまった。
 その背に、使用人の名をアイツが叫んだものの、既に届かず。むしゃくしゃする、とばかりに前髪を掻き回したアイツは、足音荒くその場を去っていった。

 呆然と立ち竦み、両脇でレディ達が怪訝そうに声をかけてくる。しかしその声はくぐもったようにしか聞こえなかった。
 今のは一体なんなのだ。
 アイツとあの使用人は、特別仲が良かったはずだ。それこそ、身分を超えた深い絆で結ばれているように見えた。
 乳のみ兄弟なのだ、と聞いた時には、なるほど道理で、と納得し、そして悔しさで歯噛みした。
 双方を想い、想われる関係。その間に立ち入る隙はないと。だから、揶揄うだけで留めていた。優しくしても無駄ならば、せめて石を投げつけて振り返って貰おうと。
 でも今のは何だ。
 あんなに突き放して、あんなに傷ついた表情をさせるなんて。それならば。
「……俺が貰ってもいいじゃないか」




 下校の足で、そのままオルタシア家に寄る。
 アイツはどうも用事があるようで、好奇だったのだ。
 不在をおどおどと告げる使用人に、では待たせてもらうと告げながら、用があったのはお前なのだ、と内心呟く。
 奥から足早に女中頭が出て来たが、構わん、の一点張りをすれば客人を追い出すわけにもいくまい。
「そうだな……相手はそこの赤毛で良い」
 そうして上手いこと、使用人と二人きりになることが出来た。

 多分アイツの好きな物であろう品揃えを憎々しく思いながらも、美味な紅茶に目を細める。
 本当にこの使用人は茶を淹れるのが上手い。
 無言になりかけた空気に、本題を切りこんだ。
「今日、お前ジラードの前から逃げ帰っただろう」
「……え」
「みっとも無い後ろ姿だったな」
 一瞬、きょとん、とした表情だったが、みるみる内に使用人の顔に血が上り、そして次は蒼白になっていった。
「最低限の礼儀も弁えないお前のような使用人など、ジラードにしてみれば恥ずかしくて堪らないだろうよ」
 ざくり、とこの使用人を縛りつけているオルタシアの柵にナイフを入れる。
「赤毛に雀斑、緑の目。見目は良くないのに色彩だけ派手。なら立ち居振る舞いに素養があるかと思えば、一人前どころか半人前だ」
 ざくざくと切り取っていく。
 薔薇に絡んだ蔦を切り取るように。
「お前のような人間は、オルタシアに相応しくない」
 そうだろう? だからお前は俺のところに来ればいい。
 そうしたら優しくしてやれる。アイツよりずっと。

 ぱた、ぱた、と雨粒が屋根を叩くような音がするな、と思って横を見れば、使用人が泣いていてぎょっとした。
「な、何を泣いて――」
「……やっぱり、恥ずかしいでしょうか」
 ぽろり、と使用人が零した言葉に、ずきりと胸が痛んだ。
 思っていた以上に、この使用人は自身に自信がなく、コンプレックスに悩んでいたのだと、その一言で理解をした。
 そう思うと、少し。ほんの少し言い回しがきつかったかもしれない、と反省をする。
「……ああ、そんなに泣くな。雀斑に染みるぞ」
 涙が流れた跡が、塩分で赤くなっていく。それが雀斑に染みていくようで、痛々しくて、指でぐいと拭ってやった。
「その、なんだ。オルタシアは名家だ。名家には名家なりの格というのがある」
 言葉を選びながら、伝えたいことを口にする。
「お前が未熟という訳では、いや、未熟だが、同じ歳の使用人にしてみれば出来は良い方だろう。ただ、オルタシアの格には相応しく――ああ、だから、その、」
 上手く言えないのがもどかしい。石を投げ続けていたから、花の手渡し方を知らないのだ、と今更気づいた。
「その、お前はライヘルト家ぐらいが丁度……いや、それでもまだ分不相応感は否めないが、努力をすれば身の丈が届く範囲ではあるだろう。……まぁ、赤毛でも私は――」
 顔が赤くなるのが自分でもわかった。
 なあ、わかるだろう。いや、わからないか。
 本当は俺はお前に優しくしたいんだ。でもそれは、お前がオルタシア家のものである限り、出来そうにないんだ。
 だから俺のところに来てくれないか。そうしたら、優しくする。約束する。アイツみたいに唐突に突き放したりしない。
 俺は本当は、お前の笑った顔が見たいんだ。

「マシェリ・ライヘルト……!」
 パン、と音を立てて涙を拭っていた手が跳ね除けられる。
 それをああ、とどこか遠い気持ちで見つめていた。
 やっぱりお前は、俺の欲しい物をそうやって奪っていくんだな。
「どうしてここにいる。何をしに来た!」
「……ふん、手の届く範囲の私物ですら管理の出来ない奴がいたからな。管理が出来ないのなら、貰っても構わんだろうと思って引き取りに来たまでだ」
 いつもとは違い、怒りでぎらぎらと輝く瞳がこちらに向けられ、良い気分になる。
 お前がその使用人との絆に胡坐をかくから、こうなるのだ、と。
「私は私の物はきちんと管理する。何一つ手放さず、不自由な思いをさせない。他人の口も挟ませない。傷つけさせない。必ず私の手で守りきる」
 アイツに言っているようで、後ろにいる使用人に言っていた。
 なあ、だから俺の方に来たらどうだ、と。
「帰れ!! ここはオルタシアの家だ!!!」
 しかし、犬のように吠え立てられ、仕方なく肩を竦め、席を立つ。
「それではカラエ・レーニス、また今度」
 するりと使用人に近づき、その白い頬に、ちゅ、と音を立てて唇を寄せて。
 ほんの少ししょっぱい味がした。
「マシェリ貴様……!!!」
 アイツの怒りが心地よく、そして茫然としている使用人に少しだけ寂しかった。

 そんなことを言ってもきっと、この使用人はずっとアイツの傍に居続けるのだろうな、とどこかでわかっていた。
 どこまで行っても、自分は当て馬にしかならないのだと。
 それでも、いつか。もしも、アイツに愛想が尽きることがあったら。
 その時はいつか、俺を選んで欲しい、と未練がましく不毛の土地に種を撒いたのだ。


 それから暫くして、あの使用人が海外に留学したと噂で聞いた。
 その数年後、アイツの傍にはあの使用人が執事として控えるようになって。未だにぴったり嵌ったパズルのピースのように、美しい主従として共に立ち続けている。

 それでもまだ、俺はあの赤毛のためにライヘルト家の門を開けているのだ。



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